第71話 十の勝ちと十の負け
張繡討伐を断念して、曹操は急ぎ許都に戻る。
それは袁紹の許都襲撃に備えるためだったのだが、どうやら、ただの噂にすぎなかったようだ。
もしくは、曹操の帰還が想定より早かったため、断念したのか。
いずれにせよ、袁紹が攻めてくる気配は、一切なかった。
その代わりと言ってはおかしいが、一通の手紙が袁紹から届く。
その内容は、明らかな挑発であり、曹操を見下し礼を著しく欠けたものだった。
一瞥した曹操は怒りをあらわにするが、袁紹と正面切って戦うという踏ん切りまでは、まだ、つかない。
というのも南に張繡、東に呂布、北に袁紹と周りが敵だらけの状況にあって、その肝心の袁紹があまりにも強大だったためだ。
袁紹は公孫瓚との争いを優位に進め、冀州のほかに
一方、曹操の所領は兗州と豫州の一部のみ。戦力に差がありすぎるのだ。
現状に憂慮する曹操を見かねた荀彧が、今後の展望に光があることを伝え、励ます。
「袁紹は確かに強大ですが、現在の強弱だけで将来を論ずることはできません」
その点は理解できるが、周囲を敵に囲まれた状況をどう打開するかという問題だけは、どうしても残ってしまう。
「本初が仮に長安より以西で羌族を使って反乱を起こし、
「それは袁紹にとって、難しいでしょう。西涼は、群雄たちが乱立しており、あの部族を一つにまとめるのは至難の業です」
益州の劉焉は、中央に野心を持っていないため、その点も心配はなく、今、我らにできるのは西涼で有力な韓遂、馬騰あたりと同盟を結んでおくことである。
そうすれば、十分に時間が稼げるという。
「それでは、当面の標的は誰と見定める?」
「我が君の敵となりうるのは袁紹のみです。但し、その前に呂布を攻め取っておかなければ、袁紹に対するのは難しいでしょう」
後ろに不安を抱えては、強大な袁紹とは対決できないということだが、それでは宛城の者たちも当てはまると思われる。
「張繡はよいのか?」
「張繡というより、この場合は賈詡に注意すべきですが、あの者は、賭けとなる戦はしません。また、将来を見通す目も持っているでしょうから、いずれ、こちらになびいて来ると思われます」
曹操の問いに丁寧に答える荀彧。
その荀彧の言は、分かり易く、いちいち理にかなっている。
曹操は十分に納得するのだった。
「なるほど。では、我らは呂布を討つことを優先とし、韓遂、馬騰との同盟をすすめればいいのだな?」
「はい。呂布に対しては劉備とよく連携を図り、西涼のことは
荀彧と話すことで晴れやかな気分となった曹操は、「王佐の才とは、まさしく君のためにある言葉だな」と、褒めちぎる。
荀彧は、いいえと謙遜すると、この際、曹操と袁紹の決定的な違いについてもお話しておきたいと申し出る。
気分がいいので、曹操は構わないと伝えた。すると、荀彧は郭嘉を呼ぶのだった。
郭嘉は袁紹とも面識があり、その洞察力や分析力は、誰もが認めている。
荀彧は、この説明にはかの天才が適任だと言う。
呼ばれてやって来た郭嘉は、曹操と袁紹の違いについて問われると、自信をもって、
「我が君に十の勝ちあり、袁紹には十の負けありでございます」と告げた。
「そこまで私と本初に違いがあるのか?」
「はい、間違いございません」
驚く曹操を前にして、比較した項目は、『道、義、治、度、謀、徳、仁、明、文、武』の十項目であり、郭嘉はその分析結果を一つ一つ述べていく。
郭嘉が曹操に説明した話を要約すると以下のようになった。
一つ、道
袁紹は、面倒な礼儀や作法、体面ばかりを気にするが、曹操は、自然体のままでいること。
二つ、義
袁紹は、他に天子を立てようとするなど、天子に逆らっているが、曹操は、天子を奉じて従っていること。
三つ、治
袁紹は、自分を大きく見せようと心が広い素振りをみせるが、曹操は、厳しさ、厳格さをもって人に対すること。
四つ、度
袁紹は、猜疑心が強く、人を信用しない。親族、恩顧の者ばかりを信任するが、曹操は、才ある者を多く用いること。
五つ、謀
袁紹は、策謀を好むわりに決断力に乏しく、その期を逃すことが多いが、曹操は、臨機応変に対処し、決断も素早いこと。
六つ、徳
袁紹は、祖先の威光をもとに理想論を語ることで評判を上げて人を集めた。そのため配下には、ただ議論を好む者や上辺だけ着飾る者たちが多いが、曹操は、真心と誠意をもって、人に当たり、功績ある者には、惜しみなく恩賞を与えるため、誠実で将来を見通す見識ある者たちが多く集まったこと。
七つ、仁
袁紹は、目の前に困っている人がいれば手を差し伸べる優しさは持ち合わせているが、目の届かない問題には考えが及ばす、また、そうした想像力も働かないが、曹操は、ときには目の前にある小さな問題を無視したとしても、大局にある問題は解決するために全力をもって対応すること。
八つ、明
袁紹は、部下の派閥間で足の引っ張り合いをしていても解決するではなく、ただ放置するのみだが、曹操は、道義をもって部下を制御するため、組織が健全に機能していること。
九つ、文
袁紹は、考えに定まった軸がなく、ときには言っていることが入れ替わることがあるが、曹操は、考えに一貫性があるため、部下が惑うことがないこと。
十、武
袁紹は、王道を好むものの軍事の要点をまるで知らないが、曹操は、寡兵であっても敵を破る用兵の機微を知り、配下もその智謀を信じて敵を恐れないこと。
以上だが、聞いていて、曹操は何だか背中がむずかゆくなってくる。
「君たちの期待に添えるようにならないといけないな」
「我が君は、今まで通り、思うがままになさっていればよろしいかと」
二人のおかげで、すっかり上機嫌になった曹操は、袁紹の手紙のことなど、どうでもよくなった。
安い挑発には、気を揉むだけ損である。
「奉考、君も先に呂布を叩くべきだと考えるのかな?」
「その通りにございます。差がついたとはいえ、北方に公孫瓚がいる内は、徐州を攻めても袁紹が呂布と共闘して南下することはないでしょう。しかし、先に袁紹を攻めた場合、呂布は背後を襲う可能性があります。討つならば呂布が先です」
荀彧と郭嘉の意見が一致し曹操軍の方針が定まる。
曹操は、呂布を討つための準備を開始すると同時に鍾繇に司隷校尉の職を与えて、長安に赴任させた。
長安に着いた鍾繇は、早速、韓遂や馬騰と面会を行うと見事に彼らを説得して、曹操に従わせることに成功する。
人質として、身内の者を朝廷に参内させるのだった。
鍾繇の力量と荀彧の確かな人を見る目の賜物である。
西の問題が解決すると、いよいよ東、呂布攻めに集中するのだが、諸将の間では、やはり張繡が背後を攻める懸念をうたう者がいた。
しかし、それらの者たちに対しては、荀攸が諭す。
「張繡は敗れたばかり、軍を動かす余裕はない。また、呂布には味方となるべき者が誰もいない。本来、頼るべきは袁術のはずだが、その袁術とは争ったばかり。今が、攻め時なのです」
この言葉に不安を口にした者たちは納得する。
尚、これで、荀攸までもが呂布攻めに賛同したことになり、曹操は、ますます自信を深めるのだった。
曹操は、劉備にも使いを出して、呂布を仕留める準備を進めるように促す。
兗州を舞台にした呂布との戦いでは、一年近くのときを費やすことになったが、今回は
袁紹との一大対決、先を見据えたこの度の戦、こんなところでは躓いてはいられないのだ。
曹操は、これで三度、徐州の地に足を踏み入れることになるが、今までのような怨恨ではなく、大望のための一歩。
まるで初陣を飾るように胸を躍らせるのだった。
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