第77話 玉帯の意味
新しく建国した仲国だが、もともと国土が狭い上に、皇帝である袁術の浪費が激しいため、その財政は火の車だった。
しかも飢饉によって、食糧は枯渇し国庫も空に近い。
農民たちが飢えに苦しむだけなら、まだしも、自分の生活にも影響をきたす事態に、袁術は慌てるのだった。
「国内で絞り取ることができないのであれば、どこぞの国に援助を求めるしかあるまい。何か良い案はないか?」
「近く、
閻象が提案すると、劉寵に『さま』をつけたことが気にくわなかったようだ。
「朕は皇帝、劉寵は、漢の一皇族に過ぎん。余計な敬畏は不要じゃ」
「はっ。申し訳ございません」
このような時の袁術には、何を言っても無駄だ。
閻象も慣れたもので、すぐに謝罪し、とにかく陳国へ援助の申し込みを急ぐのだった。
自分たちの死活問題に関わるので、必死なのである。
陳国の相を務めているのは、
それは当然と言えば当然のこと。
袁術は漢の逆賊。皇室に連なる劉寵が、手を貸す道理はまったくない。
むしろ、このまま飢えて、滅びてほしいくらいだ。
しかし、この強硬な姿勢が裏目に出る。
袁術の恨みを大いに買ったのだ。
凶行に走った袁術は、劉寵と駱俊に刺客を向けて、二人を殺害する。
そして、指導者を失った陳国に対して、兵を挙げ、略奪行為に励むのだった。
袁術が陳国に攻め入った報告を受けると、曹操は直ちに討伐の兵を起こす。
もちろん、劉備にも同行を願うのだった。
劉備が許都を立つと聞いて、董承は慌てる。
先日の密書の返答がなく、かといって曹操に露見した様子もない。
劉備の真意がどこにあるか分からないのだ。
時間もないため、なりふり構っていられない董承は、直接、自ら劉備に会いに行った。
出迎えた劉備は、何食わぬ顔で挨拶する。
「これは董承殿、戦前の激励でしょうか?」
「当然、それもありますが・・・」
どう切り出してよいか、言葉を選んでいる様子に、劉備はため息をついた。
この男と志をともにする気はない。
「はっきり言うけど、曹操を廃した後、独力で政権を維持できると、本気で思っているのかい?」
「なっ・・・声が大きいですぞ」
董承は、周囲に視線を送り、曹操に近しい者がいないか気を配るが、劉備はお構いなしだ。
「無理だとして、次に頼るのは袁紹、それで劉表、劉焉と使い捨てにしていくつもりなら、考えが大甘だよ」
「漢の忠臣が、その中にいれば、我らは付き従いますぞ」
忠臣?違うね。それはあんたにとって、都合のいい実力者のことだろ。
そう大声で叫ぶのを、何とか堪えた劉備は、朝廷の権力を笠に着るとはどういう行為か尋ねた。
「無論、自分の都合で勝手に官位や爵位を授けることなどだ」
「それは、あんたたちもやっているだろ?もっと言うと、世にいる群雄は州牧、太守なんかを勝手に決めているぜ」
劉備の言い方が、あまりにも不遜だったため、董承は顔を真っ赤にして怒りを表す。
しかし、概ね、事実だったため、反論はできなかった。
要は、特権を自分たちだけのものにしたいだけ。
邪魔者を排除したいから、権力を笠にきているだのと
我が身のことは顧みずに・・・
「俺が知る限り、曹操は官位や爵位を任ずるにあたって、金銭的な見返りを求めている様子はないぜ。政治には利用しているが、官位って、本来、そういう側面があるものだろ」
なぜ自分が曹操の弁護をしなければならないのか、途中から不思議に思ったが、今、目の前にいる輩より、どう考えても曹操の方がまともに見えるのだから、仕方がない。
「では、我らには賛同いただけないということか?」
「賛同も何も、あんたら、もう失敗しているぜ」
「そ、そんな馬鹿なことはない」
計画は、慎重に行い、同志選びも厳選している。また、曹操にも自分たちの活動は、知られていないはずだ。
董承は、そこには絶対の自信があった。
しかし、劉備の表情を見ていると、どこかに落ち度があったのではと、気持ちがぐらつくのだった。
「何をもって、そう言えるのだ?」
「それは、献帝陛下を巻き込んだことだよ」
「巻き込むも何も、陛下がお嘆きになっているため、我らが動いているだけである」
いいや、違うと劉備は断言できる。
どうせ人のいい献帝陛下のことだ。苦楽をともにして長安から脱出した董承の話を退けることができなかっただけだろう。
「いいか、献帝陛下を巻き込んだことで俺の怒りを買っている。それがあんたらの最大の失敗だ」
「ぶ、無礼な。今言った、私の言葉を信用していないではないか」
「あんたの論理は、どうでもいいんだ。ただ、何があっても献帝陛下が責に問われるようなことにするんじゃないぜ」
そのような事、臣下として問われるまでもないと、憤慨するが、どこまで信用していいのか・・・
もう一つ、言質が欲しい劉備は、
「その言葉を聞けて、よかった。まぁ、当然だよな、どうせ陛下の勅とやらも、あんたが言わせたようなものなんだろうからな」
と、挑発する。
「ふん、好きに言っているがよい。きちんと結果さえ出せば、後でどうとでもなることなのだ」
これで、聞きようによっては董承の独断に、献帝が振り回されているように聞こえる。
最終的に責任は董承までで留める。それさえ守ってくれるのならば、劉備は、このことを曹操には黙っておいてやると約束するのだった。
董承も、協力は得られなかったが、劉備から露見することがないと分かり、大人しく退くのである。
「ふぅ」
「悪い人ですね」
劉備が一息つくと、簡雍がやってきた。
簡雍が言いたいことも分かるが、もっといい方法があっただろうか?
劉備には思いつかなかったのだ、他に献帝陛下を救う方法が・・・
「董承さんも、最初、警戒していた割には、最後、大声になって・・・大将の罠にはまったとも知らずに」
「俺も必死だったんだから、仕方ないだろ」
劉備は、董承の顔を見た時、ふと、ある考えに思い当たったのだ。
それは、『もしかして、献帝陛下は、俺に董承の暴走を止めてほしいと思っているんじゃないか?』ということだった。
謁見の際に、劉備と曹操を英雄と褒め、二人がいれば漢は安泰だとまで言った。
本気で廃したい相手を、そこまで褒めるだろうか?という疑問があり、肝は玉帯の件だった。
再び、下賜する理由がわからない。
それで、小芝居を打った昔話を持ち出してくるということは、玉帯に何か意味がありますと言っているようなものだ。
曹操だって当事者だったのだ、きっとそこには勘づくだろう。
そんな曹操の目の前で、誅殺計画に引き入れるという危険を冒すとは考えにくい。
玉帯を使って、董承が接触してくることを利用して、劉備に計画を止めてほしい。
つまり、今回の玉帯にはそういう意図があったのだ。
『また、俺を試すようなことをなさって・・・』
劉備は、そんな献帝の意を汲みながら、献帝自身も守る手段を考えなければならないと、とっさに思った。
都で曹操がもっとも警戒する相手は、劉備以外に他ならない。
今も、どこにいるかわからないが、劉備に監視をつけていないわけがないのだ。
あとは、曹操の間者がどこまで優秀かにかかっている。
さきほどの董承との会話は、必ず、曹操の耳に入るはず。
その時、どういう表現で伝わるか・・・
董承の暴走ともとれる言質はとったつもりだ。
間者が変な解釈をいれずに、そのまま伝えてくれれば・・・
「献帝陛下はご無事かもしれませんが、私たちの身も危ういのではないですか?」
確かに密書を受け取ったとき、正式に曹操に伝えなかったことで、反逆の意思ありと思われるかもしれない。
しかし、曹操なら先ほどの董承とのやりとりが、劉備の策で、報告も兼ねていると気づく。
それに献帝と対立せずに済む、そんな逃げ道を作ってやったんだ。逆に感謝してほしいくらいだ。
「多分、大丈夫だろ。後は、曹操がうまく処理してくれることを願うだけだ」
戦の準備が整うと、劉備は袁術討伐のために許都を立った。
その後、董承の曹操暗殺計画は露見し、協力していた偏将軍・
劉備の思惑通り、首謀者は董承ということで、その一族は皆殺しとなるが、献帝にまで塁が及ぶことはなかった。
事の顛末を知り、献帝は宮中で嘆くとともに劉備に感謝する。
「朕の優柔不断が招いた惨事、董承に悪いことをしたが・・・意を汲んでくれた劉皇叔には、言葉もない」
献帝も、今の漢に曹操の力は不可欠であることは理解していた。
また、董卓のような自分たちの利益を求める悪政をしいているわけでもない。
今すぐ、曹操を除く必要性はないのだ。
自分の周りで不満を持つ者を抑えることもできない、自分の無力さを恥いる。
強くならねばと誓う反面、頼りとなる人材が周りにいないのも確か。
劉備のような人物が、常に傍らにいてくれることを、切に願う献帝だった。
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