過去編1

「その手紙」その①

          1

 

景虎へ


今、どこにいますか?

母も明里も心配しています。

ちゃんとご飯は食べてる?

しっかり寝れてる?

景虎の事だからうるせえよとか思っている事は母はお見通しです。

悪ぶっても母には通用しません。

そろそろ帰って来て。明里を安心させてあげて、あなたはお兄ちゃんなんだから

 

                 母より

                   




 ──過去編1「その手紙」

 

          


 八咫超常現象研究所、そこはこの世とあの世の様々な不思議を請け負う便利屋である。所長を務める八咫恭介やたきょうすけはもう長くこの仕事についていた。

 彼はいつもの様に朝早く起き、体を伸ばし、シャワーを浴びて、髭を綺麗に整え、髪をセットする。そしていつもと同じ時間に家を出た。

 職場に到着すると、事務所内の台所でモーニングコーヒーを淹れた。そして窓際の自分のデスクについた。

 

 デスクの引き出しには全て独自のルールで管理された仕事のファイルが入っている。そしてその中の一つのファイルを取り出すと、今抱えている仕事をチェックした。だがこれは儀式の様なものに過ぎない。もう仕事は全て片付いている。それは把握していた。

 

「旅行でも行くか、温泉が良いかもな」

 

恭介は独り言を呟いた。すると、デスクに切り分けられたケーキが置かれる。置いたのは秘書の美空陽香みそらようかだ。目を見張るような美人だとよく形容されるが、恭介にとっては妹の様な存在でもある。

 

「先生、そんな余裕はうちにはありませんよ」

 

「そう言うなよ。俺だってたまには羽を伸ばしたいんだ」

 

「毎日パチンコに行かれてるじゃないですか」

 

「あれは仕事さ」

 

恭介が悪戯っぽく笑うと陽香は「まあっ」と驚いたふりをした。

 

 基本的にここへ「依頼」というのは殆どこない。大体がいたずらか嫌がらせ。あとは人探しや物探し。専門とする超常的な事件はごく稀だ。だから恭介は思っていた。ここへ超常的な依頼が来たとき、それは誰にも届かなかった助けを求める声だ。自分はそれに手を差し伸べる運命なんだと。だから恭介は仕事を必ず引き受ける様にしていた。

 その時、八咫超常現象研究所の扉がノックされた。

 

          



          ◯

 その少女は応接用ソファに座ると落ち着かなさそうに研究所内を見渡していた。恭介はガラスのテーブルを挟んで向かいのソファに座り、その少女を観察する。

 切長の瞳に白い肌、バランス良く整った顔のパーツは美人特有のものだ。さらに後ろで結った黒い髪の艶は良かった。そして彼女はブレザーの学生服を着ている。さぞ学校では異性に注目されるだろう。共学かどうかは知らないが。しかし妙だ。では、そんな子が何故ここに? たまにイタズラで学生が用も無いのに訪ねて来ることはある。だが、彼女は違うように感じた。

 

「俺は八咫超常現象研究所の所長、八咫恭介。お嬢さん、今日は何の御用かな」

 

恭介は探る様な目で少女を見つめた。その視線で少女は緊張した様だ。しかし、それを解す為に秘書の陽香が少女の手元にティーカップを置き、微笑んだ。

 

「こちらの紅茶は八咫所長のオリジナルなんですよ。しかも日替わりです。喉がお乾きでしょうから、ぜひどうぞ」

 

少女は「どうも」と呟くとカップの紅茶を啜った。そしてぱっと表情を明るくすると「美味しい!」と呟くのだった。

 

「良かったな、君はツイてる。俺は紅茶を淹れるのが下手なんだ。だから『日替わり』なんだよ」

 

恭介が表情を崩すと少女も釣られて笑ってしまった。緊張は少し解けた様だった。

 少女はようやく話し始めた。

 

「私は、湊明里みなとあかりって言います。今日はその、兄を探してほしくて」

 

「行方不明?」

 

恭介が聞くと明里はうなづいた。恭介はすぐに「警察には?」と聞いてみた。明里は答える。

 

「それが少し、兄は変でして。普通の警察には任せられなくて、でもここならオカルトがどうとかネットに出てたから。どうなのかなって思いまして」

 

恭介は明里の側で立っている陽香に視線を送った。先日、陽香が「今時インターネットも使えないとは化石と同じです」とホームページを作ってくれたのだった。まさか集客効果が多少なりともあるとは驚きだ。陽香は微笑んでいた。

 

「なるほど、インターネットというのは凄いですな」

 

「え?」

 

明里が困った様に返事したので恭介は「失礼」と言い、言葉を続けた。

 

「“変”ですか、どの様に変なんですか?」

 

「兄がよく分からない事を言うんです。兄が言うには──……」


          




          ◯

 今、凰船の町では通り魔事件が話題になっていた。だが無差別ではなく、その通り魔に狙われるのに共通点があった。襲われるのは反社会的勢力やいわゆるチンピラや不良と呼ばれる人間たちだ。彼らだけが夜道を襲われ、朝には痛々しい傷を負って道端に放置されている。

 明里はそれを心配していた。

 


「私の兄、景虎は、チンピラなんです」

 

明里は困った様に笑っていた。

 



 恭介は依頼を引き受け、景虎を探す為にまずは彼自身を調べる事にした。

 

 湊景虎みなとかげとら。男性、22歳。市内の一般高校を卒業した後、定職に就かず家にも帰らず友人宅を転々としている。

 今は複数のキャバクラなど夜の店で日替わりの用心棒やキャッチをやって生計を立てているらしかった。

 

 恭介は生まれも育ちもこの凰船の街だ。恭介にとってこの街はまさに庭と言っていい。綺麗に整えられた花壇の位置も、そこの花の状態はもちろん。庭で放置されている雑草の位置と種類まで彼には分かった。景虎を見つけるのにはそう時間はかからなかった。

 

 景虎はヘルズという暴走族の現総長と親友関係らしく、彼らの溜まり場である「竜泉院」という銭湯によく通っているらしい事が分かった。既に依頼を受けてから二日程経過していた。恭介は早く温泉旅行に行きたかったので少し調査を急いでいた。

 

 竜泉院は昔ながらの銭湯という趣きの場所だった。と、いうより恭介は子供の頃からここへは客としてよく来ていたので特に構える事なく中へ入った。

 受付にあたる位置には番台も客も一人もいなかった。当然である。今は一時間のお昼休みらしい。昔はそんなものなかったが、今はヘルズの集会の為に昼の一時間を貸し切っているのだ。

 それが出来るのには理由があり、現総長、久喜竜二くきりゅうじはここの倅らしいのだ。職権濫用? もいいところだろう。

 

 恭介は館内を進んでいき、マッサージチェアやソファ、飲み物などの自動販売機が設置された休憩所に辿り着いた。中では柄の悪い少年たちがたむろして何か話をしている。恭介は迷わずそこに入って行った。

 

「邪魔するよ、ノックした方が良かったかな」

 

恭介が休憩所に入ると、中の少年たちが一斉に恭介に注目する。恭介の方は少年たちを観察した。

 部屋の一番奥の大きなソファに座っている金髪が久喜竜二だ。そしてその横に立っているのは、癖のある黒髪を無造作にしている色白の少年。彼が湊景虎。妹の明里からもらった写真と特徴が一致する。

 

「どうしたのおっさん、今は営業してないよ」

 

竜二がにやつきながら言うと、恭介も余裕たっぷり笑いながら答えた。

 

「風呂に入りに来たんじゃない。そこの景虎くんに用があって来たんだ」

 

景虎がやっと反応して恭介の方を見た。なるほど、その眼光は鋭く、野生の獣の様な攻撃性を覗かせていた。恭介は面倒な予感がして少し帰りたくなってきた。

 

「お前なんか知らねえぞ」

 

「俺だってお前をよく知らん。ただ俺は探偵みたいなもので、妹さんにお前を連れて帰るように頼まれちゃってね」

 

景虎はそれを聞いて目を見開くと明らかに敵意を剥き出しにしてきた。

 

「探偵だか何だか知らねえが余計なことしてんじゃねえぞ」

 

「そうやって妹さんには伝えておくよ。じゃあ、そうだな。やっぱり今日はこれで失礼する」

 

 探して連れて帰るのが最終目標だったが、今日のところは景虎が無事で、どんな奴なのか分かれば良かった。まるで野生の虎みたいな奴だ。恭介は思った。

 

「待ちなよおっさん。ただで帰れると思ってんの?」

 

竜二がソファを降りると、ヘルズのメンバーは立ち上がって恭介を囲った。

 

「これはどういった趣向かな?」

 

「いいから外に出なよ、おっさん」

 

        




          

          ◯

 竜泉院裏の空き地に恭介は連れて行かれた。そして適当な位置で立ち止まり、目の前には景虎が立ちはだかった。

 

「俺も暇じゃないんだがね、やめようよ。時間の無駄だ」

 

「妹の名前まで出して喧嘩売って来たのはそっちだろうが」

 

景虎がそう言うと恭介はうんざりした様にため息をついた。こういう連中はどうしてこう思考が短絡的なんだ。景虎も聞いていた印象とだいぶ違う。もっと物静かで賢そうな印象だったのに。今や野生の虎だ。

 恭介は面倒だが実力行使に出ることにした。


「なら、はっきり言おう。俺とやり合う気なら手加減はできないぞ、クソガキ」

 

 その瞬間、景虎は鋭く拳を出してきた。その構えも打ち込み方も、これは「ボクシング」のものだ。喧嘩がめっぽう強いと聞いていたが格闘技をやっていたとは。だが、恭介の敵ではなかった。

 景虎の足捌きも攻撃も防御も見事なものだったが、どうしても恭介を捉える事が出来なかった。ついに景虎は恭介の掌底を思いっきり顔面に受けてしまった。そのまま仰向けに倒れて顔を押さえている。

 竜二はヒュウッ、とわざとらしく口笛を吹いた。

 

「今のが拳ならお前の鼻は折れていた。分かったか、今日は帰る。だがまた来るからなミナトカゲトラ」

 

 追ってくるかと思ったが、誰も立ち去る恭介を追わなかった。竜二が止めたらしい。

 

「賢い奴もいるじゃないか」

 

恭介はそう言いながら鼻から垂れた血を手で拭った。かすっただけでこうなるとは、喧嘩自慢も伊達じゃないらしい。

戦闘能力の高さもだが、それより気になったのは戦っている時も危機迫る狂気に似た何かを景虎の内から感じた事だった。

 だが残念ながら、明里の言っていた「変」な部分を確認する事はできなかった。

 

         





          ◯

 恭介はその夜、明里に電話をかけて昼間の出来事を報告した。ひとまず元気そうだと言う事を主に伝えた。まるで獣だ、とまでは言えなかった。電話口で明里は声を潜めて聞いてきた。

 

『あの、兄は何か、その、言っていましたか?』

 

「いや、特に何も。少なくても君が心配しているような事は言っていなかった」

 

その時だった。研究所内の天井に吊るされた鈴が鳴った。リリリン、リリリンと繰り返し警報の様に鳴っている。

 これは生ける者に仇なす「魔」の者が街に現れた時に感知する道具だった。恭介は敵を感知するような妖術も魔法も使えないのでこういった道具で補っていた。

 何か良くないものが街に出現したらしい。恭介は電話口の明里に告げた。

 

「悪いが電話を切らせてもらうよ。あと今夜は出歩かない方が良い。じゃあまた連絡する」

 

 恭介は一本的に捲し立てて電話を切ってしまった。ツーツー、という音が受話器から聞こえてきた。

 

「外出るなって、どういう意味?」

 

よく分からないが、電話は切られてしまったのだから仕方がない。明里は固定電話の受話器を元に戻し廊下から自分の部屋へ戻ろうとした。

 しかしその時、再び電話が鳴った。恭介だろうか。一言文句を言ってやる! 明里は乱暴に受話器を取った。

 

「もしもし!」

 

「明里か?」

 

電話の向こうから聞こえた声は恭介ではなかった。その声を忘れるはずはない。明里は「お兄?」と呟いた。

 

         




 

          ◯

            

景虎へ

 

今日は家に帰りましたか?

帰っていませんね、母にはバレていますよ。

冗談はさておき、みんな心配してる。早く帰ってきて、景虎。

クリスマスは家族みんなで過ごす決まりじゃないの。

待ってるから、きっと帰ってくるのよ。

 

                 母より




────その②に続く

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