第188話 この地は、落鳳坡

ついに綿竹関が抜かれ、残すは雒城のみとなると、成都の主、劉璋は平常心ではいられなくなる。

次々と劉備への帰順者が出る現状に疑心暗鬼に陥るのだ。


目の前にいる臣は、自分を裏切るのではないか?

この献策は、自分を落とし入れるためのものではないか?

見る者、全てをうがった目で見てしまう。


「しっかりなさいませ」

劉巴が叱咤するが、どこか上の空。

どうやら、耳に入っていないようだ。


「私のこともお疑いでしょうか?では、王累殿と同じことをすれば信じていただけますか?」

王累とは、劉備の入蜀を最後まで反対し、自身の死を持って止めようとした文官の名である。


「おおお、王累・・・」

劉璋は、王累のことを思いだしたのか、急に泣き出してしまった。


今にして思えば、彼こそが間違いなく国を想う忠臣中の忠臣。

自らの行動で死なせてしまったが、劉璋にとって、後悔先に立たずとは、まさにこのことだ。


「いや、すまぬ。大丈夫だ。子初よ、情けない姿を見せて、申しわけない」

「いえ、かつてない危機。多少、取り乱すのはやむをえませぬ。ただ、一つここで献策がございます。お聞き届けいただけますか?」

「分かった。申してみよ」


劉巴がここで話したのは、劉備を退却に追い込むための作戦である。

今の劉備の目は、前方にのみに向いているはずだ。そこで、後方の葭萌関を取り返し、前後で挟み撃ちにすれば、さすがの劉備軍も進退窮まるというのである。


「それは妙案に思えるが、そこに割く兵力はあるのか?」

「確かに兵は潤沢にいるわけでは、ございませぬが、一万程度でしたら、何とかなると思われます」


一万と言われても、劉璋はピンとこなかった。

ただ、頼りとする劉巴の意見だけに、その算段には間違いがないのだろうと思い込む。


成都の防衛は、完全に劉巴に任せきっているのだ。

しかし、その一方で、葭萌関を一万で落とせるのかという疑問だけは残る。


「葭萌関を守っているのは、霍峻という将と裏切り者の孟達です。兵力も僅か、千人程度でしょう。扶禁ふきん殿、向存しょうそん殿に一万を預ければ、落とすことは可能かと思われます」


劉巴から葭萌関を守る敵兵力の情報を聞いて安心した。また、守る将の霍峻という名も聞いたことがない。

劉璋は、劉巴の落とせるという言葉を信用した。


葭萌関を取り戻せれば、孟達も成敗できることになる。裏切り者を見せしめとして、処罰できることは、非常に喜ばしかった。

劉備に寝返る者たちの歯止めとすることもできるだろう。


そして、劉備の背後もつけるとなれば、これ以上の作戦は、他にないように思えた。

劉璋は、早速、葭萌関を攻めるために扶禁と向存に出陣の指示を出す。

ついに蜀の反撃が始まるのだった。



成都から葭萌関へ向けて軍が発せられた情報を掴んだ劉備は、龐統に対策を問う。

すると、問題ないとの返答だった。


「今回の葭萌関攻めは、想定済み。霍峻殿であれば、問題なく対処いたします。動きとしては、むしろ遅い方ですな」


龐統としては、もう少し早い段階で葭萌関が狙われると思っていたらしい。

劉璋軍の動きを想定済みと言い放つのは、何とも頼もしい限りだ。

ただ、その後、荊州に使者を送りたいと申し出てきたのには、劉備は驚く。


「何か問題でも生じたのかい?」

「いやぁ、転ばぬ先の杖というやつですよ。ちょっと、孔明ちゃんに伝えたいことがあるので」

「分かった。好きにしな」


話を聞いて、深く考えずに返答した劉備だが、この後、龐統が使者として立てたのが関平だと知り、不思議に思った。

今回、若い関平や劉封を連れて来たのは、経験を積ませるためである。


何もその関平を使者に選ばずとも、他に人はいそうなものだが・・・

まぁ、敢えて関平を使者に選択したのには、龐統の深い考えがあるのだろう。

任せると言った手前もあり、それ以上、この問題にこだわるのを劉備は止めた。


そんなことより、今は雒城攻略に全精力を注がなければならない。

その雒城への道だが、龐統から軍を二つに分けて進軍するという作戦が提案された。

劉備は、この作戦の意図を図りかねる。


「軍を二つに分ける理由って、何かあるのかい?」

「これより難所が続きます。大軍が通れるような道はなく細道が続くため、軍勢を運ぶには、二手に分かれた方が効率がいいのですよ」

「なるほどね」


そこで、軍を指揮する劉備と龐統に分かれることにした。

軍を二つに分けると、劉備隊の先頭は魏延、殿に呉蘭。龐統隊の先頭に黄忠、雷銅に殿を任せることにする。


その他の陣容としては、李厳、費観が劉備隊で呉懿と法正が龐統隊に組み込まれた。

そして、行軍を開始する前に、龐統から注意事項が伝えられる。


「忘れちゃいけないのは、ここは相手の庭だ。狭い山道、どこかで弓兵が狙っているかもしれない。行軍中は、絶えず周りに兵を配置して、敵から狙い撃ちされることを防いでいただきたい」

「分かった。しかし、それは士元、お前も同じだぜ」


当然と龐統は頷いた。

但し、敵をかく乱するために、もう一手打つ。そのため、あまり心配する必要はないと得意満面になる。


劉備は、その一手とやらを聞いた時、龐統の用意周到さに驚いた。

さすがは龐統士元。鳳雛の道号は伊達ではないことを改めて思い知るのだった。



雒城へ続く道は、北回りと南回りの二つの道がある。

話合いで龐統が北回り、劉備が南回りとなった。

それぞれの到着地点は、北回りが雒城の東門、南回りが西門になっているという。


「それじゃあ、雒城で会おう」

「ええ。道中お気をつけて」


主従、雒城での再会を誓い、岐路で別れる。

丁度、三万ずつに分けた軍勢が進軍を開始した。


一方、益州兵を率いる張任に、荊州兵が山道に入ったという情報が斥候から入る。

予想通り、二手に分かれたとのことだが、劉備がどちらの道を通っているかまでは、分からなかった。

もともと伏兵も二つに分ける予定だったため、張任は慌てることはない。


「劉備の目印は芦毛の馬だ。それを目印にすればいい」

張任は、そう指示をすると北回りの道へと向かい、南回りを同僚の劉璝に任せた。


兵を伏すのに最適な場所へ先回りするために、軍を急がせる。

軍を進めながら、張任は気持ちを引き締めた。


どんな手を使っても、ここで劉備を仕留めなければならない。

どのような非難を浴びようとも、国が亡ぶよりはましなのだ。

毒矢の準備も入念に行う。


行軍を急いだ甲斐があって、劉備軍が通過する前に待ち構えることができた。

その場で待機していると、物見からの報告がはいる。


「芦毛の馬を確認しましたが、盾を持った騎兵に囲まれています」


さすがに劉備は用心深く対策を講じてきたようだ。張任は感心するが、劉備がいることが分かっただけでも大きい。

特段、気を落とすことはなかった。

ところが、別の物見から、報告を受けると焦りの表情が生まれる。


「張任将軍、芦毛の馬が他にも二頭います」

「何だと」


しかも、騎兵の盾によって視界を遮られて、守られている者の確認までできないと言うのだ。

これでは、手出しができなかった。


隙をついて、矢を撃つことはできるが、劉備の所在が分からないのであれば、作戦は実行できない。

機会は一度きりで、二度目はないのだ。

確実に仕留めるためには、劉備だと確証を得てからでないと毒矢を放てない。


また、この様子だと南回りにも同様に影武者が用意されていることだろう。

張任は、一か八かの賭けに出るか悩みながら、違う次の襲撃可能地点へと移動するのであった。


山道を進む劉備軍のこの影武者ならぬ、影馬は龐統が用意したもの。

劉備が騎乗する的盧の目立つ特徴を活かした作戦だった。


この芦毛の馬に乗っているのは、北回りは、龐統、呉懿、法正。南回りは劉備、李厳、費観である。

出発前、この五頭の蘆毛の馬を見て、劉備は驚いたのだった。


そして、劉璋から得た老人兵を使って、劉備側も斥候を出す。

経験豊富な老兵たちは、この狭い山道で兵を伏せるに最適な場所を的確に把握していた。その哨戒の結果、先ほどまで劉璋兵が伏していたと思われる跡を見つける。


その報告に龐統は頷いた。

やはり、伏兵を配置していたようである。しかも、襲ってこないところをみると、こちらのかく乱作戦がうまくいっているようだ。


ただ、戦場では何が起こるか分からない。自分の策が、ここまでは有効であることを認めつつ、このまま何事も起きないことを祈るのだった。


ここで、気になる報告を一つ受ける。この先からは更に難所が続くため、全てを哨戒して回るためには、行軍速度を落とさなければならないとのこと。


確かに、地図の上からでは分からないほどの険しさだ。

実際に地形を事前に見ていれば、更に策を工夫できたのだがと、龐統は多少、恨みを込めて山道を見る。


「因みに、ここは何ていう場所だい?」


老人兵は、暫く考え込んだ後に、思い出したように口を開いた。

その地名を聞いた龐統は、一瞬、背筋に冷たいものを感じる。


老人兵が龐統に伝えたのは、「こちらは、落鳳坡らくほうはという場所です。」だ。

龐統は、不吉な符号の一致に言葉を失う。

嫌な予感が重くのしかかるのだった。

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