「サンタが如く」その②

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 今年の十二月は特に冷えた。もう三日続けて雪が降ったり止んだりしている。街に出れば、屋根と路肩に雪が積もり始めていて街中が銀世界になりつつあった。

 もう昼だというのに気温は上がらず、太陽も顔を出さない。景虎は暑いより寒い方がどちらかと言えば好きなので特に気にはしていなかったが、関東でここまで雪が降り続けるのは珍しいなとも思っていた。好きと言ってもあまり寒過ぎるのは嫌だ。出かけるのにコートは手放せなくなっている。

 

 今日も景虎はいつもの様に教会に向かっていた。そして教会に着くと、神父が正門でスコップを操り、雪かきをしているのに気がついた。

 

「おう、精が出ますな」

 

景虎が声をかけると神父は作業の手を止めて挨拶してくれた。

 

「これはどうも。今年は特に寒いですね」

 

景虎は「手伝うよ」といって正門の脇に置いてあるもう一本のスコップを手にとった。その時、正門にイルミネーションが施されている事に気がついた。

 

「どこもかしこもクリスマスかよ」

 

景虎はぶうぶう言いながら雪を掻いてバケツに放り込む。神父はその様子を見て一瞬迷ったが聞いてみることにした。

 

「もしやクリスマスはお好きでない?」

 

「お好きじゃないね。あんなのはメディアに踊らされているだけだ。本当はキリスト教かなんかのお祭りだろ? 詳しくは知らないけど」

 

神父は、景虎があまりにも「らしくない」ことを言うのでくすりと笑ってしまった。それを見て景虎は口を尖らせた。

 

「何か言いたげですね、本気で言ってるからな俺は」

 

「分かっていますよ。人それぞれですからね。こんな仕事をしていますが、実は私も学生時代はそこまで信心深い方ではありませんでした。気持ちは分かるつもりです。因みに景虎さんは『クリスマスミサ』というのをご存じですか?」

 

「いや」

 

「簡単に言いますと、特別な日を祝い、礼拝を行い、楽しく歌い、最後にはささやかな祝会を開くというものです。これは基本的に参加できます。洗礼を受けた信者以外もクリスマスを楽しんでも良いのですよ」

 

 神父が優しく景虎を諭したが、景虎は「ふうん」と興味もなさそうに答えるだけだった。

 

          


          


          ◯

 今日は十二月二十三日。クリスマスイブを明日に控えている。紫苑はこの日を心待ちにしていた。八咫超常現象研究所の壁に掛けてあるカレンダーに赤いペンで丸をつけた。

 

「いよいよ明日はイブですね。所長さん、チキンとケーキは予約しましたか?」

 

咲耶は窓際の自分のデスクに座り、請求書と睨めっこをしていた。視線を請求書から逸らさずに手元の灰皿で吸っていた煙草の始末をした。

 

「したってば、もう四回は答えたわよ。楽しみなのは分かるけどそわそわし過ぎじゃない? うちの経営がピンチでそっちの方がそわそわよ」

 

紫苑は先程から落ち着かず、ソファに座ったり立ち上がったり、研究所内をうろついたりしている。

 

「下半期は依頼も多かったですし、余裕があるかと思っていました」

 

「私もよ。でも格好つけて依頼料を受け取らなかったり景虎が何か壊してその損害賠償をしたりとか、そういうのを入れると給料払って経営回してトントンって感じかしらね」

 

咲耶はそう言うと遠い目をして窓の外をみた。彼女の夢は音楽活動で武道館の舞台に立つことだったが、それは叶わず。前職は東京で大企業のOLをやっていた。ばりばり働いてそこそこの収入も得ていた。個人収入ならば今よりもだいぶ多かったはずだ。それが今や火の車である。

 窓の外ではまた雪が降り始めた。世知辛いなあ、と咲耶はしみじみ感じてしまった。

 

「辛気臭い空気が外まで漂ってるぜ」

 

咲耶がしんみりと浸っていると景虎が嫌味を言いながら八咫超常現象研究所に戻ってきた。重い扉が音を立てて閉まる。

 咲耶はまた言い返そうとしたが、むせたのか咳き込んでしまった。それからあんまり激しく咳き込むので、紫苑は素早く近寄って背中を撫でてやった。

 

「大丈夫ですか、お風邪ですか?」

 

紫苑が背中をしばらく撫でると、やっと咲耶の咳は落ち着いてきた。咲耶は「ありがと、大丈夫」と笑いかける。

 

「煙草の吸い過ぎなんじゃねえの」

 

景虎はまた嫌味を言った。なんとなく咲耶と紫苑にも分かった。「景虎は機嫌が悪い」。

 景虎は少し皮肉屋だが何でもかんでも突っかかるタイプではない。それはよく知っている。

 

 景虎は応接テーブルの上のリモコンを手に取り、研究所の隅に設置されている古臭い型落ちの薄型テレビの電源を入れた。電源の入ったテレビではワイドショーがやっていた。街のクリスマス特集だ。

 

「本当にどこもかしこも」

 

景虎は何度かチャンネルを変えて最後に報道番組で止めた。関東の一部局地的な大雪という異常気象、それから流行り始めたらしい風邪のニュースをやっていた。

 紫苑は景虎が心配になった。明日から楽しいクリスマスだ。こんな雰囲気で明日を迎えたくはない。紫苑は、テレビの前に突っ立ってニュースを観る景虎の横に並んだ。すると景虎は視線をテレビから離さず、並んだ紫苑にぶっきらぼうに言った。

 

「何か用かよ」

 

「いえ、ただ……明日はクリスマスイブだから景虎さんに──……」


そこまで紫苑が言ったところで景虎はひどく迷惑そうにため息をついた。紫苑は驚いて思わず景虎の顔を見てしまった。すると景虎も紫苑を見ていた。

 

「お前までそんな事を言うのかよ。どこ行ってもクリスマスだの聖夜だのサンタだのくだらねえ」

 

「良いじゃないですか、楽しい事はみんなで共有したいです。景虎さんはお祭りがお好きでしたよね?」

 

「いいや、共有したくなんかないね。お祭り好きって誰から聞いたんだよ」

 

景虎はその場を立ち去ろうと紫苑に背を向ける。すると紫苑はその背中に向かって言葉を続けた。

 

「景虎さんが先日の飲み会で自分で仰っていましたよ。昔は家族でよく盆踊り大会に行っていた、と。そこでお菓子やおもちゃや文房具をもらって焼き鳥とかも買って──」

 

「やめろ、そんな話聞きたくない。そんなの酔ってる時のどうでもいい話だろ」

 

 景虎は振り返って紫苑の蒼い瞳を睨みつけた。紫苑はそこで口を閉じた。美しいその瞳は潤んで揺れた。動揺している様でも悲しんでいる様でもあった。

 

「なんで、なんでそんな目で私を見るんですか。まるで敵を睨んでいるみたいじゃないですか」

 

紫苑の声は少し震えている。「言い方が強かった」それは分かっていた。だが、景虎は我慢ならなかった。まるで心の中の弱い部分に入り込まれた様な気がして、威嚇でもしなければ全て暴かれてしまいそうな不安にかられた。

 

「さっきからゴチャゴチャとうるせえんだよ。お前には関係ねえだろ、どうせ他人なんだから」

 

景虎の言葉で紫苑の瞳は大きく揺れた。その瞳は充血し始め、口はきゅっと横一文字に結ばれた。そして耳と鼻が少しずつ赤みを帯びてくる。だが、何かを堪えている様なその表情で紫苑は景虎から目を離さなかった。

 景虎はその強い瞳で射抜かれると、自分がとても小さな存在になってしまったかの様な錯覚に陥った。


「景虎!」

 

その時、ここまで黙っていた咲耶が鋭く叫んだ。その声で景虎ははっと我に返った。

 

「あんたいい加減にしなさいよ。機嫌が悪いのは勝手だけど紫苑にのは違うでしょ」

 

景虎は何も言えなかった。どうしてこうなったのか分からない。なぜこんなに腹が立ったのか。

 そして何も言えないでいると、ついにぽろぽろと涙を落とし始めた紫苑が代わりに答えた。

 

「いいんです」

 

そう言うと紫苑は研究所の壁にかけてあったコートと杖をとった。マフラーを巻き、支度をしている。まさかこの雪の降るなか外に行こうというのか。紫苑は弱視なので悪天候に外に出ることは基本的にしない。肌も弱いため雪による紫外線の反射も良くないだろう。景虎は止めようとした。

 

「おい、待て。こんな天気で外に行くつもりかよ」

 

すると紫苑はひどく他人行儀な言い方で言葉を返した。

 

「ご心配には及びません。それに私は景虎さんにとって『他人』なんでしょう? 私がどこに行こうと勝手ではありませんか。他人様に意見を言われる筋合いはございません」

 

「待って、紫苑。外出は私が許可しない」

 

咲耶は慌てて紫苑を宥めた。咲耶に言われ紫苑がひとまず立ち止まる。それを見届けると、続けて咲耶は景虎を見た。その目には怒りが含まれている。

 

「出て行くのはあんたよ景虎。しばらく謹慎しなさい。頭冷やして、その後どうするか聞きます。帰ってきた時に八咫超常現象研究所にとって不利益な答えを出すようなら……。あなたを解雇します。いいわね」

 

景虎と咲耶の視線が交差した。景虎は「ああ」とだけ告げると、応接用ソファに投げてあったコートを引っ掛けて外に出た。

 



 景虎が研究所を出てすぐ、紫苑はその場で迷子の子供のようにわっと泣き出してしまった。咲耶はそんな紫苑を優しく抱きしめてあげた。

 紫苑に肉親はもういない。自らのアイデンティティは魔女の末裔である事と『八咫超常現象研究所』だけしかなかった。故に歳が一つ上の景虎に対しては兄妹や友人、家族のような憧れもあったはずだ。その景虎に「他人」だと言われては彼女の世界は崩壊したも同然だろう。そんな事は景虎も承知しているはずなのに何故あんなにも強くあたってしまったのか。

 今は、景虎が戻ってくるのを待つしかない。

 

          

          


          ◯

 景虎は雪の降る中、ふらふらと人通りの少ない街をあてもなく歩いていた。「俺は最低だ」。そんな事を考えていた。紫苑に対しての言葉が何を意味するのか、それは分かっているつもりだった。分かっていたのにそれを口にした。もはやあの事務所へ帰る権利は自分には無いのかも知れない。幼少期のトラウマに踏み込まれた程度であそこまで取り乱すなんてみっともない事だ。景虎は自分を恥じた。

 

 気がつくと商店街の外れの小さな公園に足が向いていた。確かここは十月頃に幽霊探しで紫苑が魔法陣を描いた場所だった。

 ふと、公園の中を除いて見ると、雪が積もり始め誰もいないはずの公園のベンチに一人、老人が座っていた。景虎はそこに向かった。

 

 老人はダウンジャケットとマフラー、黒いニット帽で防寒していた。最初は浮浪者かと思ったが、その顔半分を占める真っ白な髭と高い鼻。その彫りの深い顔はどこか気品に満ちていた。やはりよく見てみると浮浪者には見えない。

 どうやら、この老人は煙草を吸いたいらしい。口に一本咥えたままライターを弄っている。だが火は中々つかない。景虎は声をかけた。

 

「火、貸そうか?」

 

 景虎は老人の隣に座って持っていたジッポーライターで煙草に火をつけてやった。するの老人は火のお礼にと煙草を一本勧めてくれたが、景虎は断った。

 

「俺は煙草は吸わないんだ」

 

「ほう、そんなに上等なライターを持っているのにか」

 

老人は少ししゃがれた声で聞いた。すると景虎は古いジッポーライターを眺める。これは父の形見だった。煙草は吸わない、だがそれをお守りの代わりにしていた。

 

「まあな。──それよりじいさん、あんたこそどうしたんだ。こんな天気にこんなとこに座って」

 

「少し複雑なんだが、家出みたいなもんだ。仕事が嫌になってな。お前も似たようなものだろう?」

 

老人は皮肉めいた笑みを景虎に向けた。景虎も笑って「かもな」と答える。すると老人はフーと白い煙を吐いた。

 

「お前、名前は?」

 

「景虎。じいさんこそ名前は?」

 

景虎に聞かれ、老人は答えを少し迷っているようだった。そしてまた煙草を吸い込んで、ゆっくり白い息を吐く。

 老人はそのしゃがれて、だがやけにとおる声で、はっきり名乗った。

 


「わしは、サンタクロースだ」

  

         

          


          ◯

 明日は年に一度のクリスマスイブ。大切な人にプレゼントを贈り合う日。信仰は関係なく誰でもそれはできるのだという。

 八咫超常現象研究所内、その隅に従業員用のロッカーがある。その紫苑のロッカーには、景虎と咲耶に贈る予定のプレゼントがこっそりと隠してあった。





────その③に続く

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