「バースデー・カクレンボ」その⑥
6
景虎はここまで話し、一息ついた。何となく告解室の天井を眺めてみたが、特にいつもと変わらなかった。ただ薄暗いだけだ。
「この話って〝懺悔〟って言えますかね? 罪の告白ではないですけど」
景虎はふと不安になり、壁を挟み反対の部屋にいる司祭、すなわち神父に聞いてみた。神父は仕事中なのだ。こんな一風変わった世間話を聞かせてしまい、少し申し訳なく思えてきた。
だが神父はあくまでも優しく対応した。
「今は神ではなく、私と話しているのではなかったですか? それに、必ずしも罪の告白とは限りませんし、どんな話でも構いません。さあ、よろしければ、抱えているものを全て話してください」
景虎がここへ来て「懺悔」、つまり仕事の話をするのは、正気を保つためだった。神だの悪魔だの悪霊だのと「実在する」超常的現象に対峙するたび、景虎は思うのだった。
『これは全て俺の妄想で、本当は何も、実在しないんじゃないか。俺はまた頭がおかしくなったんじゃないのか』
もしくは、自分の中のどこか奥深くでそう願っているのかも知れない。全部妄想ならば楽だと景虎は個人的に思う。全てから逃げてベッドで横になり眠りにつく。そうすれば安息が訪れるんじゃないか。
だが、現実はそうなってはくれない様だった。今のところ景虎は正気を失うことはできていない。生きて苦しみ、乗り越えて進む事。それは逃げられないことなのだと確信せざるを得なかった。
だから景虎は一つの仕事が終わるたびにここへ来てその仕事の話をするのだった。正気を保つために、まだ自分が正気なのかを確かめるために。誰かに話して「君はいかれてなんかいないよ」と言ってもらうために。
「それで、その「めい」という少女は救われたのですか? いえ「さつき」と「夕奈」もですね。彼女らは無事に辿り着けたのですか?」
神父は先の話を促した。そして、それと同時に小窓から銀色に輝く物体が景虎の側に2つ差し出された。純銀製のそれは、美しく精巧な十字架と翼の彫刻が施されたナックルダスター(メリケンサック)だった。景虎はそれを受け取るとスーツの内ポケットに入れた。
「どうも。ぼろぼろの銀の塊がこれになるとは、やっぱアンタは仕事が早いな」
「それは恐縮です。ですが、これで私もまた罪を犯しました。神に仕える身でありながら、人を傷つける武器を作ってしまいました」
神父の姿は見えないが、察するに祈りを捧げているようだ。景虎は神父に武器を作らせた事の方を懺悔した方が良いかもな、と自分で自分が面白くなった。
「悪霊や悪魔を人だと思うならそうかもな。まあ、それは後で懺悔でも何でもしてくれ。今は「めい」が最後どうなったのか続きを話すぞ、聞いてくれ」
◯
凰船商店街から少し離れ、人通りの少ない暗い路地に景虎は連れて行かれた。そこは街灯が弱い光を放っているだけの場所だ。景虎が言うことを聞かないので痛めつけようということだろう。景虎を含めた六人は適当な位置で立ち止まった。
「どうなってもしらねえぞ」
景虎が言うと、暴力団と思わしき男のうち一人が殴りかかってきた。その一つの街灯に照らされながら景虎と五人の男たちの格闘は始まった。
────。
男の一人が景虎の拳を「ワンツー」と二発もらって尻もちをついた。あと四人。景虎は頭で数える。
するともう一人の別の男がその隙を突き、景虎に体当たりをしかけ、そのまま押し出す様に体勢を崩させる。景虎は路地の壁に顔と頭を擦られて鈍い痛みを覚えた。だが歯を食いしばる。複数人を相手にする時は特に拘束されてはいけない、袋叩きに遭う。それは実際に格闘技でどう考えられているかは関係なく、経験でそう判断していた。
こういった時に力で抵抗すればさらに大きな力で返される。景虎は大きく息を吸い込んだ。そして、背中側から景虎を壁に押し付ける男の力の流れに集中した。その力が弱まる一瞬の隙をつき、身体を捻って拘束から逃れ、そのまま遠心力を利用して男の横っ面にボクシングの「フック」の軌道で拳を放った。男の頬に拳がめり込む手応えがある。そしてその衝撃でのけぞった男の腹部に横蹴りを突く様な軌道で蹴込み、追撃した。
その男は背中から倒れてうめき声を上げている。これであと三人。そして、二人、一人と、途中で反撃を受けながらも景虎は確実に倒していく。だが、急いでいた。こんなことをしている場合ではない。すぐにめいを探さねばならないのだ。
ついに最後の一人が倒れる。景虎はすぐにその男に跨って二、三発ほど顔面に拳を見舞わせた。すると殴られた男は力無く血の混じった息を咳き込んだ。どうやら終わったようだ。景虎はそれを確認すると、ゆっくりと起き上がり体を伸ばす。今さら鈍い痛みが少しずつ身体全体を伝わってきた。
辺りには痛みに悶えたり、気を失っている男たちが街灯に照らされながら地面に横たわっている。それを確認し、景虎はジャケットについた汚れや血を鬱陶しそうに手ではらった。口の中もひりひりと痛む。多分切れているのだろう。
──そして、ふと左手を血が伝っているのに気がついた。最初それは殴った事による相手の血だと思った。だが、どうやら違うらしい。これは自分の出血だ。左腕の辺りが浅く刃物で切られた様になっている。当然その部分のスーツは破れ、血が滲んでいた。誰かナイフを使っていたか?いや、もはやそれはどうでもいい。貯金して買った高級ブランドのオーダーメイドスーツが台無しだ。
「この野郎、ふざけんなよ。俺のは十三万円のスーツだぜ」
景虎が思わずため息をついたその時だった。背後から不意に声をかけられた。
「そこまでだ坊や。だが、見事なものだ。何かの格闘技かな?」
景虎は反射的に声の方を向く。そして向いた時には既にファイティングポーズで構えていた。
街灯の外の暗闇からゆっくりと背の高い男が現れる。街灯に照らされた男は若く、彫りの深い整った顔立ちをしていた。目元には細めのスクエア型眼鏡がかけられていて、知的な雰囲気を演出していた。そして、その手には拳銃が握られ、標準は景虎に向けられている。
「君なら弾丸を躱せるかな」
「俺が躱すより、アンタが的を外す確率の方が高いぜ」
景虎と男の視線は交差した。そして、その数秒の睨み合いの後、先に構えを解いたのは男の方だった。男は拳銃をスーツの中に仕舞うと急に穏やかな雰囲気になった。
「冗談だよ、反応を見たかっただけさ。先程は私の部下が手荒な真似をして失礼した。そこでノビてる連中のことさ。彼らは暴力を振るうしか能のない古い人間なんでね」
男は楽しそうに、倒れている自分の仲間たちに一瞬だけ視線を送った。そしてすぐに景虎にその視線を戻す。
「私は佐竹という。真琴組の者だ。君は『
「だったらなんだ、急いでるんだよこっちは。お前らと遊んでいる暇はねえんだ」
「助けてほしい」
佐竹は簡潔にそう告げた。
◯
景虎と佐竹の邂逅より一時間ほど前──。
八咫超常現象研究所の応接ソファに男は座らされ、向かい側には咲耶と紫苑が座った。
中年らしいその男は、がはは!と喧しい笑い声だった。そして出された麦茶をがぶ飲みするとまた話し出した。先程からこの繰り返しだ。
「参りましたなあ。まさか「めい」さんがまだ帰ってないってんですから」
「はあ、そうですねえ」
咲耶はとりあえず愛想笑いをしておいた。するとその男はじろりと咲耶の綺麗に整えられたボブヘアを舐めるように見た。その髪は直毛で「サラサラ」。当然、かなり気を使って手入れしている自慢の髪だ。見られて恥ずかしい筈はないが、いやらしい視線は不快に思える。
「いやあ、所長さんお綺麗ですなあ! その髪型あれに似てますね、ほらあれ。あのバンドマンの、ほら、あれ。いやあ、シンガーソングライターでしたっけなあ、あれですよほら」
「あれ」とか「ほら」とか言われてもさっぱり分からん。咲耶は不快感を顔に出さないよう、笑顔を意識して自分の顔に貼り付けた。実のところ咲耶は大のバンド好きであり、自分もかつてバンドをやっていた。実際にとある女性シンガーを意識した髪型だったのだが、この中年の男に対してその話題を広げる気にはならなかった。
咲耶の隣に座っていた紫苑は見かねて話を進める。
「あのう、キムラさんはめいさんを連れ帰りに来た。という認識でお間違いありませんか?」
「お、そうだった。その話でしたな。そういや、お嬢ちゃんも可愛いねえ。外人さんかな?」
「〝お嬢ちゃん〟ではありません、大人の女性です」
堂々とセクハラを続ける男にやや的外れな抗議をした紫苑。こういう時に景虎がいてくれたら──……。
「セクハラだぜ、おっさん」
……──さぞ、気分が晴れただろう。咲耶は現状を見て頭を抱えた。
この中年の男、
生前の頃の名は木村といい、かつて日本の景気が今よりずっと良かったころ、彼は大企業の要職に着いていた。若りし頃の木村は正義に燃え、よく働き、会社や家族の為に最善を尽くす立派な男だったという。
しかし、時代の流れや自分自身が歳を重ねることで彼の心境に変化が生まれてくる。
「真面目に働くのは馬鹿らしいや」
既に、彼は若い頃の有能さと人望の後押しもあり会社内ではその権力を絶対なものにしていた。で、あるならば何故に馬車馬のように働かなくてはならない? もっと楽を、甘い蜜を吸っても良い筈だ。いや、今こそがその時。つまり好奇である。木村は自分自身でそう結論付けた。
それからの木村は仕事を徐々に手抜きするようになる。慕ってくれている部下には優しくするし、期日までに仕事はこなしてみせるが、明らかに以前の彼とは雰囲気が違っていた。そして彼は、〝性〟に溺れた。
ある時、木村は売春に手を出した。女子学生を三万円で買ったのだ。それは、妻との関係に冷えを感じ始めていたからか、大事に育てた一人娘が嫁いで行ってしまったからか。理由は今や分からなくなった。だが、木村が間違いを犯し、それにハマったのは疑いようがなかった。
それから木村は会社でも、新人や部下で気に入った女性社員がいるとセクハラや体の関係を強要するようになる。
いつしか、木村にかつての勇姿は無くなり風貌までが「狸ジジイ」然としてきた。その最後は実に呆気ない。会社は告発により性加害がばれて解雇となり、浮気とその解雇が原因で夫婦喧嘩。その末、三十年連れ添った妻に包丁で刺されてその生涯を終えた。
死んで地獄の審判を受けた彼は不貞の罪により、〝地獄道〟を言い渡された。責め苦を逃れる代わりに地獄の役所で死してなお、鬼として、皮肉にも馬車馬の如く働いている。先日、咲耶と例の〝黒電話〟で通話したのも
そして今回は自分の管轄内の「めい」がお盆に現世帰省して以来、二ヶ月ほど行方を眩ませている現状により駆り出されたのだ。そして、現世でめいを探しているこの研究所の情報を聞きつけて先程押しかけて来たところだった。どうやらを協力を得たいらしい。
「本当は天国の奴らの仕事だってのに、面倒な仕事は全部、地獄に回ってくるんだから……。で、おたくの進捗はどんな感じですかな。私としてもね、悪霊になられちゃうと始末書案件になっちゃいますし、退魔師とか派遣要請しないといけないしで仕事が増えて都合が悪いんですわ。ほんとに、困った姉妹ですよねえ」
鬼村はワイシャツで包まれたビール腹を撫でながら本当に迷惑そうにそう告げた。それを見て咲耶は頭に血が昇る感覚がした。腹が立ったのだ。この男が「めいとさつき」の何を知っているというのか。自分だってよくは知らないが、少なくても知ろうと努力している。ここは、誰にも信じてもらえず、手を差し伸べてもらえなかった者が訪れる最後の場所だ。依頼人の事を、その気持ちを考えればこんな態度になる筈はない。普通に考えれば確かに迷惑だ。だが、この仕事に関わる自分たちがそう思うのはプロ意識が低い。
「だから役所って嫌いなのよ」
咲耶は聞こえないくらいの声でそう呟いた。鬼村はやはり聞こえていない様で、変わらずどうでもいい話をべらべらと話している。「地獄耳」とは閻魔大王だけのものだったようだ。
もう限界だ。咲耶は立ち上がって目の前のガラステーブルに片足を乗せた。ガラスとヒールが擦れて「カカッ」と音が鳴る。鬼村は驚いて目を丸くし、黙って咲耶を凝視している。紫苑も同様だった。
「さっきから人が黙って聞いてればベラベラと、なんだよてめーはよ。やる気あんのか! 電話口でも言ったはずよね、それがアンタの仕事でしょう! もういいです、お引き取り下さい。めいさんは我々が責任を持ってあの世に送り返させて頂きますので、鬼村さんはお茶でも飲んで休んでらしたら?」
「いやあ、そう言われましてもなあ。私が連れて帰らないとお上に何て言われるか……もうすぐ査定の時期なので出来るだけ私の手柄にしたいんですよ。あと一億年近く地獄で働かないといけないので。この意味、分かってくれますよね?」
分かってたまるか。この期に及んで自らの保身と利益の事しか考えられないとは。咲耶はもはや呆れた。だが怒りは収まらずむしろ頂点に達した。咲耶は足をゆっくりテーブルからどけて、きょとんとしている鬼村を睨んだ。
「先に謝っておきますね、ごめんなさい。では、失礼して……。帰れって言ってんだよ! 早くここから出てけ! それから勢い余ってくたばれ!」
その物凄い剣幕にはさすがの鬼村も怯んだ。そのまま咲耶は地獄の鬼顔負けの勢いで鬼村を研究所から閉め出した。鬼村は何やら文句を言っていたが、そんなものは無視した。
扉を強めに閉め、肩で息をする咲耶を見て紫苑は「おおー」と感嘆の声を上げてしまった。
「地獄の鬼に〝くたばれ〟なんて。少し言い過ぎたかしら。ねえ、私の化粧崩れてる?」
咲耶は振り返り、紫苑に苦笑いで聞いてみた。すると紫苑は優しく微笑み返す。
「いいえ、所長さん。とてもお綺麗ですわ。私たちで頑張ってめいさんを見つけましょうね」
紫苑の言葉に「私は間違っていなかった」と自信を得た咲耶は張り切って作業を再開した。さらに、大見得を切ったからには確実に『八咫超常現象研究所』でこの件を解決しなければならない。
咲耶は決意を新たに凰船町の行方不明者リストを捜査する。そして、地獄では八咫咲耶を『凰船の狂犬』と呼び、恐れることになるのだった。
────その⑦へ続く
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