第106話 徐庶の力と軍師の効果

水鏡の草庵。

劉備と徐庶が、丁度、主従の契りを交わし終わった頃、外で軍馬のいななきが聞こえた。

蔡瑁の追手かと気を張ったが、すぐに聞き覚えがある声が聞こえて、ほっとする。


「子龍、俺はここだ」

劉備の姿を確認すると、趙雲は泣きそうになった。


襄陽城で、主君を見失い、今までそれこそ血眼になって探していたのだろう。

劉備は、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「心配をかけて、すまない」

「いえ、主君を見失った私が悪い。・・・ご無事でよかった」

安堵する趙雲の肩に手をあてて、劉備は労をねぎらった。


そして、新たな仲間である徐庶を紹介する。

実力は未知数だが、劉備は軍師として大いに期待できると伝えた。

何と言っても、水鏡の折り紙つきなのである。

これでもし徐庶に実力がなかった場合、伏竜と鳳雛も期待できなくなってしまう。


「大丈夫ですよ」

そんな劉備の心情を読んだのか、水鏡が劉備の去り際に声をかけた。

その一言に安堵する。


余談だが、草庵を辞すことになって、やっと水鏡の名前を知った。

司馬徽しばきというらしいが、もう水鏡で頭の中に入ってしまったので、劉備は、今後も道号で呼ぶことに決めるのだった。


新野城に戻ると、張飛の剣幕が激しかった。

丈八蛇矛を手に襄陽城に向かおうとするので、関羽と趙雲で、何とか止める。


今まで、蔡一族に煙たがられていることは分かっていたが、ここまで明確に殺意を向けられたのは、今回が初めてのこと。

やはり、今後の対応について検討が必要だということになった。


「まず、今回の発端は、間違いなくお家騒動ですから、必要以上に劉琦さんに肩入れしない。これで、少しは緩和されるんじゃないでしょうか」

「まぁ、そうだが。もう、手後れのような気もするな」

「劉備教の布教が裏目に出ましたね」

簡雍の台詞と張飛が先ほどから、戦争だと叫んでいる。劉備は、両方、無視することにした。


議論が進む中、関羽や趙雲は、何か考えているようだが言葉を発せず、簡雍の他には孫乾と麋竺がたまに意見を言うくらいだった。

新しく入った徐庶は、少し離れた位置で劉備一家の構図を観察する。


軍師はいないと聞いていたが、参謀としては簡雍という人物が中心にいるようだ。

発言内容から、なかなか機転が利く人物だということも十分、分かる。


これであれば、軍事に関してのみ集中すればいいだろうと、役割分担を自分の中で勝手に決めた。

そう思った矢先、簡雍に意見を求められる。


「徐庶さん、何かご意見はありますか?」

「いえ、概ね簡雍殿がおっしゃる通りでしょう。事を荒立てず、一歩、退いた立場で静観するのがいいかと思います」

「良かった」


徐庶の意見に簡雍は、胸をなで下ろした様子。

とりわけ変わったことは言っていないつもりだが・・・


「いや、いきなり大将の首元に刃を立てたって聞いたので、過激な人かと思いましたが、まともな人みたいで安心しました」

「えっ」


軍議に参加している目が一斉に徐庶に向けられる。

確かに抜き身で脅しはしたが、あれは劉備の度量を試すために行ったこと。別に本気で殺そうとしたわけではない。


いいわけを考えていると、振った簡雍が舌を出しているのが見える。

簡雍の一言で、どこかよそよそしかった、劉備一家の面々の徐庶を見る目が変わった。


「やるじゃないか。あんた」

張飛が徐庶の肩を叩く。

何が、やるのか?自分の主君に対して、抜き身を見せた人間をなぜ、称賛するのか理解できない。


ただ、その度胸と行動力が認められたのだろうと、徐庶は解釈した。

いずれにせよ、徐庶が、早く劉備一家の一員となるため、簡雍が話題を振ってくれたのだと理解する。

これで、肩が軽くなるのを徐庶は感じるのだった。



劉備が襲われた事件の後、驚くほど蔡瑁からの新たな動きはなかった。

もしかしたら、劉表から、釘を刺されたのかもしれない。


劉備が途中で退席した理由が、脾肉を嘆いたことになっているが、どう考えても不自然だ。

何かあったと察したのだろう。

劉備もむやみに争いたいわけではないため、波風を立てないように努めた。


徐庶が配下となってから、穏やかな日々が続いていたが、突然、その日常は壊される。

それは、曹操軍の来襲だった。


敵の総大将は曹仁、副将に李典、総勢三万という布陣で新野を攻めてくる。

兵数が意外と少ないのは様子見なのか、劉備を軽く見ているのか。


徐庶にとって、これが初陣となるが、敵の兵力が三万というのは手ごろな相手と思えた。

敵将が劉備にとって、汝南で痛い目に合わされた曹仁というのも、巡り合わせとして申し分ない。


新野の地で、劉備軍一万、曹仁軍三万が対峙した。

曹仁は先鋒に呂曠りょこう呂翔りょしょうを任命し、まず、五千で攻めさせる。

敵が動き出すと、徐庶は関羽と張飛を呼んだ。


「関羽殿は、向かって左側より敵の中軍を衝いて下さい。張飛殿も同じく左側を後方より襲撃願います。兵は、そうですね。五百騎ほど率いて下さい」

指示には素直に従う二人だったが、張飛が小声で関羽に話しかける。


「過激軍師は、ああ言っているが、五百で本当に大丈夫か?」

「まぁ、今回は様子を見てみよう」

関羽と張飛の声は劉備の耳に入るが、あえて何も言わないことにしている。

この戦は、もう徐庶に預けているのだ。


「続いて、趙雲殿とご主君は千騎を率いて、正面から当たって下さい」

「承知した」

劉備と趙雲は、千騎を編成して準備する。


作戦通り、関羽と張飛が突撃すると、先頭にいた呂曠が後方を気にして浮足立つ。

すかさず、浮いた呂曠を趙雲が討ち取ると、いつの間にか張飛も呂翔を斬り伏せており、これで勝負がついた。

戦が始まって、一刻も経っていない。

あっという間の圧勝劇だった。


自陣に戻った劉備が素直に感想を述べる。

「戦って、こんなに簡単なものだったか?俺が、今まで、やっていたのは何だったんだ」

「いえ、相手の練度が低く迂闊うかつに攻めてきたので、簡単に返り討ちにできただけです」


そう謙遜するが、これで徐庶の実力を疑う者はいなくなった。

関羽と張飛も戻り、素直に徐庶を称賛する。


「皆さんが指示通り動いてくれたおかげです。・・・あ、それから、張飛殿。私は過激軍師という名ではありませんよ」

張飛は、額に手をあてて、参ったという素振りをした。

まだ、戦は終わっていないというのに戦場に笑いがこだまするのだった。


一方、敗れた総大将、曹仁は歯噛みするのと同時に、劉備の戦い方が変わったことに気づく。

これまでの劉備であれば、五千の兵であれば、同数の五千をぶつけて正面から戦っていたことだろう。

関羽、張飛、趙雲の武力を頼りとした、言い方を悪く言えば、ごり押し戦法だ。


ところが、先ほどのは、我が軍の隙をついた見事な戦術。

もしかしたら、劉備は新たに軍師でも手に入れたのではないかと推測する。

それであれば、曹仁もその知者と知恵比べをしてみようと思い立った。


曹仁は、残った二万五千の兵を移動させ、ある陣形を築く。

それが完成すると、にやりとほくそ笑んだ。


「これが八門金鎖はちもんきんさの陣だ。この陣を破れるものなら破ってみよ」

八門金鎖の陣、別名、八卦の陣。


休・生・傷・杜・景・死・驚・開の八門で構成される陣。

生・景・開門は吉だが、傷・休・驚門に入ると痛手を負う。杜・死門では必ず滅亡する仕掛けとなっていた。


徐庶はその陣形を見て取ると、少し考え込んだが、すぐに攻略の道筋が頭に浮かんだ様子である。

「この陣形は入る門を間違えれば、必ず全滅しますが、正しく攻めれば僅かな手勢でも打ち破ることができます」

劉備に陣形の説明を一通りした後、趙雲を呼んだ。


「この八門金鎖の陣、よくできていますが中央がやや薄いようです。東南の生門から入り、中央を目指し、その後、西の景門を抜ければ、この陣は総崩れとなるでしょう」

「はっ。兵はいか程、率いればいいでしょうか?」

「そうですね。五百で十分かと」


二万五千に対して五百とは少ない。劉備は驚いたが、趙雲は顔色一つ変えなかった。

五百騎を選りすぐり、徐庶の指示に従って、正門から突入して景門から抜けた。

すると徐庶の予見通り、曹仁の陣は糸が抜かれた縫い目のように簡単に綻んだ。


「今です。突撃命令を」

「分かった。全軍、突撃だ」


劉備の号令のもと、一万の軍勢が曹仁軍に襲いかかる。

崩れた陣形のせいで、思うような迎撃をできない曹仁は、やむなく退却するのだった。

徐庶から、深追いは禁じられていたため、曹仁が新野の地から出ていくと、追撃はせずに代わりに鬨の声が上がる。


劉備は、これほどまで楽な戦いで勝利を得たことがなかった。

改めて、徐庶の力と軍師の重要性を理解する。


「徐庶、妙な出会いだったが、君に会えて良かった。まさに禍も幸いの端となるだ」

劉備が闊達に笑う。徐庶もつられて笑った。

徐庶にとっての初陣は、充実感に包まれているのだった。

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