第108話 水鏡、弟子を語る
劉備の元を離れて許都に到着した徐庶は、まず、母親を手厚く面倒をみてくれている曹操に挨拶を行った。
身寄りのない母親を保護してくれたのは、曹操である。
思惑があってのことだとしても、その点は感謝しなければならなかった。
しかし、何故、年老いた母親が許都で暮らすことになったのか?
ずっと疑問だったが、調べてみると、蔡瑁の手の者が母親を拉致して、許都に届けられたことが分かった。
曹操は、その状況をうまく利用しただけなのだ。
つまり、元凶は蔡瑁。徐庶は、断じて蔡瑁を赦すまいと心に誓った。
「君が徐福だね。ご母堂が不安がられている、私への挨拶はいいから、早く会われるがいい」
「はい。かたじけなく思います。また、母上の件、ありがとうございます」
さすがに曹操には王者の風格がある。徐庶の仕官は二の次、親子の情を温めることを優先させる余裕があった。
徐庶は、早速、母親が住んでいるという家を訪れる。
家に入ると、すぐに懐かしい顔が見えた。
母親は徐庶の顔を見ると、一瞬、明るくなるも、すぐに落胆の表情を見せる。
「あの任侠まがいだった息子が劉皇叔にお仕えすることになったと聞いて、喜んでいましたが、やはり私は、育て方を間違えたようですね」
「ご叱責、十分に理解できますが、私は母上を放っておくことができなかったのです」
「ああ、この私が息子の将来を閉ざしてしまうとは・・・」
母親は悲嘆にくれ、はばかることなく涙を流す。
徐庶は、いたたまれない気持ちでいっぱいになった。
「少し、外します」
「お待ちください」
母親が部屋を出ていこうとする時、徐庶は止めて、懐から手紙を差出した。
「これは?」
「劉皇叔から、母上宛ての手紙です」
手紙を受け取った母親は、手紙を読むとその場に崩れ落ちる。
涙には嗚咽も混じった。
「貴方も苦渋の決断だったのですね。元直ばかりを責めて、ごめんなさい」
劉備の手紙には、まず、徐庶の智謀に助けられたお礼とそんな徐庶を育ててくれた母親への感謝が記されている。
次に今回の許都へ向かうことも、渋る徐庶を無理矢理、劉備が指示したことで実現したと書かれていた。
「劉皇叔ともなると、私なんかの行動もお見通しのようだわ」
そして、最後に徐庶の行動に絶望し、早まった真似をせず、親子の絆を固く結び直してほしいと締められている。
この手紙を読まなければ、きっと母親は自害をしていたことだろう。
徐庶は、劉備と簡雍に感謝した。この手紙は簡雍が劉備に促したことにより、いただいたものなのである。
「母上、私は徐庶と改名し劉皇叔にお仕えしました。私が水鏡先生のもとで学んだことを活かすのは、この名前でいる時だけ。この許都では、徐福に名前を戻すことに致します」
「元直は、それでいいのかい?」
「はい。これは劉皇叔にもお伝えしておりませんが、私はここにあって、
徐庶は、曹操の元ではその知略は使わないと誓った。
息子の誓いを尊重すると、張りつめていたものが解消されて、優しい母の表情を見せる。
「何だが、今日は疲れました。貴方も疲れたでしょう」
徐庶と母親は、久しぶりに親子の時間を過ごすのだった。
「大将、口、開いてますよ」
どうやら、劉備は呆けていたようだが、簡雍に指摘されるまで気づかなかった。
徐庶が去ってから、一週間、似たようなことが続いている。
「重症なところ、申し訳ありませんが、お客さまですよ」
「これは、水鏡先生」
簡雍に通されて、やって来たのは水鏡だった。
徐庶の師である彼は、弟子の精勤ぶりを見るために立ち寄ったとのこと。
しかし、徐庶は曹操の元へ行ったばかり。水鏡は弟子に会えずに残念がった。
劉備は、話題を変えて、徐庶が去り際に伝えた伏竜こと諸葛亮について尋ねる。
「諸葛亮孔明殿は、隆中にお住まいとのこと。今まで聞いたことがあまりありませんが、どういった方でしょうか?」
「徐庶は、名前だけではなく、所在までも伝えていったのか」
水鏡は、やれやれと肩をすくめた。たが、元をたどれば、水鏡本人が劉備を焚きつけたようなもの。
これも運命であろうと、水鏡は諸葛亮について語った。
「まぁ、一言で言ってしまえば天才。彼にとって、学問とは知識の習得ではなく、活用なのです。大概の者は、知って満足するが、彼はその知識を使って、どうやって行動に移すかを考える。そこが凡百の者との大きな違いです」
学問を苦手としていた劉備にとって、耳が痛い話だが、隣で簡雍が「うん、うん」と頷いている。
更に水鏡は続けた。
「普段は
以前、水鏡の庵で、英傑はまだいると言っていたが、そんな古の大軍師と同じ評価を諸葛亮に下すほどとは思わなかった。
「ただ、それほどの人物が、劉皇叔がおっしゃるように、どうして今まで、名前が知られていないか、お分かりになりますか?」
「才を見出す者がいなかったから、ではないでしょうか」
「善いかな、善いかな。それ以前の話で、彼の主君たりうる人物に出会えなかったから、世にも出なかったのです」
諸葛亮が姜子牙や張良ならば、仕えさせるには周の
果たして、劉備はその器だろうか・・・
「自尊心も高い。もし、徐庶の代わりということで招聘しても応じることは、まずないでしょう」
「そこは徐庶からも、自ら諸葛亮殿の元を訪れよと言われております」
「それがよろしいですね」
賢者を招くにあたっては、謙虚にならなければならない。
ましてや、それが大賢者となれば、尚更だと水鏡は熱弁する。
「しかし、孔明が我らの仲間から抜けるのは、少し寂しい気もしますね」
「水鏡先生のお仲間とは、他にどのような方がいらっしゃるのですか?」
「
水鏡が上げた名前、徐庶はともかくその他の三名については、劉備も聞き覚えがある。
しかし、諸葛亮に関しては、さっぱりだ。
それだけ、秘された人物、何か神秘的な雰囲気すら感じる。
水鏡は、諸葛亮孔明に関わる情報や助言を一通り、劉備に告げると新野城を後にした。
最後、劉皇叔なら伏竜を射止める可能性はあるという言葉を残す。
劉備が、なぜかと、問うと、
「孔明は、徐州
曹操が父の敵と称して、当時の徐州牧、陶謙を攻めたとき、そこに住む徐州の民を大量虐殺して回ったことがある。
劉備は、その時、僅かながら手勢を率いて、徐州の救援に赴いたのだった。
結果として、曹操を撃退することもやってのける。
諸葛亮は、その時の戦争被害者なのだろう。
この話をまともに受ければ、諸葛亮は曹操に思うところがあり、劉備には何がしかの恩義を感じているかもしれない。
世の中、どこで何がつながるのか分からないものだと、劉備は改めて思った。
かといって、そのことを鼻にかけるわけにはいかない。謙虚さを忘れてはならないからだ。
「よし、早速、明日にでも隆中へ向かおう」
この一週間、死んだような目をしていた劉備にやっと活力が戻る。
その様子に、簡雍を始めとした臣下たちはほっとする。
「向かうのは、どういった人選にしますか?」
「そうだな、・・・新野を空にはできない。子龍と叔至、悪いが留守を頼む」
趙雲と陳到は、承知しましたと口を揃えた。
「雲長、益徳、憲和、明日は俺について来てくれ」
劉備は挙兵時の仲間で、諸葛亮を迎えることにする。
原点回帰。
この荊州で、新たに軍師を迎えて再出発を図る。そういった意味でも挙兵時の仲間とともに、諸葛亮を会おうと考えたのだった。
簡雍は水鏡の話を聞いて、諸葛亮に俄然、興味が湧いており、関羽や張飛は、劉備に付き従って行動することに、何の異論もない。
「徐庶や水鏡先生が、ここまで言う人物だ。どんなことをしてでも味方になってもらうぞ」
「我々は、何も持ち合わせていません。見せられるのは誠意だけです。大将、頼みますよ」
「ああ、分かっているさ。そこは任せとけ」
劉備は、期待に胸を膨らませて、明日の手筈を整えるのだった。
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