第195話 馬超、三度、立つ
ついに雒城まで落とされると、成都では蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
いよいよもって、国家の滅亡が近づいてきたのではないかと、劉璋の近臣は誰もが憂慮する。
その中、従事の
「劉備は葭萌関より西の穀倉地帯を兵糧として、あてにしています。刈り取られる前に田畑を焼き尽くせば、糧食が枯渇し、雒城で立ち往生となるに相違ありません」
痩せても枯れても成都は州都である。簡単に制圧することは困難で、攻城戦は長期戦となるのが必至。
そこで劉備軍の命の源になる兵糧を断とうというのだ。
しかし、劉璋は首を横に振る。
「その穀倉地帯で生命をつないでいるのは、劉備軍だけではない。そこに住まう者たちも困窮させてしまうような策は用いたくはない」
国を守るには、劉璋は優しすぎたようだ。鄭度の進言は、間違いなく劉備の急所を突いたものだったが、採用されなければ意味がない。
献策した鄭度は、失意を抱いたまま、劉璋の元を離れるのだった。
ここで、打つ手に窮した劉璋は、張魯に援軍を求める考えを披露する。
張魯から守ってもらうために、劉備を招聘したというのに、これでは本末転倒だ。
だが、他に打開策を見いだせない今、劉璋の案に乗るしかないようにも思える。
「いえ、張魯では劉備に対抗することはできません。ここは、馬超殿を引っ張り出すしかないでしょう」
さすがに劉巴が劉璋の考えを否定すると、益州でも有名な馬超の名を挙げた。
一説によると、張魯が益州を攻めると言いながら、一向に攻めてこなかったのは、馬超が張魯の元を離れたからだという。
馬超を失ったくらいで、益州の侵攻に尻込みする張魯が、劉備の相手になるわけがないのだ。
ならば、張魯が強気になれた理由である馬超に直接、依頼をした方がいいと劉巴は説く。
劉璋も馬超の勇猛さと、曹操をあと一歩のところまで追いつめた実績を承知していた。
喜んで、劉巴の意見に飛びつく。
「そ、それだ。今のこの窮地を脱するには馬超殿に頼るしかない。すぐに連れてまいれ」
「馬超殿は、現在、涼州の武都郡に潜伏していると聞きます。ぜひともご協力をいただきましょう」
劉璋の了解が得られたため、馬超を迎え入れる人選に劉巴は入った。
そこで白羽の矢が立ったのは、益州南部の豪族の一人、
李恢は弁舌巧みなこともさることながら、異民族との付き合いにも慣れていた。
氐族に匿われている馬超を勧誘するにあたって、うってつけの人物と思われる。
任を受けた李恢は、僅かな供を連れて武都郡を目指すのだった。
武都郡に着いた李恢は、まず氐族の族長に挨拶する。
馬超の所在を知るには、氐族の心証をよくしておく必要があるからだ。
「南中の李恢と申します。今回は益州牧劉璋さまの使いでやって参りました」
南中とは益州の南、南蛮の異民族と共生社会を営んでいる地域。
李恢はそこの豪族の一人だと自己紹介することで、印象をよくしようとしたのだが、あからさま過ぎたのか、族長は苦笑いしている。
元より、益州と敵対するつもりがない氐族としては、李恢を丁重に扱うのだった。
但し、馬超を引っ張り出すのは難しいとも告げる。
「何か理由がおわりですか?」
「馬超さまのお屋敷に行けば分かりますが・・・、今も張魯殿の使者を追い返しているところでしょう」
族長の話では、ここ数日、毎日のように張魯の使者が馬超の元を訪れているとのことだった。
ただ、その度に怒鳴り散らさせれて、散々な目に合わされているのだという。
それは、まるで屋敷から外の世界に出ることを拒絶しているかのようだと、族長は語った。
李恢は、今さら張魯の使いが来ていることに驚くが、そこまで拒否する馬超の心理も分からない。
とにかく、屋敷まで案内してもらうことにした。
「何度来ても同じだ。どうしても俺を呼び戻したいのなら、楊白の首をここに持って来い」
「そのようなことは、できませぬ」
李恢が屋敷に近づくと馬超の怒鳴り声が聞こえる。それにしても、楊白の首を持って来いとは、また、無茶なことを言っていると思わずにいられなかった。
楊白とは漢中において要職を占める楊一族の中心人物。
そのような人物の首など、無理にもほどがある。
馬超が出奔するきっかけとなったのが、馬超の能力を疑った楊白が張魯に讒言したからだと聞いたが、その確執は深刻なようだ。
噂では、張魯の娘を馬超に娶らせようとしたのを止めたのも楊白だと聞く。
両者の溝は深く、埋めることは到底不可能だと思えた。
李恢は、何だが張魯の使者が憐れに見えてくる。
不可能な任務を仰せつかり、怒鳴られるために毎日通っているのだろう。
とはいえ、自分も同じ目に合うかもしれないのだ。
張魯の使者の面談が終わるのを待ちながら、どう口説き落とそうか頭を捻る。
馬超のこの状態は、想定外だったのだ。
張魯の使者は、ついに馬超に殴られたのか、顔を抑えながら屋敷を飛び出す。
一瞬、李恢に視線を送り、その来訪の意図を察するが、首を振って見せた。
『話すだけ、無駄だよ』と言ったところだろう。
李恢は生唾を飲んだ。
勢いに乗って、馬超も屋敷の外に出て来る。そこで、族長と李恢の姿を認めると、訝しい顔を見せた。
族長の手前、さすがに李恢に対して、怒鳴ることはしなかったが、歓迎もしない。
「俺に何かようか?」と、話し方も素っ気なかった。
ここで李恢は、益州の劉璋からの使いだと告げる。
馬超も劉璋に対しては、悪い印象は持っていないのか、李恢をそのまま屋敷の中へ招き入れるのだった。
「それで、益州牧が俺に何のようかな?」
「ただいま、益州は未曽有の危機に陥っております」
劉備に攻められていることは、馬超も知っている。李恢の発言を鼻で笑った。
「そんなの自業自得だな。鶏を割くのに牛刀を用いるからだ」
「当初、貴方が張魯側に属していると思っておりました。劉備に頼んだのは、そのせいです。まぁ、こちらの諜報が不足していたせいですが・・・」
劉備に攻められているのが、馬超のせいだと言わんばかりの言いように、不快感を示したので、最後の言葉を李恢が付け足す。
それでも馬超は納得している感じはしなかった。
用向きを早く済ませるように、李恢に促してくる。
「ぜひ、馬超殿に合力いただきたい」
「ふん、知るか」
馬超に勝てると見込んで呼んだ相手を、今度は馬超に倒してほしいでは、道理が通らない。
それに、そんなことをしてやる義理も馬超にはない。
最初に話した、自業自得がまさにぴったりなのだ。
「私が馬超殿に加勢をお願いしているのは、何も益州のためだけではありません」
「他にも理由があると?詭弁を弄するな」
これから李恢が話すことは、確かに詭弁かもしれないが、李恢が本当に思っている真実でもある。
今から、話す理由が気に入らないのであれば、得意の槍で一突きにしてもらっても構わないと、李恢は前置きした。
そこまで、言うならば馬超も聞くだけ聞いてやると答える。
「私は、このまま貴方の才能が地に埋もれるのが、たまらなく悔しいのです」
「何だと」
馬超は瞬間的に、鞘から剣を抜いた。白刃が李恢に突きつけられる。
しかし、李恢は怯むことはなかった。
「そうではありませんか。貴方はこのままでは、曹操に敗れ、楊阜に敗れ、余生を僻地で過ごした男と歴史に記されますぞ」
「むむむ」
「何がむむむだ。貴方は涼州人としての血も枯れてしまわれたのですか?」
思いもかけずに馬超が激高し、抜き身を突きつけたのは、自身が気に病んでいた部分に触れられたから。
ここで、更に追い打ちをかけて、具体的に話されては、馬超もこの問題に向き合うしかなかった。
「当代の英雄、劉備玄徳とその臣、張飛益徳もしくは趙雲子龍。貴方が再び戦場に戻る相手として、これ以上はないと思いますが、いかがか?」
馬超は剣を鞘に戻すと、目を閉じて考え込む。
そして、突然、笑い出すのだった。
「よく回る口だな。・・・しかし、今はその口車に乗ってやる」
「おおお、それでは」
馬超が立ち上がる。すると、すかさず控えていた馬岱が愛槍を手渡した。
「劉備の元へ案内しろ。俺が奴を討ち倒してやる」
「承知いたしました」
馬超、三度立つ。この情報に氐族、羌族の若者たちも大いに騒めいた。
これまでの戦乱での疲弊もあり、武都に集まったのは千人程度だが、それでも十分。
こうして馬超は、歴史の表舞台に舞い戻るのだった。
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