第76話 劉皇叔と密書
下邳城における呂布との決戦を制した曹操は、劉備を伴って、許都に戻った。
許都に着くと、すぐに献帝に呂布討伐の報告がなされたが、そこに劉備も同席することになる。
献帝は、二人の労をねぎらうと、初参殿の劉備に話しかけた。
献帝が即位する前、陳留王と呼ばれていたころに劉備は、一度、会っている。献帝もその時のことを覚えていたのだ。
当時のことを振り返ると、董卓に霊帝と一緒に連れ去られそうだったところを、二人で芝居を打って、回避しようと試みたのだが、結局、失敗に終わるということがあった。
献帝は今だからこそ、笑って話せると前置きした後、あの時、自分の機転によく気づき、話を合わせてくれたと、改めて劉備に感謝の言葉を伝える。
この場で劉備の出自、祖先の系譜に関しての検証も行われると、正式に皇室に連なると認められた。献帝からは、『
官位も授かり、左将軍へと昇進するのだった。
「そういえば、あの時の玉帯はいかがした?」
「畏れ多いことでございますが、こちらの曹司空と協力して、反董卓連合の表徴とさせていただきました」
玉帯にそのような使い方があるとは。
面白そうな話であったため、献帝は詳しい内容を劉備から聞き出す。
全て聞いた献帝は、感嘆するのだった。
「なんと素晴らしい発想。さすがは曹司空と劉皇叔だな」
劉備と併せて、曹操もお褒めにあずかり、二人は献帝の前で平伏した。
「このような英雄が、朕の近くに二人もいてくれるのであれば、漢の世も安泰である」
立ち並ぶ、近臣から、「左様でございますな」という、同意と賛辞が送られる。
「それでは、代わりの玉帯を下賜する。後で誰か遣わせよ」
「承知いたしました」
献帝の指示に外戚となった
そして、別れの口上を述べて、曹操と劉備は、献帝の前を辞するのだった。
「大した出世だな、劉皇叔」
「憲和みたいな、言い方は止めてくれ」
謁見の帰り、曹操が劉備に話しかけてきた。今後の劉備の身の振り方を含め、この後、話し合いを行う予定があったのだ。
「・・・いや、止めていただきたく存じ上げます。・・・か」
曹操の勢力下、同じく漢の官位をいただくものとして、三公の曹操と左将軍の劉備では、明らかに身分の差がある。
言葉使いも今まで通りとはいかないだろう。
「今さら、気にすることではない。本当であれば、もっと以前から改めるべきことだ」
その言葉通り、最初に会ったとき、すでに曹操は漢の将校、劉備は義勇兵の頭。
身分の差は、その時からできていた。
だから、初対面で夏侯惇が劉備に対して、激高したのである。
「俺も舌を噛みそうだ。そう言ってくれると助かる」
司空府に着くと、二人は早速、本題に入った。
曹操側からは、他に荀彧と郭嘉、劉備側からは簡雍と孫乾が同席する。
「東の脅威がなくなった今、いよいよ本初との対決が視野に入ってきた」
呂布討伐に出た際も予想通り、張繡は動かなかった。張繡は、自分に降りかかる火の粉だけを払うと考えていいだろう。
東、西、南と対策を打ってきたので、いよいよ北の番となる。
「その前に一つ確認ですが、袁術さんと袁紹さんが手を組むことはありませんか?」
対袁紹について、議論を始めようとしたとき、簡雍が問題を投げかけた。
それには曹操陣営が唸り声をあげる。
袁術は、曹操が揚州まで追いやると、その後、しぶとく自力で勢力を伸ばしていたが、頼りの孫策に離反されていた。
また、最近では同盟相手にも等しい呂布が滅びたばかり。
自然淘汰されていくとばかり思ってい込んでいたが、確かに袁紹と結ばれると、多少、厄介な相手になる。
袁紹と袁術は、犬猿の仲であるため、その選択肢は無意識に頭の中から消えていたのだが、簡雍の指摘は、まさに
「言われてみると、確かにそうだ。勢力こそ弱いが、影響力だけは大きいからな」
今は袁紹について語る前に、まだ足場固めの段階にあるようだ。
議題を対袁紹から、対袁術に切り替えることになる。
「袁術の勢力は、揚州の九江郡と廬江郡のみで、北に我ら、南東に孫策、西に劉表と四方を敵に囲まれた状態と言っていいしょう」
荀彧が地図を用意させて、袁術の状況を説明した。
普通に考えて、よくこんな状況で建国をうたったものだと、逆に感心する。
「孫策・・・文台の息子か。袁術とは完全に切れているってことでいいのかな?」
「以前、袁術討伐の詔勅を出した際には応じる返答があったのですが、結局、理由をつけて、討伐には参加していません。確認をとる必要はあるかもしれませんね」
劉備の疑問に荀彧が答えた。敵味方の区別だけは、最初にはっきりとしておきたい。
「孫策に討逆将軍の官位を与えよう」
討逆とは、つまり逆賊を討つことであり、漢の逆賊とは偽帝・袁術他ならない。
その官位を受けるか受けないかで、孫策の動向を確認しようとするのだった。
朝廷の権限を自由にできる曹操ならではの確認方法である。
四方を敵で囲み、まずは包囲網を確立する。
袁術への対策が、ほぼ定まった。
そして、劉備には小沛へ向かう指示が出る。
徐州は曹操の領土になったばかり、政情定まらない隙をついて、袁術がそちらに侵攻した場合の防波堤の役割を受けたのだ。
「分かった。準備ができ次第、小沛に向かうよ」
方針も決まり、話し合いが終わる。
劉備たちが部屋から立ち去ると、郭嘉が警鐘を鳴らした。
「劉備が大人しく我らの傘下に収まるとは思えません。小沛に放つのは危険ではありませんか?」
「それは分かっているさ。しかし、都に置いておいて、下手に献帝とつながりを持たれるのも好ましくない」
曹操としては、劉備が朝廷内に影響力を持つ方が厄介だと考えたのだ。小沛に向かわせる際には、監視もつけるということで、とりあえず郭嘉は納得するのだった。
曹操が危惧する通り、早速、劉備に接触を図る朝廷勢力がいた。
それは自分の娘を献帝の側室とした董承である。
董承は、献帝の指示に従い、劉備に玉帯を渡す準備をするのだが、その玉帯の装飾の中に密書を忍ばせる細工を施した。
劉備は、遣わされてきた使者の意味ありげな行動に、うんざりしながら、その玉帯を受け取る。
「さて、何が入っているのかね」
劉備は、関羽、張飛、簡雍の前で、装飾を外すと予想通り密書が出てきた。
その中身は、曹操が朝廷の権威を笠に着て、献帝をないがしろにしている。ともに曹操を討とうということが書かれていた。
「とんでもないものをよこして来ましたね」
「まったく、人の都合や迷惑を顧みないとは、このことだな」
朝廷の権威を笠に着るとあるが、朝廷も曹操の軍事力をあてにしているのだ。
持ちつ持たれつの関係を考えれば、仕方のないことだろう。
それと、献帝をないがしろにしているという点も、少なくとも本日、謁見した限りでは、そのようには劉備には見えなかった。
最近では、献帝の願いで張繡の討伐にも曹操は出ている。
本当にないがしろにしているのでれば、曹操は受けなかったはずだ。
とすれば、これは単なる朝廷内の権力争いに劉備を巻き込もうとする、そんな董承の思惑が入り込んでいるように思えた。
しかし、この密書には大きな問題がある。
「これって、私たちだけじゃなくて、献帝陛下も巻き込んでいますよね」
事の真偽は分からないが、献帝から曹操誅殺の密勅があることも匂わせているのだ。
それに、玉帯を劉備に下賜することは曹操も知っている。その玉帯に密書なんか入っていれば、当然、献帝の指示があったと考えられてもおかしくない。
このまま単純に、曹操に報告すると、その累が献帝にまで及ぶ可能性があるのだ。
「おいおい、勘弁してくれよ」
「長兄、どうされますか?」
どうするも何も、関わらないのが一番だ。
献帝陛下から、直に頼まれたのなら、話は別だが・・・
「こんなもの、とっとと燃やしちまおう」
下手に残して、見つかったら、後々、面倒になる。
劉備はすぐに証拠隠滅を図った。
これは、劉皇叔と呼ばれて浮かれている場合ではないと、本気で思う出来事だった。
朝廷内の陰謀詐術は、性に合わないし興味もない。
早く小沛に向かった方がいいと考えた劉備は、その準備を急がせるのだった。
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