「バースデー・カクレンボ」その③
3
さつきの依頼を引き受けた「八咫超常現象研究所」はその日の夜からすぐに行動を開始した。まず、所長の咲耶が『物理的アプローチ』。そして調査員の景虎と、補佐として事務員の紫苑が協力して『神秘的アプローチ』を行う事になった。さつきも『神秘的〜』の方に協力する事になっているが、今夜は準備のみにしてさつきを帰らせた。明日の放課後に合わせて神秘的にアプローチする予定だ。
「ええ、そうです。妹のめいさんです。今年分の現世への滞在記録か渡航記録はそちらに残っていますかね……調査中? 時間くれ? どっかにあるはず? はあ? あんたら仕事でしょうが、しっかり管理しときなさいよ!」
もう時計は二十三時を回っていた。所長の咲耶は一人研究所に残り、『物理的アプローチ』を行っていた。
先代から譲り受けた不思議な道具はいくつかあるが、この『黒電話』と『電話帳』は特に変わったものの一つだ。この電話は深夜、二十三時から翌三時までの間だけあの世の役所など行政施設に繋がるのだ。他にはどこにも電話をかける事は出来ない。
驚くべき事だが、「あの世」にも社会があり、行政があり、生活があるらしい。地獄の責め苦なんて流行らないのか。初めてこの電話を使ったが、本当に繋がったのにはさすがに感嘆の声を上げてしまった。
「きっと役に立つはずだ」
何年か前に父がそう言った意味がやっと咲耶は分かった。
「ええ、ええ。分かりました。待ちましょう。ですが、急いで下さい。もしめいさんが本当に今も現世に来ているのならタイムリミットがあるので」
結局、調べておきます。の一点張りで次の深夜にかけ直しになってしまった。それどころか「年間どれだけの人が死んでこっちへ来てると思うんですか? 勘弁して下さい。我々が過労死してしまいます」とつまらない地獄ジョークを聞かされる羽目になった。お前はもう死んでるだろうが!
「あー、頭痛い」
咲耶は受話器を雑に戻すと例の応接用ソファに飛び込んだ。そして寝返りをうち、仰向けになると自然と眠りに入ってしまった。
◯
翌日、咲耶の方がまだ成果が出ていないため、景虎と紫苑、そしてさつきによる『神秘的アプローチ』に期待が高まった。
さつきの下校を待ち、研究所で待ち合わせした後で三人は移動した。もう夕方になっていた。
「さあ、今日は〝おまじない〟日和ですねえ」
紫苑は両手を広げて曇天に向かって大きく伸びをした。右手に持った杖が近くにいた景虎に当たりそうになる。
今は
「おまじないですか?」
さつきは紫苑を興味深そうに眺めて質問した。紫苑はキャスケット帽を目ぶかに被り、特別なサングラスとマスク、そしてストールを首に巻き、ブラウスにカーディガンと、下はロングスカート。つまり、ほぼ肌を露出しない格好をしていた。不審者と言われても文句は言えないだろうと思われた。
「そうですよ。降霊術のようなものです」
「へえ、降霊……。あの、それと、何でそんな格好を? まだ、十月ですし、暑くないですか?」
「私、肌と目が弱いので外は得意じゃないんです。紫外線が苦手です。あ、出かけるのはとても好きですよ。えーと、つまり……。アルビノってご存知ですか? 私、それなんです」
それは陶器の様に白い肌、色素の薄い瞳と髪。さつきも聞いたことはある。紫苑はさつきに向かってサングラスの奥の空色の瞳で笑いかけると、持っていた杖を使ってごりごりと公園の地面に何か円を描き始めた。
「紫苑は自分の事をあまり話したがらないんだけどな。さつきさん、信用されてるみたいだ」
景虎はさつきに向かって小さくそう告げた。すると紫苑が作業をしながら自身の感情を補足する。
「さつきさんは自分の事、勇気を出して話してくれました。だから私も協力したいし、話したいと思ったのです」
円が描き終わると紫苑は動きを止めて「できた」と呟いた。そこには大きめな円と、その中に複雑な模様が描かれていた。
「さつきさん。円の中へ入ってください。あ、模様は踏まないでくださいね。始めますよ」
紫苑はさつきの腕を掴んでやや強引に円の中心に立たせた。円はさつきが両手を広げても余裕があるくらいに大きい。そして自身は円の外側にいる景虎に並んだ。
「私のご先祖様は外国人で、私と同じアルビノで、魔女狩りを逃れた本物の魔女でした。だから、私がこういう身体に生まれ、不思議な人生を送るのは運命だと思っています。その受け継いだ血と技術を人の為に使いたい。そう思ってこのお仕事をしています。では、さつきさん。私のマネをして下さいね!」
紫苑は持っていた杖を隣にいる景虎に押し付け、両手を広げて「バンザイ」の格好になった。
「ご唱和くださいませ。『アーメン、ソーメン。ヒヤソーメン』。さあ一緒にどうぞ!」
さつきも紫苑に倣った。若い女が二人、公園で両手を広げ謎の呪文を詠唱している。景虎はこの光景を見て思わず吹き出しそうになった。詠唱せずに両手をスーツのポケットに突っ込んでいる景虎を見て、さつきは恥ずかしそうに抗議した。
「カゲトラさんも一緒にやって下さいよ! 私は真剣にやってるんだから」
「え、俺? まあ……遠慮しとくよ。いや、参ったな。おいシオン、からかうのはそのくらいにしとけよ。前やった時はそんな呪文無かっただろ」
景虎が笑いながら隣にいる紫苑の背中を指先で小突いた。すると紫苑は詠唱をやめ、両手を下げてから「うふふ」と笑った。さつきも一度詠唱をやめた。急に不安になってくる。
「え、どういうこと。呪文は必要じゃないの? 私、からかわれてただけ?」
さつきが動揺するのを横目に紫苑はまた「うふふ」とだけ言った。そしてさつきの足元の円、魔法陣を指差した。
「さあ、どうでしょうね? でも魔法は完成しています。そろそろ始まりますよ」
その時だった。組まれた円陣がそのラインに沿って淡く光り出した。さつきは驚き「光ってる! 光ってる!」と騒いだ。そして制服の内ポケットがむずむずしてくる。さつきは内ポケットから「めいが使っていたシャープペンシル」を取り出した。これは昨日、紫苑に頼まれて用意してきた物だ。
気がつくと光はなくなり、紫苑が描いた地面の魔法陣も消えていた。さらに、手に持ったシャープペンシルも無くなっていた。
「そんな、めいのシャーペンが無い!」
さつきは慌てたが、紫苑はお構いなしにさつきの頭の周りを指差した。何かと思い、指が差した方向を追ってみる。そこには見た事のない美しく青い蝶がヒラヒラと舞っていた。その蝶は舞いながら公園の外へと飛んで行く。
「さつきさん、あの蝶を追いかけて下さい。あの蝶がめいさんの訪れた場所まで連れて行ってくれます!」
さつきは半信半疑だったが、とにかく蝶を見失ってはいけないと思い、走って追いかけた。
景虎も後を追おうとする。すると紫苑が「ん」と言って腕を掴んで止めた。
「なんだよ」
「おんぶして下さい。あんなに早く走れません。視界がぼやけてて危ないんです。さ、急いで」
紫苑は普段、外出中は杖をついて歩く。視界が悪く、危険がある為だ。走るところなど見た事がない。景虎は舌打ちした後、しゃがんで「乗れよ」と、ぶっきらぼうに言った。さつきを見失ってしまうよりマシだと景虎は判断した。
「では失礼します」
紫苑が背中に乗ってくる。一見細身に見えるが意外と重たいなと景虎は思った。着込んでいるからか? もちろん口には出さないが。しっかり紫苑が肩と背中に掴まったのを確認し、立ち上がった。ふわりと何か香りがした気がする。
「……わ、どこ触ってるんですか、すけべ」
「どこも触ってねえよ!」
「冗談です。いいから行って下さい。さつきさんが見えなくなってしまいます」
二人きりだといつも調子を崩される。密着した身体を意識し過ぎないよう、紫苑をおぶった景虎はさっさと走り出した。
公園に残された親子たちは何が起こったのか分からず、ぽかんとしていた。
◯
青い蝶を追って辿り着いたのはさつきとめいの家だった。
さつきは呆然と立ち尽くす。いつの間にか蝶は消え、代わりにめいのペンが手に握られていた。
「ここは、どこなんだ?」
紫苑をおぶった景虎もやっと追いついて来た。ゆっくりと紫苑を背中から下ろす。それを見届けてからさつきは言った。
日は落ち始め、辺りには夕日が差していた。
「ここ、私の家です。でも何でここに? シャーペンも返ってきてるし」
「さつきさんがここで聞いた声はやっぱり〝めい〟さんだった、ってことにならないか? だってここに来た痕跡があるんだろ」
景虎が聞くと、紫苑はロングスカートを手でパタパタと叩きながら答える。
「そうだと思います。生前のめいさんの持ち物に宿る、その思念を元にして…えーと、つまりめいさんの魂が一番最近に上書きされた位置を追って来ました。──つまり〝ここ〟がめいさんの魂が最後に触れた場所ということ」
「もっと分かりやすく言え」
景虎は眉間に皺を寄せた。紫苑は補足する。
「気を悪くしないでほしいのですが、さつきさん。めいさんが亡くなったのは〝ここ〟ですか?」
紫苑に聞かれたさつきは自分の家を眺めた。家族と一緒に過ごした家だ。めいもいた。さつきは首を横にふる。
「いいえ、めいが死んだのは交差点です。ここじゃありません」
辛い現実だが、その事実が「めいが現世に来ていた」。という証明になっていた。魂は死ぬと器足る肉体から離れる。死んだ場所が魂にとって最後の場所なのだ。
だが、魂が最後に刻まれた場所が交差点でなく、この家だと言うならば、つまりそれは死後ということになる。さつきにも何となく意味が理解できた。死してなお、この家に帰って来てたのだ。
「めいは、塾の帰り道に交通事故に遭いました。喧嘩して……もう理由はあまり覚えてません。どうせ、大した事じゃない。先に帰ろうとした私を追いかけて──。もう二年も前なんですよ」
さつきはぽろぽろと涙を流しながら語り出した。紫苑は自分の事の様に心が痛くなる。思い出さなくて良い、とさつきに声をかけようとした。だが、景虎がそれを止めた。
「話させてやれ、忘れる必要なんかない」
さつきは鼻を啜ってから言葉を続けた。
「その前の日に約束をしてたんです。高校卒業する前、三年生の、十八歳の誕生日は二人で海に行って花火しよう、って──。明後日がその約束の十八歳の誕生日です」
「……そうか」
「めいの〝声〟は誕生日だね、って言っていました。やっぱり、祝ってくれようとしてたのかな、会いたいよ、めい……」
泣き崩れるさつきを紫苑は優しく抱きしめた。景虎はそれを、さつきが落ち着くまでじっと見守っていた。
夕日が三人を優しく照らした。
◯
翌朝、景虎は出勤前の早朝、久しぶりに墓参りに行った。何だか死者を弔いたいと思ったのだ。俺も単純な奴だな、と自分で自分がおかしくなった。
そして、いつもと同じ様に研究所に行き、その扉を開けた。
「ちーす、おはようございます」
だが、『八咫超常現象研究所』はいつもと違う慌ただしい雰囲気になっていた。丁度、景虎が研究所の扉を閉めるのとほぼ同時に、デスクで電話していた咲耶が黒電話の受話器を置いた。
「その電話って深夜しか繋がらないんじゃ?」
景虎が聞くと咲耶は自身のデスクの椅子に深くもたれた。
「〝向こう〟からはかけられるみたい……いや、そんなことはどうでもいいわ。緊急事態よ」
咲耶は少し慌てた様子でツカツカとヒールの音をたて、立ち尽くす景虎の方まで歩いてきた。
「依頼人さつきの妹、めいはまだあの世に帰ってきてないそうよ。今の電話はその件。今年のお盆に現世に来て以来、ずっと不法滞在しているの」
「不法滞在って、お盆からだとこっち来てもう二ヶ月くらいか……それってヤバイっすよね?」
「ヤバいわよ。現世に留まりし魂は『悪霊』になる。そうなったら退治するしかない」
「ルール」を破るか、強い思念を持ち成仏できない魂は、長く現世にいることで怨念を呼び集め、悪霊に成り果てる。そうなったら現世に様々な悪影響を及ぼす。よって、お祓いになるのだが、祓われた魂は完全に消滅して二度と輪廻の流れに乗れず、来世の転生も、極楽への道も叶わない。この宇宙で永久にあの姉妹が出会うことはなくなってしまう。
「悪霊になるまでは個人差があるけど何ヶ月も経ってるなら怪しいわよ。もし既に、悪霊になっているとしたら……」
もし、既にめいが悪霊になっているとしたら? さつきへの〝声〟が悪霊の声だとしたら? 考えたくはない事だが、姉との約束と思いが執着となり、怨念となったなら、さつきは最愛の妹によって「とり殺される」ことになるかもしれない。
「わかりました。俺らのルールが何だと言ってられない。めいの霊を全力で探しましょう。場合によっては……──」
景虎はその先は言わなかった。お祓いは好きじゃない。人殺しと同じだ。そう思っている。咲耶もうなづく。
「そうなるわね。今、シオンにめいの霊を探してもらってる。でも、大体の位置しか分からないから骨が折れるわよ」
紫苑は応接用のソファに座り、凰船町の地図をテーブルに広げていた。そして手をその地図に置き、目を閉じて集中している。たまに何かのメモをとっているようだ。
「じゃあ、俺はめいの場所が分かったら現場行ってきますよ。で、見つけたら──」
景虎が言いかけたその時、研究所の扉が勢いよく開いた。スウェットパーカー姿のさつきが飛び込んでくる。学校は休みらしい。そういえば今日は土曜日だったな、と景虎は関係のないことを考える。さつきはえらく慌てた様子だった。
「おい、どうした」
「めいが、めいが帰ってきた!」
景虎と咲耶は驚いて言葉がなかった。「どういうこと?」咲耶は慎重に聞いた。
迷子の幽霊探しはまだまだ終わりそうにない。それどころか、更なる波乱を呼ぶことになるのだった。
────その④に続く。
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