第81話 玉璽をその手に

西塞山に立て籠った劉勲は失地回復のために援軍を求める使者を送った。

その結果、救援にくるという相手の名前を聞いた孫策は、闘志が燃えたぎり、溢れんばかりに気力を充実させた。

その表情は鬼気迫ると言ってもいい。


「劉勲、よくぞ、黄祖を引っ張り出してくれた」

仇敵、劉表のその手先である黄祖は孫堅が命を落とした戦では、一度、敗れて孫堅軍の捕虜となっている。

父の遺体が劉表の手に渡ったことにより、その交換として返したのだが、解放される間際、孫堅陣営に向かって、侮蔑的な発言をしていたのだ。


当時は生かして引き渡さねばならず、我慢をしたのだが、今回は、我慢の必要がない。

その命を必ずいただくと、孫策は誓う。


「伯符、あまり逸るなよ」

復讐に燃える孫策。

そんな孫策に自制を求める周瑜だったが、その周瑜自身も気持ちを高揚させている。

顔の表情がいつもより険しく、紅潮させているのだ。


孫策、周瑜、二人の熱量は、部屋の温度が上がったかのような錯覚を、周りの者に与えるほどだった。

「こら、公瑾よ、お前も同じじゃ。まったく・・・子敬、お主が二人の手綱をしっかりと握るのだぞ」


二人の熱気に当てられても、同調しない張昭は、新しく加わった軍師、魯粛に参陣の指示を出す。

魯粛は恭しく礼をとり、了承するのだが、黄祖を相手取るより二人を抑える方が大変ではと思うのだった。


作戦会議が、早速、行われると、まず、邪魔者に退場していただこうと、黄祖の本隊が到着する前に、劉勲を壊滅させることにする。

当初の標的のはずが、邪魔者にまで格が下がった劉勲だが、討伐した際に一つだけ注文があった。


それは、玉璽のことを確認することだった。

皖城を制圧した際に、確認するもこの城の中では見つけられなかったため、劉勲が持ち出している可能性が高い。


玉璽のありかを聞き出す。もしくは所持していれば奪い取る。

それで、劉勲は用済みとなるのだ。


そして、いよいよ黄祖を討つ番となる。

黄祖の出方は、まだ、分からないため、対黄祖については西塞山で打合せをすることにした。

孫策は、三万の兵を率いて西塞山へと向かうのだった。



西塞山の劉勲軍、当初は十万はいたはずだが、今は見る影もなく五千ほどにまで減っていた。

兵糧が乏しいことと、劉勲の軍事差配に疑いを持った者たちが離れていったのだと思われる。


いずれにせよ劉勲が手に入れていたのは、どうやら、ただの泡。

勢いよく膨らんだはいいが、弾けて飛んだ後は、何も残らない。まさにそんな状態だった。

そんな劉勲が、対抗できるわけもなく、孫策の筋書き通りの見事な惨敗。


劉勲は数百騎の手勢とともに曹操の領地へと逃げ込むのだった。

孫策は、大将首を取り逃がしたが、何とか従弟の劉偕だけは捕まえることに成功する。


但し、劉偕は、玉璽について尋ねても、知らないの一点張りだった。

劉勲を庇っている様子もなく、いつまで経っても、答えは同じ。

業を煮やした孫策は、劉偕をその手にかけるのだった。


玉璽のことは、ひとまず置いておいて、気持ちを切り替える。

対黄祖についての作戦会議を行った。


向こうは、黄祖の息子、黄射こうえきを先鋒として水軍五千がこちらに向かっているという。

まずは、水上で応戦したのち、後続の黄祖本隊を叩く。

その作戦のため、孫策は長江に二千の船団を浮かべて、待機した。


ところが、劉勲の敗走を知った、黄射は戦わずに引き返してしまう。

劉勲がいないのであれば、黄祖に戦う理由はない。当然の判断と言えば当然なのだが、一度、火がついてしまっている孫策には、通用しない。


刀を抜いたのであれば、最後までやりましょうと言わんばかりに、黄祖の居城、夏口かこうを目指して進軍を開始するのだった。


一方、劉表側だが、下手な争いに介入したと後悔しつつも、孫策の進軍には、その先に荊州制圧を意図しているのではとの勘ぐりも入る。

黄祖に夏口の死守を命じ、甥である劉虎りゅうこ韓晞かんきに精鋭の長矛部隊五千を預けて、援軍として向かわせるのだった。


孫策軍と黄祖軍は、夏口の南、沙羡さいけで激突する。

夜明けとともに始まった戦だが、この規模としては珍しく短期で決着がついた。


復讐に燃える程普、黄蓋、韓当に加え周泰、蒋欽らの新鋭の活躍もあり、劉虎、韓晞を討ち取る。

黄祖は、自軍二万の首級を挙げられると、たまらず夏口まで敗走するのだった。


但し、孫策軍にも被害で出なかったわけではない。

策を弄せず、力でぶつかった結果、半数近い兵が負傷した。

この戦い方には、軍部首脳である孫策、周瑜、魯粛の三人が揃って、張昭にこってり絞られるという珍事件が起きるのだが、それは後日の話。


孫策は、黄祖を追って夏口の城を取囲んだ。

城は堅固に守られて、黄祖は討って出てくる気配はない。


「前回のような手は、もう通用しないだろうな」

「さすがに、そこまで馬鹿ではないだろう」


以前、黄祖を捕虜とした際には、孫策と周瑜で挑発して城外におびきき出したのだが、同じ作戦は通用しそうもなかった。

孫策軍も疲弊しており、城を囲んでの長期戦は難しい。

仮に劉表からの援軍が到着するようなことがあれば、戦況がひっくり返される可能性もあった。


「黄祖の首を見ることが出来ぬのは、口惜しいが、ここは退くしかないか」

「私が、もう少し冷静でいられたら、違った結果があったかもしれません。申し訳ございません」

「子敬、君のせいではない」


孫策と周瑜が声を揃えた。

まずい戦を主導したのは、孫策と周瑜である。反省すべきは、この二人だった。


「帰ったら、説教が待っているな」

「・・・確かに」

憐れにもそこに連座される予定の魯粛は、孫策に献策があると告げる。


「帰路、豫章郡の近くを通ると思われますが、治める華歆かきん殿は聡明な人物と聞きます。理を説いて、我らの味方に引き込んではどうでしょうか?」

豫章郡を抑えれば揚州全域が孫策の支配圏となる。


今回の一連の戦い、見方によっては、孫策が豫章郡を蹂躙した劉勲を追い払ったと言えなくもない。

交渉の余地はありそうだった。

「分かった、任せる」

魯粛はすぐ、華歆に使者を送る。


孫策軍が豫章郡に入ると華歆は、孫策を出迎えて恭順の意思を示すのだった。

その立派な態度に孫策も礼をとり、華歆を上客として礼遇する。

黄祖を討つことは叶わなかったが、豫章郡という思わぬ収獲があり、意気揚々と呉県に戻った。


そんな成果とは別に、孫策を待ち受けていたのは、前述の通り、張昭の大目玉である。

張昭の話疲れで、やっと解放されると自室で一息ついた。

酒でも所望しようとかと思ったところ、護衛の者から来訪者があることが告げられる。


「やれやれ、ゆっくり休む間もないのか。・・・通せ」

そこに入って来たのは、袁燿だった。

孫権と妹の婚姻があり、すでに孫策とは縁戚関係にある。


「いかがされた、袁燿殿」

「まずは、私の妹の件、ご承知いただきましたお礼と思いまして」

「何、私も弟は可愛いのです。つかめる幸せがあるのであれば、叶えてあげるのが道理」


父親代わりと言っては、大袈裟だが、孫権が喜ぶ姿を見るのは、孫策としても嬉しいのだ。

孫策の返答に重ねて感謝し、縁者となったからというわけではないが、一度、腹を割って話がしたかったと、袁燿は切り出す。


それは、孫策としても望むところだった。

何か言いたいことがあるのであれば、申されよと伝える。


すると、袁燿は、

「わが父から、いつも貴方と比較され、正直、孫策殿が疎ましかった」と、苦い告白を始めた。


かつて、袁術から、そなたのような息子がいればと言われたことがあったが、それは世辞や冗談ではなく、本当のことだったようだ。

しかし、孫策からは何とも言えず、返答に窮する。


「ですが、今は、近くで貴方を見て、よく知ることにより、父が申していたことは本当のことだったと理解できています」

「いや、私は戦しかできぬ無骨者。言われるほどできた人間ではござらん」

「人を思いやる優しさ、我らに対しても寛大な対応をして下さる。私は足元にも及びません」


袁燿は孫策を改めて、褒めたたえて拝礼する。

そして、懐に手を入れると、赤い漆塗りの箱を取り出した。


一瞬、目を疑うが、それは孫策が恋焦がれるといっていいほど、大切な物が入っている箱と酷似している。

「袁燿殿、その箱の中は、もしや?」

「はい、伝国の玉璽でございます」

「やはり!」


孫策が探し求めていたものが、目の前にある。

皖城の宝物庫になく、劉偕も知らないはずだ。

まさか、袁燿が持っていたとは・・・

いや、袁術の息子であるため、持っていても不思議はない。まさに灯台下暗しだった。


「これは袁家が持っていて、よい物ではありません。お渡しいたします」

袁燿から、玉璽を手渡された孫策は、色々な感情の渦に流される。

膝から崩れ落ちると震えながら、大声を発し、大粒の涙を流すのだった。


何か異変かと思い、見張りの者が扉を開けると、その後ろから周瑜も駆けつける。

二人の部屋は隣接しているのだ。

「どうした、伯符?」


孫策は言葉を発することができず、ただ、手に持つ物を周瑜に見せる。

周瑜も、一瞬、息するのを忘れるほどに驚いた。


「そ、それは、まさか」

「・・・俺は、やっと父上の墓前に報告ができる」

「そうだ・・・そうだな」


孫策と周瑜は膝を突き合わせて、ともに玉璽の箱を持つ。

二人の号泣が城内に響くのだった。

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