第175話 法正の算段
荊州南郡
ここが荊州牧・劉備が州都と定めた地である。
遠路はるばる、成都からやって来た法正と孟達は、この地で盛大な出迎えを受けて面を喰らった。
謁見のために通された間では、劉備が中央に座り左右に諸葛亮、龐統の両軍師が立つ。
そして、劉備の前に到達するまでの通路には、歴戦の武将たちが立ち並んでいた。
関羽、張飛、趙雲は当然のこと、黄忠、魏延、陳到にも勇者としての風格が漂っている。
そんな強者たちの視線を集めながら、法正と孟達は劉備の前に立ち、揃って
「長旅で、疲れただろう。宿を用意しているから、まずは休んでくれ」
劉備の第一声に法正は拍子抜けをする。まず、使者として訪れた用向きを確認されると思っていたため、何と話そうか色々、思案を練っていたのだった。
劉備に助力を乞うことは、まだ、確定した訳ではない。そのため、どのような切り口で、どこまで話すのか、匙加減を考える必要があるのだ。
「我々の来訪目的は確認されないのですか?」
「軍の編成は、既に終わっている。後は、お二人で、どうしたいか決めてくれ」
これは、益州の情報は既に筒抜けであり、法正と孟達の狙いにも気づいているということである。
劉備は益州のことを気にかけ、常に情報収集を行っていることが、これだけで、十分、分かった。
もしかしたら、既に宮廷内に間者を忍ばせているのかもしれない。
それであれば、下手な探り合いは、あまり意味をなさない気がした。
法正は、劉備の本質的な考えが知りたいと思う。
「なるほど。では、問いますが、劉備殿は益州を欲っしておりますでしょうか?」
「そんなの欲しいに決まっているだろ。・・・あ」
法正が想定外の質問をしてきたため、思わず素で答えてしまった。
諸葛亮や龐統と、益州からの来客に対して、想定される受け答えの予行演習を行っていたのだが、これで台無しにした可能性がある。
劉備は、変な汗を背中に感じるのだった。
ところが、両軍師は憤っている風もなく、何故か二人ともにこやかに笑っている。
さっきの回答は正解だったのか?と思案に暮れていると、突然、法正がその場に膝をついた。
「劉備殿、貴方さまが、ただの聖人君子きどりの男でしたら、この話はなかったことにしようと思っていました。ですが、芯はちゃんとした野心家のようです。逆に信用に値します」
法正が助力を乞う人物として、劉備の人となりを見て来るというのは、公式の会議で決まったことだ。
ここまでは荊州で、その情報を掴んでいたとしてもおかしくない。
だが、法正や孟達が真に見極めたいのは、劉備の器が益州を託せるかどうかだった。
これは、張松を含めた三人による密談のため、劉備が知る由もない。
表向きただの外交の使者に対して、お前の国が欲しいと言い放ったのだ。
これは、他人の領が欲しいという野望の現れ。噂の仁君像とは、だいぶかけ離れた行為である。
しかし、法正にとっては、その方が望ましい回答なのだ。
何せ、自分たちが画策しているのは、明確に忠義に反する行為なのだから。
まぁ、本音で言うとぎりぎり及第点というところだが、法正は、ひとまず良しとした。
「それじゃあ、お眼鏡にかかったということかな?」
「こちらは援軍を依頼する身。そのような大きなことは言えません」
「まぁ、いい。細かいことは、明日にして、まずは休んでくれ」
劉備は、法正と孟達を下がらせると、諸葛亮と龐統に確認をとる。
「上手くいったようだから、間違いじゃなかったんだろ。何で笑っていたんだ?」
「あの法正殿という方、腹に一物を抱えている様子で、あえてあの言を我が君から、引き出したようです。見事に対応されたので、思わず口元が緩んでしまいました」
諸葛亮の言い方だと、法正は何かを隠しているということだ。それは何なのだろうか?
劉備の疑問には、龐統が答えた。
「おそらく質問した内容、そのものが彼らの狙いだろうねぇ」
「益州が欲しいか?ってやつ」
「そう。つまり、益州を我らに乗っ取らせようとしているんじゃないかな」
本当にそうであれば、劉備にとっても悪い話ではないが、今度は逆に法正や孟達が、どこまで信用していい相手なのか、劉備側も見極めが必要になる。
迂闊に飛びついて、梯子を外されては、目も当てられないのだ。
「まぁ、その辺の確認も俺に任せて下さいよ」
法正に軍の編成は終わっていると告げたように、益州入りする面子も決まっている。
軍師として同行するのは龐統で、将軍の中では黄忠と魏延が選ばれていた。
基本的に、荊州で新しく配下になった者たちを中心に構成されている。
これは、新しく仲間になった者たちに、手柄を立てる機会を与える目的があった。
「そうだな。士元に任せておけば、俺も安心だ。早ければ、明日の出立になる。各自、準備だけは怠らないように」
劉備の号令があり、この場は解散となるのである。
その夜、法正、孟達に与えられた宿では、二人で密談が行われていた。
劉備を信用するとは、あの場で言ったが、どこまで信用するかが二人にとって、重要事項なのである。
「張魯を追い払った後、劉備政権を誕生させるべきか?」
「俺は、それで構わないと思う」
もともと劉備に傾倒している孟達の意見を、法正は苦笑い混じりで受け止めた。
友人の反応に、「いや、俺は中立、冷静に判断した結果だ」と付け加える。
もっとも、孟達の言い分は法正にも十分理解できた。
わざと誇示していた分を差し引いても、見せつけられた陣容は壮観としか言いようがない。
天才と言われる両軍師に、一騎当千の猛者たち。
益州を託せば、安泰だと誰もが思うだろう。
だが、それはあくまでも外敵に対しての考え方だ。
仮に劉璋に代わって、益州を統治して民衆の支持を得られるかどうかは、別問題である。
最近の例では、馬超の件が記憶に新しい。
冀城を支配しても、民衆の反発を受けて失脚している。まぁ、彼の場合は、組み入れた家臣からの反発が大きな要因であるため、あまり、いい例とは言えないかもしれないが・・・
ただ、強いだけでは駄目だという証明にはなっている。
会った印象では、劉備の人柄には問題がなさそうだった。また、劉璋を手にかけるという無茶もしなさそうである。
後は、益州を劉備が支配することになっても仕方がないと思える環境を整えられるかどうかだった。
一番、難しい難問に法正はぶち当たる。
しばらく考え込むと、賭けになるがある可能性を見出すことができた。
劉備、劉璋ともに当人同士が争う気はなくとも、その周りの者はどう、行動するだろうか?
荊州では劉備に蜀を取らせようとするだろうし、益州側は劉備を排除しようとする可能性が高い。
劉備という異物を益州に放り込むことで、自然と二人が対立する環境を周りが作り上げていくはずだ。
その盛り上げられた雰囲気に劉璋は、絶対に流される。
あとは、劉備の野心が勝つか、仁者の心が勝つか。
先ほどの謁見で、劉備の本音を聞く限りでは、それほど分が悪い賭けにならないように思えた。
法正は、自分の中で結論が出ると、孟達に向き直す。
「西蜀四十一州図を劉備殿に託すか」
「何か算段がついたのだな。まぁ、俺は初めから、そう言っていたがな」
「まぁ、お前の直感と私の計算が一致したのだ。そう言うことで、良かろう」
やや自慢気な友人の盃に酒を注いだ法正は、自身の盃も満たすと目線の高さまで上げた。
「益州に幸あれ」
法正と孟達は乾杯をして、杯を空ける。
益州の未来が大きく動き出す、そんな密談が終わったのだった。
翌日、劉備に謁見すると法正は懐から、張松から預かった西蜀四十一州図を見せる。
渡された劉備は、その内容に思わず唸ってしまった。
それは、諸葛亮や龐統にしても同様で、よくぞここまで、細かな情報をと感嘆する。
この場にはいないが、張松という人物の能力の高さが伺い知れた。
「これを俺にくれるのかい?」
「ええ。益州は山岳地帯も多い。道中のお役に立てればと思います」
使い道としては、ただの道先案内図とは思えないが、劉備は素直に受け取る。
「張魯撃退のため、ご協力、感謝いたします」
法正と孟達が深々と頭を下げた。
益州乗っ取り等の話は、一切しない。援軍の依頼ということで会見は終了する。
ここで、そこまで話すと、劉備と余計な問答が発生しそうだと、法正が控えたのだ。
使者たちの真意を掴んでいる諸葛亮は、『この短期間で、我が君の性情を、ここまで理解するとは』と、法正を評価する。
法正、孟達の両名を劉璋の元には帰さずに、ともに行動することを進言した。
二人は客将として、劉備軍に留まることが決まり、出発することになる。
「それじゃあ、孔明、雲長、益徳、子龍。行ってくるから、留守は頼んだぞ」
いよいよ、劉備が蜀の地に足を踏み入れることになるのだった。
劉備は年甲斐もなく、興奮を覚えるのである。
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