第194話 劉備の危機
張任を討った劉備だったが、その後、劉循の予想外の抵抗にあって、雒城の攻略は進んでいなかった。
雒城を守るのは劉循と劉璝の二将だが、彼らは劉備の挑発には応じず、城からは一切出てこない。城門を固く閉じると、矢のみの応戦で持ちこたえるのだ。
この堅守に龐統を欠いた劉備軍は手を焼くのである。
帰順兵も増え、兵の数では圧倒的有利なだけに歯がゆい思いをする劉備は、軍を分けて四方から攻撃する作戦で勝負に出た。
東門を劉備、北門を黄忠、南門を魏延、西門を法正が担当する。
「皆、配置についたな。行くぞ、攻撃開始だ」
劉備の掛け声とともに劉備軍は、一斉に雒城に攻めかかった。
いかに堅牢を誇る雒城も、四方からの攻撃、全てを防ぎきるのは不可能と思われる。
この作戦で一気に雒城奪取を目論む劉備だったが、ここで計算外のことが起きた。
これまで、甲羅の中に潜む亀のように城の中に閉じこもっていた雒城の守備兵が、突如、門を開いて攻めに転じて来たのである。
しかも、劉備が陣取る東門からの襲撃だ。
この反転攻勢は、全くの予想外で、劉備は対応することができない。
瞬く間の内に陣形を突破され、劉循、率いる部隊が本陣へと迫って来た。
たまらず、劉備は本陣を捨てて、退却するのである。
「これが油断ってやつか・・・まったく、士元に会わす顔がない」
劉備は必死に逃げるが、劉循も追撃の手を緩めなかった。
劉循が城の中でジッと耐えていたのは、劉備軍が兵を分散するのを待っていたのである。
そして、待ちに待ったこの待望の機会が訪れたのだ。そう簡単に逃す訳がない。
逃走する劉備は、いつの間にか単騎となってしまった。はぐれた騎影は山道をひた走るのだが、騎乗する馬にも疲労の色が見え始める。
以前の愛馬、的盧であれば、体力はまだまだ十分だったかもしれないが、的盧はすでに亡くなっていた。今、跨っている馬はそこまでの名馬ではない。
劉備にとって、嫌な流れが続いているように思えた。
「まさか、こんな最後ってのは、ないよな・・・」
思えば、今まで傍には常に関羽、張飛がおり、劉備の窮地を救ってくれていたのである。
一人となった時、こんなにも自分が無力なことを自覚するのだった。また、頼りとなる義兄弟のことを想うと胸が熱くなる。
追って来る蜀兵の声が、徐々に劉備の背中に近づいていることを感じると、いよいよもって、劉備は覚悟を決めた。
目を閉じて、下を向く。
「何だ、長兄。泣いてるのか?」
不意に声をかけられ、顔を上げると、そこには懐かしい虎髯の男がいた。
義弟、張飛である。
夢か、それとも幻を見ているのかと思っている劉備をよそに、張飛は迫る益州兵に向かって行った。
「てめぇら、よくも長兄を泣かせてくれたな」
張飛の丈八蛇矛が炸裂し、一振りで五人ほどの首が飛ぶ。
得物を振り回す大旋回で、瞬く間に二十人は退けた。
まさに獅子奮迅の活躍とはこのことである。
こんな馬鹿げた強さを見せるのは、本物の義弟で間違いない。
劉備は、頼もしい背中を見つめていると、あることを想い出して、赤面した。
「いや、泣いてねぇよ」
「じゃあ、そういう事にしておきましょう」
この声は振り向かずとも分かる。荊州に残っていた簡雍だ。
からかう気満々の笑顔に劉備は苦笑いする。
しかし、これこそが劉備の普段の日常だった。不思議な安堵感に包まれる。
一方、突如現れた猛将に追ってきた劉循は驚いた。あまりにも突然のことに、我を忘れて呆けてしまう。
だが、すぐに冷静さを取り戻すと、これ以上の追撃は兵を損じるだけだと悟った。
ここで劉備を仕留めきれなかったのは、痛恨の極みである。
劉循は悔しさを噛みしめながら撤退していくのだった。
敵兵の姿がなくなり、落ち着いたところで、改めて劉備の元に張飛と簡雍が集まる。
二人の話を聞くと、味方になった厳顔が通過する城主を説得してくれたおかげで、予想よりも早く雒城に着いたという。
とすれば、もし厳顔がいなかったら、劉備の命はなかったかもしれない。
「厳顔殿。貴方の合力、感謝します」
「いえ、お味方すると決めた以上、粉骨砕身でお役に立って見せます」
厳顔の頼もしい言葉に劉備は、重ねて謝辞を送った。
更に援軍としては、諸葛亮と趙雲も雒城に向かっているという。
この二軍が合流すれば、ここから巻き返すことが、いくらでも可能と思われた。
劉備は張飛、簡雍らとともに本陣があった場所へと戻る。
そこには劉備の危機を気づかなかった黄忠と魏延が待っており、主君の無事に安堵の表情を見せた。
本陣を築き直し、体制を整えているところに、諸葛亮と趙雲が率いる軍もやって来る。
これで、役者が揃った。
ただ、その前に劉備は、荊州の援軍の皆に告げなければならないことがある。
それは悲しい訃報だ。
「士元が命を落としてしまった。俺は何としても、あいつのために報いてやりたい」
荊州を発つ前に諸葛亮から、龐統の身が危ういことを告げられていたが、実際に聞くとやはり衝撃を受ける。
そんな中、諸葛亮が前を向いた。
「私は士元から、この戦、益州制圧を託されました。私の智謀の全てを持って、その想いに応えます」
諸葛亮の誓いに張飛、趙雲、陳到らが賛同し、必ず益州を取るという気持ちで一致する。
劉備軍の士気が上がり、天を衝くようだった。
すかさず、諸葛亮が劉備に雒城を陥落させるための策を出す。
しかし、その作戦というのは、劉備が敗れた策と同じく、四方を囲んで攻めるというので、一堂、驚いた。
「孔明、お前を信頼しているが、この作戦には、どういう意図があるんだ?」
「我が君がお疑いになるように、敵も疑心暗鬼となるでしょう。今度は迂闊に攻めてこないと思います」
諸葛亮の言い分はよく分かった。ただ、それだけじゃないように思う劉備は、諸葛亮の次の言葉を待つ。
「さすが我が君。実は攻めてくることを歓迎しています。今回は張飛将軍に趙雲将軍も囲みの中に入ります。正直、どこを敵が攻めようと返り討ちにできる自信があるのです」
諸葛亮は、むしろ攻めてくれた方が雒城の攻略は簡単に終了すると言い切った。
だが、残念ながら、そうはならないだろうとも断言する。
諸葛亮の作戦を採用した劉備は、前回と同様、四方の各城門に担当分けを行った。
東門に劉備と張飛。北門に黄忠、南門に魏延、西門に趙雲を配置する。
そして、一斉攻撃を始めるのだった。
城内の劉循は、この作戦に戸惑うとともに打つ手を見出せないでいる。
諸葛亮という天才軍師が加わったことは、情報として入っており、一度、失敗した作戦を単純に用いるとは思えないのだ。
何かその裏には、必勝の策を持っているという猜疑が拭い切れない。
また、隙をついて攻めようにも、四方を見渡す限り、猛将四人がそれぞれ威嚇のために陣頭に立っていた。
勇気を振り絞って、虎に挑んでも、その後ろに罠を張り巡らされているという疑念を持っては、突撃という考えは、選択肢から消える。
かといって、有効打を見出せない劉循は、弓で応戦するのがやっとだった。
ただ、そんなありきたりな防衛方法では、伝説的な武将である張飛や趙雲が加わった劉備軍の破壊力に耐えられるわけもない。
いつしか固かったはずの城門は破られてしまい、その直後、劉璝が討たれたところで勝負あった。
ついに難攻不落だった雒城が陥落してしまうのである。
城主、劉循は城門が開いた後、攻め寄せる劉備軍と入れ替わる形で、何とか雒城から脱出すると、成都まで逃げ延びるのだった。
劉璋の嫡子である劉循に対しては、不殺の指示が出ていたため、それが運よく味方した形である。
劉循に逃げられはしたが、劉備にとっては、それほど重要な事ではなかった。
それより、成都前の最後の砦を制したことの意味合いの方が大きい。
益州制圧が、もうすぐそこ、手が届くところまで来たのだ。
「皆、残るは成都のみだ。だが、今回の雒城攻めでも分かるように決着が近づくにつれて、益州兵も手強くなっている。最後まで、よろしく頼む」
劉備は雒城、城主の間で諸将を労うとともに、最後の引き締めを図る。
鬨の声で、全員が応えるのだった。
士気旺盛なところを見届けると、諸葛亮は一人、この場を離れる。
雒城の城郭に登ると成都の方角を見つめるのだった。
『士元よ。君の死は、絶対に無駄にはしない。必ず成都をとるので、安心して見守っていてくれ』
伏竜がいよいよ、昇竜へと変貌を遂げる時が来る。
諸葛亮は、つらい気持ちを奮い立たせて、亡き友に向かって、宣言するのだった。
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