第147話 白眉の臣従

陸口にて、江陵城制圧に向かう準備をする周瑜。

考えて考え抜いた結果、合肥は孫権に対処してもらい、徐州対応はひとまず、様子見とすることにした。


念のため、張昭に同行を願っており、場合によっては、徐州を引き受けてもらうという作戦をとる。

一見、後手に回りそうな布陣だが、その判断に踏み切れたのは徐州の奇才、陳登が揚州と隣接する広陵郡にいないことが大きかった。


陳登は、あの孫策ですら煮え湯を飲まされたことがある戦巧者。

もし、彼が広陵から下邳に移っていなければ、周瑜もこの決断を下すことはできなかっただろう。

その点は徐州内の人事に助けられたことになる。


また、今回の戦の主戦場は、荊州中部から北部と周瑜は捉えていた。

孫権には、無理に攻め込まなくてもいいということを伝えてある。


曹操の狙いは、あくまでも孫呉の兵の分断であり、本気で合肥方面から攻め込む気はないはずだからだ。

増援が得られないのは、確かに厳しいが、戦の勝敗を決定づける要因にはならない。


『その程度のことで、この周瑜に足枷をつけたつもりで、いい気になっているとは、私を侮るのもいい加減にしろ』

自身の戦略で、してやったりと思っている曹操に目にもの見せてやる。

そう胸に闘志を秘めて、周瑜は陸口を出発するのだった。



同じころ、劉備がいる夏口には、友人とともにある賢者が訪れていた。

その友人とは、劉表の参謀だった伊籍いせきである。


伊籍は曹操が襄陽城に入る直前に、単独で逐電し時を待っていた。

その間、ただ潜んでいたわけではなく、同じく曹操に仕えるのを良しとしなかった者たちと密かに連絡を取り合っていたのである。

そして、曹操の影響力が薄くなった頃合いを見計らって、劉備のもとへ参上したのだ。


「赤壁の大勝、おめでとうございます。お元気そうで何よりでございます」

「なに、孔明と周瑜殿がうまくやってくれたおかげさ。それより、約束通り、俺の元へ来てくれて嬉しく思う」

「時間をおかけしましたが、その代わりに頼もしい同志とともに参りました」


伊籍が同志として、連れて来たのが馬良ばりょうという知者。

馬良のあざな季常きじょうといい、五人兄弟の四男だった。


この兄弟は、いずれも優秀と評判で全て字に『常』の文字がつく。その中でもとりわけ馬良が秀でていたことから、荊州では『馬氏の五常、白眉はくびもっともよし』と言われていた。


それは馬良の眉に白い毛が混じっていたことに由来する。

同じ荊州に住んでいた諸葛亮も馬良の名声は、当然、聞き及んでおり劉備に大賢者の一人ですと太鼓判を押した。


「馬良殿、これからは俺に力を貸してくれるということでいいのかな?」

「微才ながら、お手伝いさせていただければと思います」


馬良のすぐ下の弟の馬謖ばしょくも劉備への仕官を望んでいるらしい。

今日は代表して、兄の馬良だけが来たとのことだが、劉備は快く馬謖の仕官も承認した。


その馬良、荊州南部の四郡攻略に際して、早くも進言があるという。

劉備は、その提案を傾聴した。


「荊州、四郡を平定する前に、まずなさることがあります」

「それは、何だろうか?」

「劉表殿の遺児、劉琦殿を荊州刺史に推挙して下さい」


馬良の献策を、諸葛亮も「良策です」と推奨する。

その狙いは、劉表の遺児を荊州の主と推すことで、伊籍や馬良のような旧劉表の家臣や兵士たちが劉備の元に集まるというのだ。


理由を聞くと劉備も納得する。

そもそも亡き劉表から息子たちの後見を託されていた。

その約束も果たすことができる。


「そこで集まった兵を使い、四郡の攻略を行います」

「分かった。それでは、どこから攻めるべきだろうか?」

「そうですね。まずは、零陵を攻めて中央に楔を打ち、次に桂陽、武陵、最後に長沙の順がよろしいかと思います」


諸葛亮も隣で頷いているので、戦略的に間違いはないのだろう。

劉備は馬良の策を用いることにした。


早速、劉琦を荊州刺史に推挙する使者を朝廷に送る。

曹操が牛耳る朝廷だけに通るかどうかは微妙だが、こういうことは手続きを行うこと自体が大切なのだ。

形式的でも朝廷に使者を送ることによって、劉琦の荊州刺史を劉備が推していると天下に表明したことになる。


その効果はてき面で、馬良の狙い通り、潜伏していた旧劉表の家臣たちが劉備の元に次々と集まりだした。

長坂で曹操の蹂躙を受けた者たちやその家族からの志願兵、赤壁での大勝による宣伝効果があって、兵士たちも急速に増えいく。

その数は、三万人にまで膨れ上がった。荊州南部を攻めるだけの戦力は十分に整う。


集まった旧劉表の家臣たちも十数名ほどとなり、劉備は、まず、駆け付けてくれた彼らに挨拶を行った。

見渡す限り、名の通った者も数人見受けられる。その中で、主だった者の名を挙げると、まず、諸葛亮と同窓の向朗しょうろう。その他では、荊州の豪族・霍峻かくしゅん湘郷県しょうきょうけんの県令・潘濬はんしゅんらと、なかなか粒が揃っているように思える。


「今回、荊州南の四郡を曹操の手から奪還する。あくまでも荊州の主は劉琦殿だが、琦君は病弱であるため、後見として俺が立つ。そのことも理解した上で賛同してくれるのならば、ついて来てほしい」

最初に劉備の立場を説明したのは、集まった者たちへ誠意を見せたのだった。


元より、伊籍と連絡を取り合っていたため、その辺は十分に理解して夏口に来ている。

集まった者の中から、劉備の発言に不満を表す者はいなかった。

これで、皆、同じ方向を見据え、一致団結して四郡の攻略に向かうことができるのだ。


但し、この中で一人だけ、まだ完全に心服はせず、劉備を値踏みするように見つめる人物がいる。

それは、正体を隠して小役人に扮装している龐統だった。


『あれが孔明ちゃんが仕えている劉皇叔ね。まぁ、人を惹きつけるだけの覇気は、確かに感じられる。後は、本物かどうか、見させてもらいましょうかね』


ここに集まった際、向朗と目が合ったときはヒヤッとしたが、龐統のいつもの奇行だろうと黙っていてくれているのには助かった。


後は、諸葛亮に見つからないように目立った行動を控えればよい。

龐統は、時間をかけてゆっくりと劉備という人物を見極めようとするのだった。



合肥城についた曹操は、その造り、城に連なる砦や堤防が兵法の理に適っていることを絶賛する。

この合肥城を強固なものとしたのは、先だって亡くなったばかりの揚州刺史・劉馥りゅうふくだった。


劉馥は前任の厳象げんしょうに代わって、単身で九江郡に赴任すると、付近を荒らし回っていた袁術の残党、雷緒らいしょ陳蘭ちんらんを懐柔し味方につける。

そして、数年かけてこの地に恩徳と教化を行き渡らせて、善政を施した。


その恩恵に与ろうとした人々は、山や河を越えてまで集まり、その数、なんと数万単位に上ったという。

劉馥は、この合肥を州都と定めると、学校を建てたり屯田・灌漑を推進したりと、勢力的に事業に取り組むことで、暮らす民の生活を豊かなものにした。


そのおかげもあって、合肥は、数年で一大都市に変貌するのである。

当時、袁家と対峙しており、合肥に足を運ぶことができなかった曹操だが、その頃から、劉馥の仕事ぶりについては、高く評価していた。ただ、実際に目の当たりにすると、改めて、その手腕に感服するのである。


その劉馥は、存命の頃から、孫家を強く警戒し、来たる戦に備えて物資も豊富に備蓄していた。

その慧眼には、曹操も恐れ入る。


この城砦であれば、曹操軍の内情が疫病を患った半病人だらけだとしても、十分、対抗できるはずだ。

仮に張子の虎としても、その役割を果たせるように思う。


落ち着くと曹操は、劉馥の他にもう一人、孫家を警戒していた男のことを思いだす。

それは徐州の陳登である。

陳登は、常々、孫家を早めに討つべしと唱えていた。


その言を聞かずに、孫権の巧みな外交に甘い顔をしていたしっぺ返しが、今回の赤壁の敗戦とも言える。

曹操は、思い出したついでに陳登を動かそうかと思案した。


陳登はかつて、自身の居城・匡琦城きょうきじょうにて自軍の十倍となる孫策軍を追い返した実績がある。

孫権に対する、これ以上ない嫌がらせとなることだろう。


『まぁ、主戦は子孝に任せて、こちらでは多少、遊ばせてもらおうか』

周瑜の見立て通り、曹操の合肥城入城は江陵攻めの牽制である。

孫権軍を引き付けておくのが、最大の役目なのだ。


これで、赤壁で自軍を破った力が本物かどうか真価を見定める。

曹操は、周瑜のお手並み拝見と決め込むのだった。

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