「狸の嫁入り」その⑫

          12

 

 その日はとても美しい満月の夜だった。四国と金倉中の抽選で当たった数百以上の狸たち、そして見物に来た神々と妖者共は金倉大仏殿高徳院に集結していた。決闘の開始を今か今かと待ち侘びているのだ。

 

 大仏殿、つまり大仏様の鎮座する目の前に土俵は作られた。その土俵を囲むように、見物にきた者たちは大仏殿にぎゅうぎゅうに詰められている。

 

 土俵の円状に引かれた白いラインの内側に、人間の姿でまわしをつけた虎右衛門と金長が向き合っていた。金長はさすがよく鍛えられ引き締まった身体をしていた。対する虎右衛門は痩せているのか太っているのかよく分からない中途半端で不安になる体型だ。

 

「君の頑張りには感謝するし、尊敬もしよう。正直言って君を侮っていた。改めるとしよう、さすがは数百年前に我が先祖・初代金長と共に阿波狸合戦を戦った狸の子孫だ」

 

金長は雑踏にかき消されないように声を張り、向かい合う虎右衛門にそう告げた。虎右衛門もそれに言葉を返す。

 

「僕は君が嫌いだった。鼻につく生まれが良いだけの嫌な奴と思っていた。でも違ったよ。翠ちゃんから捕まっていた時の話を聞いた。最後を覚悟しつつも翠ちゃんと狸界の将来を案じていたという。僕も改める、君は立派な狸だ」

 

 これから死闘を演じる二匹は向かい合い、笑っていた。

 

 八咫超常現象研究所はというと、此度の北金倉狸合戦の『賭け事全般』の管理を任されていた。

 紫苑と咲耶は土俵がよく見える位置に設置された屋台で次々と叫ばれる「金長!」「虎右衛門!」という声を聞き、記録をつけ、差し出されるお金を受け取っていた。生き物とはなぜ賭け事が好きなのか。咲耶、紫苑の2人は休む暇もないほどに忙しく、戦いが始まるまで賭けの受付をこなしていた。

 今のところ、大方の予想は金長の勝ち。だが、虎右衛門も意外と人気がある。先日の伯爵との戦いがどこからか伝わり、評判になっていたのだ。

 

 景虎はというと、虎右衛門のセコンドについていた。

 土俵の側でタオルを首にかけた景虎は聴衆のざわざわとした声にかき消されないよう、声を張り上げた。

 

「ドラエモン! 絶対勝てよ、俺たちがついてる!」


虎右衛門は振り向くと、景虎に向かってピースをしてみせた。

 

「金長殿。楽に行きましょう。相手は格下の田舎狸に過ぎません」

 

 金長側のセコンドは藤ノ木寺鷹志が務めていた。鷹志はそう言って欠伸をしている。だが、金長の表情は真剣そのものであった。

 

「単なる田舎狸だと、敵ではないと、そう思うか? ならばお前は修行をし直すと良い。彼は根性のある奴だ。諦めない、そういう奴が一番手強いのだ」

 

         


          ◯

 真夜中の零時、金倉の街は狸たちの力で化かされた。今夜、この金倉大仏殿高徳院で何が起こっても誰も知ることはない。感知することは出来ない。敷地の外はいつものお寺である。

 しかし、中では決闘が今、始まろうとしていた。土俵には金長と虎右衛門が向かい合い、その間に審判の高徳院大福と、今回の勝負の賞品である源氏山翠が立っていた。大福は豪華な着物姿に身を包み、マイクを持っている。キーンというハウリングの後、大福は決闘の開始を宣言した。

 しんと静まり返った大仏殿に大福の声が響く。


「ええと、お集まりの皆さま今晩は。これより、二十二代目金長と観音寺虎右衛門による、源氏山翠を賭けた決闘を行います。ルールは由緒正しき『狸相撲』。土俵から相手を出せば勝ちであります。もちろん我々は狸でありますから、化け術の使用も許可されます。要するに基本的には何でもありとなっております。では、両者は互いに握手を」

 

 大福はここまで言うと翠に目で合図をした。翠は慌てて土俵を降り、用意されている椅子に座った。その側には翠の父、緑之介と母の翠蓮すいれんが立っている。

 

 金長と虎右衛門はお互い右手で固く握手をした。目が合うと、その瞳は両者燃えていた。

 

「はじめっ!」

 

大福の合図で戦いの火蓋は切って落とされた。金長は握った手を離さず、ぐいっと自分の方へ引っ張った。虎右衛門は不意打ちで為す術なく「おっとと」と引っ張られてしまう。そしてきつい一撃が虎右衛門の顔面に浴びせられた。ここで金長は手を離す。虎右衛門は鼻を押さえてその場で膝をついた。鼻からは血が滴っている。

 会場は金長の鋭い一撃でわっと盛り上がった。破れんばかりの大歓声である。だが翠は思わず目を塞いでしまった。

 

「虎右衛門、大丈夫か!」

 

「お兄ちゃん立って!」

 

セコンドの景虎と、その側で応援していた虎右衛門の妹、虎美どらみが開幕の一撃をうけて心配そうに声を張り上げた。虎右衛門にもその声は聞こえる。むしろ歓声の方は聴こえていなかった。心の静寂が虎右衛門に訪れていた。

 

「僕は、この金倉で……。いや、日本で最も化けるのが上手いのだ!」

 

虎右衛門はそう叫ぶと白い煙に包まれた。化けたのは小さな蛇だ。虎右衛門は素早くその蛇の体を滑らせて金長の股の下を潜って背後をとった。金長は完全に虎右衛門を見失っている。そして今度は牛に化けると金長の背中に体当たりをした。

 

「なんだと!」

 

金長は背中に体当たりを受けて前のめりに倒れそうになった。だが踏ん張り、すぐに振り向きつつ拳を食らわせようとした。

 だが拳が当たったのは人間の顔でも牛でもなく、大きなピンク色のバランスボールだった。金長はそのバランスボールに拳を跳ね返され、足をもつれさせると尻もちをついた。

 

 ──会場は再びしんと静まり返る。あの四国最強を誇る金長狸が田舎狸に尻餅をつかされたのだ。少しの静寂の後、人間に戻った虎右衛門が片手を天に突き上げるパフォーマンスをした。すると歓声はより一層大きく、激しくなった。

 

「ヒヤヒヤさせやがって」

 

景虎は自分の拳も強く握られ、まさに手に汗を握っていることに今気がついた。気分も高揚している。虎右衛門は人の心を掴む能力があるのかも知れない。景虎はそう思うと叫んでいた。

 

「頑張れドラエモン!」

 

          


          


          ◯

 だが、やはりさすがの金長狸である。虎右衛門も必死に食らいついているが、自力が違う。じわじわと実力差が表れ始めていた。体格差があるので掴まれて押されれば虎右衛門の方があっという間に土俵外へ出されてしまうだろう。虎右衛門は足を止めずに拳か掌底を撃ちつつ、化け術で翻弄しながら立ち回った。

 金長はそれらに涼しい顔をして対処していたが、内心まいっていた。化け術においては虎右衛門の方が上かも知れないと思い始めてすらいた。消耗すればミスも増える。金長は先程よりも押されてたり、拳をもらったりしていた。

 長期戦とは精神戦である。最後まで立っていた者が勝つ。

 

 翠は戦いに目を塞ぎそうになる。だが、それは許されない。二匹の狸が自分の為に争っているのだ。見届ける義務がある。金長狸は立派だ。だが虎右衛門も素敵だ。二匹は争わず、仲良くなる道は無かったのか。翠はそんな身勝手な事をつい、考えてしまっていた。その度に自分に喝を入れてこの死闘を見届けるのだった。翠は気付けば椅子から立って身を乗り出すように戦いを見ていた。

 ────。


 


 お互い顔は腫れ、鼻血は垂れ、身体はアザだらけの足はふらふら。もはや相撲ではなく単なる殴り合いになっていた。

 金長が虎右衛門の顔に拳を入れると歓声が上がり、虎右衛門が金長の腹に拳を入れるとまた歓声が上がった。

 

「いい加減、諦めろ金長。僕の初恋はすなわち“愛”だ。昨日今日出会った君とは年季が、違うのだ!」

 

虎右衛門は金長の右頬に拳を見舞った。金長はふらついたが、しっかりと踏み留まる

 

「我が“恋”に時間は関係ない。恋だの愛だの、理屈ではないだろうが! 翠を求めて何が悪い、だって好きなのだから!」

 

金長は虎右衛門の左頬に拳を食らわせる。虎右衛門は「ううっ」という呻き声を上げた。だが、踏み留まって金長に殴り返す。力を振り絞って何発も続けて殴った。

 

「その通りだ、恋だの愛だの言い争うのは不毛だ。だが、僕は言う。僕のは愛だ! 好きなのは愛! 一緒にいたいと思うのは愛! 病める時も健やかなる時も共にあると誓う、これも愛だ! “愛”とは求めるものではない、与えるものだ! 僕は翠ちゃんの為なら命を賭けられるぞ!」

 

金長は拳を食らって膝をつきそうになった。だが歯を食いしばってやはり殴り返した。

 

「ならば我が恋も同じ、その情熱は地獄の炎の如し! お前は生涯、翠しか愛した事が無いから分からぬだろう、誠に運命の相手というモノを。翠は、その瞳は他の娘とは違う。私を二十二代目としてではなく、一匹の男として見てくれたのだ、初めて命を賭けても良い、その価値がある女と出会えたのだ! 誰にも渡すものか!」

 

 二匹は叫んだ。そして、その拳は交差する。同時に最後の一撃を顔面に受けた二匹はボンと白い煙に包まれ、狸姿で土俵上に仰向けで倒れた。二匹とも意識はない様だ。

 



「ええと、狸相撲のオフィシャルルールに基づきまして、両者ノックダウンの際には『テンカウント』の間に立ち上がった者が勝者となります。では、ゴホン。……ワーン、ツー……」

 

審判の高徳院大福がカウントを始めると、会場内は金長と虎右衛門を呼ぶ声で埋め尽くされた。

 

「立て、ドラエモン!」


「立ってください金長様ー!」

 

 景虎も叫んだ。咲耶と紫苑も虎右衛門を呼んだ。歓声がこだまする中で二匹は未だ気絶している。

 

 その時だった、翠は声を張り上げて叫んだ。

 

「立って、お願い! 負けないで!」

 


 ──その声は、この歓声の中ではかき消されてしまうような、か弱い声だった。でも聞こえた。ぱっと目を覚ますと、ゆっくり起き上がる。そして狸の小さくて毛むくじゃらな手を天に掲げた。

 

「翠ちゃん、僕と結婚してください」

 

は側で見守る翠にだけ聞こえるようにそう言った。

 

虎右衛門は立ち、金長狸に勝利したのだった。


 その瞬間、観客が土俵に雪崩れ込んできた。全員で虎右衛門を讃える。景虎は感動で号泣していた。翠もすぐに土俵に駆け上がる。

 

「勝者、虎右衛門!」

 

大福がマイクを通して勝者の名を叫んだ。

            

          


          


          ◯

 歓声が覚めやらぬ中、景虎は一人で大仏像の中へ入った。中では捕まえたドロボーン一味が縛りあげられている。

 

「虎右衛門が勝ったぜ、これで仕事は終わりだな」

 

景虎はそう言うとドロボーン一味の縄を解いていく。

 

「な、なにをしてる」

 

弘子は縄を解く景虎を見つめた。何が狙いなのか。

 

「お前さ、どこかで会った事があるなって思ったんだ。でも痩せてるし髪型も違うし化粧してるし全然分からなかった」

 

「ふん、私はドロボーン一味のリーダー。ドロンナ様だよ。会ったことなんてないね」

 

景虎はそれを聞くと呆れた様に笑った。

 

「なんだよそれ、キャラ作ってるのバレバレだぜ。そのドロンナってさ、「泥女」をもじったんだろ? よく見たら目元は同じだった。お前さ、笹川だろ。同じ高校の」

 

笹川弘子は初恋の人に見透かされて「ふひゅう」と変な声が出た。

 

「行けよ、伯爵に雇われただけなら今回は見逃してやる」

 

「ここで逃すと後悔するよ」

 

「わかったよ、今度どこかで酒飲みに行こうぜ」

 

弘子はもう恥ずかしくて堪らなくなった。保谷木と豚面を連れて「覚えてやがれえ!」と言い、アラホラサッサと逃げて行った。

 

          


          


          ◯

 後日、八咫超常現象研究所は賭け金の儲けを依頼料として手に入れた。

 それが相当の額になり、ほくほくとなったのもあるが咲夜は今回の依頼と結末に心撃たれて失恋の事など忘れていた。煙草の本数も大分減っている。

 

 


 ──そして十二月に入り、しばらくのんびりしていたが、今日は久しぶりに事務所の扉がノックされた。咲耶は「お客様だよ」と言い、扉を開けた。

 

 応接用ソファに座った依頼人は髪の短い吊り目の青年だ。

 

「今回はどういったご用件で?」

 

 咲耶が聞くと青年はもじもじしながら話し始める。

 

「実は、ある結婚を辞めさせてほしいんだ。彼女の名はアカイ。幼馴染の彼女は、無理やり政略結婚させられそうなんだ」

 

景虎は「ちょっと待った」と青年を止めた。

 

「あんた、何者だ?」

 

続けて紫苑も聞いた。

 

「失礼かも知れませんが、貴方は人間ではないのでは?」

 

景虎と紫苑に聞かれ、青年は「よく分かりましたね、さすがです」と言うと、白い煙に包まれた。


 現れたのは一匹の「狐」だった。その狐はなんと、口をきいた。

 

「俺の名前はどん兵衛。見ての通り、狐でございます」

 

 緑の狸の次は赤い狐。景虎は思わずため息が出た。また大波乱の予感だ。もしや自分は的に動物と合わないのかも知れなかった。

 

         

          


          ◯

 人間共は不思議な事件に今日も行く。

 因みにドロボーンの笹川弘子はこれからも景虎をストーキングしつつ、たまに仕事を邪魔したり助けたり、その初恋を実らせようと不器用なアプローチを続けていく。仕事柄彼らは何度も合間見えることになるが、景虎は実は昔から弘子やドロボーン一味の事を別に嫌いではなかった。やはり仲良く喧嘩するのだった。

 

 あの不思議な夜の決闘は、のちに狸界に名を残す偉大なものとなった。そこで金長は負けた。その理由は察しがついていた。

 翠は叫んだのだ「立って、負けないで!」と。「誰」とは言っていない。金長は腹も立たなかった。その声が聞こえぬならば、翠のいう負けないでほしい相手は自分ではなかったという事だと、金長は納得した。

 

 金長は後に虎右衛門の親友となる。その生涯、二人の友情は固く結ばれた。

 

 虎右衛門は翠とまずは恋人になった。そして二年の交際の末に結婚する事になる。子供は五匹の大家族。その後は源頼朝のお告げの通り、百年の平和が源氏山に訪れるのだった。

 やはり、狸の嫁入りはいつもお祭りだ。二匹の結婚式は、晴れた天に雪の降る中ドンチャン騒ぎで行われたらしい。

 

 昔、狸たちが惚れた女を奪い合い、人間共を巻き込んだ大騒動があったという。それは歴史に名高い狸の嫁入り騒動、『北金倉狸合戦』である。その戦いで愚かにも伝説の金長狸に挑んだお馬鹿狸がいた。

 



 ──その狸の名は、観音寺虎右衛門かんのんじどらえもんと言ったそうな。







第2話 「狸の嫁入り」 完

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