第150話 趙雲の信念

零陵郡を落とした劉備。

次に狙うのは、桂陽郡、守る太守は趙範ちょうはんだった。

劉備は、ひとまず零陵郡の泉陵城に腰を落ち着けており、ここから桂陽を攻める手筈を整える。


「我が君、私の見たところ桂陽は、三千の兵と将軍一人を送るだけで落ちると思われます」

「将軍っていうと、誰が適任だろうか?」


今、泉陵城にいる将軍は、張飛、趙雲、陳到の三名だった。

その会話を聞いていた趙雲が、「ぜひ、私に」と名乗り上げる。


一瞬、出遅れて張飛も、「いや、俺に任せてくれ」と、参加を表明した。

趙雲と張飛の視線が合い、軽く火花が散る。


「叔至は、どうする?」

そんな中、劉備に声をかけられた陳到は、大きく首を振った。


趙雲と張飛の争いに、自分が割って入ることなどできるわけがないと目で訴える。

今も、二人に睨まれて、身が竦む思いをしているところだった。


となると、候補は二人となるのだが、どちらにするかは諸葛亮に任せる。

「それでは、趙雲将軍の方が、僅かに声が早かった。今回は趙雲将軍にお願いいたしましょう」

この言葉に張飛が待ったをかけた。納得いく理由ではなかったからである。


「今まで、そんな理由で先陣を決めたことがない。軍師は、わざと俺に仕事を与えないつもりか?」

そう言われると諸葛亮も困ってしまう。今回の任務は、二人の実力を考えれば、どちらが行っても成果は同じ。

どちらでも構わないので、便宜上、早い者勝ちのように言っただけなのだ。


ただ、こうしていても埒が明かない。軍議が止まっていると、そこに簡雍が解決のための提案をした。

「大将、こうなったらくじで決めてはどうです?」


劉備が、両者に異論がないことを確認すると、筆を持ち二枚の紙に何やらしたためる。

それを折りたたみ、壺の中に入れて、両者に引かせるのだった。

一応、先輩にくじを引く順番を譲る趙雲だが、それすら迷う張飛。


「いや、子龍、お前が先に・・・いや、待てよ」

「益徳、いい加減にしろ。とっとと引け」


劉備が促して、やっと張飛がくじを引いた。趙雲は残りの紙をつかみ取る。

両者、同時に紙を開くと、張飛の紙には『後』、趙雲の紙には『先』と書かれていた。

これで、先陣の大役が決まる。


未練があった張飛は、趙雲に紙の交換を申し出るが、当然、それは断られた。

「益徳、武陵を攻める際には、お前を先陣にするから、今は諦めろ」

劉備の一言で、しぶしぶ張飛は引き下がる。それでも、去り際に、もう一度、趙雲に話しかけた。


「なぁ。・・・」

「いや、交換は無理。悪く思わないでいただきたい」

「ああ、そうか。・・・頑張れよ」


戦場に一度、立てば、多くの敵が恐れる天下無双の武将が、肩を落としてトボトボと歩いて行く。

何とも愛嬌がある姿だが、面と向かって笑える者は、この場にはいなかった。


「まったく。・・・子龍、気にすることないぞ」

「はい。益徳殿の分も奮起してまいります」

その言葉を聞いて安心すると、皆で趙雲を送り出すのだった。



桂陽城には、既に零陵郡が落ちていることは伝わっている。

更に、今回、攻め手の将が趙雲であることを知って、太守の趙範は、早くも弱気となっていた。


その趙範を鼓舞したのが、二人の勇将である。その名は、鮑隆ほうりゅう陳応ちんおうといった。

鮑隆は、元漁師で虎を二匹、射殺したことがあるのが、何よりも自慢であり、陳応は飛叉ひしゃという珍しい武器の使い手だった。


飛叉とは鎖にさすまたがついており、敵に向かって投げつけるもの。

陳応に狙われて、この地域で生き残った者はいないほどの名手だった。


「趙範さま。趙雲の単騎駆けの武勇も聞けば、捕らえるため矢などの飛び道具が禁じられていたとのこと。奇しくも、我ら両名は飛び道具の使い手です」

「左様。二人で当たれば、趙雲など、簡単に討ち取って見せましょう」


二人にその気にさせられた趙範は、兵四千を与えて、城外で迎え撃つように指示を与える。

吉報が届くのを固唾をのんで待つことにした。


その日の、正午過ぎ、桂陽城の城外で、劉備軍と趙範軍が激突する。

一応、戦う前に趙雲が降伏を呼びかけるが、返って来た返事は陳応の飛叉の一撃だった。


涯角槍で、簡単に弾き返すと一気に趙雲は間合いを詰める。

陳応に視線を向けながらも、薙ぎ払いをすると矢が地に落ちた。

鮑隆が狙ったようだが、趙雲は気配だけで打ち落としたのである。


勢いそのまま、距離を詰めて、まず陳応を馬上から落とし、次に矢を射かけられた方向に駒を返した。

対処に慌てた鮑隆は、赤子の手がひねられるように、あっさり趙雲に捕らえられてしまう。

戦前、趙範の前でさんざん、いきがっていた二人も、これでは形無しだった。


桂陽が誇る二人の武将が縄目姿で、城門前に引っ立てられると城主の趙範は、卒倒しそうになる。

「だから言わないことではない。初めから、降伏を申し入れていれば心証も良かったものを」


趙範はすぐに城門を開放し、趙雲に城を引き渡した。

少しでも挽回したい趙範は、趙雲を招いてすぐに宴席を開くのである。


「趙雲将軍、降伏を受け入れていただき、感謝いたします」

「何の、無益な血を無駄に流さずに済んだ。こちらこそ、感謝いたす」


その間、非常に美しい女性が趙雲の隣に立った。杯に酌をするためのようだが、一瞬、趙雲もその女性に目を奪われる。

その様子に内心、ニヤリとすると趙範は、ある願い事を申し出た。


「私の名は趙範といい、趙雲将軍と同じ趙姓でございます。ここで出会えたのも何かの縁。よろしければ義兄弟の契りを結んでいただきたいのですが」

「趙範殿が、我が主君に忠誠を誓うというのであれば、私も喜んで義兄弟の契りを結びたいと思います」

「も、勿論、忠誠を誓いますとも」


この誓いで、約束は成立する。趙雲と趙範は、義兄弟の契りを結ぶ。

「それにしても、こんな良縁を結ぶことができて、私は幸せ者です」

趙範は、満面の笑みを浮かべて喜んだ。


趙雲は劉備軍の中でも指折りの武将である。この趙雲と義兄弟となれれば、もう安泰だと打算的な考えを起こした。

そして、趙範は更に欲をかいてしまう。


「実は、昨年、兄に先立たれた兄嫁が私の元におります」

「それは、ご不幸なこと。お悔やみ申し上げます」

「その兄嫁には、私も世話になっており、ぜひとも幸せを掴んでほしいと願っております」


どうやら身内話のようなので、深入りは避けようと趙雲は相槌を打つだけの対応に変える。

その間も美女は、趙雲に酌を続けるのだった。


「兄嫁は、樊氏はんしと申しますが、絶世の美女だけに再婚相手に求める条件が厳しいのです」

「それは、どんな?」


趙雲は別に興味はなかったが、趙範が間を長くとり、聞いてくれと目で催促するので、仕方なく、そう返答する。

すると、待ってましたとばかりに趙範は、その条件を言い並べるのだった。


一つは、天下に高名であること。

二つは、前の夫と同じく趙姓であること。

三つは、文武に才のあること。


それを聞いた趙雲は、顔を険しくする。

まるで、趙雲を目の前にして作ったかのよう条件だったからだ。

次にいう趙範の台詞も予測できる。


「そこで、趙雲将軍。いかかでしょうか?」

「断る。私と趙範殿は義兄弟の契りを結んだばかり。貴方の兄嫁ということは、私にとっても兄嫁に当たる。そのような不義理は承服できない」


趙範にとっても趙雲の台詞は予測の範疇だった。

しかし、次の言葉を言えば、趙雲も首を縦に振るはずである。

「実は、その兄嫁は将軍の隣で酌をしている女性なのです」


『これで、趙雲は我が一族の一人』


下卑た笑いを必死に隠す趙範に趙雲の拳が飛んだ。

これは、まったくの予想外の反応だった。先ほどまで、兄嫁の美貌の虜になっていたではないか・・・


「な、何をなさる」

「貴様は、兄嫁を下女のごとく扱うのか。もし、正式に会わせるというのであれば、初めに紹介すべきところだ。そうすれば私も軽々しく、何度も酌を受けなかった」


趙雲の怒りは収まらず、そのまま退席していく。

部下など衆目の前で、殴りつけられた趙範は怒りに震えるのだった。


「おのれ、少しばかりの武勇を鼻にかけおって」

主人の心情に寄り添った、鮑隆と陳応は、罠をかけて趙雲を討ち取りましょうと持ちかける。

怒りで正常な判断ができない趙範は、二人の提案を入れるのだった。


鮑隆と陳応は、すぐに趙雲の後を追って、趙範の無礼を謝罪する。

今は趙範も反省しおり、正式に詫びたいと申し出ていると告げた。


そう言われると趙雲も個人の感情より、主命を取る。

桂陽を無事に手に入れるため、趙範の謝罪を受けいれることにした。

先ほどの部屋とは違う部屋に案内された趙雲は、言われるがままに席につく。


間もなく趙範が来るので、それまでの間、時間つなぎということで、酒を勧められる。

酌をするのは、今度は陳応だが、その手が僅かに震えていることに、趙雲は何かを悟った。


杯に酒がなみなみ注がれると、「一人で飲んでもつまらない。ぜひ、どうぞ」と、手にする杯を陳応に渡すのだった。

受け取った陳応は、なかなか口につけようとしない。

その様子に趙雲は確信するのだった。


「まさか、毒や薬の類が入っているわけではないのだろう?」

「くそ」


陳応は杯を床に投げつけると、趙雲に躍りかかるが、あっさりと青釭の剣の錆となる。

同じ部屋に身を隠し、機を見計らっていた鮑隆をみつけると、こちらも一刀のもと斬り伏せた。


血塗られた青釭の剣を片手に、先ほどの部屋に行くと、まだ趙範がそこにいる。

趙雲の姿を見ると、ことの失敗を悟るのだった。

持っていた杯を床に落とし、その場にへなへなと崩れ落ちたところ、趙雲の部下たちに縛りあげられる。


落城の報告のため使者を送ると、劉備と諸葛亮が翌日には、桂陽城にやって来た。

趙雲の成果を労うのである。


そこで、趙範から話を聞いたのか、改めて樊氏を嫁に取ることを劉備からも打診された。

ところが、趙雲は丁重に断る。


「美女が嫌いなのか?」

「いえ、私も美女は好きです。ただ、桂陽を武力で取った手前、その城主の兄嫁まで取ったとなれば、よからぬ噂もたちましょう。我が主君の威光にも傷がつくかもしれません。それでは、家臣失格でございます」


趙雲の言い分は、立派だった。何を優先すべきか、しっかりとした信念が趙雲にはあるのだろう。

「美女がおらずとも武士の務めは果たせます。私は妻を娶ること以上に、武士の務めが果たせないことを恐れます」

劉備と諸葛亮は、趙雲に真の武士の姿を見るのだった。

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