第27章 晨星落落編
第184話 呂蒙の頭角
孫呉では、その知略と外交手腕によって、孫家を支えた偉大な名臣、張紘の死を嘆き悲しんでいた。
その才能は、曹操も高く評価し、外交で許都を訪れる度に張紘を引き留めようと、あの手この手を駆使する。しかし、結局、彼が選んだのは未熟な若き君主たちだった。
江東の二張と並び称された張昭と同じく、孫策、孫権に臣下として仕えるとともに、時には良き先生役を担い、指導していったのである。
彼の尽力があって、今の孫権があると言ってもいい。
その張紘が最後に言い残したのは、遷都だった。孫権は、その言葉に従って、丹楊郡の
新しい州都で孫権は、彼の遺言ともとれる手紙を読んでは、大粒の涙を流す日々が続いた。
そんな心情などお構いなしに、曹操軍四十万が
いつまでも悲嘆に暮れていては、張紘に笑われるとばかりに、孫権は奮い立つのだった。
直ちに軍を編成すると、自らの参戦も決める。軍の総司令には呂蒙を指名した。
思えば軍事の大黒柱、周瑜を失ってから、初めての大戦である。
これまで呂蒙は、いち武将としての活躍を見せていたものの、総司令を任せるのは初めてのこと。かつて周瑜が務めた職務への大抜擢は、孫権からの期待の現われだった。
孫権は七万の軍勢を率いて合肥の曹操軍と対峙するため、巣湖の反対、濡須口辺りに陣を構える。
濡須口とは、巣湖からの支流・
その陣中で、呂蒙は
塢侯とは、防壁を主とした防砦であり、防衛力に優れた軍事拠点のことである。
以前、合肥で曹操軍と対決した時は、巣湖に陣を布くも、塢侯はなどの防衛拠点は造らず、船そのものを代用し、そこに兵を待機させていた。
水上戦に自信がある将は、船にいた方が攻撃に転じやすいという理由もあって、この方法が好まれていたのである。
呂蒙が提唱した当初も、塢侯は不要という意見が多かったが、ある事件をきっかけに、濡須口に塢侯を造ることが決定した。
それは、孫権配下の猛将・
曹操軍に対抗するため、これまで通り、船上で待機していた董襲は、不運にも夜中、嵐に巻き込まれてしまったのだ。
その時の船上では、怒号が飛び交う。
「流されぬように錨を増やせ」
「やっていますが、それより、船底から浸水が始まっています」
「何でもいい。物を詰めて穴を塞げ」
そう言い放つが、既に傾き出した船では、立て直すのはほぼ不可能だった。
それでも、董襲は声を上げて、必死に指示を繰り返す。
「将軍、もうこの船は無理です。避難して下さい」
「馬鹿を言うな。孫権さまより頂いた大切な船。捨てて逃げることなどできるわけがない」
「承知しました。最後まで、何とか頑張りましょう」
董襲が退避しない以上、誰一人として、船から逃げ出そうという者はいなかった。
船内は董襲を慕う者たちばかりであったため、運命をともにする覚悟は、とっくにできていたのである。
船員、一丸となって、何とか抵抗を試みたのだが、結局、自然の猛威には逆らえなかった。
夜が明けた時には、董襲が乗っていた船は跡かたもなく、水没してしまっていたのである。
責任感の強い董襲だからこそ、起きた悲劇だった。
岸に流れ着いた董襲の遺体を前にして、呂蒙は涙を止めることができない。
『このようなことは、二度と、あってはならない』
そう誓った呂蒙は、塢侯の設置を強く提言するのだった。
戦が始まる前に大きな戦力を失った孫権は、呂蒙の言を採用し、諸将も納得する。
承認を得た呂蒙は、濡須口に大規模な塢侯の建造に取りかかった。
曹操軍の大軍を想定した強固な防砦を設計する。
濡須口には丁度、三日月型の水路があり、呂蒙はそこに
この塢侯の形から、別名
濡須塢が完成すると、濡須口の陸地の本陣とこの塢侯、二つをそれぞれ、攻撃、防御の拠点と定めて、曹操を迎え撃つことにした。
万全の体制を構築した孫権だったが、先手を取ったのは曹操軍である。
長江の西に設営してた陣が、合肥より出陣してきた曹操軍に奪われて、守将・
勢いに乗った曹操軍は濡須塢の手前まで、軍を進める。
敵軍が四十万とあって、迂闊に手を出せない孫権と新たな防砦に警戒する曹操。両者の睨み合いが続く中、またもや天候が悪戯を起こす。
曹操の水軍を迎撃するために出陣した徐盛の蒙衝が、突然の嵐に会い航行不能になったのだ。
そして、船が流れ着いたのは対岸の曹操陣営の近く。浅瀬になっているところで座礁してしまったのである。
敵陣営の真っ只中に、ただ一艘の船が孤立した状態となり、徐盛の部下たちは顔面蒼白となった。
味方の救助も簡単には望めないとあって、皆、一様に覚悟を決める。
不幸中の幸いだったのは、嵐が暫く続きそうだったことだ。
風雨を気にして、曹操軍も徐盛の蒙衝には近づけないでいる。
絶体絶命の船中、諦めていなかったのは徐盛、ただ一人。
部下を叱咤激励すると、雨嵐の中、手勢を率いて上陸し、近くの曹操陣営に斬り込みをかけたのだ。
一度は諦めかけた命。徐盛を含め、孫呉の兵が死に物狂いで戦うと曹操兵は、その迫力に押されて逃げ出していく。
彼らのことを決死隊と見た曹操は、被害の拡大を防ぐため、体制が整うまで手を出すことを禁じる。
徐盛は、こうして小さいながらも拠点を作ると嵐が過ぎ去るのを待つのだった。
その間、座礁した船の修繕と航走できるよう準備だけはしておく。
そして、僅かに晴れ間が見えた瞬間、曹操の軍が押し寄せる前に徐盛は窮地を脱すべく蒙衝へ乗り込んだ。
「急げ、この地から離れるぞ」
徐盛の操る船は、見事に座礁から離脱し、航行を開始すると、間一髪で曹操の追手を躱す。
孫権は、自陣へと戻ってきた徐盛を労いながら、その胆力と武勇を褒めたたえた。
徐盛の気勢に当てられた孫権は、積極的に戦いを挑もうとするが、何故が曹操は乗って来ない。
戦果としては、ほぼ五分の状態の中、亀が甲羅に閉じこもるような曹操の行動に理解できなかった。
そこで、孫権自らが敵情視察を買って出る。
走舸に乗って、曹操陣営に近づく孫権。特に変わったところはなかったが、矢だけは嵐のようにお見舞いされた。
あまりの数に孫権の船が傾いてしまうほどである。
危うく転覆しそうになった時、孫権が機転を利かせた。
「船を反転させよ」
その指示に従い、船の向きを変えると、今度は何も刺さっていない船の側面に矢が突き刺さるようになる。
これで、左右の重さの釣り合いが取れて、船が傾くのを何とか止めることができたのだった。
「よし、それでは、急いで濡須口へ戻るぞ」
両舷の矢の帳尻合わせで航行が可能となると、孫権は何とか難を逃れるのに成功する。
但し、敵情視察としては、何の成果も得ることはできなかった。
本陣に戻ると従兄の
孫瑜曰く、「総大将が軽々しく、前線に出るべきはない。何かあったら、取り返しがつかなくなる」とのことだった。
言っていることは、ごもっともな意見である。現実、成果を得ることもできなかったため、何のために危険を冒したのかという話にもなる。
以降、孫権は孫瑜の意見を聞き入れて、前線に出るのを控えるようになった。
その後、ひと月あまり膠着状態が続くと、孫権は曹操に手紙を出す。
『春は水かさが増し、洪水が起こる。そろそろ退却なさるのが良いと思われる。まぁ、私としては、貴方が亡くなってくれた方が、安心して過ごすことが叶いますがね』
その手紙を要約すると、このような内容が記載されていた。
それを読んだ曹操は、今が退き際かと考える。
早速、退却の準備を始めるのだった。
その際、周囲にはこのようなことを漏らす。
「息子を持つなら、孫権のようになってほしいものだ。そう思えば、劉表の息子など論ずるに値しないな」
曹操が孫権のことを改めて評価していることを群臣は知るのだった。
手紙で誘ったとはいえ、本当に退却する曹操軍を見つめて、孫権は不思議に思う。
それは、赤壁の戦いに近い軍容で攻めて来ながら、あっさり退却する曹操軍の真意を図れなかったからだった。
今回、曹操から受けた被害と言えば公孫陽が捕らえられたこと。
痛手に違いないが、申しわけない言い方をすると、正直、替えは効く将であった。
そう考えると、遠く揚州までやって来て、兵と兵糧を消耗しただけの戦としか思えない。
周瑜が亡くなった後の、孫呉の力を確認しに来ただけなのか?
それであれば、十分に示せたと孫権は胸を張る。
呂蒙が期待通り、頭角を現して周瑜の穴を埋める活躍をしたからだ。
これから、合肥、濡須口は曹操との争いにおける重要地になることは間違いない。
今回、急造した濡須塢は有効であると分かったため、さらに磨きをかける必要がある。
孫権は、この地において幾度となく戦が繰り広げられることを予見し、防備に力を注ぐことを決めるのだった。
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