第90話 兄弟の再会

袁紹は白馬で顔良が討たれた原因の一つが、延津からの于禁と楽進の陽動にあると考えた。目障りな曹操の拠点を潰す目的で、延津を次の標的に定める。


この地に派遣する武将は文醜だった。

六千の騎兵を率いる文醜の後詰めとして、劉備の二千の兵が続く。

劉備は、出立しようとするが、ふと、今朝起きたある事件を思い起こした。


それは心労からか、沮授が倒れてしまったのだ。

つい先日、劉備が心配していた矢先のこと。袁紹陣営に衝撃が走る。


ところが主君、袁紹はこの沮授のことを心配するでもなく、不甲斐ないの一言で片づけた。

そして、あろうことか軍権をはく奪すると、彼が預かる兵を全て郭図に与えてしまう。


これで、田豊に加えて沮授までもが戦線から離脱することになった。

兵数では、まだまだ圧倒的優位にある袁紹軍だったが、陣営内に漂う不穏な空気に劉備は、何とも言えない気分になる。


「まぁ、よほど下手な作戦をとらない限り、間違いはないと思うがな」

「そうですね。・・・私は別の件で、少し気になることがあるので、ちょっと調べて回ります。どうか、ご武運を」

出発前に、そんなやり取りを簡雍とした劉備だったが、早速、下手な戦い方をする場面に出くわす。


文醜とともに黄河を渡河したところ、曹操軍の輜重部隊が目の前を通過した。

すると、軍の統制を一切無視して、文醜軍の兵士は我先にと輜重隊に群がり略奪を開始するのだった。

行軍途中のその行動に対して、文醜は止める様子もない。


「兵の士気を上げるためには、これくらい目をつぶらねばならぬ。すぐに合流するのだから問題ない」

劉備が文醜に問い合わせると、戻ってきた返事がこれだった。


今から、戦闘が始まるというのに、本当に大丈夫なのだろうか?

劉備の心配は的中し、六千騎いた騎兵が六百になったところを曹操軍に狙われた。


曹操軍は、僅か六百の文醜に対して、一万の軍勢で強襲する。

劉備が助けようにも、あっという間に曹操軍に飲み込まれていったため、その中から文醜を救い出すのは不可能だった。


「私が単騎駆けで、文醜将軍だけでも救いますか?」

「いや、おそらく輜重隊は、曹操軍の囮だったんだろう。文醜を討つため、他にも周到な罠があるかもしれない。ここで、お前に無理はさせられない」


趙雲の提案を退けた劉備は、文醜を襲撃している曹操軍に関羽の姿がないことを確認すると、輜重隊と遭遇した場所まで戻ることにする。

やはり、そこでも戦闘が開始しており、指揮官のいない文醜隊は、曹操軍のいい餌食となって、一方的に攻撃を受けている。


そんな中、劉備軍の存在に気づいた曹操の一軍が、勢いよく向かってきた。

先頭を走っているのは、張遼のようだ。


張遼は、青龍偃月刀を強く握りしめて、ここで劉備を討つと心に決める。

後で、関羽に恨まれても構わない。そんな覚悟があった。


接近していくと、先頭に張飛の姿を認めたため、張遼は気合を入れ直す。

ところが、意外に張飛は張遼に道を譲り、付き従ってきた兵たちを相手にした。

張飛の意図は分かりかねるが、これは幸いと一気に劉備の前まで躍り出るのだった。


「劉皇叔、申し訳ないが、貴方と関羽殿を会わせるわけにはいかない」

「ということは、雲長は、近くに来ているんだな?」


劉備の問いには答えず、張遼は青龍偃月刀を振りかぶる。すると、すぐに白銀の鎧を纏った将が間に入ってくるのが見えた。


張遼は、誰が来たのか分からなかったが、そのまま必殺の一撃をお見舞いする。

通常であれば、その一撃で得物ごと、相手の頭を勝ち割るのだが、その将は巧みな槍さばきで、その強烈な斬撃をいなしてしまった。


「趙雲子龍と申す。私がいる限り、貴方の刃は、我が主に届くことはない」

趙雲?そのような武将、小沛にいた頃はいなかったはずだが・・・


趙雲の出現は、完全に張遼の計算を狂わす。

張遼の繰り出す攻撃は全てはね帰され、逆に相手の槍に命を削られそうになった。

思わぬ強敵に焦りを覚える張遼だったが、何としても劉備の命をここで奪わなければならない。


『そうしないと、関羽殿は、今すぐにでも・・・』

張遼の必死な姿勢には、単に敵将を討ちたいという思惑以外、何か使命感のようなものを感じた。

それが劉備は不思議でならない。


「どうして、そこまで俺と雲長を合わせたがらないんだ?」

「会えば、必ず貴方の元に戻ると言い出すからだ」

その展開は、容易に想像できるが、それをなぜ、そこまでして張遼が止めなければならない。もちろん、戦力しての損失は、十分、理解できるが・・・


「将来のことを考えれば、このまま曹操さまに仕える方が関羽殿の幸せ。貴方は関羽殿の主たる器を示せますか?」

痛いところをついてくる。定まった領地を持たない劉備と四つの州を所領にしている曹操を単純に比較されては、立つ瀬がない。


桃園結義を持ち出せば、義理人情にすがっているだけだと、第三者は笑うだろう。

しかし、関羽とのつながりは、そう言った言葉で言い表せるものだけはないはずだ。

いや、これは劉備が勝手に抱いている幻想なのか・・・


「今、器を示せと言われても、放浪の身だ。何を言っても信用されないだろう。・・・そうだな、雲長が、もしこのまま曹操の元で立身出世を目指すというのなら、俺は喜んで、雲長に首を差出す。それが、あいつに俺ができる唯一の手向けだ」


それが関羽の手柄となるのなら、将来、血肉となって関羽の中で劉備は生きる。

そうなったら、そうなったで構わない。

劉備は、本気でそう考えていた。


「兄者の首など、見たくはありませんぞ」

そこに関羽が現れた。その後ろには張飛が控えている。

突然の再会に、劉備は気の利いた言葉を選べなかった。


「雲長、息災か?」

「はい。奥方さまもご無事です」


久しぶりに見る関羽の姿に劉備は感情を抑えられない。関羽も同様で、感涙にむせぶのだった。

劉備は関羽の手を取る。よく見ると全身に薄い切傷があるが、それは張飛も同様だった。


「曹操のところで、軟弱になってねぇか、確かめただけだ」

後日、張飛に確認すると、そう話していた。

劉備のところに姿を現す前に、二人で一戦を交えたらしい。


張飛としては、万が一、いや億が一でも関羽が曹操に寝返ることがあれば、誰かが対決しなければならない。

そんな辛い役回りを趙雲にさせるわけにはいかないと、張遼を譲って、関羽に備えたようだった。


それくらいの覚悟を持って、関羽と再会したため、すんなり通すのも何だか癪で、軽くじゃれ合っただけの様子。

二人が本気で闘えば、この程度の傷で済むはずがないのだ。


「張遼殿、貴公には感謝するが、兄者が亡くなった場合、この関羽は後を追うだけ。そのまま曹操殿に仕えることは、断じてない」

「・・・そう言うだろうとは思っていました」

劉備と関羽の主従の絆を見せられては、張遼も退くしかなかった。


「兄者、私は袁紹の将、顔良を討ちました。それで、立場が悪くなるのでしたら、どうぞ、この首を持って帰って下さい」

「お前、今、自分で言ったことを忘れたのか?それは俺に後追いで死ねって言っているぞ」

「それは確かに。・・・私としたことが・・・」


緊張感に包まれた再会に、和やかな風が流れ込む。

二人の間に泣き笑顔がこぼれた。


「今すぐ、兄者についていけば、曹操殿への義理に欠けます。一度、陣に戻ってから、兄者の元へ必ず帰ります」

「ああ、顔良を討っている手前、本隊では居心地が悪いだろう。俺も別動隊への転属をかけ合ってみる」

そう言って、劉備と関羽は、この場で別れるのだった。



劉備が袁紹陣営に戻ると、やはり、あの場で文醜は討たれたようだった。

たった二度の戦いで、袁紹が誇る二大将軍を失うことに騒めきたっているが、劉備から見れば二人とも自滅で、負けるべくして負けただけ。

驚きでも何でもない。


一緒に出陣した劉備だが、一応、輜重隊に群がった残党兵を救っての帰還だったため、特にお咎めはないようだ。

その劉備の元に簡雍がやって来る。


「大将、袁紹首脳陣の考えで気になることがあります」

「何か問題があったのか?」

「はい。どうも袁紹さんはこの戦に勝った後、献帝陛下を廃位して新しい天子を立てる考えがあるようです」

そう言われると、思い当たることは確かにある。


献帝陛下は董卓が即位させた天子。その董卓は、袁紹にとって不俱戴天の仇だ。

曹操に代わって袁紹が献帝陛下を奉戴することがあれば、十分に考えられた。

そうなると、劉備にとって袁紹は、積極的に協力する相手ではなくなる。


「やはり、ここを一旦、離れるか。雲長ともその方が合流しやすい」

「そうですね。汝南で元黄巾賊の劉辟りゅうへきさんが暴れているようです。こちらへの支援、合流を志願しましょう」


劉備は、早速、その旨を袁紹に相談し、受け入れられた。

正直、袁紹の方でも劉備の取り扱いに困っていたようで、その提案は、渡りに船だったのだ。


劉備は冀州を脱し、豫洲汝南郡を目指す。

途中、曹操領を通過することになるため、容易な道のりではないが、冀州で趙雲を加えて、関羽とも合流する予定。

特に心配していなかった。


自分のことより、気になるのが袁紹本隊である。

確かに戦力の上では、かなり優位だが、あのような戦い方を続けていれば、いずれ敗れ去るだろう。

沮授もしくは田豊の復帰が鍵になる。


去り際、そのことを袁紹に伝えようかと思ったが、逢紀が睨んでいただめ遠慮した。

「人の心配ばかりしても、仕方ありませんよ」

「そうだな」

簡雍の言葉に、劉備は気持ちを切り替えて汝南へと向かうのだった。

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