「狸の嫁入り」その⑦

          7


 今、頭にかけられたのはサイダーだ。その前はコーヒーだった。

 しゃがみ込んでうずくまる彼女は、数人の男子生徒と女子生徒に囲まれて頭に飲み物をかけられていた。少なくても彼女にとっては遊びではない。しかし囲っている彼らは遊びのつもりだろう。彼らはきっと数年後、いや何ヶ月かすれば今日の事も忘れてしまうだろう。

 

「泥女! 泥女!」

 

彼女は先日の課外授業の際、畑の泥溜まりに転んで落ちてしまった。それ以来は「泥女」とあだ名をつけられ、こういった暴力的な遊びに巻き込まれていた。

 元々標的にはなっていたと彼女は思う。彼女は少し太っていて、鈍臭いと言われ、勉強も得意ではなかった。それが泥溜まりに落ちたというきっかけで今の「いじめ」に繋がった。

 

「おい、泥女。なんとか言えよ!」

 

 制服を着崩している金髪の男子生徒が彼女を蹴り飛ばした。彼がリーダー格のようだ。わっと笑いが起こる。そして彼女は体勢を崩して顔から地面に倒れた。痛い。だが耐えるんだ。彼女は自分に言い聞かせた。そして近くにあるベンチにもたれかかる様にゆっくり上体だけ起こした。

 

 ここは校舎の裏、中庭の外れなので教員含め人は殆ど通らない。最もこの学校は生徒も、教員でさえもやる気がない学校だ。偏差値も意識も高くない。一般的に「底辺校」と呼ばれる様な場所だ。もし見かける人間がいたとしてもどうせ誰もが見て見ぬふり。彼女を助ける人はいない。だから彼女はいつも耐えていた。この昼休みが終われば彼らは飽きて帰っていく。

 

「おいおい、ブス。お前が反応ねえと俺たちがいじめてるみたいだろうが」

 

その金髪が彼女の髪の毛を引っ張って無理やりベンチから引き離した。痛みで目を閉じる。彼女はその時、金髪の顔を二度と忘れないと心に誓った。いつか復讐するとそう決めた。

 だが、その決意はすぐに撤回した。ある少年に出会ったからだった。

 

「おいミナト。お前、謹慎解けたのか。こっちこいよ」

 

金髪が通りかかった誰かに気づいて声をかけた。彼女は閉じていた目を少し開けてその人物を見た。

 彼は確か同じクラスの「ミナトカゲトラ」だ。先月に他校の生徒との喧嘩が原因で謹慎を受けていた。ボサボサの寝癖頭、鋭い目つき。学ランのボタンをだらしなく開けた男子生徒。彼はあまり友達がいないらしく、殆ど誰かと連むところを見た事がない。しかし恐ろしく喧嘩が強いらしく不良連中から恐れられつつも一目置かれていた。

 

 ミナトカゲトラはこちらに気づいたらしく、のんびりとした足取りで向かってくる。そして金髪と彼女の前で立ち止まった。左手にはパックのコーヒー牛乳を持っていた。

 

「こいつ泥女って言うんだ。お前が謹慎してる間にうちのクラスの仲間になったんだよな。な、おい!」

 

金髪がそう言いながら彼女の髪の毛をまた強く引っ張った。「痛い!」声が思わず漏れる。

 

 ミナトはそれを見て何も言わない。しかし、彼女と目があった。憐れんでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。

 

「そうかい。じゃあ、俺も仲間に入れてくれよ」

 

ミナトはそう言いながら挿していたストローを抜き、コーヒー牛乳のパックを開いて口を広げた。その光景を見ていた金髪と、他の男子生徒、女子生徒はにやつきながらミナトの次の行動を心待ちにしていた。

 しかし、彼らの望む結果にはならなかった。ミナトがパックをひっくり返したのは彼女ではなく、金髪の頭の上だった。

 

「これでいいのかな」

 

金髪は一瞬何が起こったのか理解出来なかったのか呆然とした。しかし、頭から滴るコーヒー牛乳が口に入り、その味を感じると我にかえった。

 

「おいてめえミナト、どういうつもりだこれは」

 

怒りに燃える金髪はもう彼女の事などどうでも良いらしく、髪の毛から手を離していた。すると彼女はするりと力が抜けて地面にまた倒れ臥した。

 

「さっき笑ってたけど、お前センスないぜ」

 

「ああ?」

 

淡々と話すミナトカゲトラに金髪はより精神を逆撫でされる。コーヒー牛乳で濡れた髪の毛をかき上げてミナトの胸ぐらを掴んだ。


「どういう意味だよ」

 

「笑いのセンスがない」

 

 次の瞬間、金髪の顔は後ろにのけぞった。ミナトが突然殴ったのだ。金髪が何か言おうとする。しかし、その前に再び拳を食らわせる。そして続けて何度も殴った。数秒の間殴り続けると、金髪はずるりとその場に力なく倒れた。誰もが呆然とし、しんと静まりかえった。

 

「面白いってのはこういう事だ」

 

ミナトは倒れて半開きになっている金髪の口に、先程使っていたストローを挿した。男の呼吸音でストローから「ピー、ピー」と間抜けな音がする。

 

「な、これ。笑えるだろ」

 

ミナトは振り返ってほんの数分前まで彼女をいじめていた生徒たちに笑いかけてみた。彼らは「良いんじゃない?」とか「笑えるよ」など、口々に告げると逃げる様にその場を去って行った。

            

        

          

          

          ◯

 ミナトは逃げる彼らを見送ってから目の前のベンチに座った。そして文庫本をどこからか取り出すとそれを眺めている。


 ミナトカゲトラは自分を助けたのか? 彼女は凄く興味が湧いた。蹴られた背中も、引っ張られた髪の毛も、もはや痛みは感じていなかった。

 

「あ、あの。ミナト、君。ありがとう」

 

「で、ストロー挿したのどうだった?」

 

彼女が背中越しに声をかけると、間髪入れずにそう言葉が返ってきた。何て答えればいいのか。いや、何でも良い。少しでもこの会話が続けば。

 

「私なら、お花とか……挿すかな」

 

彼女が恐る恐る言うと、ミナトはぱっと振り返った。

 その顔は嬉しそうに笑っている。

 

「お前はセンスあるよ」

 

「あ、ああ……」

 

その言葉と笑顔を貰った彼女は、胸が熱くなった。感じた事のない気持ちが溢れ、動悸が激しくなった。頭がぼうっとする気がする。これは痛みではない。

 気がつけば言葉が口から出ていた。

 

「私、笹川弘子ささかわひろこです。その、わ、私は……」

 

「あ、そう。俺は湊景虎みなとかげとら

 

 自分をいじめていた奴らを絶対忘れない。いつか必ず復讐する。殺してやるとまで思っていた。しかし、この瞬間に全てどうでもよくなった。あんな奴らの顔を覚えていても意味がない。そんな事よりも大切なモノに出会った。

 この気持ちと、初恋の人だ。

 

          


          


          ◯

 咲耶は受話器を置くと大きく伸びをした。今の電話相手は我が八咫超常現象研究所の事務員、湊景虎だ。彼曰く、源氏山家との交渉は上手くいき、結婚式を一度止める事ができたらしい。残る問題は「金長」のみとなった。しかし相手は大物で、決定された婚姻を一方的に破棄される立場になる。世論は「金長」を支持するだろう。

 最悪の場合は虎右衛門の観音寺。そして翠の源氏山。その両家の立場が狸界で危ういものとなる可能性が高い。

 

「“愛”の虎右衛門が勝つか、“恋”の金長が勝つか」

 

咲耶は呟いた。

 しかし、ふと思い返すと、これで虎右衛門が敗北すれば協力関係にある我が社の評判も悪くなるんじゃないか?咲耶は思ったが今は気にしない事にした。虎右衛門を誰よりも信じないといけないのは我が社だ。もしその時がくれば損害賠償をすれば良い。

 

「所長さん、電話が鳴っていますよ」

 

応接用ソファに座り、先日の依頼の報告書をまとめていた紫苑が咲耶に声をかけた。見ると、事務所の窓際に設置してある咲耶のデスクから着信音が鳴っている様だ。

 デスクで振動している自分のスマートフォンを覗き込むと、咲耶は目を見張った。着信相手は父であった。咲耶はすぐさまスマートフォンを取り上げて応答ボタンを押した。

 

「もしもし、お父さん?」

 

『おう、咲耶か。元気にしてたか』

 

電話口の父の低い声は相変わらず呑気で、こちらの心配など微塵も考えていない様だ。

 咲耶の父、八咫恭介やたきょうすけは、咲耶に八咫超常現象研究所を譲って以来ずっと失踪していたのだった。もう2年になる。

 

「何を呑気なこと言ってんのよ、こっちがどれだけ心配したと思ってんの……因みに元気ですけどっ!」

 

『みたいだな、何よりだ』

 

恭介はそう言って笑った。その声を聞き、咲耶の怒りは自然と治まってしまった。やはり我が父ながら不思議な男だ。

 

「今どこにいるの」

 

『秘境温泉だ。弟子と一緒にな。いや、俺の居場所はどうだっていい。お前に忠告しておこうと思ってな』

 

秘境温泉だの弟子だのと全て初耳だ。しかもどうでもいいとは。なんて勝手な男なんだ。咲耶は思ったが、このままでは恭介の思う壺だ。どうせ聞いても答える気はないだろう。ならばと咲耶は冷静に聞いてみた。「忠告」とは何の事なのか。

 

「もういい、詮索はしません。でも忠告っていうのは何?」

 

『賢い娘になってくれて俺は嬉しいよ。さて、仕事の話なんだが……お前は今、狸たちの結婚話に首を突っ込んでるだろ?』


既にそこまで情報を掴んでいるとは、父の手腕に驚いた。しかし相手はこの道のプロフェッショナルで咲耶より歴が長い。情報収集というポイントではまだ勝てないだろう。咲耶は悔しさを出来る限り隠して答える。

 

「守秘義務がございますので詳細にはお答えできかねますが、否定は致しません」

 

『結構だ。寧ろしっかり仕事をしている様で安心したぞ。──では、こちらからの情報提供なのだが、“伯爵”と呼ばれる男が狸を狙って動いている』

 

 恭介が語る“伯爵”という男は、裏の世界では有名な「珍品コレクター」だという。彼は曰く付きの品だけでなく河童やツチノコといった不思議な生き物でさえコレクションし、その収集の為ならば命さえ賭ける一種の変態的人間であるらしい。

 

『その伯爵が今狙っているモノ。それが阿波狸合戦の英雄、『金長狸』の子孫だ。八咫超常現象研究所はその子孫と雌狸の結婚式を妨害してるんだったな。で、お前はどうする?』

 

「どうする?」とは八咫超常現象研究所の立ち回りの事を言っているのだろう。恭介の情報が事実であれば悪い話ではない。伯爵が金長を捕らえ、剥製にするのか檻に入れて飼うのか知らないが、とにかく金長をなら虎右衛門やウチにとってはプラスになる。そもそも妨害や説得は必要なくなるし、伯爵に協力して一緒に金長を捕らえることすら選択肢に入る。

 考えるまでもない。咲耶ははっきりと電話口の父に告げた。

 

「今の話が全て事実なら、まあ信じてはないけど。……伯爵を止めるでしょうね。金長を奪わせるつもりはないわ。依頼主は金長との正々堂々とした対決を望んでいるし狸にも自由に生きる権利がある。関わったからには絶対にそんな事はさせない。それと個人的に、仕事に対して横槍を入れられるのは私、嫌いなの」

 

咲耶がそう言うと恭介は笑った。そして笑い声が電話の向こう側からしばらく続く。

 咲耶がうんざりして電話を切ろうかとしたところで恭介は言った。

 

『おっと、電話は切るなよ。お前のやり方は分かった。青臭いし、偽善だし、非効率だが、俺と同じ意見だ。俺でも同じ事を思うだろう。だから伯爵について情報をやる。好きに使え』

 

 一方的に話す恭介は伯爵とやらの所在地と連絡先を教えてくれた。昔少しだけ交流があったらしい彼は、奴は曲者だから注意しろとアドバイスまでくれた。

 

「感謝するけど、お父さん。あなたの目的はなに?」

 

『別に。娘を手助けしちゃあいけないのかい? それと、伯爵は自分の手は基本的に汚さない。“泥棒”を雇ったらしいから気をつけろよ』

  

またこの男は。咲耶は諦めた。真面目に答える気はないのだろう。やはり詮索するのは無駄な様だ。

 

 そして恭介は『じゃあな』と言って一方的に電話を切ってしまった。真意はどこにあるのか、やはりからかわれただけなのか、咲耶は少し不安になった。





────その⑧に続く

        

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