第23章 荊州争奪編

第146話 それぞれの思惑

赤壁の戦いは、孫劉同盟の大勝に終わったが、劉備も周瑜も結局、曹操については討ち漏らしてしまった。

敗れた曹操は、未だ荊州に留まっており、江陵を拠点として劉備、孫権に睨みを利かせている。


戦局が一旦、落ち着いた今、今後の作戦・方針について、劉備と周瑜で話し合うことになった。

打合せの場に選ばれたのは、江夏の夏口城。


名目上、ここの城主は劉琦であるため、一応、同席はするが、このところ体調を崩して床に伏す日が多くなっている。

この日も挨拶にだけ顔を出して、すぐに退席するのだった。


「ご病気か何かか?」

いなくなった劉琦の病状を周瑜は確認する。何気なく聞いたつもりだが、劉琦の命数は、孫呉にとって重要な情報の一つだ。


「いや、俺は蔡瑁、蔡夫人に毒を盛られた後遺症だと睨んでいる。だから、あいつらだけは、絶対に許せねぇんだ」

劉備の言葉が正しければ、劉琦は長く持たないかもしれない。腹の探り合いで、こうも簡単に情報を引き出せるとは、案外、劉備も大した男ではないようだ。


周瑜が内心で、せせら笑っていると、横に立っている諸葛亮と視線が合う。

諸葛亮は、そんな周瑜の内面の機微を察したのか、微笑みを返してきた。


その様子に、諸葛亮が語るのを止めていないということは、劉備にとって劉琦のことは大した情報ではないのかもしれないと思い始める。

そうでなければ、姿を見せることもしないだろう。

周瑜は悦に浸るのを止めた。


「我が君」

「おお、そうだった。今後についてだな」


話が逸れたので本題に戻る。江陵に陣取る曹操軍への対応が、今回の話合いの議題だ。

この場に同席しているのは、孫権側が周瑜と魯粛。

劉備側は劉備と諸葛亮、それに簡雍だった。但し、簡雍は議論に参加するというよりは、出席者の世話をするような立場で同席しているようである。


「江陵城は、我が軍で落とすゆえ、劉備殿は手出し無用に願いたい」

赤壁で大勝したとはいえ、孫権はまだ、領土的な戦果を得ていなかった。


江陵攻略に劉備も参加し、後で割譲云々を言われるのが嫌だったのだろう。

周瑜は機先を制して、釘を刺しに来たのだ。


「だが、今度は陸上戦。孫呉だけで、本当に大丈夫かい?」

「なっ」

挑発ともとれる劉備の言い方に魯粛が反応するが、先に諸葛亮が羽扇で制した。


「我が君、周瑜殿が得意なのは水上戦だけではありません。陸上戦も超一流でございますぞ」

「そうなのか?それは、失礼した。申し訳ない」


すぐに劉備が謝罪したので、特に大きな問題にはならずに済む。

周瑜は、喉の奥を鳴らして笑うのみだった。


「ただ、一つ、気になる情報がございます」

「何かな?」

「曹操が九江郡の合肥がっぴに陣を移すというものです」


周瑜は、思わず唸り声を上げた。その話が本当なら、孫呉は江陵と合肥の二面攻撃を余儀なくされる。

いや、合肥であれば、隣の徐州にも気を配らねばならず、下手をすれば三面攻撃か・・・

周瑜は頭の中で、素早く軍の編成を考えた。


「もし、軍が足りないのでしたら、我が軍が江陵を攻めて、周瑜殿が合肥、孫権殿が徐州への牽制を図るという方法もございますが?」

「いや、心配ご無用。合肥には我が主君に当たってもらう。気にしている徐州については、まだ、流動的。対処は別に考えるので問題はない」


合肥の軍の規模によるが、周瑜の中ではぎりぎり何とかなりそうな算段が立つ。

ただ、江陵攻めに関しては、これ以上の増援は望めなくなってしまった。


「それでは、周瑜殿の江陵攻めの際に後顧の憂いを除くため、荊州南は我が軍で攻めるということでよろしいか?」

現有戦力で挟み撃ちに合うのは、周瑜も避けたい。

この件は認めるしかなかった。というより、願ってもない提案でもある。


「うむ。それは問題ない。好きにされよ」

こうして、周瑜が江陵攻め、劉備が荊州南を攻めるということで、会議は終わった。

帰り際、魯粛が劉備の荊州南の攻めを認めて良かったのかが気になる。


「挟撃を懸念すれば、仕方ありませんが、本当に良かったのでしょうか?」

「仕方あるまい。いずれにせよ我らが荊州北部をとれば中央へ蓋をすることになる。荊州の南を劉備がとっても、それ以上は何もできなくなるはずだ」

「確かにそうなりますね」


周瑜の言葉には一理ある。魯粛も納得して陸口に帰るのだった。

一方、劉備側は、また違った感想を持っている。


「あんな簡単に荊州南部の攻めを認めるんだな」

「曹操さんが一流の戦略家だったのが、助かりましたね」

劉備の疑問に簡雍が解説する。諸葛亮から、「ご明察」とお墨付きまでついた。


「なるほどね。・・・で、どういうことだ?」

簡雍はため息を漏らすが、それ以上の説明は軍略に関わること。

諸葛亮に任せることにする。


「曹操が合肥に軍を進めるのは、周瑜殿の江陵攻めの牽制です。無視はできないので、軍を割かなければならない」

「それは、そうだな」

「この作戦での曹操の狙いは、兵の分断です。兵数が少ない孫呉が、更に兵を分けなければならないため、江陵攻めは苦しいものとなるでしょうね」


これが戦術ではなく、戦略での戦い方ね。

劉備は、説明を聞いて納得するのである。


「それで荊州南部にまで回す兵が足りないが、無視することもできず。そこで、俺たちの出番か」

「その通りです」


何か自分を中心にうまく世の中が回りだした。そんな錯覚をする劉備だった。

「周瑜さんの江陵攻めが苦戦ならいいですけど、あっさり敗れた場合、挟撃に合うのは我々ですからね」

調子に乗りそうな劉備に簡雍が注意する。劉備は考えてもいなかったことを言われて、驚いた。

「そうなのか?」

「周瑜殿のこと。簡単に敗れることは、そうないと思います。・・・ただ、その可能性はございますので、我らは四郡を電光石火で取りに行きます」


諸葛亮がいう四郡とは、武陵ぶりょう零陵れいりょう長沙ちょうさ桂陽けいようの四郡のことである。

とにかく電撃戦が必要なことだけは、劉備も理解した。


これで周瑜、劉備の荊州における方針が定まったことになる。

ただ、諸葛亮には、一つだけ説明を省いたことがあった。


まぁ、特段、知ったところで何かが変わるわけではない。

曹操の思考については、そのまま黙っておくことにするのだった。



赤壁で敗れた曹操は、敗残兵の収拾に取り掛かる。

江陵は遠く、西に逃げて来る者は少なかったが、代わりに北に逃げた者が意外と多く、豫州汝南郡に残党兵が集まっているという報告を受けた。


そこで、曹操は一計を案じる。

豫州経由で揚州九江郡に入り、孫権を揺さぶろうというのだ。


「ここで一旦、劉備を諦めて、標的を孫権に変えようと思う」

「それが九江郡に軍を進める理由でしょうか?」

「そうだ」


司馬懿の質問に、曹操は短く答える。

今回の南征では、劉備を破滅の瀬戸際にまで追いつめることができた。

できたがゆえに、劉備に固執しすぎたのが、失敗の原因の一つと分析している。


そこで、一度、劉備のことを忘れようというのだ。

赤壁の敗戦で、孫権や周瑜が侮れないと分かった以上、早めに手を打っておく。

出る杭は、早期に叩いておく必要があるのだ。


「九江郡のどちらに兵を配置しますか?」

「それは、合肥だな」


九江郡と廬江郡の州境に巣湖そうこという湖があり、そこで曹操と孫権の勢力圏が分かれていた。

巣湖の北にある曹操の拠点が合肥城なのである。


合肥という場所は攻めどころとしては、なかなかの妙案で、距離の関係上、江陵城を攻めるであろう周瑜と合肥の孫権軍の連携をとることは難しかった。

徐州から長江を上れば、曹操は孫権軍の背後を取ることも可能であるため、戦う上でこれほど利する場所はないように思う。


この合肥に、曹操自ら出向き、江陵城は曹仁と徐晃に任せることにした。

後詰として、当陽城に満寵、襄陽城に楽進を配置する。

これで守備としては問題ないはずだ。


「赤壁の雪辱を晴らすのは、早ければ早い方がいい。神風はもう吹かない。諸将よ、奪われた勝利を取り返しに行こうぞ」

曹操の号令のもと、軍は動き出した。

荊州を中心に三つの勢力の思惑が交差するのだった。

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