第89話 白馬の戦い

袁紹は曹操との対決に際して、まず、黄河を渡った先に拠点を築くため、東郡白馬県とうぐんはくばけんを攻めることにした。

攻め手の将帥に選ばれたのは、勇将・顔良である。

袁紹軍が誇る二枚看板のうちの一人を早くも投入するのに、袁紹の本気度が窺えた。


しかし、顔良の登用に沮授が難色を示す。

「顔良将軍は勇猛ですが、それ故に視野が狭くなることがあります。単独で用いずに、適切に補助ができる人物をつけるべきです」


その発言に郭図が肩をすくめた。

その動作は、またですかと言わんばかりだ。


「沮授殿の心配性が始まりましたか。・・・まぁ、確かにそうですね。緒戦なので慎重に行きましょう。私と淳于瓊殿がついて行きます」

「うむ。我が軍の都督、二人がついて行くのであれば、問題あるまい。どうだ?」


袁紹が納得し沮授に問いかける。袁紹が問題ないと判断したのであれば、沮授としては、それ以上、言うことはない。

「郭図殿、淳于瓊殿、お頼みします」

そう言うにとどめるのだった。


顔良は十万の兵を率いて、黄河を渡る。

守るのは東郡太守の劉延りゅうえんだった。

劉延は急いで、許都に救援を求める使者を送る。


曹操は、援軍を送るにあたって荀攸に相談するのだった。

荀攸は、攻め手の将帥が顔良であることを勘案した結果、軍を二つに分ける作戦を立てる。


その作戦とは、白馬の西側から、于禁、楽進の部隊で注意を引きつけて、その隙に関羽、張遼の騎馬隊で疾風の如く顔良の背後を衝くというものだった。

早速、関羽を使うのはどうかと思ったが、顔良の勇猛さは許都でも音に聞こえている。


更に関羽には呂布の愛馬だった赤兎馬を下賜したばかり。許都で、ただ飾っておくだけでは宝の持ち腐れというもの。

曹操は、その作戦を採用するのだった。


顔良は噂に違わぬ強さを見せると、瞬く間に劉延を追い詰めて、包囲する。

そんな折、白馬県の西、延津えんしんから迫る一軍がいるとの情報を受けた。

確認すると、于禁、楽進が率いる部隊のようだった。


郭図と淳于瓊は、挟撃を受ける形を嫌って、一旦、引き上げる。下手をすれば白馬が死地になりかねないからだ。

ところが、顔良だけは、挟み撃ちなど気にもせず、そのまま劉延の包囲を続けた。


「挟撃されようが背後を衝かれようが、みんなまとめて蹴散らせばいいのよ」

顔良以外の軍がいなくなってもお構いなし。自身の武勇を信じ切っていた。

これこそが、沮授が危惧していた顔良の悪いところだったのだが、諫めるべき郭図も淳于瓊も、すでに自分たちの命惜しさに退いている。


そして、于禁、楽進の部隊の他に、戦場で浮いた顔良の軍に急接近する隊がいた。

それは、関羽、張遼が率いる騎馬隊である。


劉延を討つことしか頭にない顔良は、この騎馬隊の存在に、なかなか気づかなかった。

気づいたときには、すでに遅く、体制が整わないうちに関羽、張遼を迎撃することになる。


「顔良殿と見受ける。いざ、尋常に勝負」

不意をついたため、顔良の周囲の兵は薄い。関羽は顔良を認めると、赤兎馬の手綱を扱いた。

両者の距離は、みるみる縮まって、関羽は冷艶鋸を振りかぶる。


「お前は、関羽か?」

「いかにも」

「呂布と互角に闘ったという腕前、見せてもらおうか」


顔良は、まだ、本当の強者と闘ったことがない。

華北一帯では、相手になる者がいなかったが、果たして、自分はどこまで強いのだろうか?


呂布とは一度、闘ってみたかったが、その夢も叶わず、現在に至る。

自身の強さを計るために関羽は、格好の相手と言えた。


「いざっ」

冷艶鋸と顔良の薙刀が、同時に振り下ろされる。

すると、突然、顔良の目に映る景色が真っ赤に変わるのだった。

それが自分の血によるものだと気づくのに、それほど時間は要しない。


「これが真の強者か」

「いや、紙一重だった」

関羽を見ると頬のあたりから血を流しているのが見えた。

・・・これで、紙一重?


自分は頭を割られ、相手は頬に薄い傷を負う。

紙一重で、これだけ大きな差が出る世界があるのか。


顔良は、死の間際に世の中の広さを思い知らされた。

将帥が討たれると、顔良の兵たちは一斉に逃げ出す。それで、劉延は包囲から脱出することができるのだった。



顔良討たれるという報が袁紹軍に届くと、いきなりの有力武将の脱落に衝撃が走る。

沮授は、このようなことが起きないように郭図と淳于瓊がついていたはずなのにと悔しがった。

両者に反省の弁でも見られれば、まだ救いがあるのだが、本陣に戻った都督の両名は、お互いに罪を擦り付け合う始末。


「私たちの呼び掛けに応じぬ、顔良殿が悪い」

最終的には亡くなった顔良に罪を被せて、素知らぬ顔をするのだった。

これには沮授も頭が痛くなってくる。


そんな袁紹軍の中に、ある噂が立ち、特に劉備の周りに不穏な空気が流れる。

それは顔良を討った将が関羽ではないかというのだ。

劉備は、その噂を聞きつけると、白馬の戦いに参加した生き残りの者から情報を集める。


集まった情報は断片的だったが、まず、赤兎馬に乗っていた長髯の武将だったこと。

その将は赤ら顔だったこと。

そして、『漢寿亭侯かんのじゅていこう』という旗を掲げていたということだった。

話を総合して考えると、赤兎馬と爵位については、不明だが、劉備は顔良を討ったのは、間違いなく関羽だと確信する。


そもそも顔良ほどの豪将を一合で倒せる者など、そうそういるはずがない。

長髯と赤顔が一致して、稀にみる豪傑とくれば、関羽以外、他に誰がいると言うのだ。


義弟が袁紹軍の有力武将を討ったとなれば、劉備の立場は悪くなる。

しかし、そんなことより、関羽が生きていてくれたことの方が劉備にとって、嬉しく重要なことだった。

周りから白い目で見られようが、気にするものではない。


「大将がここにいることを知らせた方がいいですね。」

簡雍の言葉に納得するが、どうやって?と頭を悩ませた。


使者の行き来が簡単だが、下手に捕まったりすると、お互い立場がまずくなることも考えられる。

とくに袁紹軍は、足の引っ張り合いが常のため、怪しいと疑われただけで、どのような処遇が待っている分かったものではなかった。


「次の戦いに参加しますか?」

「もしかしたら、それが一番、手っ取り早いかもな」

簡雍の提案に乗り、次戦の参加を直訴するために、劉備は袁紹の元を訪ねる。


すると、袁紹に対して沮授が切実な提言をしている場面に出くわした。

「殿、田豊殿をお戻し下さい。本日の顔良殿の戦死などは、彼がいれば間違いなく防ぐことができました」

「いや、駄目だ。田豊は少し、強情すぎる。今回の戦は、あいつ抜きで勝ち、考えを改めさせねばならぬ」

「しかし、・・・」


それを聞いていた劉備は、沮授がどうしてはっきり言わないのか不思議だった。

『そんな事を言ったって、田豊抜きで勝てる保証はどこにもないだろ』

強く言うべきところは言わないといけない。


田豊と沮授の性格が、両者ともお互いの中間くらいだったら、丁度良かったのに・・・

世の中、上手くいかないものだ。


沮授の話が終わったようなので、劉備は袁紹がいる陣幕の中に入る。

入れ違いで沮授が出ていくので、軽く会釈をするが、他に気を取られているのか、劉備のことに気づかない様子だった。


『あんなに考えこんでいたら、そのうち、倒れるぜ』

沮授の後ろ姿を見送りながら、体調を気づかうが、だからと言って、劉備にできることは何もない。

気を取り直して、袁紹に相談を持ちかけるのだった。


「袁紹殿、次の戦いに私も参戦させていただきたいのですが?」

「それは構わない。何やら、新しい将も配下に加えたと聞く。成果を楽しみにしているぞ」


袁紹の了承を取り付けたので、去ろうとする劉備を呼び止める者がいた。

それは、袁紹軍古参の参謀・逢紀だった。

どこから出て来たのかわからないが、劉備の参戦に待ったをかける。


「顔良を討った敵将が関羽だという噂があります。関羽は言わずと知れた劉備殿の義弟。この釈明をしていただかないと参戦を認めるのは危ういかと思われます」

噂の件は劉備も承知しており、顔良を討ったのも間違いなく関羽だろうと伝えた。

その上で、逢紀が話した一言に疑問を呈する。


「危ういってのは、俺が曹操と内通しているとでも言いたいのかな?」

「はっきりと、そうは申しませんが・・・」


劉備の後ろにいる張飛に睨まれて、言葉が尻すぼみとなったが、要は疑念を抱いたままでは、同じ戦場に立つことはできないということだった。

疑われる劉備としては、腹立たしいが、言っていることは、至極真っ当だ。


「正直、雲長の奴が生きているか死んでいるかも分からなかった。雲長の方も同じく、俺が生きているかどうかは知らないだろう。だから、それを報せるためにも戦場に出たいんだが、答えになっているかい?」

「むむ。確かにそれであれば・・・いや、しかし・・・」


逢紀は、劉備の行動、言動に粗がないか確認しているようだった。

そう言えば、この逢紀。田豊と非常に仲が悪く、田豊が獄につながれたのも逢紀の讒言があったのではないかという噂が流れたことがあった。


先ほどの沮授の提言も、この男のせいで跳ね返されたのではないか?

こんな性格の悪い男に邪魔されては大変だ。


「今回の顔良さんの訃報は残念ですが、敗れたのは、そもそも相手を侮った行動に原因があると聞いています。倒した相手に関係なく、倒されるべくして倒されたのではないでしょうか?」

「そういう側面も確かにある」

「つまり、顔良さんの死は、誰に倒されたは関係ない。だから、うちの大将を責めるのは筋違いですよ」


逢紀の態度に簡雍も不愉快だったのか、いつもより攻撃的な物言いだった。劉備としても同意見だったので、心の中で簡雍を応援する。

「そして、戦場で大将が生きていることを雲長さんが知れば、こちらの陣営につくことは間違いありません。良いことしかないように思いますが、なぜ、反対されるのですか?」


簡雍の追い込みに、逢紀は言葉を失っている様子。

「うむ。簡雍殿、言う通りだ。ここは劉備殿の参戦を認めようではないか、逢紀」

「我が君の仰せのままに」


結局、逢紀が折れて、次戦の劉備の参加が決まった。

次の戦場は、延津になるとのこと。

曹操陣営は戦力温存する余裕はないという予測から、関羽も間違いなく延津に現れると思われる。


「雲長のやつ、元気にしているかな」

久しぶりの再会を前に、劉備は心を躍らせるのだった。

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