ヤタガラス 第2話
「狸の嫁入り」その①
1
むかし、現在でいう徳島県に『
ある日、彼は
彼はそこでも持ち前の才覚と真面目さでメキメキと頭角を表した。だが同時に、あまりの優秀さ、仲間内の評判の良さを六右衛門は脅威と恐れた。さらには、金長に持ちかけた愛娘との縁談を断わられたのも六右衛門にとっては面白くなかった。いつしか恐れは憎しみに変わっていった。
修行を終えた金長は茂右衛門の元へ帰ることになる。しかし、その道中に六右衛門の差し向けた追手に襲われてしまうのだった。このまま生きて返せば金長狸はいずれ最大の脅威となる。六右衛門は刺客を放っていた。
そしてその襲撃の最中、仲間の一匹が金長を庇い戦死してしまう。何とか逃げ切った金長だったが、仲間を失った事で深く悲しみ、敵討ちのための決意を固めた。
狸たちは今、勝浦川を挟み集結する。六右衛門の軍勢は四国狸の強者揃い。対する金長狸軍は彼を慕い、全国から集まった者達。各軍共に兵力は六百ほど。だが個々が精鋭揃い。金長は仲間を鼓舞し、支え、自らの正義と仲間と仁義のため戦った。
その死闘は三日三晩続いた。これが歴史に名高い「
金長狸は最後の力を振り絞り、自分の命の恩人である人間、茂右衛門の元へ帰った。
「我が友、茂右衛門。貴方に救われたこの命。私は仁義の為に使いました。惜しまれるは貴方に最後までお仕え出来なかったこと。どうか、お元気で。感謝しております。私は幸せだった」
金長は最後に礼を告げると、静かに息を引きとった。茂右衛門はそんな金長の生き様に心打たれた。もはや、唯の狸にあらず。
「正一位金長大明神」として彼を祀ることにしたのだった。
そして金長と共に戦った狸たちもまた歴史に名を残した。しかし、金長軍はその数約六百匹。その全ての狸たちが名を残した訳ではない。
かつて、関東の田舎に漁業が盛んな小さな村があった。そこが後の『
お祭りと思って参戦した阿呆狸はいざ戦場で慌てふためき、だが腹を括り、遠くから石礫を投擲して戦った。接近戦は怖いので絶対に挑まなかった。
彼は歴史に名を残さなかった名も無き狸の一匹である。だが、彼の住んでいた凰船の「
その狸の名は、「
──ヤタガラス 第2話「狸の嫁入り」
◯
景虎はぼうっと告解室の天井を眺めながら神父に聞いてみた。
「〝
神父は「いいえ、存じませんね」と聞き返した。景虎は話を続ける。
「じゃあ、〝緑のたぬき〟は? かき揚げうどんのヤツなんすけど」
「ええ、うどんは好きですよ。カップ麺ですよね。緑のたぬきは」
景虎はそれを聞き、満足気に息を吐くと、唇を少し舐めた。
「今回の話は、恋と愛と〝緑のたぬき〟にまつわる話なんだよ。じゃあ話します。あ、そうそう。ウチの所長がフラれてまた煙草はじめたんですよ──……」
◯
十一月に入り、だいぶ冷え込む季節になってきた。ハロウィンが終わり、街では既にクリスマスの準備が行われている。
景虎は出勤前にコーヒーでも飲もうと朝イチでコーヒーショップに来ていた。今期の新作フラペチーノが発売されたらしいが、景虎は見向きもしなかった。いつもの通りブレンドコーヒーをオーダーし、砂糖二つ、ミルク一つを入れた。そして窓際の席を陣取り、店内を眺めながらコーヒーを飲んでいる。朝なので客はまばらだ。
その時、「チリンチリン」と来店を告げるチャイムが鳴った。入ってきたのは男二人と女一人。男の一人はもう「熊」としか形容し難い。顔髭はもじゃもじゃ、その巨大な体躯はあまりお目にかかれない。もう片方の男はしっとりした癖毛で細身の男だ。ひょろりとした体躯は何とも頼りない。表情は何故かすけべな本性を感じさせる。しかし、女の方は美女だった。妖艶な雰囲気を醸し出す巻いた髪と目鼻立ち、そして高級そうなセーターで強調された豊満なバストは目を引くだろう。
その美女はすらりとした足で店内を歩き回って観察している様だった。すると、何か見つけたかの様に目を丸くし、カツカツとヒールの音を響かせて窓際の席の景虎の方へ向かってくる。「え、もしかして俺か?」景虎は思った。それは勘違いではない。女は景虎の前で立ち止まって視線を送ってくる。
「やっと見つけた。あんた、ミナトカゲトラだね?」
「そうだが、身に覚えがない」
こんな美女なら忘れる筈がない。少し自らの頭の中を整理してみたが、やはり該当する人物はいなさそうであった。
「悪いんだけど、俺はアンタの想像する『ミナトカゲトラ』とは違うみたいだ。じゃあ、俺は行くから……」
こういう手合いは相手にしないに限る。美女は美女だが、背後に控えている男二人が不気味すぎる。さっさと出勤しよう。景虎はテーブルにコーヒーの代金を置くと席を立って去ろうとした。しかし、美女が景虎の腕を掴んで止めた。
「待ちな。──お前たち、手を出すんじゃないよ」
景虎の腕を掴んだ美女は背後の男二人にそう言い、視線を送った。すると男二人は「アイサー」と小さく答えた。なんだか頭が痛くなってきた景虎は、「離せよ」と少し強い語調で掴まれた腕を払った。
「お前、俺と
「あんたとなら……やりたい……」
美女は小さい声で答えた。取り巻きの男二人はぎょっとした顔をしたが、景虎は気づかなかった。美女を睨んだまま言葉を続ける。
「女を殴る趣味はねえんだけどな」
「殴られても良い、あんたになら」
ここで景虎は異変に気づいた。何かが噛み合っていない。
「は?」
美女は潤んだ瞳で景虎の目を覗き込んだ。そして恥じらいを含んだ少し震える声で、呟くように告げた。
「……好き、お付き合いして」
「はあ?」
◯
景虎は以上、今朝の出来事を『八咫超常現象研究所』の応接用ソファで紫苑に話していた。聞いていた紫苑は当ビル、五階・猫カフェの店長よりもらった高級クッキーを食べる手を一度止めた。そしてソファに座り直し真剣な表情になる。
「……確認致します。景虎さんは、その美女さんの申し出を受けたのですか?」
「まさか、怪しすぎるだろ。後ろの不審者二人がセットで付いてくるなら俺は遠慮するね」
景虎がそう笑い飛ばすと、紫苑は「ふー」と息を吐いた。意味が分からなかったが、景虎は言葉を続けた。
「まあ、でも美女だった。すげえスタイル良かったし。今思えば、もっとしっかりと話せば良かったよ。それくらい綺麗だったからな、紫苑と違って大人っぽい感じだったぜ」
あの後、景虎が呆然としていると、美女は返事も待たずに小走りに店を出て行ってしまったのだった。取り巻きの男二人はというと、「覚えていやがれ」と捨て台詞を吐いて一緒に出て行った。……忘れるわけないだろう。景虎は思った。
ここまで話を聞き、紫苑は今まで見せた事のない表情をしていた。物凄く「つまらなさそう」だったのだ。眼鏡の奥の、そのガラス玉の様な美しく青い瞳は軽く細められ、口はきゅっと結ばれてへの字に曲がっていた。
「おい、どうした」
「いえ、別に」
紫苑は素気なく答えると、立ち上がって手際良くクッキーを缶にまとめた。そして「ふんっ」と鼻を鳴らして研究所奥の台所まで行ってしまった。
「あらあら、あらあらあら」
一連のやり取りをデスクで眺めていた咲耶はにやつきながら煙草の火を灰皿に押し付けて消した。その時、開け放たれた窓から冷たい風が室内へ入ってくる。景虎は身震いした。
「おい、寒いぞ。つうか、また煙草始めたのかよ」
「吸うのは私の勝手だし、窓開けないと事務所が煙草臭くなっちゃうじゃないの」
景虎はある事を思い出して腑に落ちた。さてはまたフラれたな。咲耶は願がけを良くする。恋人ができたら煙草をやめ、いなくなったら吸う。このパターンを景虎は既に仕事の付き合いの中で三回ほど確認していた。今、それを思い出したのだ。景虎は少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「咲耶さん、あんたまたフラれたな。この前言ってた歳下のバンドマンはどうしたんだよ。──いや、そうだな、どうしたのか当ててやろうか?」
咲耶はまさにぎくりといった風に肩を震わせた。分かりやすい。だから「イジりやすい」。景虎は言葉を続ける。
「浮気されたな。いや……あんたが浮気相手だったんだろ。二人目の女ってヤツだ。で、勘が良いもんだから他に相手がいた事に気づいちまった。問い詰めたら逆ギレされて、結構酷いこと言われた末、喧嘩別れ。こんなとこかな。バンドマンなんかと付き合うからだぜ。元気出せよ」
景虎はすらすらと咲耶の反応を楽しみながらシナリオを言い、咲耶の側まで行って肩をぽんぽんと二回叩いた。すると咲耶の肩が崩れ。デスクに寄りかかる様に突っ伏した。最初何が起こったか分からなかったが、どうやら泣いているらしい。その細い肩は小刻みに震え、啜り泣く声が聞こえる。
「お、おい……まさか当たってたのかよ」
すると咲耶は顔を上げてわっと泣き出した。
「なんで私の方が捨てられるのよ! あんな小娘より私の方が美人じゃない! しっかりジムに通って鍛えてるし、髪だって手入れして、若い子の文化も理解してる。『やっぱり、若い子が良いや』って何よ! くたばれ!」
咲耶は捲し立てつつ、泣きながら景虎のスーツの襟を掴んでゆすった。ボルテージが徐々に上がっていき、そのハスキーな声で人には聞かせられない様な罵声を繰り返し叫んでいた。窓は開け放たれている。
そして、ゆすられている景虎は天井を眺めて思った。「地雷を踏んだか」。急ぎ、とにかく慰める事にした。咲耶はフラれるといつもこうやって騒ぐのだ。前回の時は酒に酔っていてさらにたちが悪かった。咲耶は焼酎の瓶を振り回して暴れ、止めようとした景虎は瓶で叩かれて頭を破られかけていた。もうたくさんだ。
「あんまり気にするなよ。咲耶さんはまだ若いよ。いいか、アンタが残念がるな。最後に分かる。きっと残念がるのは相手の方だったって」
景虎は柄にもなく精一杯励ました。これは推測だが、もしかすると人間は酒瓶で叩かれ頭を破られたら死ぬんじゃないか。そんなの冗談じゃないと必死の応援を続けていると、咲耶は「かぁげぇとぉらぁ」と情けない声で景虎に抱きついた。勘弁してくれ、と思ったが仕方ない。
咲耶を慰めていて景虎は気がつかなかったが、いつの間にか紫苑が台所から戻ってきていた。ソファの側に立ち、目を細めてじっと、咲耶が抱きついた状態の景虎を見ている。紫苑の口はまた一段と強くきゅっと結ばれた。
その視線と表情を浴びて、何故か景虎は悪い事をしている気分になった。
「お、おい。なんだよ」
「いえ、別に」
また紫苑は「ふんっ」と鼻を鳴らした。ぷいっと、まるで不貞腐れた子供の様に顔を背けると、すたすたと歩いて、用も無いのに台所に戻って行った。
どうしたと言うんだ。もう十一月だぞ。景虎は思った。季節の変わり目は皆おかしくなるものなのか、それとも全て自分のせいなのか。好きだのフラれただの「ふんっ」だの「ぷいっ」だのと、皆たるんでいる。
背後の窓から北風に吹かれ、景虎が虚しさを感じ始めた時だった。八咫超常現象研究所の扉が三回ノックされた。来客の様だ。いつもは面倒に感じるが、今日のところは助かった。
今回はどんな依頼なのか。
景虎には嫌な予感がしてならない。
────その②につづく
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