ヤタガラス 第3話

「サンタが如く」その①

          1

 

 その夜は雪が降っていた。

 今日は父が死んでから初めてのクリスマスだ。景虎は父の真っ赤なボクシンググローブを抱いてリビングの隅で縮こまって座り、じっとテレビを眺めていた。バラエティをやっていたが内容は頭に入ってこなかった。

 

「お兄、おなかすいた」

 

 三つ歳下のまだ六歳になったばかりの妹が景虎にくっ付いて甘えてきた。確かに景虎もお腹が空いていた。部屋の壁にかけられた時計を見ると、時刻は夜の八時を過ぎている。

 

「我慢しろよ明里あかり。もう少しでお母さんが仕事から帰ってくるから」

 

景虎は妹、明里の頭を優しく撫でてやるのだが、明里はぐずり始めてしまった。そしてわっと泣き出す。景虎はその声量に驚いて耳を塞いだ。もう嫌だ、そう思った時だった。玄関の方からガチャガチャと音が聞こえてきた。鍵を開けているのだろう。そして「ただいまー」と気の抜けた声で帰って来たのは母だった。その母が部屋に入ってくるなり明里は母の足に飛びついた。

 

「お兄が叩いたあ!」

 

「おい、叩いてないぞ」

 

明里が泣きながら被害を訴えたが、それは聞き捨てならない。僕は絶対叩いてない。母は「よしよし」と明里の頭を撫でている。甘えやがって。景虎は思ったが、妹のやる事なのでそれ以上は追求しなかった。

 

「ごめんね、人が足りなくて仕事が長引いちゃってさ。今からご飯作るからね。あ、チキンも買ってきたよ」

 

母は手に持っていたビニール袋をリビングのちゃぶ台に置いた。すると明里が駆け寄り、そのビニール袋から赤と白の箱を取り出して中身を見た。

 

「鶏肉だ、でっかいよ!」 

 

「まあね、今日はクリスマスだからね。鶏肉っていうか、フライドチキンだけどね」

 

明里は目を輝かせていた。それを見て母は満足した様に微笑むと台所に行ってしまった。

 

「お兄も見て、でっかい鶏肉!」

 

「フライドチキンだってば」

 

先程までぐずっていたのに元気な奴だな、と景虎は思った。でも大事な妹だ。父の分まで母と妹を守らねば。

 

 夕飯はピラフとコンソメスープと母の買ってきたフライドチキンだけだった。それでも景虎と明里にとってはご馳走だ。

 夕飯を食べ終え、母の作った小さなケーキを三人で分けて食べた。その後はみんなでトランプをしたりゲームで遊んで過ごしたのだった。

 

          

         


          ◯

 時刻は夜の十一時半過ぎ。明里は所謂、「電池切れ」というやつで頭がこくりこくりと本人の制御を失っていた。それを見た母は「そろそろ寝よっか」と言うと、明里を抱いて景虎と共に寝室へ向かった。

 寝る時は布団を敷いて三人川の字で眠る。母が真ん中でその右側に明里、左側は景虎だ。いつも母は甘えん坊の明里が眠るまでずっと頭を撫でてやっていた。本当は景虎もそうしてほしい時もあったが絶対にそれは口に出さなかった。

 

「ねえ、お母さん。サンタさん来るかな?」

 

明里が半分眠った様なおっとりした声で聞くと、母もそれに合わせて優しい声で答えた。

 

「どうだろうね、でもアカリちゃんは良い子だからきっと大丈夫。早く寝ちゃいなさい」

 

 それから暫くして、明里はすぐに寝息を立て始めた。その時の景虎はというと、実は寝たふりをしていたのだった。今日こそサンタの存在を確かめてやる。そう思って起きていた。

 

 ふと、母が起き上がって寝室を出て行く。トイレかな? そう思った景虎は最初じっとしていた。だが、いくら待っても母は帰ってこない。段々と不安になってきた。景虎は布団から出て、明里を起こさないようにこっそりと寝室を出た。

 廊下にはリビングから伸びた光が差している。母がいるらしい。誰かと話しているのか母の声が聞こえた。その時の景虎は何故だか堂々とリビングに入ってはいけない気がした。足音が出ないように忍足でゆっくりとリビングに近づく。

 少し空いている扉の隙間からリビングを覗くと、やはり母がちゃぶ台の上に何か乗せて作業していた。あれは紙だろうか? そして、その側には缶チューハイが一本と、死んだ父の写真が置かれていた。

 

「明里がさ、『サンタさん来るかな』ってさ。今年からサンタは一人きりだよって感じだよね」

 

母はそう呟きながら父の写真の側の缶チューハイをぐっと勢い良く飲んだ。少し酔っているらしい。母は言葉を続けた。

 

「ねえ、私一人で景虎と明里を立派に育てられるかな。だって突然先に逝っちゃうんだもん。……でも景虎に格好いいとこ見せたかったのかな。あなた、格好つけるの好きだったし」

 

ここまで話したところで母は肩を震わせて小さく丸まった様になった。啜り声で泣いている事が景虎にも分かった。

 

「最後の試合、最高に格好よかったよ。あなたがチャンピオンだった。でもさ、チャンピオンじゃなくても、ずっと私の夫でずっと二人の父親で──。そういう未来もあったんじゃないのかな」

 

母は小さく呟いた。

 

「辛いなあ」

 

その時、景虎は何故だか胸が苦しくなった。息がうまく出来ない。気がつけば、涙が頬を伝っていた。ダメだ、こんな母の姿は見ていられない。 

 ここで、リビングに入って行って母を抱きしめる事も出来ただろう。だが幼い景虎にはあまりにも荷が重かった。景虎は逃げた。逃げて、自分がここで話を聞いていた事に気づかれない様にそっと寝室に戻った。そして、自分の嗚咽が聞こえない様に歯を食いしばって眠った。

 

          


          ◯

 翌朝、目が覚めると枕元にはラッピングされた箱が置いてあった。開けて中を見ると、入っていたのは父とお揃いの真っ赤なボクシンググローブだった。明里の方は何かのアニメのキャラクターを模した大きいぬいぐるみだ。明里は「サンタさんだ!」と喜んでいたが景虎は素直に喜ぶ事がどうしても出来なかった。あの母の声と小さな背中が脳裏に焼き付いてしまったようだった。

 

 サンタクロースなんていない、いるのは苦しんでいる母だけだ。プレゼントは母にはないのか? どうして自分だけが呑気に楽しめるというんだ。

 景虎はクリスマスが大好きだった。だが、家族全員が揃って食卓を囲んだ聖夜はもう二度とこない。

 それ以来、サンタクロースの事もクリスマスの事も、景虎は大嫌いになった。

 


  


 ヤタガラス 第3話「サンタが如く」

 




────その②に続く        

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