第14章 玉璽奪還編

第75話 江東の小覇王

厳虎を討ち、揚州丹楊郡における反対勢力を一掃することに成功した孫策は、満を持して、呉郡制圧に取り掛かる。

太史慈との一騎打ち以来、前線に立つことを控えている孫策は、今回、朱治を総大将とした。


朱治は、先代の孫堅が海賊退治をして治安を守ったなど、孫家に所縁のある地、銭唐県せんとうけんに入ると、住民たちをいたわるように、兵糧などを分配した。


「孫家、万歳」


銭唐県に住む人たちは、かつての恩もあり、そんな孫家を熱烈歓迎するのだった。

難なく銭唐県を手に入れることができた朱治は、そのまま軍を進めると、由拳ゆうけんで呉郡太守の許貢きょこうと激突する。


呉郡では孫家に付き従う者たちが多く、両軍の戦力には大きな開きが生まれた。

そのため、朱治は許貢を寄せ付けない。徹底的に打ち破るのだった。


許貢はたまらず降伏すると、その他の城主たちも次々と、孫策に帰順する。

こうして、孫策は呉郡を平定し、次に会稽郡かいけいぐんに狙いを定めるのだった。


孫策ら本隊も銭唐県に入り、攻略の準備をしていると、叔父である孫静が一族を率いてやって来た。

孫静と会うのは、本当に久しぶりで、他の一族含めて再会を喜びあう。


「しばらく会わない内に、立派に成長したね」

「まだまだです。どうか、この未熟者に、お力をお貸しください」

「私にできることなど限られているが、できることは何でもさせてもらうよ」


孫静は、謙遜しつつも、協力を惜しまないと承諾してくれる。

自由奔放に振舞う兄に、何かと振り回されることが多かった孫静だが、その度に嫌な顔を一つせず、確実に丁寧な仕事をしてきた。


亡き孫堅が、その昔、今の俺があるのは孫静のおかげだと、孫策に話していたことが懐かしい。

孫策は、そんな孫静を幼少の頃より、いたく尊敬していたのだった。



孫策軍が迫るという情報が会稽郡に届くと、太守・王朗おうろうに仕える虞翻ぐほんが、今の孫策の勢いから勘案すると対立せず、和を結ぶべきだと進言する。


しかし、王朗はその意見を容れなかった。

浙江せっこうは天然の要害。ここを中心に防衛すれば、そう簡単に打ち破れるものではない」

相当な自信なのだろう「孫策の快進撃もここまでよ」と、高笑いまでする。


虞翻は、浙江にある砦、固陵こりょうを過信しすぎではと思ったが、それ以上は何も言わなかった。

王朗は、元丹陽太守の周昕しゅうきんに援軍を頼み、ともに固陵に入る。

周昕は、かつて孫策の叔父、呉景に丹楊郡を奪われた恨みもあり、喜んで参陣するのだった。


王朗が自信を持つだけあって、固陵は名前の由来の通り堅牢で、孫策も攻略に手を焼く。

浙江を渡りながら、固陵を攻めるのは非常に難しかった。


いつもなら孫策が先頭に立って、敵の鉄壁を無理矢理、こじ開けるのだが、その戦法は賭けに近いため、張昭に禁じられている。

頼みの周瑜は、旧い友人を迎えに行くと言って、徐州下邳国の東城県とうじょうけんに向かっており、今は不在。


攻めあぐねる孫策は頭を抱えるのだった。

そんな甥に孫静は、金言を与える。


「何も正面から戦うばかりが、勝利の道筋ではないよ」

「それは、どういうことでしょうか?」

「固陵が堅固なのは前に浙江の流れがあるから。では、その裏はどうだい?」


孫静は、背後から、攻め取ればいいと言う。

確かに、なぜ、そんな単純なことに、今まで気づかなかったのだろうか・・・


「兄さんも、相手の裏を取るのは好んで、よく使った戦法だったからね」

「言われてみれば、おっしゃる通りです」

「それと、裏を取ることを確実にするために、兄さんは、こんな策を使ったことがあったよ」


孫静から、その策を聞いた孫策は、ぱっと目を大きく開き、表情を明るくする。

「叔父上の知識は、孫家の兵法書です」

そう言って、孫静を称賛するのだった。



「おい、こんな大量の瓶なんか、どうするんだ?」

「なんか、生水を飲んで、体調崩している奴が多いから、これで清水を作るんだってよ」

そんな会話が、孫策軍の兵卒の間、そこかしこでささやかれていた。


王朗は、放っていた間者から、その報告を受けると、しばらくは孫策軍の攻勢はないと踏む。

また、夜になって、岸辺に多くのかがり火を焚いているのは、攻めるという虚勢を張っているだけと推測、孫策軍の底は知れたとほくそ笑むのだった。


このまま、防御に徹していれば、いずれ尻尾を巻いて逃げ出すだろうと考える。

しかし、王朗が勝手な皮算用をしているとき、孫策軍は別動隊を夜陰に乗じて移動させていた。

そのことを悟らせぬため、飲み水に関する流言を流し、かがり火を多く焚いていたのだ。


別動隊は、孫策自身が指揮をとり、浙江を渡ると、固陵の南に位置する査瀆さとくを強襲した。

査瀆は、固陵の重要な補給拠点。


朝になって、糧道を断たれたことを知った王朗は、慌てて周昕とともに査瀆を取り返すために進撃を開始する。

当然、孫策は王朗の動きを予測し、待ち構えているのだった。


両軍は野戦で激突するが、単純な武力勝負の戦で王朗が孫策に敵うわけもなく、周昕はあえなく討ち取られてしまう。

それを間近で見た王朗は、戦意を喪失して逃げ出してしまった。


固陵も捨てた王朗は、船を使って会稽郡の南、東冶とうちまで逃げる。

孫策も執拗に追うと、虞翻の讒言もあり、ついに王朗は観念して降伏するのだった。


見事、会稽郡を手に入れることができた孫策は、会稽太守を名乗る。

これで丹楊郡、呉郡、会稽郡の三郡を勢力下に収めることができた。


孫策は今回の戦の一番の功労者、孫静に官職につくことを薦める。

また、ここに留まり、これからも自分を助けてほしいと願い出るが、孫静は両方ともやんわりと断るのだった。


「伯符。今回は君の顔を見に来ただけ。私の冒険は、兄の死とともに終わったんだよ」

「・・・そうですか。」

「すまないね。私は、郷里の富春に戻るよ」


本当に気落ちする孫策の肩を孫静は抱いた。

孫策は、昔、父の孫堅に抱かれたときの感情を思い出す。


「色んな想いを抱え込んでいるみたいだけど、もう少し肩の力を抜いた方がいい。伯符、君は、何があっても孫家の誇りなのだから」

「私が・・・孫家の誇りですか」

「ああ、君は私の自慢の甥だよ」


孫静の温かい言葉に感謝する。

そして、色々、心配をかけていたのだろうと反省もした。


「成長した姿を見られて、嬉しかった。それでは、厳しい戦いが続くかもしれないが、頑張るんだよ」

「ありがとうございます。叔父上も、どうかお健やかに」

「ああ、ありがとう。・・・それから、あまり公瑾に心配をかけるのではないよ」


孫策は承知しましたと言って、孫静とその一族が富春へと戻るのを見送った。

しかし、どうして、最後に公瑾の名前が出たのだろうか?

孫策が疑問に思ったが、今、周瑜が不在であることを鑑みれば、その答えはすぐに分かった。


徐州に向かうと言っていたが、その途中に富春によって、孫静に孫策を励ますようお願いしてきたのだろう。

いくら血縁者といっても何かのきっかけがないと、わざわざ戦地にまでやって来るはずがない。


徐州と富春では、方角的にかなり遠回りになるはずだが・・・

周瑜は、父との関係を断つと宣言した、孫策を不憫に感じたのだろう。

そんな義兄弟の心使いに感謝するのだった。



その周瑜は、会稽郡の制圧から三日後、一人の男を伴って孫策のもとへ帰ってきた。

その男の名前は魯粛子敬ろしゅくしけい

徐州下邳国東城県の人で、実家は裕福な豪族だった。


周瑜の旧友で、知り合ったのは孫策が喪に服して郷里に戻っていたころの話。

魯粛の噂を聞きつけた周瑜が、一度、会ってみたいと思い、東城県を訪れたことがあったのだ。


話をしてみると、将来を見通す確かな目を持ち、知識も豊富。

二人は、すっかり意気投合する。


そんな魯粛に、今回、江東制圧で、忙しいはずの周瑜が会いに行ったのは、理由があった。

曹操から仕官の誘いを受けたが、迷っている主旨の手紙をもらったからだった。


魯粛を高く買っている周瑜は、その才能が流出する前に自陣営に引き入れようと、説得に向かったのである。


魯粛は周瑜の薦めならばと迷うことなく、孫策に仕官することを決めて、あいさつ代わりと自宅にある二つの倉のうち、一つを軍資金にしてほしいと差出した。

周瑜は改めて、魯粛を仲間にしてよかったと思う。


面会した孫策は、魯粛がただ者ではないことを一目で見抜き、仕官を大いに喜ぶ。

周瑜に次ぐ、軍略家を手に入れることができたのだ。


江東を制した孫策は、ここで広く人材を募集することにした。

すると、武官では、董襲とうしゅう呂蒙りょもうら、文官では虞翻、陸績りくせきらが陣営に加わり、領土も陣容も厚くなる。

そんな孫策のことを、人々は江東の小覇王と称えるのだった。

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