第80話 花嫁三人

劉勲に頼られた華歆だったが、兵糧の件は断るしかなかった。

実は豫章郡でも不作が続き、食糧が不足していたのだ。

よそに売るだけの蓄えなど、まったくない。


「劉偕殿、申しわけないが、こちらも苦しい台所事情を分かってほしい」

「・・・しかし、華歆殿に断られると、我らは他には・・・」


劉偕の言いたいことも分かるが、ない袖は振れない。

お引き取り願うしかなかった。


劉偕は肩を落としながら、廬江郡への帰路につく。その途上、上繚じょうりょう一帯を通過する際、そこに住む部族たちの生活を見て、自分たちより豊かであるように思えた。


これは、単に隣の芝生が青く見えただけなのだが、上繚一帯には食料が豊富にあると誤った認識を劉偕が持ち、そのまま、劉勲に報告してしまうのだった。


間違った情報に躍らされることになった劉勲は、売ってくれないのであれば、奪ってしまえと上繚に向けて軍を向けることにする。


食糧を得たい兵たちが、続々と志願し、劉勲の居城は、ほぼ空の状態となった。

それでも気にしない劉勲は、そのまま、大軍を引き連れて豫章郡に向けて軍を発する。


劉偕の行動が気になっていた華歆は、劉勲の動きをよく監視しており、軍を動かしたことを察知すると、すぐに上繚一帯の部族に避難するように指示する。

華歆は豫章郡での声望が高く、部族の者たちは、その指示に皆よく従った。


部族たちは、物資をすべて持ち出して逃げたため、劉勲が上繚に着いたときには、得るもの何一つとして残っていない。

とんだ無駄骨を折る羽目になった。


ここで、劉勲のことを監視していたのは、華歆だけではなかった。江東の小覇王・孫策も同じである。

劉勲が皖城を空けたことを知ると、電光石火で出陣するのだった。

主がいない皖城は、孫策軍が包囲するとあっさり降伏して開城する。


それは孫策が拍子抜けするほどだったが、城内に入るとその理由が分かった。

十万と称される劉勲軍だが、城内には僅か数百の兵士しか残っていないのだ。


このことから、劉勲は戦の素人だと見切ると、孫策は従兄の孫賁そんほん孫輔そんほに八千の兵を与えて、豫章郡の彭澤県ほうたくけんで待ち伏せを命じる。


おそらく劉勲は、何の警戒もせずにこの地を通るはず。

相手は十万とはいえ、率いる将が無能では、八千でも十分に戦果を上げられると判断したのだ。


すると、孫策の予測通り、劉勲軍は彭澤県を無防備に通過し、孫賁、孫輔に散々に打ちのめされる。

何とか全滅を免れると、劉勲は、息も絶え絶え、荊州の西塞山せいさいさんに逃げ込むのだった。


孫策が皖城に入城した際、まず、宝物庫を確認した。

そこには袁術の遺産が部屋中、びっしり並べられていたが、お目当ての物はなさそうだった。

とりあえず、持ち帰る指示を出すと、城主の間で一休みする。


椅子に座った孫策の前に、城内に残っていた捕虜たちが連れ出された。

その中に劉勲の妻子の他に、袁術の妻子もまぎれており、孫策は慌てて袁燿の縄を解くのだった。


「指示が行き届かなくてすまない。幼少のころより知っている君を縄目に着けるとは・・・」

「いや、我らは敗れた一族、どのような仕打ちも甘んじて受けます。・・・が、ご厚情には感謝します」


孫策は劉勲の一族を別室に移すと、袁家に連なる者の縄をすべてとく。

それまで不安な表情を見せていた者たちもいたが、この扱いに安堵の声を漏らすのだった。


「袁術殿とは袂を分かったが、孫家が受け恩顧を忘れたわけではない」

「孫策殿から、そう言っていただけるとは思っていませんでした。重ねて、感謝いたします」


袁燿も思うところはあるだろうが、一族を守るためには大人にならなければならない部分がある。

孫策が袁術から離反さえしていなければ・・・

しかし、それを言っても詮無きこと。


「食料難だったと聞いている。今晩は、我らが用意した食事を口にしてもらって、ゆっくりと休んでくれ」

ましてや、ここまで言ってくれる孫策に恨み言など言えなかった。


「それから、申し訳ないが、明日から呉郡に移動してもらう。手荒なことはしたくないので、素直に従ってほしい」

「我らは降伏しました。命じられた通りにすることを、袁家の名に誓います」

袁燿のその返答に、孫策はありがたいと申し添えると、袁家の人たちを食事が用意してある部屋へ、案内させるのだった。


そこに入れ違いで周瑜がやって来た。

何やら、いつもと様子が違うのが気になるのだが、戦況に変化があったというわけではなさそうだった。

「伯符、頼みがある」

「珍しいな。何だ?」


孫策が、問いかけるが、周瑜の歯切れが悪い。

こんな周瑜を見るのは、初めてのことだった。

「し、しょ、小橋しょうきょう殿を私にくれ」

「小橋殿?」


そう言えば、橋玄きょうげんの令嬢が二人、皖城に住んでいると聞いたことがある。二人とも絶世の美女らしいが、その娘の一人のことだろうか?

孫策は、会ったことがないが、あの周瑜が顔を真っ赤にして、頼んでいるのだ。

きっと、素晴らしい女性なのだろう。


それに、こんな周瑜の姿を見られたことが非常にほほえましい。

「俺が親友の幸せを望まないと思うか?もちろん、かまわない」

「すまない。女性を見て、こんな気持ちになったのは、初めてのことだ」


例え、敵軍十万を前にしても怖気づくことなどない男が、よほど勇気を振り絞って願い出たのだろう。

ホッとしている姿が、孫策の目にも明らかだった。


「それでは、孫家が誇る知将を骨抜きにした女性を紹介しろ」

「あまり、からかうな」

周瑜の案内で、小橋のいる部屋に孫策は向かう。


女性がいるということなので、部屋の外で入室の意思を伝えると、球を転がすような美しい声で返答があった。

「ごめん」

二人が入室すると、同じく二人の女性が佇んでいる。


周瑜が小橋に見とれていると、何も言わずに孫策が歩き出し、一人の女性の前に立った。

「貴女のお名前を聞かせて下さい」

「私は、大橋だいきょうと申します」


・・・この声は、先ほどの女性の声だ。それにしても良かった。この人が大橋で。

「・・・あの、私、何か失礼なことを?」

名前を聞かれた後、孫策が黙ってしまったため、大橋は不安になったのだ。

見ず知らずの男がやって来て、ずっと押し黙ったままでは確かに、そうなるだろう。


「いや、申し訳ない。私は、孫策伯符という者です」

孫策の名前を聞くと、大橋と小橋は慌てて、三つ指をついた。

占領した軍の一番偉い人間が目の前にいるとは、思ってもいなかったのだ。


「知らぬとはいえ、ご無礼致しまいた」

「いや、二人ともお立ちになって下さい。あなたたちに害をなすつもりはありません」

「寛大なお言葉、感謝いたします」

大橋と小橋はそろって頭を下げるが、それも不要だと孫策は制す。


「感謝したいのは私の方です。貴方が大橋殿でよかった」

「はい?」

意味が分からず首をかしげる大橋だったが、周瑜はすぐに察した。


「公瑾、天祐に感謝だ。一歩間違えれば、孫家が二つに割れていたぞ」

「やはり、そういうことか」

孫策は、大橋に一目ぼれをしたのだ。


これが二人とも小橋に心奪われるようなことがあれば、江東に血の雨が降っていたかもしれない・・・

最悪の事態を回避できたからこそ、笑い話にもできた。


その場で、孫策と周瑜は、それぞれの想い人大橋、小橋に求婚し、了承を取り付ける。

めでたく二組の新婚が誕生するのだった。

孫策がやや浮かれ気分で自室に戻ると、面会を求める声が聞こえた。

声からして、弟の孫権とすぐに気づく。


「どうした、仲謀?」

孫策は部屋に入って来た弟に優しく声をかける。

今回の皖城攻略戦が、実は、孫権の初陣だったのだが、あっさり落城したため、華々しい活躍というわけにはいかなかった。


しかし、戦は結果がすべて。初陣で勝利できたのは、上々の出来と言える。

「まさか、怪我でもしたか?」

「いや、そういうことではないです」

孫権のその態度に、何か既視感を覚える孫策だった。


『この様子は、公瑾と同じか?』

すると、意を決したかのように孫権が話を切り出す。


「実は、兄者にお願いがあるのです」

「・・・もしかして?」

「もしかしてとは?」


孫策一人、ある予想が働いて先走るが、当然、孫権には分からない。

孫策は、いいから続けろと伝えた。

「嫁に迎えたい人がいるんだ」

「やはりな」


兄が何に納得しているのか不思議だったが、孫権は部屋の外で待機していた女性を招き入れる。

その女性には孫策も見覚えがあった。

それもそのはず、その女性は袁術の娘だったのだ。


孫家と袁家のつながりは、意外と古くからある。袁術の子は、孫権にとって幼馴染のようなもの。

もしかして、幼少の頃より、恋心をいだいていたのではと、孫策は勘ぐるのだった。

兄の返答がないことに不安な表情を見せる二人だったが、孫策は笑顔を向ける。


「仲謀の幸せは、俺の幸せだ。もちろん、祝福するよ」

「兄者、ありがとう」


これで孫権もめでたく嫁をとることになる。

この日、孫家の将来を担う三人が、同時に所帯を持つという奇跡が起きた。

孫策は、今、人生で最大と言っていい幸せの瞬間を嚙み締めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る