「その手紙」その②

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 景虎へ

 

 また喧嘩したの? 

 明里が心配しているわよ。

 最近は怪我ばかりしているって

 竜二くんは元気? あの子はいい子よ。

 友達は大切にしなさいね。

 それから、早く家に帰ってきて。

 怒ってないから。

 

                母より

                

          


          ◯

 恭介は夜の凰船の街を走った。もう時刻は二十三時を回っているので商店街のシャッターは閉じられ、街は少しずつ眠りに入っていた。凰船の街は零時には完全にその機能を終えて眠りにつく。だが、その田舎特有といえる性質は悪霊を含む「魔」の者共が活動するには最適な空間を作りだすのだった。

 恭介の走る通りの街灯はその灯りで人のいない道を寂しく照らしていた。

 

 先程、研究所で警報を鳴らした「悪霊センサー」は未だかつて無いほどの反応を示していた。それだけ今回現れた悪霊は強力なものだという事だろう。

 

 恭介は布に包まれた棒状の装備を担いでいるのに関わらずその俊足は冴え、素早く街を駆け抜けていく。急いでいた。あの規模の出現反応なら死者が出てもおかしくないレベルの相手だ。

 

「ぎゃあっ」

 

 その時、男の悲鳴が路地に響いた。遅かったか? 恭介はその場で急ブレーキを踏むとすぐに方向転換をして路地に向かって走った。

 

 

 路地では男二人が倒れていた。壁には血が付着していて凄惨な状態だ。恭介はすぐにその男たちの元へ駆け寄ってしゃがみ込み、その状態を調べた。

 

「息は……。しているな。殺してはいない、が。殺せたはずだ。この傷は打撃によるものか?」


恭介は路地で倒れている男を観察しながら呟いた。意識は無いが、息は何とかしている。だがいわゆる「ボコボコ」に殴られていて見るも痛々しい姿だ。ただの喧嘩だろうか、それとも通り魔か?

 

 恭介は依頼に来た明里が気にしていた「チンピラ専門の通り魔」の話を思い出した。これはソイツの仕業だと言うことだろうか? 恭介の知る限り、悪霊は物理的に人間を殴って回ったりしない。もっと陰湿で「決定的」だ。

 陰湿に呪っては弱らさせたり、確実に殺しにきたりはするが、こんなふうに殴るだけ殴って殺さないなど中途半端だ。殴る事が目的ならば話は別だが。

 

「お、おい……。あんた」

 

その時、倒れていた男の一人が咳き込みながら意識を取り戻した。恭介は彼に視線をやった。なるほど、「チンピラ」だな。と恭介は思った。綺麗に染まっていない金髪と、ピアス含めジャラジャラとあまりに品のないアクセサリー。その「チンピラ」は怯えた様に恭介のコートの裾を掴んだ。

 

「奴が、来る。助けてくれ、奴が来るんだ」

 

「落ち着け、俺しかここにはいない。誰だ、奴っていうのは」

 

「悪魔だ、あれは“悪魔”だ」

 

「……悪魔」

 

 恭介がそう呟いたところで、背後に気配を感じた。それも強烈な敵意だ。殺意にも取れる。チンピラも気づいた様で「ひいっ、あいつだ!」と情けない声をあげてより一層強く恭介のコートの裾を引っ張る。恭介はため息をつき、鬱陶しそうにチンピラの手を振り払うと立ち上がって振り向いた。

 

 見ると、路地の入り口に立ち塞がるように男が立っていた。全身黒づくめで上着のフードを目深に被っているので顔は分からない。だが、その両方の拳から滴る血はこの惨状を物語っている。そして、その男は恭介に対して剥き出しの敵意や怒りをぶつけてきていた。とりあえず恭介は男に接触してみることにした。

 

「君がチンピラ狩りくんか。君さ、まともじゃないよ。こんな街の名物たちをボコボコにして何がしたいんだい? まさか正義の味方を気取っているわけじゃあないよな」

 

 その瞬間、男は真っ直ぐ恭介に向かって走りだした。「いきなりか」恭介はすぐに担いでいた装備を下ろした。だがそれを用意する前に男は懐に飛び込んでくる。そして次々と拳が素早く打ち込まれてくる。恭介はその棒状の装備で拳を防ぎながら狭い路地で立ち回った。

 

「その動き、格闘技だな。しかもかなりの熟練度だ。君はどうやらただの狂人じゃないようだ」

 

恭介はそう言いながら、棒状の装備を鋭く横向きに振り払った。だがそれは男に当たらず空を切る。男が跳躍して躱したからだ。

 そして男は跳躍した勢いそのままで路地の壁を蹴り、突然その軌道を変えると、それに反応出来なかった恭介のこめかみの辺りを蹴り飛ばした。恭介の脳は揺れる。思わず二、三歩後退りした後、膝をつかされた。

 

 男は着地すると膝をつく恭介を見下ろしている。

──強い。しかも人間離れした動きだ。恭介もそれなりに腕に覚えがあったがそれは人である事が前提だ。この「チンピラ狩りの男」は完全に人の範疇を超えた動きをしている。


「大方、悪霊が憑いて力を発揮しているタイプだな。しかもどデカい奴が。まいったな、こんなのが俺の街にいるんじゃ温泉旅行はしばらく行けん」

 

おそらく研究所の警報が感知したのはこの男だろう。

 恭介は魔法や妖術の類は使えない。異能力で火を起こしたり、風を吹かせたりも出来ない。特別な退魔師の血筋でもない。彼はただ「見える」だけだ。人間には感知できない超常のモノを見ることができる。それが恭介の持つただ一つの能力だった。

 

 それ故に、恭介にははっきり見る事ができた。このチンピラ狩りの男には黒いモヤのようなものが炎の如くまとわりつき揺れていた。確実に悪霊に取り憑かれている。そしてこの超常的な強さ。これは良くない。依頼人の明里は言った、兄の景虎は「チンピラ」だと。いくら景虎が強くてもこいつとやり合えばただでは済まないだろう。

 

 明里からの依頼は「兄を探し、無事に連れ帰る事」。ならば、この男は必ず障害になる。恭介はため息をついた。

 

「まったく、おっさん使いが荒いぜ」

 

言いながら恭介は棒状の装備に巻いてあった布を取り払う。出てきたのは“刀”だった。ゆっくりと恭介は起き上がり、帯刀した状態で腰を少し落とし、「居合い切り」の構えをとった。

 

「この刀に刃は付いてない。模擬刀みたいなものだ。だが、悪霊によく効く純銀で出来ている。お前が悪霊そのものなら一刀両断。取り憑かれていて身体だけは人間なら……。先に謝っておくが俺は手加減が苦手だから、骨が折れちゃうかもな。さあ、かかってこい」

 

じりじりと恭介と男の“気”がぶつかり合う。まるで達人同士の読み合いの如くお互い視線を逸らさず、また動く事もしなかった。

 しかし、ついにその均衡は破られた。男は再び恭介に向かって走り出す。先程より速い。だが、問題はない。向かってくるなら対処はできる。この壁に挟まれた路地なら選択肢は多くない。真っ直ぐに突進してくるか? 跳躍して上? それとも滑る様に下へ来るか? もしくはまた壁を蹴ってアクロバット奇襲か。何にせよ、恭介に「向かってくる」のは同じだ。だから迎え撃つ。恭介は動かない。奴は逃げの一手を打たないからだ。それは恭介の目に映る、男の怒りの炎に似た揺らめきを持つ黒いモヤがそれを物語っていたからだ。

 

 その瞬間、男は地面を蹴ってに飛んだ。そう来たか、恭介は加速して飛び込んでくる男に向かって研ぎ澄まされたその抜刀術で迎え撃つ。恭介の刀は正にいま抜かれようとし、鞘から覗くその白光を放ちながら刃が見えた時だった。

 

「恭介さんっ」

 

不意に、路地の入り口で自分を呼ぶ声がした。意識は一瞬、その声の方へ。彼女は今回の依頼人である明里あかりだ。

 

「なんで君が!」

 

 恭介はそこではっと我にかえった。まずい、一手遅れてしまった。飛び込んで来る男からその意識が一瞬逸れた時、勝負は決してしまったのだ。今から刀を抜いても遅すぎる。刀のリーチを計算に入れ、どう考えても振り遅れるか躱されてしまう。

 ならばと、咄嗟に恭介は身体中の全ての力を抜いた。ぱたりと糸の切れた人形の様に地面に倒れ伏す。しかしお陰で飛び込んでくる男を鼻先すれすれでやり過ごしてみせた。男は、恭介を跳び箱の様に飛び越えてその勢いのまま路地の壁に激突した。それを見届けると、恭介はすぐに飛び起きて振り返り、明里に向かって叫んだ。

 

「だあっ、何しに来たんだ君は。今夜は外に出るなと言っただろう」

 

「でも、お兄が!」

 

「お兄? 景虎がどうかしたのか」

 

 また恭介はミスを犯してしまった。明里の話に気を取られて男への意識と警戒を緩めていたのだ。壁に激突した男は既に起き上がって体勢を整えていた。そして真っ直ぐに路地の入り口に立つ明里に向かって突進していく。

 

「待て、その子に手を出すな!」

  

恭介は叫びながら男を追う。だが間に合わない。この数メートルのスピードなら相手の方が上だ。

 明里は呆然として動けないでいた。そして、男の魔の手が明里に伸びたと思われたその時──。

 

 

 あの拳は明里を捉える事は無かった。男は、明里を肩で突き飛ばしただけで後は何もせず路地を出て走り去って行ったのだった。

 恭介は明里が倒れる前にやっと追いつくと、その身体を支えた。

 

「大丈夫かい、奴には何もされてないか?」

 

「あ、はい。あの、恭介さん。今の人……」

 

           

            


 景虎へ

 

 春頃は毎年家族で水族館行くのが恒例行事だったよね。

 最近は水族館行ってる?

 明里をたまには連れて行ってやりなよ。

 それとも、彼女でも出来た?

 そしたら母さんに紹介しなさい。

 いま、うるせえよ。とか思ったでしょ?

 文句があるなら帰ってきて直接言いなさいよ。

 

                 母より





────その③につづく

 

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