「狸の嫁入り」その⑥
6
年に一度の祭典、「十五夜フェスティバル」は無事盛況のまま終了した。次の朝には何事も無かったかの様にするため、大仏殿の掃除をしなければならない。寧ろ終わってからが一番忙しい。
娘の翠や、女子供はお土産の「月見団子」を帰りの客に配る役目だったので緑之介ら男衆は大急ぎで片付けに追われた。
日が昇る寸前で全てが終わり、源氏山家は疲れ切って住みかに帰ったのだった。
緑之介もまた深い眠りに入った。そして、そのお告げは突然現れた。
「緑之介よ、目覚めよ」
荘厳な声で起こされた緑之介は毛むくじゃらな狸の手で眠たい目を擦った。そして、目を見張った。何度も親に聞かされ、そして受け継がれてきたその姿。甲冑姿の人間の男は間違いなく────。
「頼朝様……!」
かつて厄災に見舞われる中、夢枕に福神より授かったお告げに従いこの源氏山に神社を建てた。その加護と共に緑之介のご先祖の狸たちとこの地を統治したという、源頼朝。間違いなくその人であった。頼朝は「そのままで良い」と寝転んでいた緑之介に言ったが、緑之介は慌てて正座した。
「まさか、頼朝様が私の様な狸風情にそのお姿をお見せ下さるとは感激の極みにございます。生きている内にこの様な……誠にもったいない!」
「良い、楽にせよ。緑之介よ時間がないのだ。完全に日が昇れば我はあの世へ帰らねばならぬし、実はお忍びで抜け出して来たのだ。──というのも一つ、伝えたい事があって参った」
早朝の少しずつ白んでいく世界で頼朝は微笑んだ。源氏山の先祖は、頼朝に仕えた立派な武士狸だったと伝え聞いている。それを思うと緑之介は涙を流しそうになったが、堪え「伝え事とはどの様な?」と辛うじて言葉を発した。
「我はこの地をもう数え切れん程の月日の間、あの世から見守っていた。
中でも今の「こちら」は楽しい。特に関心して見ていたのだが、ふとかつてこの山で出会い我に仕えてくれた狸の
「おお、それは有り難き幸せにございます」
「うむ。それで少し戯れたいと思ったのだ。一つ我からお告げを授けようと思う。我が夢枕に福神より授かったものと同じと心せよ」
頼朝は少し佇まいを正してそう告げた。緑之介は「ははあッ」と深く頭を下げている。それを見て少し満足気な頼朝はゆっくりとその「お告げ」を語った。
「近くお前の娘、翠に『運命の相手』が訪れる。その相手を逃してはならぬ。結ばれれば今後、百年の平穏が源氏山に訪れるであろう。汝は平穏を求めよ、それこそが幸福である」
緑之介は再び「ははあッ」と狸頭を深く地面に擦り付けた。そして頼朝の顔が見たくなり、許可はされてないが顔を上げた。
そこにはもう、頼朝の姿はなく。源氏山の森に朝日が差し込んでいた。
────。
「そして、その後に翠から昨晩の金長とのやり取りを聞き、もしやと思った。そして、やはり思った通り。金長の使者がこの山まで来て、『源氏山翠氏へ』と、要するに恋文を持って来たのだ。金長は翠との結婚を望んでいるとな」
なるほど。源頼朝からの夢のお告げか。寝ぼけた緑之介の夢と吐き捨てるのは簡単ではあるが、そう言い切れないのがこの仕事である。確かに、字面通りに受け取れば「金長」を指している様にも考えられる。だが、一つの可能性もあるだろう。
「そのお告げの相手が金長と決まったわけではないのでは?」
景虎は聞いてみた。
頼朝は言った、「訪れる」と。今、虎右衛門だってここへ訪れた。お告げの有効期限など知らないが可能性はあるだろう。そういう遊びを持たせるなんて源頼朝も粋なことをする。あとはもう一つ、聞きたい事があった。
「それと、翠さん。貴女はどう思っているんです?」
景虎が翠を真っ直ぐ見てそう言うと、翠は少し困った様に笑い返した。
「分からないんです。運命の相手とかそういうの。金長様は良い狸ですし、嫌いではありません。でも好いているのか、これから好いていけるのか……それが分からないんです」
「だから夫婦になれば自然と好きになると何度も申しただろう。俺とお前の母さんもそうだった。それに、もう婚姻の承諾はしたのだ! それを取り下げるのは相手の顔に泥を塗る事になる。良いか翠よ、これが良縁だ」
景虎はそれを聞き少し呆れた。なんて見た目通り頭の固い狸なんだ。頑固親父に人も狸もないらしい。当事者の翠の意見を殆ど聞かず時間も与えてない様だ。「自分もそうだったから」とは何とも自分勝手な理屈じゃないか。武家とはみんなそうなのか。
「そんな勝手に決めないでよう」
翠の方はというと、ふわふわとした態度で煮え切らない。自分の気持ちが本当に分からないのかも知れなかった。天然で「モテる」女はみんなこんなだよなあ、と景虎は翠にも少し呆れた。しかし虎右衛門の為にここで退いてはいけない。景虎はいよいよ、こちらの真意を伝える事にした。
「経緯は良く分かりました。実は今回は、こちらからもお話しがあって参ったのです。というのも──……」
「僕は翠ちゃんが好きです」
瞬間、その場の全員が虎右衛門を見た。景虎も驚いた。いきなり本丸に突っ込むとは聞いてないぞ!
対する緑之介は何も言わない。腕を組んで黙って虎右衛門を見つめている。沈黙が重たい。だが賽は投げられた。こうなれば腹を括る他ない。
「幼い頃より好意を寄せて参りました。将来は翠ちゃんと夫婦になる、と勝手ながらそう思っていました。しかし、此度のご結婚……。幼馴染という立場にあぐらをかき好機を逃し続けたのは僕の不徳の致すところであります」
「ほう、ではどうする?」
「それを、取り戻したい。金長殿は立派な狸です。正に良縁だが、そんなものはクソ喰らえだ。僕は翠ちゃんが好きだ、どうしようもないくらいに。だから機会を与えて欲しいのです。金長殿と僕は対決します。必ず勝ち、翠ちゃんを幸せにする。だから緑之介殿には僕を土俵に上げて頂きたいのです」
「お前、自分が何を言っているか分かっているのか? 私は申し出を受けた。武士の約束だ。それを取り下げる事は源氏山家に泥を塗り、金長に恥をかかせる行為だ。それを俺にしろ、とそう言うわけだぞ」
緑之介は脅すかの様に虎右衛門に問うた。しかし虎右衛門は怯まない。黙ってうなづくのだった。
少し困った様に今度は「翠」と娘に意見を聞いた。翠は目をまんまるにして驚いていたが、少し照れた様にそれに答えた。
「びっくりしたけど……嬉しいよ、ドラちゃん。でもね、どうしたら良いのか分からないの。金長様は素敵よ。でもドラちゃんは好き。私はどうしたらいいの?」
翠は本当に困った様に上目遣いで虎右衛門を見つめた。ここだぞ、虎右衛門! 景虎は思った。そして、虎右衛門ははっきりと言葉を続けた。
「僕を信じていれば良い。だが決めるのは翠ちゃんだ」
虎右衛門はそれだけを真っ直ぐに告げた。一瞬の間の後、翠は微笑むことで返した。
「……そうだね。私は答えを出す為に、ドラちゃんに任せたい。きっと私を奪い取ってくれるなら」
「よし分かった! ドラエモン、俺の前に来い!」
緑之介は突然立ち上がってそう叫ぶと虎右衛門を見据えた。しかし、覚悟を決めた虎右衛門に迷いはない。立ち上がり、堂々と緑之介の前に立ちはだかった。
「歯ァ食いしばれィ!」
緑之介は「ダーッ‼︎」の掛け声と共にかつての猪木伝説を彷彿とさせる見事な平手打ちを虎右衛門に食らわせた。
「「バチンッ!」」という激しい音と身構える暇も無かったその闘魂注入ビンタでぶん殴られ、虎右衛門は頭から地面に倒れ伏す。
──そして、死んだのではないかという沈黙の後、虎右衛門はゆっくり顔を押さえながら上体だけを起こした。
「俺はお前の信念を見た。翠の意見も尊重しよう。だが、翠を奪えなければ腹を斬り死ね。頼朝公に誓う、その覚悟はあるか」
「翠ちゃんの為に死ねるなら本望であります。僕はもう逃げない」
緑之介は顔をさする虎右衛門をじっと見て、満足そうに「そうか」と呟くと、こうしちゃおれんと慌ただしくし始めた。
「男どもが獲り合うとは、さすが我が娘だ。すぐに金長宛ての書状を用意しよう。それを持っていけ。良いか、その場で斬り捨てられるかも知れんが骨は拾ってやろう。暫し待て」
どうやら緑之介は自慢の愛娘が人気なのが嬉しいらしく上機嫌だった。すぐに東屋を走り去って森の方へ消えて行った。
虎右衛門は意地っ張りで、緑之介は頑固、翠は悪女であった。狸はみな個性豊からしい。この後に対峙する金長も相当な曲者だろう。景虎は今から気が重くなった。
◯
凰船駅に到着し、改札前の広場で景虎たちは待機していた。
景虎は虎右衛門、翠と少し離れた場所で八咫超常現象研究所に電話をかけ、咲耶にここまでの経緯を伝えた。
「そう言うわけで、源氏山の方は説得しました。とりあえず結婚に「待った」をかける事はできた感じです」
『後は金長側がなんて言ってくるかよね。何しろ一目惚れだし、結婚するつもりだし』
電話の向こう側の咲耶は淡々と結果の共有をした。実は、咲耶は「金長サイド」に接触を試みていたのだった。
『まあ、アポは取ったわ。美味い酒が飲めれば会談場所はどこでも良いそうよ。会ってその後は交渉次第ね』
金長に恥をかかせる。緑之介はそう言った。しかしその通りだ。承諾された結婚を「やっぱりナシ!」何てありえないだろう。
『こっちの手札は?』
「こちらに翠さんがいる、くらいですかね。俺とドラエモンだけだとその場で大揉めして終わりになっちゃいそうだし、奴さんはプライドが高いみたいだから……まあ上手くやりますよ」
景虎が少し離れたところで電話をしている間、虎右衛門と翠は駅の通路壁に寄りかかって改札を眺めていた。ひっきりなしに人が通り過ぎて行く。最初に口を開いたのは意外にも翠だった。
「ごめんね、ドラちゃん。私がハッキリしないから。お父さんに金長様との結婚を押し切られたり、ドラちゃんの気持ちにも答えてないし」
「僕を信じると言ってくれた。それだけで充分だよ」
「なんだか今日はずっと格好の良い事を言ってるね」
翠はらしくない虎右衛門の態度が可愛らしいらしく、ころころ笑っていた。笑う翠を見て虎右衛門の方は愉快な気持ちになった。そして、そのまま電話している景虎に視線をやった。
「男というのは、女の前で格好つけるものらしい。僕もそうなりたいんだ」
虎右衛門は景虎をじっと見ていた。人間と狸、全く違う二つの命。しかしどちらも『虎』を名に持つ同志に思えた。
緑之介とのやりとりも、翠への告白も、これから始まる金長との対決も、虎右衛門は怖くてたまらなかった。しかし、きっと戦えると虎右衛門は確信していた。
次回はついに「金長」との直接対決。方や、四国の総大将。方や、凰船の田舎狸。勝敗は明らかに思えた。しかし、愛する者の為、二匹の虎は唸りをあげる。
果たして、やや影の薄い人間たちに出番はあるのか。彼らの運命は如何に。
────その⑦に続く
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