「狸の嫁入り」その⑧

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 咲耶のよこした金長の連絡先へ電話をかけると、すぐに金長は電話に出た。「今すぐで構わんよ」と余裕ぶっている。ならば話は早い方が良い。景虎と虎右衛門は顔を見合わせてうなづくと、この後に会う約束を取り付けた。

 

 場所は凰船駅前の「仲通り商店街」。その中心に位置する海鮮定食居酒屋「かんのん亭」に決まった。実はこの店をやっているのは虎右衛門の両親である。

 人間に化けて先祖代々この店を守ってきた。今では地元民で知らぬ者はいない人気店になっている。

 

「まじかよ」

 

それを聞いた時、思わず言葉が漏れた。実は、景虎は学生時代からよく「かんのん亭」に通っていた。つい先日もランチに「ひがし丼」という名物の鉄火丼を食べにきたばかりだ。確か、店主とその妻、そして女子学生っぽい少女の三人で切り盛りしている筈だ。まさかみんな狸だったとは。この重大な事実を知っている人間は恐らく自分だけだろう。景虎は少し怖くなった。

 

「こちらが僕の父、入婿の伸尾助のびすけ。観音寺家の母、玉虎たまこ。そして妹の虎美どらみです。どうぞよろしく。みんな、こちらの方は八咫超常現象研究所の景虎さんだよ」

 

虎右衛門が簡単に紹介してくれた。観音寺家といえば、優しそうな両親に活発そうな妹。なんて国民的なんだ!景虎はもはや感動すら覚えた。しかも学生時代から通っているので昔馴染みなのが不思議な感覚を増長させた。

 

 景虎と翠は虎右衛門の誘導で店の奥の座敷まで通された。この座敷は特別に予約を取らないと入れないVIPルームの様な場所らしい。

 今回、金長狸が来ることは予め店側に伝えてはあった。しかし状況はさっぱり分からないだろう。虎右衛門の母、玉虎たまこは景虎たちが座敷に着いて足を崩すのを見届けると、襖を閉め、外に聞こえない声で心配そうに聞いてきた。

 

「ドラちゃん、どういう事なの? ミイちゃんまで来て、この後に金長様まで来るんでしょう?」

 

「母上、話せば長くなるのですが、ダイジェスト版にてご説明致します。では、お耳を拝借。ヒショヒショビジンヒショ……」

 

虎右衛門は母の耳内にこれまでの経緯を短くまとめて伝えた。玉虎は「あらあら、まあまあ」とわざとらしく反応し、翠の顔を見た。そして「ごゆっくり」とだけ言ってさっさと座敷を出て行った。

 座敷の外から声が聞こえる。


「やるなあ虎右衛門のやつは! 僕も若い頃は君か、画家の夢か迷ったもんだ」


「お兄ちゃんが翠さんと結婚したら私にお姉ちゃんができるんだね」


「あんまりドラちゃんにプレッシャーかけちゃダメよ」

 

観音寺家あっての虎右衛門だと景虎は外の会話を聞いて思った。これから始まる事の重大さなど、まるで気にしていないかのような呑気さであった。

 

          

          

        

          ◯

 到着した金長狸は一匹でやってきた。彼は護衛が嫌いらしい。

 金長はというと、快活でとても気持ちの良い男だ。大酒を飲み、新鮮な海の幸を楽しんでいる。なるほど、これは正に「カリスマ」かも知れなかった。謙遜や戦略ではなく、本当に位や家名を気にしていなさそうに見えた。名門だがお高く止まらず、言葉に嘘がない。話していると不思議な魅力を感じさせる。

 狸たちを束ねるリーダーの器という事かも知れない。しかし、いつ本題に入るか。それが問題だった。今日を逃し次の機会がいつ訪れるか分からない。

 しかし、突然それはきた。

 

「翠、なぜそちら側にいるんだい? 私の横にくれば良い。これから夫婦になるのだから」

 

 酒に酔って少し頬を赤らめた人間姿の金長は機嫌良さげで翠に手招きした。今、翠は金長の反対側の下座、虎右衛門の隣に座っている。翠はどきりとした顔をすると生唾を飲んだ。しかし、覚悟を決めた。

 

 全て自分が招いた事。無闇に愛想を振り撒き、もたもた問題を放置して今に至る。

 もう決まったから良いや。と自分の将来を真剣に考えていなかった。ずっと父の決め事で生きて来たのだ。「お前は武家の娘ぞ」と。

 しかし虎右衛門が「好きだ」と言ってくれた。その時に翠は、途端に自分の人生がなった。自分の未来を自分で決めなくてどうする。確かに金長狸は素敵だ、きっと幸せになれるだろう。翠は本当にそう思う。だが「なんか違うな」とも思っていた。

 恋愛において、『直感』というものは馬鹿にできない。時に、理屈や現実問題を超えて幸せに導くこともある。

 身勝手でも、破滅の道でも、もう一度選ばせてほしい。翠は持ってきた鞄から白い封書を取り出してテーブルに置き、金長に差し出した。

 

「その前に、こちらを」

 

「ふむ、何かなこれは……緑之介殿からか」

 

金長は丁寧な仕草で封書を開け、中の手紙を読んだ。その楽しそうな表情は少しずつ曇っていく。そして、読み終わるとその紙をそっとテーブルに置いた。

 嫌な沈黙が続く。景虎はここからだぞ、と自分に言い聞かせた。

 

「つまり、源氏山家は一度承諾した結婚をやはり考え直したいと言うことかね」

 

「その通りでございます」

 

最初に口を開いたのは金長だった。その言葉には翠がすぐに返す。そして再び沈黙が訪れる。しばらく黙った後、何か合点がいったように金長は「なるほど」と呟き、今度は虎右衛門に視線をやった。

 

「妙だと思っていた。なぜ幼馴染殿とウエディングアドバイザーなる人間が同席しているのかとな。さて、お前たちの入れ知恵か?」

 

金長はぴりっとした殺気にもとれる波動を放ってきた。景虎は全身が強張る感覚がした。虎右衛門も同じだろう。これが、四国最強の化け狸の妖力なのか。だがここで退いたらそもそも勝負にならない。虎右衛門は息を吸い込んで攻勢に出た。

 

「左様でございます。私、観音寺虎右衛門は翠ちゃんを好いております。なので此度の結婚を不服と考え参った次第です」

 

「不服も何も決まった事だ。お前に付け入る隙はない」

 

「いえ、あるのでございます」

 

虎右衛門は頭を下げながらしっかりとした言葉で言った。そして、その後は翠が引き取る。半身下がり、その場で座敷に手をついて頭を丁寧に下げた。

 

「この度の結婚への返答は私の真意ではありませんでした。申し訳ございません。私の幼馴染のドラちゃんも、まったく関係ないのです。全ては私の責任です。こんな武家らしからぬ不義理な女は金長様には相応しくないでしょう。どうか私の事など吐き捨て、忘れさって下さい」

 

翠の様を見て金長は黙り、そして「ううむ」と唸った。これで諦めてくれれば助かる。「婚約破棄したのは金長がフラれたからではなく、源氏山翠が相応しくなかったから」これならば角が立たずに全て丸く収まるだろう。翠はそう考えていた。しかし、またしても金長は翠の想像通りには動いてくれなかった。

 

 次の瞬間に金長は突然笑い出し、楽しそうに言った。

 

「源氏山翠よ。私の顔を立てつつ幼馴染と人間を庇う。同時に婚約破棄という目的まで達成しようとは策士な女だ。度胸もある。益々気に入ったぞ、必ず私のものにしたい! 今がダメでも必ず私に惚れさせてみせる。破棄はない、結婚のみが私の望みだ」

 

そうきたか。逆に気に入られるパターンの想定はしていないが、ある意味これでやる事は一つとなった。虎右衛門は金長に言い放つ。

 

「待たれよ金長殿。その前に僕と勝負して頂きたい。僕に勝たずして翠ちゃんとの結婚は認められない」

 

虎右衛門がそう言うと金長は態度を一変させ冷たく言い返した。

 

「お前に認めてもらう必要はない。たとえ勝負したとしても結果は見えているし、私に何の利益がある?」

 

「挑まれた勝負から逃げるのか、二十二代目金長狸」

  

ここで景虎はフォローに入った。交渉の場に金長を乗せる事ができた。このまま勝負まで取り付けてみせる。

 

「婚姻届やら何やらが狸界にあるのか知らないが、まだ翠さんとの結婚は書状を送り合っただけだろう。虎右衛門にも翠さんと一緒になる権利はある。なのに、虎右衛門は筋を通して最初に翠さんと約束したアンタだから決闘を申し込んだ。駆け落ちしちゃえば楽だし確実なのに、正々堂々を選んだんだ。それを踏まえた上でお前は逃げるのか」

 

「黙れ、人間風情と話すことなど何もない」

 

「それはこっちだって同じだ。狸風情と話すことはねえ。だけど依頼主の虎右衛門の為に聞いているんだ」

 

ここまで言い合うと景虎と金長は睨み合った。沈黙が訪れ、両者動かない。だが数秒の後、金長がふっと息を吐いた。

 

「全て作戦通りと言ったところかな? よろしい、喜んで乗ろうじゃないか。『源氏山翠を賭けて勝負する』。受けて立とう。翠もそれで良いね?」

 

金長はまた穏やかな雰囲気を纏っていた。先程までの殺気は既に消えている。対する翠は「構いません」と答えた。

 

「ドラエモン君と言ったかな。惚れた女の為にここまでするその意気は良し。だが、格の違いという物を見せてしまっても構わないね?」


「望むところ」

 

「それも、よろしい。ならば合戦の支度をするとしよう」

 

金長は虎右衛門の答えに対して不敵に笑うと、携帯電話を取り出してどこかにかけた。

 

「──ああ、そうだ。また金倉大仏殿を貸し切ってくれたまえ。……うむ、問題ない。呼び戻せ。四国中の狸を集めよ。ああ、よろしく頼む」


そして電話を切ると金長は景虎たちに向き直った。

 

「金倉の大仏殿をまた貸し切った。来週の土曜日の深夜に正統なる決闘、『狸相撲』にて決着をつけよう。ギャラリーとして四国にいる私の仲間も来る手筈になっている。人間の方もぜひ見に来ると良い。では、当日を楽しみにしているよ」

 

一方的に話を進めると金長は立ち上がった。その鍛えられた身体は何倍にも大きく見える。

 

「ドラエモンくん。店主夫妻と可愛らしい妹君に、料理は大変美味かったと伝えてくれよ。では失礼する。翠、君はきっと私のものになるからな」

 

 金長はそう言って翠に目配せをすると、襖を開けて座敷を出て行った。しばらく耳を澄ますと、店の入り口がガラガラと音を鳴らしていた。帰ったらしい。それを聞き届けてから、景虎は「ああー疲れた」という声と共に組んでいた両足を投げ出した。

 

        

          

         


          ◯

 金長対虎右衛門の決闘の知らせは、全国の狸たちに瞬く間に知れ渡った。

 惚れた女を奪い合う名士の金長と田舎狸の虎右衛門。しかも両家は遥か昔、『阿波狸合戦』では金長軍の仲間同士、しかも遠縁にあたる間柄だったのだから余計にその因縁が勝負を盛り上げた。

 

 虎右衛門は一躍全国で有名狸となり、金長に挑むその阿呆っぷりと勇敢さが評判となった。さらには、その渦の中心にいる源氏山翠も同じように有名となり、かえって男性ファンが大量に着いてしまう事態にまで発展した。

 

 二匹の決闘は噂が噂を呼び、もはや狸界だけでなく全国のあやかし者や神々をも注目する一大イベントとなっていた。

 

 しかし、その決闘を三日前にして『金長狸』は突然に姿を消した。咲耶には分かった。これは、「伯爵」の仕業だと。八咫超常現象研究所は動き出す。

 

 今、この金倉の地に日本中から異形の者共が集う。金倉を目指し進む道中、彼らは口々にこう言った。

 

「これは令和の狸合戦『北金倉狸合戦』である」と。

 





────その⑨に続く

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