第86話 劉備の読みと曹操の決断

劉備が小沛に常駐して間もなくして、袁術が亡くなったという情報が届いた。

その後も、しばらく住み慣れた小城に留まっていると、下邳城から救援の使者がやって来る。


「どうした?下邳城に一体、何があった?」

「住民が暴動を起こしました。劉皇叔を出せと言って、収拾がつかないのです。どうか、下邳城までお越しください」


下邳城で何が起こっているのか?想像もつかない劉備だったが、放置するわけにもいかず、使者に促されるまま、小沛を出る。


劉備一家が下邳城に着くと、城主である車冑しゃちゅうは、いきなり城兵たちで取囲み、刃を突きつけるのだった。

「城下の民を扇動し、反乱を画策したな」


「は?何、言ってんのこいつ?」

劉備は、一拍置いて、素の返答をしてしまう。

下邳城に起きている事態も理解していないのに、いきなり反乱者扱いされては、こんな言葉使いになっても仕方がなかった。


向けられた城兵の穂先を、瞬く間に関羽と張飛がへし折ると、劉備は簡雍を顧みる。

簡雍も、まだ、状況が飲み込めず、首を振った。

劉備に懸けられているのは、全く身に覚えのない嫌疑である。


「どうして、俺がそんなことをしなくちゃならないんだ?」

埒が明かないため、疑惑を向けてくる本人に質問をする。

「住民たちが、お前を徐州牧に戻せと騒いでいるのだ。これ以上の証拠はあるまい」


車冑の言い分は、単純だった。筋としては分かるが、第三者が関与している可能性だって、十分、考えられるだろうに・・・

というか、劉備はそんな企てを立てていない。とすれば、答えは一つしかなかった。


「これは、誰かの策謀に巻き込まれましたね」

「だな。・・・しかし、それを信じてくれそうもないぞ」

劉備たちは身内で、対応を相談する。そこに車冑は、

「すでに許都にもお前の謀反の報せを送っている。観念するのだな」

と言い放った。


「こいつは、もう駄目だな」

「ですね」


曹操が信じるかはともかく、郭嘉、程昱あたりは、この期に劉備を始末しろと言い出しかねない。

許都で取り調べを受けるのは、相当、面倒くさそうだった。取り調べの機会があればいいが、それすらなく、いきなり処断される可能性だってある。


誰が企てた策謀か知らないが、もう乗るしかないようだ。

劉備は覚悟を決めると、車冑を返り討ちにし、下邳城を制圧する。勢いそのままに、徐州牧まで名乗った。


劉備は下邳城を関羽に託すと、小沛に戻り、今後の対策を練ることにする。

袁紹との緊張が高まっている今、すぐに軍を動かしてくるとは思えないが、相手は曹操である。どんなことが起きても不思議ではない。


まずは、以前、袁紹との渡りをつけてくれた孫乾をすぐに冀州に派遣した。

同盟関係にあることの確認と、おそらく、今回の騒動の首謀は袁紹にあると劉備は思っている。

その辺の調査も依頼した。


次に考えなければならないのは、やはり曹操対策だ。

「これで、袁紹さん、劉表さんと私たちに囲まれたことになります。本隊は動けないとしても、徐州は取り返しには来るでしょうね」

「問題は、誰が来るか・・・か」


来る相手によって、曹操の本気度が分かり、対策も変わる。

曹操の反撃が開始される前に、劉備はできるだけ兵を揃えるよう、対応を急がせるのだった。



実は許都では、その誰を送るかで、曹操自身も悩んでいた。

車冑からの報せを受けた時点で、すでに徐州は落ちたものと考えている。


袁紹との睨み合いの中、大きな軍事行動は控えたいのだが、放置するわけにもいかない。

徐州が敵に回るのであれば、苦労して呂布を倒した意味がなくなってしまうのだ。


「まずは、手ごろな相手を送り、袁紹の様子を見るか」

「そうですね。今回の徐州事変の裏には、袁紹がいるように思います。であれば、連動する動きがあると考えた方がよろしいかと」

郭嘉が曹操の考えに賛同する。


そう考えると、劉備は巻き込まれただけのようだが、車冑を討ってしまっては、もう駄目だ。

赦して懐柔する手段を使っては、全体の統制、士気に影響する。

車冑が、もう少し柔軟に対応してくれていれば、違う方向に話が進んだのかもしれないが・・・


「それを言っても仕方がありません。我らの中にある劉備を危険視する声に、あちらも強硬手段をとるしかなかった。これは、止められぬ流れでしょう」

「分かっている。面倒なことになったが、仕方ない。編成は、任せた」


こうして、郭嘉によって先鋒を任されたのは、司空長史の劉岱りゅうたいと中郎将の王忠おうちゅうだった。

どちらも一線級の武将とは言えず、まさに様子見のためと言わんばかりの人選である。


二人は、それぞれ一万の兵を率いて、小沛に向かうと、下邳城から出撃した関羽との挟撃にあい、あえなく撃退された。

あまりにも呆気ない結果に、劉備は拍子抜けする。


「あんなのが相手なら、楽なもんだな。たとえ、・・・いや、止めておこう」

「調子に乗らない方が賢明です」


劉備は、劉岱、王忠ごときであれば百人集まっても負ける気がしないと、言いかけるが止めた。

これで、曹操が大人しく黙っているわけがないからだ。


「孫乾さんが戻られましたが、やはり、袁紹さんというか田豊さんの策だったようですね」

「曹操包囲網を目論んだわけか。例えば、劉表や俺に対して、曹操が大軍を挙げれば、その隙をつくってことだな」

「ええ。そういうことだと思います。そうじゃないと、田豊さんの策略の意味をなしませんから」


とすれば、本命は袁紹に引き受けてもらって、劉備は牽制だけをしていればいいことになる。

あまり、派手に暴れると、藪蛇になりかねない。


「次も同じような連中がきたら、軽くあしらうだけで深追いは止めよう」

「そうですね。・・・ただ、次はもう少し、手強くなると思いますが」

この時、簡雍を含め劉備たちが、袁紹に対しても曹操に対しても見積もりが甘かったことを後悔するが、それは後日のこととなる。



劉岱、王忠が逃げ帰ってきた許都では、曹操が次の対応に追われていた。

そこに孔融が現れる。

孔融は青州を治めていたが、袁譚の強襲に合って、その地を奪われてからは、曹操の庇護を受けていた。


曹操は、また口うるさい相手が登場したと嫌な顔をする。孔融は弁達者で屁理屈をこねることが多く、曹操に対してさえ、遠慮がないのだ。

しかし、儒家の始祖・孔子の子孫。無下に扱うわけにもいかないのが辛いところ。


「こちらにおいでになるのは珍しいが、いかがなされた?」

「曹司空にお尋ねしたいのだが、こたびの遠征で敗れた二人の処遇は、どのように考えられている?」

劉岱か王忠、どちらかと交友があるのだろうか?

敗戦の責をとられる心配をしているようだ。


「特に処分は考えておりません。相手が劉皇叔であれば、敗れても仕方ないと考えています」

「それはよかった。確かに今回は相手が悪すぎますからな」


そう言えば、孔融と劉備は知り合いだったはず。今の劉備をどう見ているのか、曹操は孔融に意見を求めた。

「孔融殿の目から見て、劉皇叔はどう映りますか?」

「彼は当代の英雄。従える関羽、張飛は、呂布亡き今、倒せる者はいないでしょう。討つより懐柔をお勧めします」


相手が劉備でなければ、曹操も懐柔を考えた。内部規律も士気も無理をすれば、どうにかなる。

しかし、・・・


「私も劉皇叔は英雄と考えます。だからこそ、民衆は、また彼を担ぎ上げるかもしれない。その度に懐柔するわけにはいかないでしょう」

「ならば、いっそ・・・」

そこまで言って、孔融は口を閉ざした。その続きを言えば、さすがに曹操の怒りを買うだろうと考えたのである。


孔融が去った後、曹操は主だった者たちを集めて徐州対策の会議を始めた。

「やはり、劉備を討つためには私が出るしかないように思う」

「しかし、それでは、袁紹に背後をつかれませぬか?」

程昱が心配の声をあげる。


そのことを懸念して、劉岱、王忠を派遣して様子を見たのだが、袁紹は目立った動きを見せようとしなかった。

逆にそのことが、曹操が動くのを待っている可能性が高いのではと、程昱は言及する。

確かに一理あるのだが、曹操は迷いを断ち切るように郭嘉に問うた。


「奉考、君は本初と私の違いを説いてくれた。その一つ、謀についてを、みんなの前で話してくれ」

指名された郭嘉は、前に進み出る。

「はい。では・・・袁紹は、策謀を好むわりに決断力に乏しく、その期を逃すことが多い。ですが、我が君は、臨機応変に対処し、決断も素早い」

「分かったかな。おそらく袁紹はすぐには行動を起こさない。迷っている時間内に、劉備を叩く」


郭嘉の言と曹操の決断を、軍師や諸将は支持する。

袁紹の性格を熟知している曹操と、そうではない劉備の違いが、ここに出たのだ。

曹操は機動力重視で騎馬隊だけを揃えて、劉備、討伐を行うことにする。


あの時、孔融が口を滑らそうとしたのは、

『劉備に天下を任せてみては・・・』だろう。

そう言い出す人間が、他にも出てこないためにも劉備は討っておかなければならない。

曹操は、電撃戦を決行するため、準備を急ぐのだった。

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