第166話 関中の反乱

国力が回復しつつある曹操は、来たる荊州討伐の再戦に備えて、北方を整備しておく必要があると考えた。

実際、赤壁の大戦では、西涼に反乱の兆しあるという噂も流れ、後顧の憂いを感じながらの戦だったのである。


「涼州の治安を正さねば、安心して南征もできない。南に向く前に足元を固めたいと思うのだが、どうだろうか?」

「かの地は、古くは董卓、近頃では韓遂と常に朝廷の災いとなる者たちを輩出しておりますが、張既や韋康いこうのような忠義ある者も赴任しています。一度、ふるいにかけてみてはどうでしょうか?」


相談を受けた荀彧は、考えた結果、漢中の張魯を攻めるという噂を流してみてはと提案した。

涼州の豪族たちのほとんどが、張魯と密接な関係を築いている。

後ろ暗い人間は、漢中征伐のついでに、自分たちも攻められると疑心暗鬼になり、反乱を企てようとする者を炙り出せるというのだ。


それは、妙案であると曹操が飛びつくと、大体的に漢中討伐を宣言する。

その報せを受けた張魯は勿論のこと、涼州に住まう豪族たちは、狼狽するのだった。


ただ、狼狽するだけではなく、叛意を示す者もすぐに現れる。

それは荀彧の狙い通りなのだが、予想に反したのはその数だった。

多くても五人程度と見積もっていたが、曹操に反旗を翻して集まったのは、軍閥をまとめる長、十人にまで上る。


その者らは、韓遂、馬超を筆頭に、侯選こうせん程銀ていぎん李堪りかん張横ちょうおう梁興りょうこう成宜せいぎ馬玩ばがん楊秋ようしゅうの十人で、彼らは関中十部と総称された


関中とは、一般的に洛陽の西にある函谷関より更に西の地域を指す。

その周辺を拠点としている軍閥の集まりだったことにより、関中十部の呼称が生まれたのだった。


彼らは、それぞれ、一万騎以上の兵を有している。単純に数えても十万以上の大軍が反乱を起こすこととなった。

予想以上の野火となったが、潜在的な敵を表面化できたことは大きい。


気付かずに南征を行っていたら、いずれ取り返しのつかないことになっていたかもしれなからだ。

曹操は、すぐに討伐の軍を起こす。

しかし、先手を取ったのは、韓遂を都督とした関中十部の方だった。



馬超率いる西涼軍本隊は、長安陥落のためにいち早く動き出す。

長安を守護していたのは鍾繇である。


実は馬超には、どうしても鍾繇を討っておきたい理由があった。

それは、今回の反乱を起こすきっかけとなったのが、曹操の張魯討伐にあたって、関中の豪族たちに鍾繇が人質を要求してきたことによる。


馬超や韓遂は既に、親や子が曹操の元にいるというのに、それとは別に長安に差出せという態度が気にくわなかった。

他の十部の連中も首輪、足枷をつけられるのを嫌う。

その事実を知った荀彧が、鍾繇に翻意を勧めるが、結果、間に合わなかったのが、今回、反乱が起こったあらましでもあった。


長安を目の前にした馬超に、家臣の龐徳がこの土地について説明をする。

前漢の都だった長安だが、長く都として栄えなかった理由があると言うのだ。


「長安は真水が手に入りにくい土地であったため、人々が生活する上で、不便だったのです」

「それは、どうしてだ?」


馬超の質問に龐徳は土が悪いからだと答える。

そして、街の人々は、生活用水を得るために城外に水を汲みにいかなければならないことも説明した。


「ならば、人が出て来られないように長安を囲み、干上がるのを待つか?」

「いえ、それよりも早く、長安を落とせる方法があります」


龐徳がその方法を馬超に耳打ちすると、面白いと唸り、早速、その案を実行する。

先ほど馬超が言っていたことは、真逆、長安を囲んでいた兵たちを解いた。


西涼兵がいなくなったことを確認した長安の人々は、水を汲みに行くことを鍾繇に申し出る。

鍾繇も水の大切は、十分に理解していた。

刻限を制限して、水汲みを許可するのである。


その水汲みに出た住民に、馬超は兵たちを紛れ込ませた。

これで、十数名の隠密たちが長安への潜入に成功する。


その夜、馬超の手の者たちは、活動を開始し要所に火を放った。続いて、城門を開けて、外で待機していた本隊を城内に導き入れたのである。

あえなく長安は落城するのだった。鍾繇は、残念ながら取り逃がしたが、幸先の良い勝利に馬超はご満悦である。


長安を陥落させ、西涼の錦・馬超が武威を示すことで、辺境の部族たちから、更なる支援を得られることになった。

関中十部が率いる兵は、たちまち二十万にまで膨らむのである。

野火のつもりが、いつの間にか大火事にまで発展したのだった。



敵が二十万ということもあり、討伐の軍には最低でも三十万は用意したい曹操だったが、そう簡単に動員できる人数ではない。

ただ、用意できるまで、放置していたのでは、馬超に好き勝手に関中を荒らされてしまう。


曹操は取り急ぎ、時間稼ぎを行うための先鋒部隊を派遣することにした。

選ばれたのは、大将・曹洪、副将・徐晃、総勢一万の部隊である。

出発前に曹操は、曹洪と徐晃を呼んで、こう指示をした。


「長安の東に潼関どうかんという関所がある。函谷関や汜水関ほどではないが、こちらも堅牢な砦。ここであれば、敵が二十万の大軍であろうと、簡単に抜かれることはない。私が到着するまでの間、十日間で結構。守り通してくれ」

指示を受けた二人は、例え、敵が二十倍の大軍だろうと、たった十日であれば何とかなる。

そう踏んで、意気揚々と潼関に向かうのだった。



拡大した兵力を持って、更に東進しようとする馬超だったが、潼関に敵の援軍が来たことを知ると、その内情を探らせる。

敵の将は、曹洪と徐晃。


どちらも戦乱の世にあって、名を馳せている名将だ。

馬超もなかなか抗しがたいと躊躇する。


そこに、今まで戦を馬超に任せきっていた韓遂が助言のために姿を見せた。

今回、主に実戦は馬超が担っているが、大将・都督は韓遂ということになっている。


馬超の武勇は有名だが、人をまとめて方向を示すのには、それなりの実績も必要。

その点、韓遂以上の適任者は、関中十部の中にはいなかった。


「韓遂殿、曹操の本隊が到着する前に潼関までは取っておきたいのだが、援軍の将が少々、厄介だ」

「うむ。曹洪と徐晃は、容易ならざる相手だな」

韓遂も曹洪と徐晃のことは認めている。だが、攻めてはあると補足した。


「曹洪は、意外と短気な男。そこを利用しない手はないぞ」

「なるほど。曹洪の前で挑発を繰り返し、潼関から釣り出せれば、何となるかもしれない」


その作戦こそ、正解であると韓遂は告げる。

翌日から、潼関の前で西涼兵は、居眠りをする者、裸踊りをする者、果てには尿をまき散らす者など、やりたい放題が始まった。


これが罠であると気づいている徐晃は、無視することを決め込むが、曹洪は、次第に我慢が出来なくなってくる。

その様子を感じ取った、徐晃が曹洪に釘を刺した。


「子廉殿、明らかな敵の罠です。我らは十日、丞相の言いつけ通り、ここを守っているのが役目。短気にはやらず、ご自重下さい」

「そのような事、言われなくても分かっているわ」


憤慨している曹洪は、徐晃の意見をまともに取り合わない。徐晃は、段々と不安を募らせるのだった。

そして、その不安は的中するのである。


曹洪と徐晃は、順番に見張りの役目を交代していた。問題が起こったのは、やはり、曹洪が見張りを行っていた時である。

西涼兵がいつものように潼関の前で悪ふざけを行っているのだが、その中の数人が銅銭を投げて遊んでいた。


曹洪は金銭欲が強く、しわん坊でも有名だったが、裏を返せばお金の価値を知り大切にしているということ。

曹洪からすると、お金を使って遊ぶなど言語道断だった。


しかし、与えられた役目のため、じっと我慢を重ねる。

我慢をしながら、じっと観察をしているとあざける西涼兵の目が、完全に弛緩していることに気づいた。


当初の頃は、悪ふざけをしながらも西涼兵たちの目はぎらついており、いつでも応戦できる態勢をとっていたようだが、今は完全に油断しまくっている。

これは、実は攻め時なのではと考えたのだ。


そうと決まれば、溜めていた鬱憤を晴らすとき。

曹洪は、手勢を率いて潼関から飛び出していった。


予想通り、、悪ふざけをしていた西涼兵を一掃することができるのだが、やはり、これは罠だった。

馬超は、わざと生来の怠け者を集めて、潼関の前に配置していたのである。


怠け者たちは、本気で油断していたが、馬超は逆に鋭気を養っていた。

瞬く間に、罠にはまった曹洪の殲滅にかかる。


徐晃が、この事態に気づいたのは、曹洪の部隊が馬超に囲まれているところ。

さすがに放っておくこともできずに救出に向かうのだが、その隙をつかれて潼関は奪われてしまった。


徐晃の頑張りがあって、何とか曹洪を助けることだけは叶う。

だが、それ以上は無理。二人には、失った潼関に背を向けて退却するしか道はなかった。

これで、馬超は万全の態勢をもって、曹操を迎えることができるようになったのだった。

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