第109話 賢者を求めて、隆中へ

「それじゃ、行こうか」

劉備は、打合せ通り、関羽、張飛、簡雍を伴って隆中に住んでいるという諸葛亮の元へ向かった。


新野から隆中までは、およそ二百里の道のり、往復、四百里となれば一日がかりの大移動である。

劉備は、朝早くから新野城を出るのだった。


太陽が真上に差し掛かったころ、やっと隆中に到着した劉備一家。

これから、伏竜こと諸葛亮の住まいを探さなければならない。

劉備は、畑で農作業を行っている夫婦を見つけると、近寄って話しかけた。


「申し訳ないが、諸葛亮殿はどちらにお住まいか、教えてもらえないだろうか?」

「諸葛亮さんですか?はて、誰のことだ・・・」


尋ねられた農夫は、身分高そうな劉備の姿に、一瞬、驚くがすぐに落ち着くと、自分の記憶の中を探る。なかなか思い出せそうにない様子に劉備は困惑した。


徐庶や水鏡が嘘を伝えるとは思えない。

隆中は、それほど大きな村ではないため、住んでいる人の数も限られているはずだが・・・

別の人にも尋ねてみようと思った矢先、農夫の嫁の方が何かを思い出した。


「あんた、そう言えば、村の外れに住んでいるあの若い方。たまに偉い学者さんが訪ねに来ているけど、その人のことじゃないかい?」

「ああ、奇妙な物をつくったりする。あの変わった若者か」

農夫婦の意見が一致するが、劉備が抱く諸葛亮の印象とは、少しかけ離れたことを話している。


「変わった若者とは?」

「あ、変な意味ではなく、普通の人とは違うという意味です」

「ええ、こないだ作った物も『九連環きゅうれんかん』って言ったかしら、工夫を凝らさないと外せない輪の集まりを見せて下さいました」


何のことかさっぱりわからなかったが、とにかく変わった物を作る若者がいることだけは理解した。

とりあえず、その若者が住んでいるという場所を、この農夫婦に教わる。


「・・・でも、諸葛亮さんって名前じゃないよな?」

「そうね。たしか伏竜さんじゃなかったかしら」


『伏竜』

決定的な言葉が出た。村の中では、その道号で通しているとは思わなかったと、劉備は苦笑いをする。

「伏竜!いや、それで合っている。情報、感謝します」

劉備は、僅かばかりの謝礼を農夫婦に渡すと、早速、教わった家へと急いだ。


「どのような人物か、想像もつきませんな」

道中、関羽の言葉に劉備は頷く。天才と言われる人種には、どこかぶっ飛んでいる者もいると聞く。

諸葛亮も、そういった人物なのかもしれない。


「過激軍師の次は、奇人軍師か」

「益徳、徐庶の実力は認めていただろう。その徐庶が推薦する人物だ、失礼だけはないようにしろよ」

「はいはい。分かりましたよ」


劉備が張飛をたしなめている内に、目的の家に着いたようだ。

目の前には草庵があり、柴門さいもんでは童子がほうきで掃除をしている。

その童子に、主人への取次ぎをお願いした。


「申し訳ないが、漢の左将軍、宜城亭侯ぎじょうていこう、領は豫洲の牧、新野城主の劉備玄徳が参ったので、主人に取次ぎをお願いできないか」

「ちょっと待って。そんなに長い名前、覚えられないよ」

「これはすまない。新野の劉備が来たと伝えてくれ」


童子は分かったというと、草庵の中へと駆けていった。

ほどなくして帰ってきた童子は、

「そう言えば、今朝早くにお出かけになっていました」と、申し訳なさそうに劉備に伝える。

別にこの童子が悪いわけではない。劉備の間が悪いだけだ。


「分かった。それでは、また来るとだけ伝えてほしい」

劉備たちは、何の収穫もないまま帰る羽目となる。


その引き帰す道中、一人の男とすれ違った。

男の向かう先には、先ほどの諸葛亮の草庵しかない。

劉備は思わず、その男を呼び止めた。


「もしや、貴方は諸葛亮殿ではございませんか?」

声をかけられた男は、驚いた表情を見せると、すぐに首を横にする。


「私は崔州平という者です。諸葛亮とは古くからの友人ですが、何かございましたか」

崔州平との友誼は、水鏡からも聞いていた。劉備も名乗ると、諸葛亮を勧誘に来たが、不在だったことを告げる。


「それでは、私も無駄足でしたな。しかし、孔明が我らの仲間から抜けるとなると寂しくなりますな」

「ははは。それは、水鏡先生も同じことをおっしゃっていました」

「うむ。それにしても、あの孔明が仕官か・・・」


立ち話も何なので、一行は崔州平らが馴染みという酒楼に入った。

「劉皇叔は、孔明を得て、何をなさりたいのでしょうか?」

「漢王朝をたすけるの一言。一つの勢力だけが力を持てば、公平な世は訪れないと考えています。私は、曹操に対抗できるだけの勢力になりたいと考えています」

「漢王朝のためですな。・・・劉皇叔は、今の世は、治世と乱世、いずれとお考えですか?」


漢王朝の世は続いているが、残念ながら乱世だと劉備は答える。

漢の臣としては、心苦しい状況だ。


「私もそのように考えます。この乱世と治世は、交互に繰り返される。これは、歴史がそう証明しております」

「もちろん、おっしゃる通りだ」

「つまり、この乱世を鎮めた後、劉皇叔がおっしゃる公平な世が訪れたとしても、時が経てば再び、乱世はやって来る。それはもう自然の摂理なのです」


崔州平の言葉に劉備は、反論しない。考え方の根本、思想がこの男とは違うと気づいた時点で、何を言ってもお互いに論破はできないのだ。

平行線となる議論は、するだけ無駄である。


「劉皇叔は、その自然の摂理を知りつつも、解決なさりたいとは、まさに英雄のみが持ち得る悩みでしょうな」

「私など、まだまだです」


その言葉を最後に、劉備は崔州平と別れた。

新野の帰る途上、簡雍が話しかけてくる。


「途中から、黙って聞いてましたけど、どう思いました?」

「あれは、世捨て人の発想だ。学者が後年、歴史書を見て、そう感想を漏らすのならいいが、今の世に生きている俺たちは、例え、自然の摂理だろうと抗わなければならない」

「さすが、英雄さまですね」


そう茶化すが、簡雍もまったく同意見だった。

崔州平の話を聞いていて、一つ心配事が起こる。


「大将、諸葛亮さんは崔州平さんと友人です。もし、諸葛亮さんも同じような考えを持っていたら、どうします?」

それは劉備の頭にもよぎったことだった。

しかし、同じ友人である徐庶や師匠である水鏡は、そこまで世の中を達観して見ている様子は感じられない。


「もちろん、十分、考え得ることだが、俺はそんなことはないと信じている。俺が待ち望んでいるのは、世に希望をもたらすようなことを語ってくれる人物。それが諸葛亮だと願っている」

「本当にそういう人だといいですね」


簡雍は相槌を打った。いずれにせよ、本日のところは空振り。

急いで、新野城に帰るのだった。



隆中への訪問から、ひと月後、劉備は諸葛亮在宅の報せを受けた。

前回の反省をいかして、事前に人を配して様子を探らせていたのである。

その報せを大いに喜んだ劉備は、早速、隆中へ向かう準備を始めた。


そんな劉備を張飛が呆れて見つめる。

「長兄、何もまた、こちらから出向く必要はないんじゃないか?一度、訪問してるんだから、今度は使いを出して、向こうから来てもらえばいいだろ」


張飛の発言は、別に面倒だから言っているわけではなかった。

目上で、尚且つ身分の高い劉備。当時の社会通念や価値観から言えば、張飛の方が至極真っ当な意見なのである。


「いや、この件に関して、俺は会えるまで何度でも訪問するつもりだ。謙虚な姿勢は崩さない。賢者を迎えるというのは、そういうことだと思う」

劉備にここまで言われては、張飛も黙るしかない。ついて行く準備を始めた。

今回も劉備は、関羽、張飛、簡雍を伴って、隆中へ向かう。


二度目となると、道中は慣れたものだが、前回と異なるのは、道半ばあたりで雪が降り始めたことだった。

元々、灰色の空をしていたため、懸念はしていたものの実際に降るとなると、心情的には愉快ではない。


北風も冷たく、先ほどから、張飛が何度も愚痴をこぼしているが、劉備はあえて聞こえないふりをした。

劉備たちが隆中に着くと、辺り一面は真っ白な雪景色。

ここに至っても、張飛が文句を言っているため、さすがに劉備が𠮟りつける。


「この寒さで、みんな気が立っています。あそこの酒楼に寄って、一度、体を温めましょう」

目の前に、崔州平と訪れた酒楼があり、簡雍が張飛に助け舟を出した。

全員が寒さに参っていたようで、簡雍の提案はすぐに受け入れられる。


店に入ると、先客がすでにおり、何か世の摂理を問うような議論に伯仲していた。

話している内容の難しさから、咄嗟に劉備は、どちらかが諸葛亮ではないかと考える。

思い切って、話しかけてみると、二人は、石広元と孟公威ということが分かった。


「お二人の名は水鏡先生から、聞いております。本日は、どのような用件でこちらに?」

「これから孔明を訪れる予定でしたが、道中、思わぬことで言い争いが起こりまして、この酒楼で決着をつけようとしていた次第です」

石広元が答えると、孟公威も頷く。思わず、議論に熱が入り、声が大きくなってしまったことに照れている様子だった。


「そうでしたか。これより、諸葛亮殿を訪れる予定ですが、ご一緒にどうですか?」

劉備の訪問目的が仕官の勧誘だと推察した二人は、やんわりと断る。

友人として、諸葛亮のことを知る二人は、十中八九、その交渉が難航すると考えた。

恐らく雰囲気は悪くなる。そのような場所に立ち会いたくないというのが本音だった。


しばらく雑談をして、身の寒さも和らいだころ、劉備は、再び諸葛亮の草庵に向かう。

目的地に着き柴門を叩くと、先日の童子が顔を出した。


「あ、この前の偉い人。先生なら、書室にいらっしゃるはずだよ。ちょっと、待ってね」

「よろしく頼むよ」

一目見るなり、童子は気づく。

さすがに劉備のことを覚えていたようで、急いで家の中に駆け込んでいった。


ほどなくして、戻ってくると、「どうぞ、中へ」と、案内してくれる。

中には予想よりも、だいぶ若い青年が立っており、劉備を見かけると一礼してきた。


「あなたが、諸葛亮殿でしょうか?」

「いえ、私は弟の諸葛均しょかつきんという者です。兄は、今朝早く、友人の崔州平殿と出かけてしまいました」

また、空振りとはつくづく間が悪い。


「いつ頃、お戻りになるかお分かりでしょうか?」

「さぁ、三日後に帰ってくることもあれば、一月後のこともあります。何とも答えようがございません」


こればかりは仕方がなかった。いつ帰るか分からないのでは、諸葛亮が帰るまでこの村に滞在するというわけにもいかない。

劉備は、せめてもの思いとして、置手紙をしたためようと筆を拝借するのだった。


その手紙には、天下万民のために力添えを願いたいという主旨の、劉備の熱い想いを込める。

想いが強すぎて、まとまりに欠けた文章になりそうだったが、簡雍の助言などもあり、何とかしたため終えると、諸葛均に託した。


「申し訳ないが、こちらを諸葛亮殿にお渡しください」

「しかと承りました」


二度目の訪問でも会うことが叶わなかった。

もしや、諸葛亮とは縁がないのではないかと、弱気になる劉備だったが、そんな気持ちはすぐに追い出す。

張飛に、会えるまで何度でも訪問すると言い切ったのだ。


出会えない切なさと諸葛亮への期待が、どんどん膨らんでいく。

複雑な心情を抱えて、劉備は帰路につくのだった。

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