第167話 馬超の襲撃

馬超に潼関を奪われた曹洪と徐晃は、曹操から激しい叱責を受ける。

二人に指示したのは、十日間、潼関を守り抜くことだけ。

曹洪と徐晃の能力を考えれば、さして難しい問題ではないはずだ。


更に潼関が陥落した理由を聞くと、曹操の怒りは頂点に達する。曹洪に対して、その場で打首を命じるのだった。

これには、さすがに諸将が反応する。


曹洪は、挙兵以来の古参の将だ。それが、これから始まる大一番の前に処刑されたとあっては、影響があまりにも大きすぎる。


多くの将に止められると曹操自身も、これまでの功績を鑑みて、一旦、その首を預けることにした。

汚名返上の機会を与えるよう考え直すのである。


但し、当然、処罰なしとはいかず謹慎処分を与えると、軍の指揮権をはく奪するのだった。暫く、前線に出ることは禁じられ、曹操の近くで待機することになる。

将軍の特権を失うが、命を失うよりはましだ。この処分に曹洪は感謝する。


今後の展開を考えると、潼関を奪われたことで、戦略の変更を余儀なくされた。

潼関の前は狭くなっており、三十万の大軍で押し寄せることができない。


敵が討って出てくれればいいが、潼関を固く守られると大軍の利を活かすことができないのだ。

守るに易く攻めるに難し。関所とは、非常に厄介な砦である。


今回、帯同している軍師は、荀攸と賈詡。

その荀攸の提案で、潼関を迂回して長安を奪回する作戦を立てた。


但し、簡単に迂回できるのであれば関所の意味がない。

遠回りして長安に向かうには、黄河を渡る必要があるのだ。


しかも、地形的に黄河が直角に折れ曲がっているところを通過せねばならず、この大河を二度も渡河し、更に支流の渭水いすいを渡る必要がある。

数ある行軍の中で、渡河は敵に攻められると対処がしづらいため、非常に難しいとされていた。


それが南の長江に匹敵する北の黄河がとなると尚更である。

よほどの準備と計画が必要であった。


まず、本隊の安全を確保するために、先発隊を募って、先に渡河し対岸に陣を築いておくことにする。

その役目に徐晃が志願してきた。


曹洪と同じく潼関を守っていた徐晃だったが、関所を奪われた原因は曹洪にあったため、不問とされている。

だが、彼なりに思うところがあるのだろう。

危険な役目を買って出たのだった。


「良かろう、公明。そなたに任せる。副将に朱霊をつけるゆえ、大役を果たしてくるといい」

「はっ。早速、お聞き届けいただき、感謝いたします」


徐晃は四千の兵を率いて、渡河を始める。

最初の渡河は問題なく、二度目の渡河、蒲阪津ほはんしんを渡ったところで、関中十部の一人、梁興の奇襲を受けた。


曹操軍の動きを読んだ韓遂が軍を手配していたのである。

ただ、戦略的には韓遂の勝ちだったが、戦う将兵の質に差があった。


雪辱を期す徐晃は、河を背にする不利をものともせず、梁興の軍を圧倒する。

操る大斧が血糊で切れ味が落ちても気にせず、振り回した結果、徐晃の回りには斬り殺された者より、殴打によって亡くなった敵兵ばかりとなった。


梁興の部隊を退却させると、徐晃は黄河の西に陣を作り始める。

完成と同時に、曹操へ報告の使者を送るのだった。


その報告を受けた曹操は、喜んで本隊も黄河を渡らせる。

渡河が難しいのは、徐晃が受けた奇襲のように渡河直後、背水の陣で戦わなければならないことが、その一つなのだが、先に陣が出来上がっているので、その心配はなくなった。


安心して、一度目の渡河を終えて、蒲阪津に向けて二度目の渡河をしている途中で、突然、鬨の声が上がる。

この黄河のどこを渡って来たのか分からないが、馬超率いる軍勢が曹操に襲いかかったのだ。


まさか関中十部の軍勢が黄河を渡っているとは思ってもいない。

曹操軍は、完全に虚を突かれたのだった。


馬超が率いる騎馬隊は精悍で、龐徳、馬岱といった一騎当千の将もついて来ている。

そして、何より、馬超が師と仰ぐ韓遂の配下、閻行えんこうも参戦していたのだ。


馬超が勝手に師匠と呼んでいるが、もちろん奥義を伝授したことも武芸を手ほどきしたことも閻行にはない。

そう呼ぶようになった経緯は、単に昔、馬超が閻行に一騎打ちで敗れたことが関係した。


それは、馬超が元服間もないころの話。

当時、腕っぷしに自信があり、同年代には自分に敵う相手がいなかった馬超は、非常に調子に乗っていた時期があった。


父の馬騰と韓遂は、仲がいいのか悪いのかよく分からない関係で、時折、戦場でやり合うことがあり、馬超が参戦した戦に、丁度、閻行も参加していたのである。

閻行の武名は、西涼に轟いたことがあり、腕試しと軽い気持ちで馬超が挑んだのだが、誤り。あっさり返り討ちを喰らうのだった。


その一騎打ちは、一方的となり、結果、危うく馬超が命を落とすというところまで追いつめられる。

味方の援軍に助けられ、何とか半殺しで済んだのだが、馬超の鼻っ柱は見事に折られてしまった。


以降、強さこそ正義と信じて疑わない馬超は、閻行を師と仰ぐようになったのである。

とにかくそれほどの面子で不意をつけば、対抗することは難しく、曹操軍は完全に浮足立った。


渡河する準備が整わない者たちは、次々と黄河の水際に追いやられ、刃で殺されるか溺死するかの二択を迫られる状況となる。

先に渡った張遼や張郃が、急いで戻ろうとするが、船では馬を駆るような速さで動けなかった。


陸地には、まだ、曹操が残っており、周りの防備は薄い。

そこに馬超が襲いかかると、たちまち曹操は絶対絶命の窮地に追い込まれた。危うしと思われたその時、馬超の槍を見事、受けた止めた者がいる。


それは、謹慎を告げられていた曹洪だった。

「子廉、すまぬ。助かったぞ」

「いえ、早くお逃げください。私は長く持ちません」

曹洪も武芸に自信はあるが、馬超の攻撃は更に鋭い。三合目で持っていた薙刀が弾かれてしまった。


「雑魚は、そこをどけ」

馬超の一突きで、曹洪の兜がはじけ飛んだ。地に転がる曹洪だが、まだ、息はある。

うまくのけ反ったことにより、紙一重で必殺の一撃を喰らわずに済んだようだ。


曹洪は意識が朦朧としながらも、庇うように曹操の盾となる。

構わず、曹洪ごと曹操を貫こうと槍を構えたその時だった。馬超の乗っていた馬に強い衝撃が加わる。

態勢を崩すが落馬するのを何とか堪えた馬超が目にしたのは、体当たりをしてきた巨漢の武将、許褚の姿だった。


「丞相は、お前なんかに殺させないぞぅ」

「お前は許褚だな。面白い、俺が相手になってやる」


強い相手を見ると、ついそちらの勝負を優先してしまう馬超の悪癖が出る。

馬超と許褚が争っている隙に、曹操と曹洪は、この場を離れるのだった。


曹操は窮地を脱することができたが、やはり、全体的に旗色は曹操軍の方が悪い。

下手をすれば、壊滅かと思われた時、遠くから地鳴りのような音が聞こえだした。


すると、間もなくして、馬の大群が戦場に乱入してきたのである。

西涼兵は、馬に目がない者が多い。戦場で空馬を放置していたら、折角の良馬であっても怪我をして、駄目になってしまう。


また、下手に暴れられると自分自身が怪我をする可能性があるため、戦を放り出して馬をなだめる者が出始めた。

その間に、曹操軍は渡河を進めて、曹操自身も徐晃が待つ陣まで逃げ切るのである。

結局、馬超も許褚を取り逃がしてしまい、非常に悔しがった。


蒲阪津の陣で、落ち着くと曹操は曹洪に感謝し、謹慎を解くことを宣言する。

曹洪は、これからも身命を賭して曹操に仕えることを誓った。


それと、戦場に馬を放つという機転を利かせた丁斐ていひという人物にも恩賞を与える。

丁斐は曹操と同郷で、沛国譙県の出身。


ただ、この男、お金が大好物で、やることが汚い。

曹洪も金に目がない方だが、その違いは法に触れるか触れないか。


曹洪は金貸しなどで財を成すが、丁斐は賄賂を受け取ったりなど不正なお金を溜め込むのだ。

だが、今回のように大事なところで、機転を利かせる男であったため、曹操は丁斐を不問としていたのである。

銅雀台で、曹操が宣言した『唯才是挙ゆいざいぜきょ』を、まさに体現している男なのだ。


九死に一生を得た曹操は、これから長安を奪還すべく蒲阪津で軍を整える。

黄河の支流、渭水の南にある長安に辿り着くには、もう一度、渡河しなければならない。


その前に解決しなければならない問題もあったため、曹操は馬超を倒す戦略を練り直した。

緒戦で馬超を筆頭とする西涼軍の騎馬隊の突破力が、侮りがたいことを知り、その対策が急務となる。

強固な陣造りが必須と考えた曹操は、馬超に対抗する策を考えるのに神経を集中させるのだった。

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