第173話 勝利の後で・・・

楊阜は、準備が整うと、復讐の成就を心願し、ついに反乱を決行した。

但し、自分はまだ、表には立たず、冀城の南、鹵城ろじょうで姜叙を旗頭として馬超に反旗を翻す。


ここで、楊阜が矢面に立たなかったのかは、同志の趙昂や尹奉が、まだ、冀城にいるためだった。

仲の良い楊阜が裏切ったと馬超に知られると、二人についても怪しまれる。

そうなると監視がつき、行動に制限がかかってしまうのだ。


彼らには、まだ、冀城において重要な仕事が残っている。

馬超を討つという、難易度の高い目標達成のためには、どうしても慎重にならざるを得なかった。


姜叙は一族の姜隠とともに鹵城を占拠すると、各地の城主に馬超の無法を訴えかける。他の地でも反乱を呼びかけたのだ。


これを黙って見過ごすことができない馬超は、すぐに兵を動員する。しかし、冀城を落として間もないことを理由に、城内に馬岱を待機させようとした。

隙をついて、冀城を乗っ取りたい趙昂は、一瞬焦るが、動揺を見せないように馬超に全軍での出陣を促す。


「冀城は既に馬超将軍に心服しています。反乱については、長安からの援軍が届く前に、火急な対応が必要かと思われます」

長安からの援軍と言われると馬超も考えざるを得なかった。これまで、孤軍奮闘していた梁興も、そろそろ討伐されそうだという情報が流れてきているのである。


「分かった。では、趙昂、留守を頼む」

馬超は、趙昂、王異夫婦に冀城の守備を託すと、手勢一万を率いて鹵城へと向かった。

見送る趙昂は、その背中に向かって笑みを浮かべる。


「ええ、全て、お任せください」

早速、城内の同志に声をかけるのだった。



馬超率いる騎馬隊は、瞬く間に鹵城に到着し、城を取囲む。

「城内者たちよ、首謀者を今すぐ差出せば、許してやるぞ」

馬超の大声に、城郭がざわつく。その中、姿を現した男を見て馬超は驚いた。


「呼んだか?私が首謀者だ」

「お、お前は、楊阜」


名前を呼ばれた楊阜は、勝ち誇った顔をして馬超を見下ろす。

勝者の余裕がそこにはあった。


「間の抜けた顔をしているが、重要なことを教えてやろう」

「何だ」

「お前を憎んでいるのは、私だけではないぞ」


考え抜いた結果、馬超は、はっとする。

「まさか・・・」

「そうだ、今頃、冀城は趙昂、尹奉に占拠されているだろう」


楊阜の言葉に馬超は、動揺するでもなく、ただ呆然としていた。

これは、以前にも味わった経験。その苦さを十分に噛みしめる。


『やはり、人は誰も信用できない』


馬超は鹵城の囲みを解いて、急いで冀城へ向かおうとした。

その展開を待っていた楊阜は、退却する馬超軍に追い討ちをかけるべく、追撃の指示を出す。


ところが、恐ろしく冷静に怒りを沸騰させている馬超に、簡単に返り討ちにされると、出撃した兵、ことごとく全滅させられるのだった。


「化物め」


改めて馬超の恐ろしさを思い知る。

今さら、戻ったところで、南安郡から趙衢、安定郡から梁寛も参戦しているはずだ。


冀城が取り返される心配がないことを知っている楊阜は、それ以上の追撃を中止する。

馬超の首をとるのは、趙昂らに任せることにした。



馬超が戻ると、冀城には趙衢、梁寛の旗も掲げられており、これが用意周到な反乱だと気付かされる。

援軍の数は定かではないが、敵が勝算を持つということは、相当数の兵力が城内に潜んでいることが見込まれた。


「趙昂、出て来い。お前だけは、殺してやる」

「怖いことを言わないでいただきたい」

そこに趙昂と尹奉、王異が顔を出す。


「韋康さまの仇、まずは半分、討たせてもらいました」

趙昂がそう言うと、城郭から何かが放り出された。

地面に落ちたのは、物言わなくなった楊氏と馬超の子供の遺体である。


もう亡くなっていることは、目に見えているため馬超は、あえてその死体には近づかなかった。

代わりに、預かっていた人質を軍の最前列に押し出す。

その中には趙昂、王異の息子、趙月の姿もあった。


「お前たちは、親に見捨てられたのだ。最後に、そんな親たちの顔をじっくりと見るがいい」

そう言われても、人質の子たちの中に城郭を見上げる者は誰もおらず、しくしくとすすり泣く声だけが聞こえる。

覚悟をしていたこととはいえ、冀城城内の反乱者たちも、この時ばかりはかける言葉がなく静まり返った。


無情な凶刃が次々と、子供らに振り下ろされる。

思わず趙昂は、見ていられなくなり、目を逸らすのだった。


「駄目よ、あなた。私たちがこの結果を仕組んだの。責任を持って、見届けないと」

「わかった。・・・その通りだな」


王異に諭されて、趙昂も覚悟を決める。息子、趙月の最後の姿を、その目に焼き付けるのだった。

ただ、その時、王異は、「それに・・・」と、何か追加で言いたげだったが、止めて、以降、口を噤むのである。

王異が何を言いたかったのかは、趙昂には分かりようもなかった。


馬超が人質、全員を殺し終えると、冀城を離れて軍を南下させる。

どこに向かうのかは、分からないが、誰も動こうとしない。城内では、すでに追い討ちをかけようという雰囲気ではなくなってしまった。


勿論、人質を殺した馬超は憎いのだが、王異が言ったように、こうなることは分かって反乱を起こしたのである。

自責の念にかられる者たちが大半で、これ以上の血を見ることを嫌ったのだ。


馬超軍がいなくなると、亡くなった人質の遺体を回収して、皆、悲しみに暮れる。

何かもの言いたげな王異は、黙って馬超軍を見送るのだった。



ここで、馬超が向かったのは鹵城ではなく、歴城である。

姜叙が鹵城に立て籠もっているのであれば、歴城の戦力は低下しているはずだ。


もっとも、そんなことより、楊阜や姜叙の一族が歴城に住んでいるという情報を掴んだことの方が、理由としては大きかったかもしれない。


馬超の読み通り、歴城は容易に落とすと、そこに住まう楊阜、姜叙の一族を根絶やしにする。

姜叙の母親が死ぬ間際、罵声を浴びせるが、痛痒をまったく感じない馬超だった。


このような惨劇、本来、龐徳が止めるべきなのかもしれないが、韓遂、閻行に続いて、今回は楊阜、趙昂に明確に裏切られたのである。

負の感情、心が闇に支配された馬超には、言っても無駄なことであった。


馬超が歴城を落とした後、楊阜や趙昂にとって、ようやくと言っていい援軍の報せが届く。

梁興を始末した夏侯淵が動き出したのだ。


その情報を察知した馬超は、対抗できるだけの戦力がないと判断し歴城に火を放つけると、漢中の張魯の元へと退却していく。

これで、馬超の脅威が涼州から去るのだった。


この結果に冀城の人々は歓喜するが、王異の表情は浮かないまま。

夫の趙昂は、息子の死を気に病んでいると思い、慰めるのだった。


しかし、「・・・それもあるけど、違うの」

王異がもの思いに沈んでいるのは、趙月の死の間際、言いかけたことと関係するのである。


それは、馬超の妻、楊氏を手にかけた時、彼女から言われたことが、ずっと、心の中に残っていたせいだった。

馬超の家族を討ったのは王異である。

その時の状況は、今でも鮮明に瞼に残っていた。



「今まで仲良くさせていただいたけど、これでお別れね」

王異は白刃を抜いて、楊氏に近づいて行った。

泣き叫ばれると厄介なところ、意外と大人しいため、腰でも抜かしているのかと思っていると、様子が違う。


どうやら、楊氏は笑っているのだ。

気でも触れたのかと思ったが、王異は一応、確認する。


「何を笑っているの?」

「あなたも、うちの人と同じ、根っからの涼州人だったことが知れたからよ」


馬超と同じと言われたことに不満を感じた王異は、本来、すぐに殺さなければいけないのだが、もう少し問答に付き合おうと思った。


「私のどこが、あの男と同じだと言うの?」

「あなたも狂っているからよ」

「私が狂っているですって」

王異は思わず大きな声を荒げてしまう。しかし、楊氏の笑みが崩れることはなかった。


「だって、この戦い、自分たちに正義があると思い込んでいるようだけど、一体、何人の屍の上に成り立つ正義なのかしら?」

「忠義のためよ。仕方がないわ」

「韋康さま、お一人のために、我が子を犠牲にすることも厭わない。随分とご立派だけど・・・私からすると、やっぱり狂っているとしか思えないの」


ここで、楊氏と話し込んでしまったことを王異は後悔する。考えまいと心の中にしまい込んでいた扉を開けられた感覚に陥るのだ。

王異だって、分かっているが、もう止められないのである。


「初めてお会いした時、随分、理知的で私と同じ考えをお持ちなのかと思っていたけど、違ったみたい」

黙る王異に楊氏は、続けて話しかける。彼女の命は王異が握っていのだが、この場の主導権は楊氏に握られるのだ。

「どうやら、涼州では私だけがまともな感覚を持っていたみたいね」

凡庸と思っていた楊氏に、ここまで言い込まれる。王異は返す言葉を失っていた。


「それに戦場で、うちの人を討つのは無理よ。涼州から追い出すのが関の山。それって、払った犠牲に見合う戦果なのかしらね」

「うるさい。韋康さまを殺した馬超が悪いのよ。そして、そのせいであなたは死ぬの」

「ええ。分かっているわ。そして、あなたの息子も死ぬの。結局、何が残るのかしら」

これ以上、この問答に耐えられなくなった王異は、楊氏を袈裟斬りにする。それでも楊氏は笑ったままだった。


「ほら、やっぱり、あなたは、うちの人と同じ」

この時、王異は韋康の仇とは別に、己の感情のまま、楊氏を屠ったのである。

戦場で何人も討ってきた王異だが、手に残るこの生々しい感触は初めてのことだった。


「私だって・・・」

何かが狂ってしまったことを認めていた。しかし、この運命の歯車を止めるには王異の手は、あまりにも小さすぎる。

運命と享受するしかないのだった。


関係する一族を殺し合い、馬超が涼州から去ったことで決着がついたこの戦い。

冀城に残った人々は、あえて深く考えないようにしているようだが、王異は思うのである。


『結局、この戦いに勝者は誰もいないのよ』


戦が終わった。その事実だけは安堵できる。

夫に励まされた王異は、今、自分が笑っているのか悲しんでいるのか分からなかった。


楊氏が言うように、これが狂っているということなのかもしれない。

勝利に湧く冀城の中、喜び叫ぶ人々を、他人事にように王異は見つめるのだった。

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