第103話 袁家の滅亡と天才の死
曹操は北伐の軍を起こした。目指すは烏桓族の本拠地、
中華の北東、鄴からはかなりの道のりとなった。
そのため、長期の遠征を考慮して、多くの輜重隊を引き連れていたのだが、その遅々とした行軍に郭嘉は不安を覚える。
ついには、幽州に差し掛かる
「兵は神速を尊ぶと申します。今、千里先の敵を襲撃するため、輜重を多く準備しておりますが、これでは烏桓族の不意はつけませぬ。これよりは、騎馬隊のみで進み、輜重隊は置いていくべきです」
兵糧が途絶える恐怖を何度も味わっている曹操だが、今回は郭嘉の智謀を信頼し、その言葉を受け入れた。
ただ、気になったのは、郭嘉が時折、嫌な感じの咳をすることだったが、戦前のこと。
問いただすのを控えた。
速度を上げた曹操軍は、幽州
蹋頓がいる遼西郡の一つ手前、いよいよ烏桓族の勢力圏に入ろうとしていた。
無終県で、ひとまず休息をとる曹操に、ある人物からの謁見の申し出がある。
それは、劉虞の元配下の
曹操は、こんな幸運があるかと大いに喜ぶ。
何故なら田疇は、烏桓族や鮮卑族の風俗や習慣に精通し、この行軍の道先案内人としては、これ以上ない、うってつけの人物だったからだ。
忠節を重んじ実直であるがゆえに、自分の意思を曲げない男としても有名で、田疇の噂を聞きつけた袁紹が何度も招聘したが、応じることはなかったという。
それだけに、向こうから会いに来てくれるとは、思いもよらなかった。
「荀彧殿から、真心こもった手紙をいただき、曹操さまに協力することにいたしました」
これぞ、我が子房の働き。袁紹にできなかったことを、筆一つで行うか。
曹操は、興奮しながら田疇の手を取り、協力に感謝した。
そして、郭嘉も遠く、鄴の空を見上げる。
「文若殿、感謝いたします」
郭嘉の病のことを唯一、知っている荀彧が、できるだけの手助けをしようと動いてくれたのだろう。
同郷の先輩の心遣いが、心底、嬉しかった。
後は、自身の全精力をかけて当たるのみ。
必ず、この北伐の成功を誓うのだった。
田疇という最高の先導者を得ても、曹操軍の行軍は難航する。
まず、何といっても季節が悪かった。
夏の雨季に入っており、道はぬかるんで車や馬は通れない。かといって、船が動けるほど、水が溜まるわけではないのだ。
しかも、烏桓族に気づかれたのか、細い通れる道は封鎖されてしまっている。
困り果てた曹操は、田疇に妙案はないか相談した。
「まともな道が使えないとなりますと、今から二百年ほど前に崩落した旧道を使うしかありません。こちらを整備しながら進めば、柳城への到達は可能です」
「二百年前か・・・」
そう聞いて、曹操は考え込む。
現在、どれほど廃れているか想像もつかない。一度、崩落しているのならば、尚更だろう。
「困難な道だからこそ、通る価値がござます。烏桓族も、まさか我らが現れるとは思ってもおりますまい。不意をつくことが可能と思われます」
「まさしく郭嘉殿のおっしゃる通りです」
郭嘉、田疇の二人が強く推すので、曹操はその旧道を使用することにした。
そもそも、今さら鄴へ退き帰すという選択肢がない以上、通れる道はどこだろうと進まなければならない。
退却という選択肢はないが、敵を欺き、そう見せかけるため、曹操は街道沿いに、
『雨季のため通行できぬがゆえに撤退する。秋冬に再度、行軍する』と記載した立札を数か所にかけて立てた。
それを見た烏桓族の斥候は、曹操が退却したものだと信じ込む。
このつらい行軍、多少の意趣返しができたのだった。
田疇が示したのは道ではない。
その時は、ついて行くのに必死で深く考えられなかったが、後になって思えば、そう振りかえざるおえないほどの道程だった。
そして、
言葉で表現すると、この通りだが、途中、進むためには渓谷を埋め、山を掘らなければならない。
襲ってくる、寒さ、飢え、渇きは、これまでの体験以上だった。
苦難を乗り越え、曹操軍は、
ここに来てようやく、曹操軍の接近に蹋頓は気づくのだった。
蹋頓は、袁尚、袁煕、蘇僕延らと数万騎を率いて、曹操を迎え撃つ。
両軍は
この激突は、突然のこと。両軍とも戦の準備はできていなかった。
はじめは、虚を突かれた曹操軍が押されるのだが、郭嘉が冷静に張遼と張郃に態勢を直させて、攻撃を指示すると、勢いは逆転する。
二人の馬術は、烏桓族にも引けを取らなかったのだ。
張遼が至極の手綱さばきで、烏桓族をかき分けると蹋頓と正対する。
蹋頓が奇声を上げて、張遼へと突進し、二人の一騎打ちは始まった。
蹋頓は烏桓族、随一の武勇の持ち主。張遼との対決は一進一退となるが、最後は張遼に軍配が上がる。
片腕を青龍偃月刀で斬り落とされると、蹋頓は逃げ出すのだった。
ところが、いつものように馬を走らせることができず、曹純率いる虎豹騎に捕縛されてしまう。
曹操の前に引っ立てられた蹋頓だが、最後に気を吐いた。
「漢からは、たくさんの印綬をもらったが、どれが正当のものかわからん。ゆえに最初に印綬をいただいた袁公の恩に従ったのだ」
官位をばらまく腐敗政治を皮肉ったのだろう。蹋頓は、袁紹、曹操、そして、
しかし、曹操はそんな蹋頓を一喝する。
「分からないというのであれば、耳を澄まし、目を養うのだな。どれが正しきものか判断を誤ったがため、今日、君は滅ぶのだ」
蹋頓は、曹操の目の前で処刑される。
そのことを知った烏桓族は、対抗できないと判断して、本拠地、柳城まで退却した。
もちろん、曹操は全軍をもって烏桓族を追う。
たまらず、袁尚や烏桓族の蘇僕延らは、柳城を捨てて公孫康の元へ逃げ出すのだった。
多くの同族を見捨てての逃亡劇だったため、この地に残された胡人、漢人、二十万余は曹操に降伏する。
これで曹操は、精強な騎馬隊の編成が可能となった。
逃げた袁尚と袁煕についてだが、このまま公孫康ごと討伐しようという者もいたが、郭嘉がその声を静める。
「公孫康は、必ず、袁尚、袁煕の首を送ってきます。いたずらに兵を消耗する必要はありません」
曹操も同意すると、曹操軍は鄴へと引き返した。
ほどなくして、郭嘉の言葉通り、袁尚、袁煕、蘇僕延、烏延の首が鄴に届けられる。
公孫康は、烏桓族が破れたことにより、僻地だからといって、安泰ではないということを知った。
そのため、曹操を恐れ、身の安全を確保したのである。
こうして、官渡の戦いから七年後、名門として謳われた袁家が滅ぶのだった。
曹操は、北伐から戻り、落ち着くと諸将を集めた。
「今回の行軍、想像以上に厳しく、成功したのは、はっきり言って天祐によるものだった。出陣に際し、反対した者の見識は正しい。よって、恩賞を与える」
そう言うと、今後も忌憚なく意見を述べよと伝える。
そして、最後に曹操は目を潤ませた。
「しかし、今回の最大の功労者は、その天のたすけをも味方にする智謀と強い意志で、北伐を敢行した郭嘉奉考である」
すると、登壇したのは、郭嘉ではなく、まだ幼さが残る息子
郭嘉は、北伐から帰った二日後に病のため、亡くなったのである。
「君の父親は、これだけの者たちから、称賛を浴びる人物だったのだよ。君も励みなさい」
「はい」
曹操は、郭嘉の所領の全てを郭奕に引き継がせることを承認する。
こんなことで、郭嘉の労に報いきれるものではないが、せめてもの気持ちだった。
論功行賞が終わり、曹操が一人になると荀彧が目の前に現れる。
「文若、君は奉考の病気のことを知っていたのかい?」
「申し訳ございません。固く、口止めをされていました」
「いや、責めているわけではない」
郭嘉の死顔は満足した表情をしていた。病で床に伏したまま、亡くなったのなら、けして見せない表情だったと思われる。
荀彧がしてあげた行為は、正しいし、曹操でも同じことをしただろう。
しかし・・・
「早い。あまりにも早すぎる」
「御意でございます」
曹操の周りにいる参謀たちは、ほとんど曹操と同年代。その中で郭嘉は飛び抜けて若い。
天下泰平になった暁には、後事を彼に任せるつもりだったのだ。
「哀しいかな奉孝、痛ましいかな奉孝、惜しいかな奉孝」
郭嘉を想い、そんな言葉を曹操は残す。
悲嘆にくれる曹操。
「奉考の代わりは、私が務めます」
「いや、文若。君は君の責務を全うするだけでいい」
いたたまれず、荀彧が口にした言葉をやんわりと曹操は断る。
これで無理をされて、荀彧まで倒れられては困るという面もあった。
「勝ち残っていく組織というのは、こういう時、必ず別の人材が現れる。それを待とう」
新しい人材が登場したとて、郭嘉のことを忘れるわけではない。
いや、きっと忘れることなどできはしないだろう。
郭嘉が残してくれた北伐の功績は、あまりにも大きいのだから・・・
曹操は哀しみを胸に、前を向いていくと誓う。
残る南征に対して、障害は何一つないのだ。
「奉考、見ていてくれ。私は、このまま覇を唱える」
曹操は、そう力強く宣言するのだった。
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