第151話 血に縛られる親子

桂陽を趙雲が落としたという報を聞いた張飛は、次の日の朝一番に出仕し、武陵攻めを催促する。


「来る頃だと思っちゃいたが、早すぎるぞ」

「子龍が手柄を立てたんだ。次は俺の番でいいんだろ。そう考えたら、寝てなんかいられねぇよ」

「まったく。・・・構わないか、孔明?」


以前、桂陽攻めの際に、くじで順番を決めた手前、次は張飛の出番で間違いなかった。劉備は、念のため、諸葛亮に確認をとる。

諸葛亮もその時の約束を反故にする勇気はなかった。


「我が君の心のままに」と、答える。

「よっしゃぁ」

会心の叫びとともに、張飛は劉備の前を後にした。


趙雲と同じく、三千の兵を率いて武陵郡臨沅城りんげんじょうに向かうのである。

その後ろ姿を見送る劉備は、少々、心配な表情を見せた。


「我が君、張飛将軍は、戦場では意外と冷静です。義兄弟の末弟ということで、何かと気をかけておいででしょうが、心配はご無用です」

「そうか。・・・昔のあいつを知っているだけに、どうもいかんな」


諸葛亮が太鼓判を押すので、劉備は安心する。それと、末弟のことを、この名軍師が評価していることに、若干、嬉しくなるのだった。



武陵の太守は、金旋きんせん

金旋は、漢の武帝に仕えた名臣・金日磾きんじつていの末裔だったが、このことをあまり口外したがらなかった。

それは、金日磾が匈奴出身の軍人だったことに由来する。漢人ではない血が、自分に混じっていることを卑下しているのだった。


その金旋、張飛が攻めて来たと聞くと、徹底抗戦を主張する。

周りの臣たちは、零陵、桂陽と、立て続けに陥落されているため、慎重論を展開するが聞く耳を持たなかった。

その中、従事の鞏志きょうしは、慎重論から一歩進んで、劉備への降伏を説く。


「劉備殿は、漢の皇叔です。更に攻めてくるのは呂布と互角の闘いをした猛将・張飛将軍。敵対しても勝ち目はありません。劉皇叔の軍と矛を交えれば、金旋さまの名声は地に落ちましょう」

「攻めて来るは、曹操丞相に弓引く、逆賊の先兵だ。どうして私の名声が地に落ちるというのか?」


『曹操が献帝をないがしろにして、権力を握っているからです』と、叫びたいのを鞏志は、ぐっと堪える。

まだそこまで、過激な発言をできる状況ではなかった。


「士気に関わる。この者を捕らえよ」

黙っている鞏志を捕縛し、牢屋に入れる。これで、表立って、金旋に逆らう者はいなくなった。


金旋自ら、五千の兵を率いて、臨沅城の城外に陣取ると張飛を迎え撃つ。

草原において、駆け引き一つない真っ向勝負が繰り広げられるのだった。


ただ、単に戦うだけであれば張飛の武勇が如何なく発揮される。

金旋が率いた五千の兵は、瞬く間に、その半数を失うのだった。

このままでは、全滅すると悟った金旋は、たまらず退却の指示を出す。


ところが待っていたのは、閉ざされた城門だった。追手を振り切り、臨沅城まで、何とか逃げ切ったのだが、金旋がいくら命じても、城門が開かれる様子はない。

金旋が苛立ちから、怒声を上げていると、城門の楼閣に捕らえられているはずの鞏志が姿を表した。


「鞏志よ、なぜ、お前がそこにいるのか?」

金旋は問いかけるが、答えはすぐに分かった。鞏志の隣に立つ人物の仕業で間違いない。

そこに立っていたのは、金旋の息子の金禕きんいだった。


「父上、劉皇叔に降伏いたしましょう」

徳禕とくいよ、何を言い出すのだ。鞏志の虚言に惑わされるな」

「惑わされてはおりませぬ。我らは金日磾の末裔です。漢王室を助けることこそ、一族の本懐ではありませんか」


だからこそ、曹操丞相の命に従っていると言っても、金禕は聞く耳を持たない。

これは、完全なる見解の相違だ。


「父上は、漢王朝に不満を持っておられる。だから、曹操に媚びていらっしゃる」

「曹操丞相だ。滅多なことは口にするな」


息子の言い過ぎを嗜めるが、実際、金旋は痛いところを衝かれたと動揺する。

金旋は、以前、漢陽太守にまで登り詰めたことがあったが、何故か議郎に格下げされた経験を持っていた。

それを今回、曹操の抜擢を受けて、中郎将・武陵太守に返り咲いたのである。


自分を陥れたのは漢王朝であり、引き上げてくれたのは曹操だ。

金旋の中の比重は、漢王朝より曹操個人にあるのは否めない。


そして、自分に落ち度がないにも関わらず、議郎に落とされた理由が、金日磾の子孫。

つまり、匈奴の血が入っているせいだと考えていたのだ。


「武帝の時代に積んだ徳など、一代限りで使い切っている。金日磾の子孫など、軽々しく言うな」

「ご先祖を誇りに思うからこそです。父上の考え方の方がおかしい」


議論がまるで親子喧嘩さながらの様相を呈する。

そこに金旋を追いかけて来た張飛が到着した。


「金日磾とは立派な忠臣ではないか」

「よく事情を知らぬ者が、口を挟むことではない」

「確かにな。ただ、親子の語らいは、俺の用事が済んでからにしてもらうぜ」


張飛の用事とは、臨沅城の制圧である。もしくは、金旋の降伏だ。

ただ、金旋に降伏という考えはなく、城門が開かないというのであれば、ここで張飛と雌雄を決するしかない。


「父上、降伏をお願いします」

「うるさい。私は確かに漢王朝より、曹操丞相の恩義に応えたいと思っている。先祖の血に縛られてたまるか」


そう言うと、金旋は張飛に躍りかかった。しかし、残念ながら力量の差ははっきりとしている。

金旋では、張飛の相手にはならなかった。


ここで金旋の首を刎ねるのは簡単なことだが、張飛としては降伏を呼びかける息子の前で、そこまではしたくない。

丈八蛇矛の柄の部分で、金旋を馬上から突き落とすにとどめるのだった。


「くそ。情けをかけおって。この金旋、それでみすみす生きながらえる軟弱者と思うな」

「おい、待て」


勝てぬと悟った金旋は、何と自らの首に刃を当てて自害する。あまりに突発的なことで、張飛も止める間がなかった。

何とも後味の悪い幕切れとなる。


主の死によって、率いられていた軍の抵抗もなくなった。それまで、固く閉ざされていた臨沅城の城門も、ゆっくりと音を立てて開かれる。

城内に入った張飛は、金禕に向かって、申し訳なさそうに謝罪した。


「親父さんのことは、すまん。ひょっとしたら、もう少し、上手くできたかもしれん」

「いえ、父上が自分で選んだ道を全うしただけです。張飛将軍がお気になさることでは、ございません」


父親の死を目にしながら、気丈にも金禕が答える。張飛は、「そうか」と絞り出すのがやっとだった。

張飛は、臨沅城陥落の報せを劉備に送るため、城内の備蓄なども確認する。


金禕や鞏志の処遇についても、お伺いを立てなければならない。

ところが、金禕は武陵郡を離れると張飛に告げた。


「どこに行くんだ?」

「可能であれば、献帝陛下に直接、お仕えしようと思います」


父と子。それぞれの考え方を最後まで、貫こうということらしい。

いや、これも血に縛られているというのことなのか。


「それじゃあ、長兄に献帝陛下宛ての紹介状でも書いてもらおう。どれだけ効果があるかわからないが、何もないよりは、ましだろう」

「ご厚意、感謝いたします」

「いや、いい。何か困ったことがあれば、言ってくれ」


後日、劉備の紹介状を受け取ると、金禕は許都へと旅立った。

どうにか思い通り献帝陛下に仕えることができることを願う。

張飛は、前途ある若者を、励まして城外まで見送るのだった。


その際、旅人風の馬上の男を見かける。

その男は、臨沅城になびく『劉』の旗をじっと見つめていると、何かを呟いているようだった。


張飛と目が合うと、慌てて馬首を返す。

不審であったが、追うほどでもない。ただ、馬は長沙へと続く街道の方に向かっていることだけが気になるのだった。



張飛に見つかり、臨沅城から、馬を走らせているのは、荊州南部を曹操から託された劉巴である。

『一足、いや二足、遅かったか』


劉備軍の電光石火の動きで、桂陽、武陵と落とされてしまった。自分が間に合わなかったことを悔しがる。

しかし、まだ長沙が残っていた。


最後の砦、長沙だけは取られまい。いや、長沙を拠点として、武陵、桂陽を取り返してみせる。

劉巴は、反撃の狼煙を上げるべく、強い想いを胸に秘めて、馬を急がせるのだった。

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