14話 わたしを許さない人(後編)

 午前ごぜん4時30分。

 かみ大鏡おおかがみざか三丁目一番地。

 飾見かざりみ坂よりもさらにゆるやかな坂道さかみち中腹ちゅうふく

 シンシンとゆきもっている。

 第五から第九ぼう区の大規模だいきぼ火災かさい影響えいきょうけずに、熱気ねっきはいすすざっていない、しろゆき結晶けっしょう手袋てぶくろうえちて来る。

 家庭かていよう除雪じょせつロボのなかでも、おおがたのロボ。積雪せきせつ感知かんちして除雪を開始かいししようとするが、「国家こっか非常ひじょう事態じたいのため使用しよう制限せいげん」で自動じどう停止ていししてしまう。


 三角さんかく屋根やね屋敷やしき。雪が積もっていて、屋根のいろはよくわからない。

 ジャンプだいし。もちろん、一般いっぱん住宅じゅうたくだから、ジャンプ台なんてあってもこまるけれど。

 こうして、普通ふつうぎるおうちに、「あのひと」がんでいるなんてしんじられない。時代劇じだいげきにありそうな武家ぶけ屋敷やしきなんかが似合にあいそうだもんな……。


 玄関げんかんドアのかぎっていないのに、「ただいま」なんてへんだ。

 表札ひょうさつは、フルネームじゃ無い。

 家名かめいだけ。「水際みずぎわ」。

 ここは、一年半まえからえなくなって、そして、いつのにか空軍くうぐんめていた水際みずぎわ 白羽しらはおう次郎じろう准将じゅんしょうのお家。

 室田むろたさん情報じょうほうでは。北部ほくぶ方面ほうめん部隊長ぶたいちょうから辞令じれい異動いどうになって、准将になって、空軍を辞めちゃった。

 傷病しょうびょう退役たいえき軍人ぐんじん協会きょうかい所属しょぞくでは無いから、名誉めいよ除隊じょたい・(普通)除隊・名誉除隊のどれか。


 リンゴーン。リンゴーン。

 豪華ごうかなチャイムおんひびいた。

 しばらくして、ガチャッと応対おうたい開始かいしこえるおとがした。

「ごめんください。

 わたしは……室田さん、名前なまえ、もう使えないんですよね?」

 一条いちじょう 白黒ものくろ有栖ありす名乗なのることはもう出来ない。

 今のわたしは法的ほうてきには、名無ななしの孤児こじだ。


「うん、使えないし。もう、使わないほうがい」

以前いぜん世話せわになりました、れいです」

 一年半前の識別番号しきべつばんごうは、四五八九ノ八ト一二ノ四六七二二三一ノ〇〇〇〇〇〇〇〇。そこから、八ツ零とばれることもあった。


わたしは傷病退役軍人協会飾戸支部しぶ所属しょぞくの室田ともうします。少々しょうしょう、お時間じかんをよろしいでしょうか?」

 <おちください>

 あっ、制服せいふくていない。

 ……たりまえだ。


 水際准将が玄関ドアをひらいて、……出迎でむかえてくれているようだ。

早起はやおきですね」

馬鹿者ばかもの

 国家の非常事態に、惰眠だみんなどありえない。

 はいりなさい。

 けたままだと、ゆきが入るだろう。

 室田さんもどうぞ、お入りください」


 かたに積もった雪をはらってから、お家の中に入る。

 家中いえじゅうあたたかい。気密性きみつせいたかい家。

朝早あさはやくにごめんなさい。

 お邪魔じゃまします」


 毛玉けだまが一つも無いのか、わかりにくいのか。はいいろくろがらが入ったセーターを着た、水際准将は応接間おうせつまのソファーにすわるよううながしてくれた。

御前おまえなにをやっても上手うまくいかない。

 だが。まれった御前のしつだとしても、あきらめることは私がゆるさなかった」

「ごめんなさい」

「諦めなかったのに、何故なぜあやまる?」

「御前は上手く出来ないが、最後さいごまでげない。

 私は逃げて、このざまだ。

 さあ、おちゃんだら、一条工房こうぼうかえりなさい。

 室田さん、おくってやってください」


「ごめんなさい」


「だから、何故御前は謝る?」

「おじょうちゃん、私がおはなししようか?」

「室田さん。この子には一条いちじょう 白黒ものくろ有栖ありすという名前なまえがある。せっかく、実父じっぷともえんれて、養父ようふとも関係かんけい良好りょうこうだ。

 このへんぶのはやめてもらいたいのだが」

 室田さんは水際准将のもうたいして、返答へんとうしない。

「室田さん。自分で、えます。

 上手く言えないとおもいますが、自分で説明せつめいしてわたします」


「そもそも。

 何故、ここへ来て最初さいしょに、八ツ零などと名乗った?

『一条 白黒有栖』と名乗らなかった?」


 水際准将はまだらないんだ。

 でも、話すのはわたしのことだけ。

 水際准将とわたしの大事だいじなこと。

「わたしには、父親ちちおや母親ははおやもいません。

 孤児状態のわたしには、おや必要ひつようです。

 水際准将、わたしの親になってください。

 これはわたしの養子縁組ようしえんぐみに必要な書類しょるいです。

 サインしてください」


たしかに、養子縁組の公文書こうぶんしょだ。

 ……一条 北天夫妻は亡くなったのか?」

「はい、本物の書類です。

 いない親の安否など、説明のしようがありません」


 水際准将はその不足ふそくした説明で、すべてをれてくれた。

「たとえ、この瞬間しゅんかんから日本国が滅亡めつぼうしようが。

 公文書がただの紙切かみき同然どうぜんになろうが。

 私は御前の親になれるし、親であり続けるぞ」


「おかえり」


「……ごめんなさい」


 だまっていた室田さんはきゅうに書類をテーブルのうえひろげ始める。

「水際准将、感動かんどうひたひまはありませんよ。

 もう、機密きみつ文書が続々ぞくぞくつくられています。

 今回こんかい岸野きしの・飾戸空爆くうばく一夜いちやきたことのおおくは国民こくみんかすことは出来ないでしょう。

 あまりにも、刺激しげきつよぎますから」

 室田さんはサインが必要な個所かしょにペタペタみず色の付箋ふせんっていく。

「何故、急ぐ?」

 水際准将はまよわずスラスラとサインしながら、急ぐ理由りゆうを知りたがる。


「わたしが改名かいめいを強くのぞんでいるからです。

 親も今までの名前もてました」

「親は子の名前をかんがえるでしょ。

 さあ、さあ。

 おじょうちゃんのパパさん。

 かんがえてください」


 あっ、室田さんが促したけれど、駄目だめだ。

保留ほりゅう」ってはっきり言ったよ。どうしよう……。


冗談じょうだんですよね?」

 ほがらかな声色こえいろなのに、室田さんはしぶかおをしている。

「これだから、りく軍はおかたいな」と水際准将も一言ひとことおおい。

「『隕石いんせき』の異名いみょう伊達だてじゃありませんね」

 室田さんも大人気おとなげない。

 この人に「隕石」なんて、めんかって言えるのは、この国じゃ、だれもいないはずだったのに。



 わたしがうつむいて、目蓋まぶたじていると。

 だれかに右頬みぎほほでられた。

 ビックリして、キョロキョロしてしまう。

 目の前には、一枚のかみ


[命名 水際 淡白山脈]


「みずぎわ たんぱくさんみゃく?」

 絶対ぜったい仮名がなちがう。

 でも、音読おんよみでしか読めない。


「水際 淡白山脈といて、『みずぎわ あわしろやまなみ』とむ」


めいめい みずぎわ あわしろやまなみ


 すべての文字もじに読み仮名をってくれたのは、わたしのちちになってくれた人。

 一年半前も、わたしが読めなかった空軍の文書に読み仮名をきこんでくれた人。

「命名は読めます!もう、小学校五年生ですよ。

 ……これ、おがりの名前じゃ無いですか?」

嗚呼ああ

 御前のために考えた」

 そう言われて、はなおくがツーンとしてくる。

 どうして、うれしいのに。

 なみだが出そうになるんだろう。


「わたしだけの名前?

 ……はしゃいで、ごめんなさい」

 おおきながわたしのがみを撫でる。

「ヘアドライヤーを使いなさい」

「いきなり、むすめあつかいしてくれるんですか?」

いま体調たいちょうくずせば、山脈やまなみ展開てんかいしている融合ゆうごうたいはどうなる?」

「そうですね。のこり……十から七引いたら、三で。

 三時間えれば、飛行ひこう禁止きんし区域くいき解除かいじょされます」


 あっ、父になったばかりの父をはじめておこらせた。

「空軍の機密を、軍を辞めた人間どもの前で、ベラベラしゃべるな!」

 しまった!

 でも、質問しつもんして来たのは、准将じゃん!

「傷病退役軍人も予備役よびえきとしてりもの競走きょうそう状態です。

 大事だいじな娘さんをしからないであげてくださいね」

 室田さんは用事ようじんだので、ソファーから立ち上がった。


 室田さんと一緒いっしょそとへ出る。

 でも、わたしは装甲車そうこうしゃらない。

 父と一緒に、玄関前で室田さんを見送みおくる。

「室田さん。娘をみちびいてくださってありがとうございました」

「いいえ、装甲車のついでですからお気になさらず」

 室田さんは父がサインし終わった書類を大事にかかえて装甲車に乗って、行ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る