第120話 旅は道連れ

諸葛亮は出仕するための身支度をしていると、一羽の鳥が羽ばたいて窓にとまる姿に驚いた。

体は黒いが、羽は白く背中の羽には明るい青色がよく映えて見える。


かささぎとは、縁起が良い」

諸葛亮は、この珍しい来客を喜んだ。

気分を良くしたまま、劉備の元に向かう。


「我が君、そろそろ新野の住民たちが到着するころです。我らは先に出て、襄陽城への露払いをしておくべきかと思います」

「そうだな。劉琮に先にかけ合っておくか」


諸葛亮の提案に従い、劉備は襄陽城に向けて、出発しようとした。

すると、ここで予想外のことが起こる。

それは、劉備の南下に樊城の住民までもがついてくるというのだった。


曹操が過去に行った徐州での大量虐殺。

このことが醜聞として荊州には伝わっており、民たちが、今度は自分たちの番だと思い込んだ結果だった。

これから向かうのは、目と鼻の先の襄陽城だと説明しても、それでもついて行きたいときかない。


「大将、どうします?」

「そりゃ、放っておくわけにはいかないだろう」


元々、新野城の住民も襄陽城に収容してもらう予定だった。仕方がないので、ついでに樊城の民も受け入れてもらおうと考える。

例え劉備と敵対する立場でも、連れて行くのは自国領の民だ。劉琮が拒否することは、まずないだろう。

劉備には別の用件もあり、併せて襄陽城を目指すことにした。


予定人数を大幅に越えてしまっていたため、漢水の渡河には一苦労したが、時間をかけて、何とか襄陽まで辿り着く。

やっとの思いで到着した城だが、樊城の住民を引き連れている劉備に対して、襄陽城の門は開かない。


敵となった劉備に対して、当然と言えば当然だが、劉備には大切な用事があった。

それだけは、必ず聞き届けてもらわなければならない。

劉備は、その門の奥にいるであろう襄陽城の重臣たちに向けて、大きな声を張り上げた。


「考え方の違いで袂を分かつことになったが、七年もお世話になった恩は忘れねぇ。劉表殿の墓前で哀悼の意を伝えたい」

劉表が眠る墓は、襄陽城の東門近くにあると聞いている。

そこへ入る許可を劉備は求めたのだ。


すると、門は開かなかったが城郭に蔡瑁が現れる。

「せめてもの手向けだ。それくらいは許そう」

「それから、俺の後ろにいるのは、樊城の住民だ。曹操の襲来に怯えて避難してきた。彼らだけは襄陽城に入れてほしい」


劉備は、当然、受け入れられると思っていたが、蔡瑁からの返事は違うものだった。

「それはならん。我らは曹操丞相に降伏した。その丞相を恐れる者どもを受け入れれば、我らの信用が失われる」

「そんな馬鹿な。お前らの国の民だぞ」

「ならんものは、ならん」


蔡瑁の答えは、一点張りで埒が明かなかった。とりつく島がないとは、このことだろう。

「いっそ、この城を奪いますか?」

関羽が劉備に耳打ちするが首を振る。


今、襄陽城を奪ったところで、蔡瑁をはじめとした豪族たちが劉備の言うことを聞くとは思えない。

兵力が整わないのであれば、城を取るだけ無駄なのだ。


それに劉表から、遺児たちを託された件もある。

ここに至っては、後見人はもう無理だが、かといって争うことは憚られた。但し、最後にきっちり、しつけだけはしておいてやろうと劉備は考える。


「おい、劉琮、聞いているか。国ってのは、何をもってなすか理解してねぇみたいだから、教えてやる」

劉備の大声は、襄陽城内にいる劉琮にも確かに届く。まだ、名前を呼ばれただけなのだが、その迫力に慄くのだった。


「国ってのは、主君がいる城のことじゃねぇ。民がいる場所が即ち国だ。その民を見捨てるってんなら、いつか国そのものがお前の前からなくなるぞ」

人によっては、王がいる場所が国だと唱える者もいるだろうが、蔡瑁は何も言い返せずにいる。


劉備は、きびすを返すと、そのまま、劉表の墓へと向かうのだった。

劉表の墓は、当然だが、真新しく綺麗だった。

もし、この場所が曹操の兵馬に荒らされるようなことがあったらと想像すると、劉備の胸は締め付けられる。

劉表は無道の王だったわけではない。曹操が降伏者に対して、そこまではしないとは思うが・・・


一通り、今までの感謝の気持ちを伝えると、最後にこの恩人の最後の言伝を守れないことを深く詫びた。

「ふぅ。すっきりはしないが、踏ん切りはついた。行こうか」

一緒に墓を訪れていた、供たちに声をかけて、劉備は襄陽城に戻ろうとすると、そこに伊籍がやって来る。


「劉皇叔、これから南にお逃げになると思いますが、行くあてはございますか?」

交州こうしゅう呉巨ごきょは、昔馴染みだ。彼を頼ろうと思うが、まだ決めたわけじゃない」

「それならば、江陵県を目指すのがよろしいと思います。あそこは物資の倉庫となっておりますので、きっと、劉皇叔のお役に立てると思います」


これは、思わぬ情報を知り得た。

劉備は、伊籍の手を取り感謝する。


「今はともに行動できませぬが、機を見て必ずお訪ね致します」

「心より、お待ちしています」


伊籍と別れ、襄陽城の前に戻った劉備は、予想外の光景に驚いた。

「な、なんだ、これは?」

劉備が墓参りから戻ると、避難のために引き連れていた住民の数が途方もなく増えているのだ。

軽く十万を数えるほどである。


「新野の民が到着したにしても多いですね」

諸葛亮も一緒に驚いていると、このからくりを簡雍が調べて戻って来た。


「新野の住民の他、襄陽城の住民も混じっているようです」

「何だって?」


この目の前の立派な城に残っていた方が安全だと思うのだが、それでも劉備についてくるというは、どういうことだろうか?

荊州には長らくいたが、その間、講釈師たちは、一体、劉備をどのような英雄に仕立て上げたのか疑問が残る。


住民の中には年寄りもいれば子供もいた。

歩く速度は、おのずと弱いものに合わせなければならず、民を引き連れての行軍は、遅々としたものにしかならない。


曹操軍の追手か迫ることを考えれば、足手まとい以外の何ものでもないが、かといって見捨てるわけにもいかないのが辛いところだった。

劉備が困り果てているところに、新野から参上して来た張飛、趙雲らが挨拶に現れる。


「お前たち、よくぞ無事に戻って来てくれた」

劉備が家臣たちの労をねぎらっていると、張飛が新野城での成果を報告した。


「長兄、喜んでくれ。新野において、曹仁、曹洪の軍を壊滅に追いやった。これで、多少は追撃を鈍らすことができるはずだ」

「そうか、みんな、よくやってくれた。それにしても、さすがは孔明の策といったところだな」


劉備以下、面々が喜んでいる中、当の諸葛亮一人が怪訝な表情をしている。

「張飛将軍、少々、お尋ねしたい。私の策では、少なくとも曹仁、曹洪軍の半数には打撃を与えられると考えておりましたが、壊滅とは戦果として大きすぎます。何か変わったことはございましたか?」

「おお、伝え忘れていた。軍師のご友人、龐統殿が現れて、策を授けてくれたことが非常に大きかった」


突然、水鏡先生の弟子の中で、諸葛亮と並び称される龐統の名前が出て、劉備は驚いた。

「して、その龐統殿は、どちらにいる?」

所在を確認するが、張飛は頭を振る。


「それが、策が的中し曹軍の壊滅を確認した後、どこかに行っちまった。方々、探したんだが、結局、見つからないんで我らだけ、ここまで来たというわけだ」

会えなかったのは残念だが、曹操と敵対の立場をとってくれているということだけでも分かったのは収穫だった。

諸葛亮も龐統の知恵が加わったのであればと納得する。


「我が君、お喜び下さい。士元の助力のおかげで、私の影は更に大きくなりました。これで曹操の足が更に鈍ることでしょう」

諸葛亮の影とは、分かりにくい表現だが、劉備にとって有利に働いたことだけは分かった。


曹操を足止めできている状況を加味すれば、この膨れ上がった民たちを連れて歩くことになっても、何とかなるだろうか。

劉備は深く考えるのだが、正直、答えは決まっていた。

後は、覚悟の問題である。


「大将、劉琮さんに説教かました手前、民を見捨てたら、格好悪いですよ」

「だな」


劉備は大きな決断を下すと、民たちの前に立った。

それまで、ざわめいていた民たちがしーんと静かになる。


「俺は、これから南の江陵県を目指す。正直、俺はみんなが思っているような英雄じゃないし、旅の安全も保障はできない。それでも、俺と一緒に行きたいと思う奴は、ついてきてくれ」

この言葉に静かだった民から、一斉に歓声が湧き上がる。

その声の大きさに襄陽城では、劉備に攻め込まれたと勘違いを起こすほどだった。


確認するまでもなく、ここにいる民は全員、ついてくる様子。

「じゃあ、行くよ」

劉備を先頭に行進する大集団。

その前を複数の鵲が羽ばたいていくのだった。

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