「狸の嫁入り」その⑤

          5

 

 初めて人間に化けて遊んだのはいつだったか。今も野生の毛玉に違いないが、今よりもっと小さい野生の毛玉だった頃、おそらく人間でいうところの八歳とか九歳の辺りだったはずだ。僕は翠ちゃんと一緒に人間の子供に化け、源氏山公園に来る「本物」の人間の子供たちと日が暮れるまで毎日遊んでいた。

 

 そして、日が暮れ子供たちは帰る時間になる。僕たちもそこで一度は解散するのだが、その後夜中に住処を這い出るとまた公園に集合したものだ。僕は凰船の観音寺、翠ちゃんは金倉駅から少し歩く源氏山に住んでいたので意外と距離があった。


なので僕は源氏山に勝手に仮設住居を建設し、仮眠。そこで人間の寝静まった夜中を待ち、翠ちゃんと一晩中遊ぶ。そして朝一で子供に化けて私立学校に通うちびっ子に混ざってバスと電車で帰っていた。

 

 子供ながらに夜通し遊んで朝帰りする狸はきっと僕ぐらいのものだろう。因みに公共交通機関を利用するためのお金は、両親が人間に化けて働いているので問題はなかった。もちろん僕の「おこづかい」は圧迫されたわけだが。

 ────。




「ドラちゃん、私がお嫁さんになってあげるね」

 

 そんな毎日が続いたある日の真夜中だ。人間に化けて何かを作っていた翠ちゃんは、狸姿の僕の頭に草花で編んだ冠を被せてくれた。そして自分にも同じ冠を被せた。おそろいだ。翠ちゃんは微笑む。僕も笑った。

 僕は多分、この時に翠ちゃんを大好きになったんだろうと思う。

 

 その夜の月は、狸なら誰でも踊り出したくなるくらい美しかったと、僕は今でもそう思っている。

 

            

          

          


          ◯

 源氏山翠は、ぱあっと華やかな声で声をかけた。

 

「わあ、ドラちゃん! 久しぶりだね!」

 

到着した源氏山翠は言いながら東屋に入り、テーブルを挟んで虎右衛門の向かい側に座った。その姿は人間のものだ。

 ふわふわの茶色い癖毛におっとりとした目元。服装もゆったりとしたセーターとロングスカートに、もこもこと暖かそうな上着を来ていた。「ふわふわ」とか「もこもこ」という言葉がぴったりだな、と景虎は思った。確かに、人間に化けていても可愛い容姿をしている。

 虎右衛門は照れた様に翠に短く返事を返した。

 

「お、おう。母上にもよろしく伝えてくれ」

        

虎右衛門の返事はやけにものだったので景虎はにやけてしまう。虎右衛門はというと、悔しい様な恥ずかしい様な微妙な表情で翠から目線を外した。

 

「遅くなってすまんな、ドラエモン」

 

 翠の後ろから今度は大柄で着流し姿の中年の男が現れた。彼が金長と源氏山の結婚を取り付けた張本人。源氏山家現当主の源氏山緑之介りょくのすけである。

 とにかく顔が「濃い」な。と景虎は思った。ギョロリとした目玉とざん切り頭。全体的に「達磨」をイメージさせる顔だった。景虎は狸姿の緑之介も見てみたくなった。

 

 豪快そうなその性格が振る舞いからも分かる。緑之介は足を開いて「どかっ」といった具合にベンチへ座った。

 

「で、ドラエモンよ。そちらの御仁は? 見たところ……我々のではないな」

 

緑之介はその目玉をギョロリと動かして景虎を観察するように眺めた。その攻撃的な目線に景虎は怯んだが、すぐに虎右衛門がフォローに入る。

 

「こちらの方はウエディングアドバイザーの人間、カゲトラさんです。此度のご結婚を人間的な観点にて援助して下さるとの事でして。今回お連れした次第にございます」

 

「うむ、なるほど! それは心強い。俺は当主の源氏山緑之介である。カゲトラとは何とも勇猛なお名前だ。ぜひ、娘の結婚式ではよろしく頼み申す」

 

虎右衛門の説明で意外にもあっさりと警戒を解いた緑之介は、がっはっはと豪快に笑った。

 

「いえ、こちらこそ。そろそろ本題に入ってもよろしいですか?」


景虎は挨拶も程々にまず翠の話を聞きたかった。しかし、そんな思惑などお構いなしに翠は大きな重箱を取り出した。まるで話を聞いていない。

 

「今日は久しぶりにドラちゃんと会うから腕によりをかけてお弁当を作ってきたんだよ」

 

翠が嬉しそうに重箱の蓋を開けると中には、いなり寿司がびっしり入っていた。ぴりっと緑之介の表情が強張る。

 

「みどりっ! お前は何度言えば分かるんだ。そんな狐風情が好んで食う様な下世話な食べ物をこさえてくるとは、源氏山家の面汚しぞ!」

 

「ああ、もう。声がウルサイよう。美味しいんだから良いじゃない。どうせ狸は雑食なんだから、いなり寿司は狐だけのものじゃないでしょ」

 

「狸と狐って本当に仲悪いんだな」

 

景虎は翠と緑之介に聞こえないくらいの声で虎右衛門にそっと聞いてみた。すると、虎右衛門は得意気に応える。

 

「好敵手といった具合ですな。言うなれば的に合わないわけです。

 翠ちゃんは昔から気にしてませんけどね」

 

誰が上手いことを言えと。景虎は虎右衛門の頭を軽く叩く。すると虎右衛門は「いちち」と何故か嬉しそうであった。

 しかし、ここで源氏山家の親子喧嘩をされても埒があかない。景虎は「失礼」と言って緑之介と翠の小競り合いに割って入った。

 

「では、そちらのいなり寿司は人間の俺が美味しく頂きますので問題ないかと。で、本題なのですが此度のご結婚についてお聞きしたい事が何点かあります」

 

景虎が手早く話の流れを持っていくと緑之介はまんまと乗ってきた。

 

「おおう、そうであったな。さてカゲトラ殿。何でも聞いて下され。是非とも参考にされるといい。良い式にしたいのでな」

 

「どうも。じゃあ、まずお聞きしますが何故『金長』殿との縁談が決まったのですか?」

 

「それは、夢のお告げである」

 

緑之介は自身満々と言ったふうに胸を張った。

 ────。


 

 


 狸界には各地の有力者たちが集うお祭りが幾つか存在するが、特に盛大なのは『中秋の名月』、つまり八月・十五夜のお月見である。

 その日は狸たちが身分を忘れ、月見に団子と酒を嗜み。ぽんぽこ踊り狂うという狸界の一大イベントであった。俗に言う、『十五夜フェスティバル』である。

 

 実は、今年の八月は金倉かなくらでその十五夜フェスティバルが開催されていた。この金倉には「金倉大仏殿」という全国でも有名で大きな大仏様が鎮座するお寺があり、そこがくじ引きで今年の会場に決まったのだった。

 会場の「金倉大仏殿」の隣の銭洗弁天神社の源氏山に住む源氏山家は、開催運営として手伝いに出ていた。何しろ全国の狸が集まるお祭りなだけあって人手、いや正しくは狸手がいくらあっても足りないほどだった。

 

 そして、フェスティバルには当然四国を束ねる「金長」も参加していた。

────。 





「ちょっと待ってくれ。『十五夜フェスティバル』だって? 初耳だぞ。そんなの今年やってたのか、知らなかった」

 

景虎が困惑していると翠が話に補足を入れる。

 

「お寺の一般開放が終わった後で私たち狸が人間に化けて集まるんだー。それで貸切にして夜通し遊ぶの。歌ったり踊ったり、今年もドンチャン騒ぎだったんだよ」

 

「そんな簡単に貸切に出来るのかよ。しかもドンチャン騒ぎって目立つんじゃないですか?」

 

「我々〝狸〟をなめてもらっちゃあ困る」

 

これには緑之介が胸を張って答えた。

 

「その晩は祭りに参加した狸全員で化け術を結集し、会場含むのだ。その光も、音も、姿さえも人は誰も感知する事はできぬ。外からはいつものお寺だ。たまにそれらを掻い潜って偶然祭りに紛れ混む人間もいるが、大抵は夢だと思い込んでくれるから眠らせて安全な場所まで運ぶのだ」  

 

なるほど、まさに狸に化かされていたわけだ。「日本昔ばなし」みたいだが、神隠しや人外のお祭りは全国でも目撃例や体験談が寄せられるメジャーなオカルトなのでこれは分かりやすかった。

 景虎は話の続きを促した。

 

「よく分かりました。それでそのフェスティバルに金長殿も来られていたんですね?」

 

「そうです。金長様は特別席……いわゆるVIPの参加者様なので、大仏さまの居られる広間の、会場が一望できる一番良い席でお仲間とお酒を飲まれてたんです」

 

翠は宙を仰いで思い出しながら説明した。

 ────。





「金長様御一行」と札の下げられた規制線を跨いで翠は注文の酒瓶を届けに行った。翠は当日の売り子として慌ただしく働いていたのだ。

 

「お待たせ致しました。金長様、ご注文の麦酒でございます」

 

翠は金長たちの座る円卓に追加の麦酒の瓶を三本置いた。

 

「すまんな、しかしそんなに畏まらずとも良いぞ」

 

その男は髪を短く刈り揃え、眉毛まで手入れが行き届いていた。そしてハンサムで白いスーツ姿が眩しい。さらには大柄で引き締まった身体が見て分かるほど鍛えられていた。彼が、「阿波狸合戦」の伝説を脈々と受け継ぎ、今なお四国を束ねる名士。「金長狸・二十二代目」である。

 金長はエプロン姿の翠を優しい眼差しで眺めた。興味が湧いたのだ。

 

「君はどこの子かな。とても、美しい」

 

「私は源氏山のみどりと申します。嫌ですよお、金長様。私などただの田舎娘にございます」

 

 翠はその可愛らしい雰囲気と飾らない態度、そして包容力で笑顔を振り撒いた。金長のハートはその時に鷲掴みにされ握りつぶされんとした。

 

 しかし翠の方は最初、金長が自分をからかっているのかと思った。何しろ相手は全国でも有名で、四国を束ねる大狸だ。対するこちらは名門といえど金倉の山に暮らす田舎狸である。

 しかし、金長の態度は予想と違っていた。金長は突然席を立ち上がり、呆然とする翠の前まで出た。

 人間に化けていた金長はとても背が高く、翠の頭は丁度彼の胸の辺りまでしかない。そして、金長は見下ろす様に優しい眼差しで翠に言った。

 

「源氏山といえば、かの頼朝公と共にこの地を支配した名門ではないか。『金倉流・狸空手』の始祖でもある武家だ。良い家柄である。当主は確か緑之介殿と言ったな。狸空手の親善試合では我が父も緑之介殿に苦渋を舐めさせられたものだ。まさかこんな美しい娘がいたとは」

 

金長は慣れた手つきで人間姿の翠の「ふわふわ」な髪の毛を優しく撫でた。そしてさりげなく耳の後ろ辺りをくすぐるように触った。

 ────。





ここまで黙って聞いていた虎右衛門は激怒し、テーブルを叩いた。

 

「耳の後ろをコショコショ、だと……⁉︎ なんて破廉恥な狸なんだ、全くもって下品極まりない。狸の慎みはどこへ行ったのだ! 『仁義の狸』と謳われた金長の名が聞いて呆れますわい!」

 

「落ち着けよドラエモン。まだ話の途中でしょうが」

 

「そうだよお、ドラちゃん。そんなに興奮しないでよお。もう、ドラちゃんだってその頃に裸踊りしてつまみ出されてたじゃない。破廉恥だよ」


その頃、虎右衛門はベロベロに酔っぱらい、楽しくなり、「モッサリ青年」姿で裸踊りを長老達に披露していた。当然つまみ出されて大仏像の内部へ、そして酔いが覚めるまでそこに幽閉されていたのだった。気がついたのは二日後の昼である。人間たちに発見され騒ぎになったのを翠はよく覚えていた。


「ドラちゃんったら、もう少しで人間に捕まるところだったんだよ! 私が『ペットですの』って言って引き取らなかったら今頃お鍋か剥製になってるとこなんだから」

 

景虎と翠に嗜められ、虎右衛門は少し落ち着きを取り戻した。気まずそうに「面目ない」とだけ言うと静かに席につく。

 翠の父、緑之介だけはそんな虎右衛門に同意していた様で、黙って腕を組んでいた彼もテーブルをバン、と叩くと話の続きを引き取った。

 

「虎右衛門の言う事は分かる。俺もそんな話を聞き、普段であればその様な軟弱狸は金長といえど殴り殺していたかも知れぬ。だが、お告げがあったのだ」


 緑之介は腕を組み、宙を眺めた。






────その⑥に続く

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