「サンタが如く」その③
3
サンタクロースは実在する。これは割と有名な話だ。
『国際サンタクロース協会』という組織が実際に存在し、その厳しい査定や試験をパスした選ばれし者が“サンタクロース”となる。今、世界中で公認のサンタクロースは約百二十名ほど。その内一人は日本人だというのだから驚きだ。
と、いうのは表向きの話。これは『本物』に敬意を込め、伝承を伝え、本物を隠すための建前に過ぎない。もちろん、クリスマスに子供たちへ手紙を送ったりプレゼントをあげたりと彼らもまた『本物』であるが、性質が違う。
聖なる夜にトナカイの引くそりに乗り、「ホーウホーウ」と笑いながら空を駆けてプレゼントを配る超常の存在。それが今回でいう『本物』のサンタクロースである。
彼らはフィンランドのサンタ村からやってきた存在だ。
その起源は、とある聖人がある日に貧しい家族の噂を聞くところから始まる。彼らは貧しいあまり娘を身売りさせるしか無い、という状況に迫られていた。聖人は彼らを救うため、こっそりと彼らの家の煙突に金貨を投げ入れたのだった。
その金貨が偶然にも暖炉脇に干してあった靴下に入り、その家族は靴下に入った金貨を見つけた。そして、その金貨のお陰で身売りすることなく無事に暮らしていく事が出来た。というもの。
その話を元にして、人はいつしかサンタクロースの存在を願うようになった。聖夜に現れて人々に
そうしてサンタクロースは生まれた。彼は人々の信仰や願いが元になった精霊や年神のような存在だった。
◯
頭に角を生やした少年は、ここまで辿々しくもサンタクロースについて説明し、最後に補足をした。
「サンタクロースは全国に一人ずつサンタ村から派遣されているんだ。僕のお師匠もそうだよ。日本には47都道府県あるから四十七人のサンタクロースが日本にいることになるね」
少年は満足気に胸を張ると、出されていたココアに口をつけた。
話を聞いていた咲耶と紫苑は驚きで言葉が出なかった。
────。
景虎が出て行ってしばらくは重苦しい雰囲気が八咫超常現象研究所を包んだ。
「ココアでも飲む?」
咲耶は気を遣って紫苑に声をかけたのだが、紫苑は「ええ」と短く元気のない答えしか返さない。景虎許さん。帰ってきたら本気で一発くらい殴ってもバチは当たらないだろうと思われた。
咲耶がココアの支度をしている時、研究所の扉がノックされた。こんな悪天候に訪ねて来るなんてイタズラとは考えにくい。正直に言うと今は仕事の気分ではなかったが、仕方がない。咲耶は扉を開けた。
やって来たのは少年と老婆だった。老婆の方は背が高く、モデルの様なすらりとした体躯をしていた。若々しく、レザーのジャケットを着こなしている。少年の方はまだ小学生くらいの小さな子だ。一見なんの変哲もなく見えるが、一つ気になったのは頭から角が生えていた事だ。耳の少し上辺り、両側のこめかみからクリーム色の短い角がちょこんと伸びている。例えるなら──……。
「今は魔法で人間に化けているが、この子はトナカイなんだよ。名前はキッド」
老婆は少年と共に応接用ソファに座るなりそう告げた。やはり人間じゃなかったか。この角はトナカイのものらしい。
咲耶は先日、狸たちと関わったばかりなので慣れたものだ。「なるほど」とだけ余裕を持って答える事ができた。
老婆はその態度に満足した様だった。
「驚いて会話にならんかと思ったが、その調子じゃあ大丈夫そうだね。私は医者をやってるノザワというものだ。ただの医者じゃあない。サンタクロースの主治医をやっている。『超常的なもの専門の医者』。あんたらならこの意味が分かるだろ?」
「ええ、分かります。本日はどうされましたか?」
咲耶が薄々予測を立ててから聞くと、人間に化けたトナカイの少年、キッドが答えた。その予測はやはり当たったようだ。
「僕のお師匠、サンタクロースを探してほしいんです。この街に来た事は分かってるんです。でもどこにいるのか分からなくて……」
────。
紫苑の胸は踊った。サンタクロースは実在し、しかも四十七人も日本にいる! 神奈川県担当もいる筈なので当然、ここ凰船にも来ていたのだろう。だが、どうしてその姿を見た事も、プレゼントを貰った事もないのか。
「でも、私はサンタさんにプレゼントを貰った事がありません。それはなぜですか?」
紫苑は聞いてみた。自分で言うのも変だが、紫苑はとても「良い子」にしている自覚がある。でなければプレゼントが貰えないのはおかしい。その質問にトナカイのキッドは答えてくれた。
「僕たちの配るプレゼントは実体がないんだ。幸福という魔法。今年頑張った人たちの家に『魔法の金貨』を投げ入れる。これがサンタからのプレゼントなんだよ」
「魔法の金貨? それがプレゼントですか?」
紫苑は少しがっかりした様に肩を落とした。キッドは慌てて補足する。
「ちゃんとお姉さんにも魔法はかかってるはずだよ! 去年のクリスマスに何か素敵な事は起きなかった? 夢の様なクリスマスの奇跡が起きる人もいるし、美味しいものをたくさん食べられる人もいる。大好きな人に出会えたり……。そういうのが金貨の魔法なんだ」
それがクリスマスの奇跡という事か。紫苑は納得した様だった。なぜなら紫苑には去年のクリスマスに素敵な思い出があった。
だからこそ今年も楽しみにしていたのだ。それは「魔法の金貨」がしっかりとプレゼントされていたという事かも知れない。
「じゃあ無事に新年を迎えられるのもサンタのおかげってわけね」
咲耶が言うとキッドは「そのとおり」と自慢気だった。
「だからサンタのやつがいなくなって私たち全員が非常に困るんだよ。もう明日がそのクリスマスさね」
超常現象専門の医者、ノザワは一通の手紙を咲耶に渡した。咲耶はそれを読んでみた。
『わしはもう疲れた。
今や誰もサンタクロースを必要としていない。誰も信じていない。
であるならばわしの出番はもう終わったという事。みなそれぞれが幸福を掴めばいい。
もうどうなっても知らん。
さらば青春の日々、わしは消える。
さようなら。探さないで。
サンタクロース』
なんとも哀愁に満ちた文章だろうか。こんな定年したばかりで家に居場所がない中年親父みたいな理由で姿を消すとは、サンタクロースは意外とナイーブなのかも知れなかった。
「何かあったんですか、サンタさんは子供に夢を与える存在でしょ? こんな夢の無い手紙を書くなんて」
「今朝これがリビングのテーブルに置いてあったんだ。ノザワ先生が家に来た時には既にね。それで師匠はどこにもいなかった。確かに最近は元気なさそうだったけど理由は分からないよ」
キッドは困惑した様に頭を掻いていたが、ノザワはやけに納得したように言葉を続けた。
「その夢とやらを受け取るだけの子供には分からない苦悩ってやつがオヤジにはあるもんなんだよ。キッド、あんたサンタのやつを最近構ってやってたかい?」
「ええと……」
トナカイの少年、キッドは頭の角を撫でながら思案した。すると合点がいったように笑った。
「この前、ビリヤードに誘われたけどテレビゲームをしたいからって断ったかも。もしかしたらそれかなあ」
それは関係ないのではないか。咲耶は思ったが、サンタクロースがナイーブで寂しがりだったならあり得ないことも無い。
若干、咲耶は呆れていたが紫苑は非常に熱心に話を聞き、メモまでとっていた。
「では、金貨がもらえないとどうなるんですか?」
紫苑の質問にはキッドが答える。
「金貨は“悪い子”には配らないんだ。だから貰えないとクリスマスの奇跡は起こらない。楽しいクリスマスかどうかはその人の元々の運次第になるよ。大抵良い事は起こらないけどね」
では、良い子と悪い子はどうやって決めているのか。咲耶はそれを質問しようとした。したところで息が詰まり、また激しく咳込んでしまった。紫苑はすぐに背中を撫でてやった。
「風邪かい?」
医者であるノザワは興味深そうに咳き込む咲耶を観察していた。咲耶の方は一通り咳き込むと落ち着いてきた様だった。だが若干の熱っぽさを感じた。
「ええ、失礼しました。最近街で風邪が流行っているみたいで。急に寒くなってきましたからね。でも心配ございません」
こういう時に人手が足りないのが悔やまれる。全く景虎の奴にはいつも世話を焼かされる。咲耶は景虎のボーナスカットを心に誓った。
◯
サンタクロースだと名乗った男は一通り話し終えると、景虎が買ってやった缶コーヒーをありがたそうに啜った。
サンタ協会だのサンタ村だの魔法の金貨だのサンタは日本に四十七人いるだのと酔狂な話ではあったが、真っ向から嘘だと決めつける事ができない。この老人が「本物のサンタさんかも」と思ってしまうのは職業病かも知れなかった。だが、本物サンタクロースなら一言文句を言っておきたい。景虎は少し語調を強めに言った。
「俺は、クリスマスとサンタが好きじゃない。あんたがもし本物のサンタクロースだっていうなら文句を言わせてもらう。どうして俺の、いや俺が小さい時にサンタクロースは来なかったんだ? うちの家には必要だったはずだ、その、魔法の金貨ってやつが」
それを聞いてから少し景虎の動悸は高まった。サンタクロースを名乗る老人の次の一言を待つ。そして、サンタクロースはふう、と白い息を吐くと、ゆっくり言葉を返した。
「ご両親はクリスマスプレゼントをくれなかったのか? お前はクリスマスに家族と過ごせなかったのか? 無事に新年を迎えることはできなかったのか? 全てとは言わないが、金貨のおかげだ。わしは仕事をしていた、毎年完璧にな。それでお前さんの様に八つ当たりをされるんじゃ仕事のやる気も削がれるってもんだ」
景虎は言い返す事が出来なかった。サンタはさらにダメ押しで付け加える。
「サンタを信じていないのに、クリスマスの出来事は何でもサンタのせいにするのか。それは都合が良いってもんじゃあないのか?」
なんとも含みのある言い方をサンタはしていた。何年も同じ悩みを抱えていたかの様な、ある種の「重み」すら感じさせる響きであった。景虎は小さく呟いた。
「──あんたの言う通りかも知れない」
景虎はプレゼントを配るサンタクロースの気持ちを考えてもみなかった。というより、考える人間がこの世にいるのだろうか。
聖なる夜に当たり前に奇跡を起こす。いや、起こさないといけない。それを義務付けられた老人にどれだけの重責があるのか。この老人がもし本当にサンタクロースなら、その苦悩は想像を絶するのかも知れなかった。
景虎が急にしおらしくなったので老人は「おいおい」と笑いながらフォローをした。
「何もお前さんだけに言ってるんじゃない。みんながそうだって話さ。それにしても、わしの話を簡単に信じるんだな。頭のおかしい爺さんっていう可能性もあるぞ」
「信じるさ、職業柄な。あとは、あんたがいかれていようが何だろうが家出中の爺さんって事は変わらないだろ。それに敵意が無いのは分かる」
サンタクロースはそれを聞き、笑いながら「そうだな」と呟いた。そしてゆっくりベンチから立ち上がる。その動きを目で追っていた景虎は先ほどより降る雪が強くなっている事に気がついた。
「カゲトラって言ったかな。さて、酒を飲みに行くか。わしは先の短い爺さんだ。少し付き合え」
サンタクロースは実に「らしく」優しい微笑みをうかべた。
────その④に続く
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