第24章 京城会見編
第155話 太史慈の死と周瑜の決断
順調に荊州の四郡を落とした劉備軍とは、対照的に、孫権軍は苦戦を強いられていた。
まず、孫権自ら兵を率いている合肥の戦いだが、こちらは長らく続く雨のおかげで、ほぼ停戦状態が続く。
しかも合肥城には、劉馥が備蓄した物資が豊富に揃っていたため、長期戦もまったく苦にしなかった。
劉馥が用意した数千枚の
夜中だろうと孫権軍の動きは筒抜けとなり、迂闊に手が出せなずにいたのだ。
「このままでは、いつまでも経っても江陵に援軍を送れない」
「我慢比べじゃ。公瑾であれば、そうまずい戦はせんじゃろう」
逸る孫権を相談役の張昭がなだめる。焦って、こちらの軍が崩れることがあれば、それこそ江陵を攻めている周瑜が窮地へと追いやられるのだ。
しかも周瑜からも、無理に攻め込まなくていいという助言をもらっている。
曹操は、孫権軍十万をこの地に引き留めているつもりだろうが、逆に孫権も曹操の軍をこの地に釘付けていると思えばいいのだ。
しかし、若い孫権には、そう考えることが難しいのである。
ある日、付近を哨戒していた兵が、曹操軍の間者を捕らえるという事件が起こった。
その間者は
ただでさえ、攻めあぐねているというのに、兵を増やされては、攻略は更に難しくなる。
増兵される前に攻め落とす作戦を孫権が立てるが、もちろん、張昭をはじめとした諸将に反対された。
だが、孫権はまったく納得できない。
長雨から、一転、晴れた日が続くと巣湖を迂回した陸路から、合肥城を攻める作戦を強引に決行するのだった。
孫権軍の先陣は、孫呉随一といっていい勇将、太史慈である。
彼の武勇は、当然、曹操も聞き及んでおり、迎え撃つ武将の人選に頭を悩ませた。
まだ、孫権には気付かれていないが、曹操が抱える兵団は、ほとんどが半病人で構成される弱兵の集まり。
勇将相手に、下手な戦いをしては、その秘密がばれてしまう可能性があるのだ。
「ここは、私にお任せ下さい」
そこで名乗り出たのが、青龍偃月刀の使い手、張遼である。
「何か、考えがあるのかな?」
「はい。太史慈を自由にさせては、こちらが不利になるでしょう。私が彼を留めておくうちに、丞相が策を用いていただければ、全て解決すると思われます」
張遼の提案に、なるほどと曹操は納得した。
太史慈は確かに強いかもしれないが、張遼であれば、そう簡単に後れを取るとは思えない。
張遼が太史慈を引き受けている間に、敵を退却させるための、一手を打てばいいと言うのだ。
そこで、曹操には思いつく策が一つだけある。
すぐに張憙を呼び寄せて作戦を指示した。
これで、打てる手はすべて打った。
曹操は、太史慈を罠にはめ込むため、張遼に五千の兵を与えて、出陣させるのだった。
孫権軍、曹操軍の久しぶりの戦闘は、合肥城の城外で行われた。
太史慈率いる一万の兵は、長い間、戦に出ることができなかった鬱憤を晴らすように、激しく攻めたてる。
対する張遼の方も、弱兵とは思わせない見事な指揮で奮戦した。
両軍が激突した乱戦の中、張遼が太史慈の姿を見つけて、作戦通り一騎打ちを挑む。
「そこに見えるは、太史慈殿とお見受けする。私の名は、張遼文遠。いざ、尋常に勝負」
「お前が張遼か。関羽殿と互角の勝負をしたと聞く。相手によって不足はない」
太史慈と関羽は、昔、孔融を黄巾党の残党から救う戦いで共闘しており、面識があった。
味方同士であったため、直接、闘うことはなかったが、太史慈は関羽の強さに畏敬の念を抱いている。
その関羽と互角とまで言われる張遼。早くも腕が鳴った。
お互い、両軍を代表する勇将の闘いは、一進一退を極めて五十合を越えても決着がつかなかった。
更に三十合、撃ち合っていると太史慈の背後に異変が起きる。
『張』の旗を掲げた兵からの攻撃を受けたのだ。
「もしや、書簡にあった増兵部隊か」
情報通りなら、四万の軍勢である。挟撃されては全滅の憂き目にあうだろう。
太史慈は、張遼との一騎打ちを一旦、切上げて、退却を指示した。
曹操と比べて、兵が少ない孫権軍は、少しでも損失を減らそうと、太史慈が奮迅の活躍をする。
何とか被害を最小限に抑えて、退却するのだが、その時、太史慈は脇腹を押さえていた。
張遼との一騎打ちのさなか、挟撃に気を取られた一瞬の隙に、張遼の一撃を脇に食らっていたのだ。
当初、傷は浅いものだったのだが、その後の兵を逃がすための戦いで傷口が大きくなる。
太史慈が自陣に戻ったときには、血を流し過ぎて、顔が真っ青になっていた。
すぐに軍医の世話になるのだが、結局、その傷が原因で命を落としてしまう。
「大丈夫という者がこの世に生まれたからには、七尺の剣を帯びて天子の階を登るべきを、その志が実現できぬ内に死ぬ事になろうとは」
太史慈は今際の際にあっても、気宇壮大な言葉を告げた。孫権は、その手を取り涙にくれるのである。
そして、自分の短慮を激しく悔やんだ。
太史慈を見事、撃退した曹操だが、張遼とともに張憙を喜んで出迎える。
実は張憙の兵は『疑兵の計』だったのだ。
事前に蔣済の書簡で、四万の援軍が来ると信じ込ませていたのが奏した結果である。
元をたどれば、その書簡も、ただ単に孫権を牽制するための偽情報だったのだが、何が好転するか、世の中、分からないものだ。
結局、以降は孫権も自重し、合肥城から距離をとり、大きな戦闘は行われないようになる。
城にいる兵の大半が疫病にかかっている曹操としては、望ましい展開となった。
こうして、合肥では、ただの睨み合いが続いていくのである。
一方、江陵を攻めている周瑜だが、夷陵城に攻めの拠点を増やしたことで、戦を優位にしようとした。
但し、万が一のために曹操が配置していた当陽県の満寵が、夷陵の動きを抑えにきたため、思うような成果が上げられずにいる。
一進一退が続くのだった。
また、ここで周瑜軍にとって、痛い事故が起こる。
それは、前線に出ていた周瑜の左肩に流れ矢が当たってしまったのだ。
周瑜が倒れると、孫呉の兵たちは、一時、騒然とする。
頼りとする大黒柱に、万が一のことがあっては、孫呉の未来は真っ暗となり、一気に谷底にまで転げ落ちてしまうのだ。
すぐに天幕にまで運ばれると、そこで周瑜は軍医の治療を受ける。
幸いにして、矢に毒は塗られていなかったが、傷は骨にまで達していた。
完全に治すには、骨を削らなければならないという。
すぐにでも治し、前線に復帰しなければならない周瑜は、その治療方法を受け入れた。
施術中、苦悶の叫びが天幕の中に響く。
当然、その間に周瑜軍の攻撃は中止されていた。
そのため、曹仁軍の間では、周瑜の死亡説まで流れるのである。
その噂を確かめようと、曹仁は長江を渡って対岸に攻め込んだ。
怪我を押して、陣頭を指揮した周瑜の活躍により、この曹仁の攻撃は撃退することに成功するが、症状はますます悪化する。
ここにきて、周瑜には、ある決断が迫られた。
「口惜しいが、ここは劉備に助力を願おう」
劉備が荊州南部の四郡を既に手中にしていることは、周瑜の耳にも伝わっている。
兵も揃い士気も高いとなれば、今の局面を打開するのにうってつけの援軍と言えた。
「しかし、後から何を要求されるかわかりませんが・・・」
「何、その辺も私は考えている。戦後の会談で上手くやるさ」
そもそも曹操に追われた劉備に救いの手を差し伸べたのは、孫呉である。
勿論、そこに打算はあったが、形式上は間違いのない事実だった。
後は、どこまで譲って、どこから容認しないかの線引きをしっかりとすればいい。
何より、この戦に勝利しないことには、戦後の話にもならないのだ。
周瑜にとって、背に腹は代えられない。
「しかし、援軍に応じるでしょうか?もしかしたら、我らの敗戦を望んでいるかもしれません」
呂蒙の心配を周瑜は一蹴する。劉備は新たに領地を手に入れたとしても日が浅い。
完全に掌握するまで時間が欲しいはずだ。
孫権が江陵を手に入れなければ、曹操とは領地が隣り合わせになる。
それでは、腰を落ち着けて領内の整備も行えないだろう。
劉備の今後の戦略上、江陵は孫権領とならなければならないはずだ。
そこにあの諸葛亮が気づかないわけがない。
諸将を納得させると周瑜は、劉備あてに援軍を求める使者を送る。
荊州、中部が俄然、騒がしくなるのだった。
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