第15章 大戦前夜編
第82話 易京の戦い
北方の覇権争いは袁紹が優勢に進めつつも、公孫瓚が籠る易京だけは、どうしても攻め落とすことができなかった。
それもそのはず。易京は城の周囲を十重の
極めつけは、本城を囲む城壁の高さが二十丈もあったのだ。
城内では、十年分の食糧の備蓄と屯田も行っている。易京城ほど、守備に特化した城は、おそらく他にないと思われた。
公孫瓚自身も絶対の自信を持っており、
「兵法に百の
実際、数年の歳月をもってしても落とすことができない袁紹は、いつまでも付き合っていられないため、いっその事、和睦して公孫瓚を取り込もうとした。
しかし、公孫瓚からの返答は、一切ないのである。
これでは、埒が明かない。
そんな姿勢を不思議に思った長史の
「これは袁紹の常とう手段よ。この手で取り込まれた韓馥が、最後にどうなったか覚えているか?」
「言われてみると、確かに」
袁紹は、和睦と称して実権を奪いに来る。
一度でも気を許すとお終いだと説いた。
更に、「この前の劉和はどうだった?今は、激しい戦闘が続いているが、長い間、鄴を空けておくわけにもいくまい。袁紹はもう焦れている。そのうち、尻尾を巻いて逃げ出すわ」と、続ける。
以前、劉虞の息子、劉和を撃退したことが自信の根幹にあるようだ。
公孫瓚の指摘通り、確かに袁紹は焦り始めている。
易京城に手を焼いている内に、曹操は呂布を滅ぼし徐州を併呑してしまった。
司隷にも手を伸ばして、西涼を手懐けている様子も窺える。
袁紹の領地を曹操が取囲むような形成となっており、中央に進出するためには対決は必至。
日に日に力をつけている曹操は、今のうちに叩いておかなければならないところまできていた。
「公孫瓚など、捨て置くか?」
「それは、愚策中の愚策です。ここで後顧の憂いを取り除いておかなければ、結局、曹操に集中できませぬぞ」
弱気になる袁紹を田豊が諫める。
確かに易京城は難攻不落だが、今、袁紹が誇る物量を最大限に生かして、少しずつでも塹壕や城楼を破壊している。
易京城の弱点は、その多すぎる城楼全てに十分な兵を配置できないことにある。救援を送ろうにも送りきれないのだ。
また、一度壊したものは簡単に修復できるものではない。
袁紹軍は消耗戦の中に活路を見出していった。
そんな持久戦を展開し、少しずつでも損壊を進めていた、袁紹軍に朗報がもたらされる。
烏桓族が協力を申し出てきたのだ。
しかも、以前、劉和とともに戦った
これは、袁紹軍にとって、よい追い風になった。
烏桓族の兵は、巧みな馬術で高い土山の途中まで駆け上がっては、城楼にいる守備兵を弓で仕留めていく。
守備兵さえいなければ、塹壕や土山の破壊工作は順調に進むのである。
烏桓族の参戦により、それまで安心しきっていた、公孫瓚も慌て始めるのだった。
完全に変わった風向きを呼び戻すため、外部に援軍を求めることにする。
その相手として選んだのは、袁紹に恨みを持つ黒山賊の
早速、息子の
張燕は以前、袁紹の元で居候をしていた呂布に散々にやられたのだが、その呂布はもういない。
袁紹など、恐れずに足らずと、協力を了承するのだった。
張燕は、配下の
黒山賊の救援の報せを受けると、公孫瓚は、更に一計を案じる。
「俺が騎兵を率いて、袁紹軍の囲みを突破する。そして、黒山賊と合流し、冀州の領土を侵し袁紹の背後をついてやる」
公孫瓚なりに勝算を立てた作戦だったが、関靖が制止した。
「今、易京城の塹壕、城楼は半数近く破壊されておりますが、城兵は必死に防戦をしております。それはこの本城に公孫瓚さまがいらっしゃるからこそ。もし、主不在となれば、残りの城壁など、瞬く間に袁紹に抜かれてしまうでしょう」
讒言通り、易京城が落ちるというのであれば、元も子もない。
公孫瓚は作戦を断念するのだった。
それならば、黒山賊と連携を図って、袁紹軍の包囲の厚みに対して、内外から同時に攻める作戦に変更する。
ところが、その作戦は田豊に見抜かれてしまった。
偽の狼煙を上げられると、黒山賊との連携は分断され、各個撃破されてしまう。
杜長は討ち死にし、公孫続は作戦失敗の責任を取らされて、張燕に首を落とされた。
黒山賊が退却すると、公孫瓚に残された道は、ただただ籠城するのみとなる。
このまま袁紹軍の疲れ、兵糧切れを待つしかなくなった公孫瓚の兵は、今まで以上に必死の抵抗を見せて、易京城の防衛力は一割ほど上がった気がした。
しかし、気力だけの頑張りは長くは続かない。
ついに易京城は十重あった塹壕、城楼は打ち破られ、残すは本城を囲う高さ二十丈の城壁のみとなった。
だが、まさしくこの最後の壁が、袁紹に大きく立ちはだかる。
この高さになると梯子は、まず届かない。
これ以上、高い建造物はもはや、汜水関、函谷関しか存在せず、どちらも破られたことがないという関所。
最後に最大の難関が待ち受けていたのだった。
「これは、どう攻める?」
「この城壁を登るのは不可能。であれば・・・」
田豊が思い描く策を披露する。聞いた袁紹は顔を明るくすると、早速、取りかかるように指示をした。
城壁を見上げた田豊に不敵な笑みが浮かぶのだった。
「最後の城壁のみとなったが、袁紹が持つ攻城兵器では絶対に破れん。食料の備蓄も、あと十年はもつので、安心しなさい」
公孫瓚は自分の家族に向かって、そう伝える。
最後の言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだったが・・・
「それでは、十年後はどうなさいますの?」
最愛の息子、公孫続を失ったばかりで、悲しみと不安で一杯の妻が、問いかける。
「十年も敵を引きつけておけば、その間に曹操あたりが袁紹の背後をつく。そうなれば、袁紹も囲みの維持はできなくなるはずだ」
最後は他者をあてにする言葉になったが、十年も持ちこたえることができれば、そうなる可能性は高い。
これは軍事に詳しい部下たちにも話したが、みな一様に納得するのだった。
十年か・・・
長いようで短いかもしれない。
曹操の前に玄徳が助けに来てはくれないかと思うが、それは淡い期待にしておいた方がいい。
「ふっ」
劉備のどこか憎めない明るい笑顔を思い出して、公孫瓚は微笑する。
昔は、本当に学業そっちのけで、弟分の劉備と悪さをしたものだ。
公孫瓚がしみじみとしていると、突然、ドカンという何かが爆発したような音が聞こえた。
「公孫瓚さま、敵兵が侵入してきました」
「何?」
驚いて、窓を見ると城壁の一部が崩されている。
その隙間から、袁紹兵が一気になだれ込んで来ていた。
「そ、そんな、馬鹿な・・・何が起きた?」
「詳しいことは分かりませんが、敵は地下道を掘って侵入してきた様子。壁が崩壊したのは、地盤が弱くなったため、自重で崩れたかと・・・」
「・・・何と言うことだ」
地下に坑道を掘り進めるのは田豊の作戦である。易京城の城壁を見たところ、高さの割に脆そうだったため、崩れ落ちるのも計算済みだった。
これで公孫瓚、十年の計が破られたことになる。
覚悟を決めた公孫瓚は家族を一つの部屋に集めた。
もうすぐ、ここにも袁紹の兵がやって来るだろう。
『その前に』
公孫瓚は、部屋の中に火を放った。
部屋から逃げようとする家族は、自身で手をかける。
「誇り高き我が一族、袁紹の辱めはけして受けない」
易京城の一室だけが激しく燃え盛り、公孫瓚の命はここに尽きた。
難敵、公孫瓚を葬り去った袁紹は、幽州を完全制圧する。
これで、所領は冀州、青州、并州、幽州の四州となり、曹操との二強時代が色濃くなった。
次代の覇者は、二人のうちのどちらか。
世間の注目が袁紹と曹操に、ますます注がれるのだった。
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