第13章 飛将黄昏編
第70話 鮑丘の戦い
許都への遷都など、中原の情勢が揺れ動く中、北方の覇権争いも一つの方向にまとまりつつあった。
そのきっかけとなるのは、二年前のある出来事からである。
当時、幽州牧・劉虞と公孫瓚は仲が悪く、長い間、小競り合いを続けていたのだが、いよいよ本格的な公孫瓚討伐を決意した劉虞が軍を起こした。
劉虞は幽州では人望あつく異民族からも慕われていたため、彼のもとには十万の大軍がたちどころに集まる。
それらの軍勢を率いて、公孫瓚が本拠としていた、幽州
袁紹との戦いに明け暮れていた公孫瓚は、随分と疲弊しており、劉虞率いるこの大軍には抗しがたいと覚悟を決める。
決死の思いで千騎の兵を集めると、玉砕覚悟で十万の軍に突撃を試みた。
ところが、劉虞兵は僅か千騎の公孫瓚軍に対して、迫られれば退き、迫られれば退きを繰り返し、一定の距離を保って遠巻きにするだけで、攻撃をしてくる気配が全くなかった。
この不可思議な動きに、何かあると勘づいた公孫瓚は、劉虞軍のことを調べさせる。
すると、なんと、
『公孫瓚以外は殺してはならない』
戦場において、そんな無謀な命令が出されていたのだ。
「劉虞は、自分がおとぎ話の中の英雄だとでも勘違いしているのか?」
自分の徳を示すことで、公孫瓚が大人しく帰順すると思っているのだとしたら、戦乱の世を舐めている。
長年、袁紹と戦い続けている軍人、公孫瓚からしてみると、劉虞がまるでお花畑の住人のように見えた。
敵が勝手に手枷足枷をつけてくれるのだ。
公孫瓚は、その縛りを存分に利用させてもらうことにした。
手勢、千騎で特攻をかけると、十万の大軍は迎え撃つこともできずに、ただただ混乱する。
ついには、武器を捨てて逃げ出してしまうのだ。
十万の大軍も、こうなればただの烏合の衆。
いいように千騎の公孫瓚兵に討ちのめされる。
予想外の光景に唖然とする劉虞は、配下の進言に従って逃げ出すのだった。
公孫瓚としても、このような好機は二度とないと、執拗に劉虞を追いかけると、ついには妻子もろとも捕らえることに成功する。
そして、劉虞は身柄を拘束されて、薊県の市中にさらされることになった。
人気、人望ともに高い劉虞だけあって、民衆の注目度が高く、また、助命を嘆願する声も大きかった。
それらの民衆の前で、公孫瓚は声を高らかにする。
「この男が質素倹約を信条とするだと?では、こいつの妻や妾が身に着けているこの服は何だ?」
公孫瓚の指示で、市井に引っ立てられた女たちは、皆きらびやかに美しい刺繍が施された絹製の服を着ていた。
それ以外にも箱が地面に投げ捨てられると、そこから大量の宝石の類が地面に転がる。
それを見た、劉虞が目を伏せた。
その箱は劉虞の屋敷から押収したものだったからだ。
明らかに動揺する姿を見せた劉虞に、民衆は失望の声を上げる。
更に、お前たちの目を覚まさせてやると言うと、公孫瓚は劉虞にある難題を突きつけた。
以前、袁紹が劉虞のことを天子に立てようとした話を引き合いにすると、
「お前が天子たる資格を持つ人間ならば、必ず天が助けてくれる。その天に風雨を起こしてくれと祈ってみよ」
このところ、薊県は日照り続きで民は困り果てていた。
その民衆を救えるほどの聖人であれば、俺はお前に従うと付け加える。
しかし、そのような奇跡など起きるわけもなく、風雨のふの字も発生しない。結局、劉虞は公孫瓚に処刑されてしまうのだった。
これで、幽州一帯を完全に制圧することができた公孫瓚だったが、失うものも大きかった。
劉虞の正体を明かしたつもりだったが、それでも人気は根強く、命を奪った公孫瓚への非難の声は鳴りやまなかったのだ。
次第に公孫瓚の人望は地へと落ちていった。
そして、二年後の現在。
当時、劉虞に従事として仕えていた
手持ちの兵力が少ない彼らは、戦力を補うため、異民族からの信頼があつい
閻柔は、その人脈を活かして、
その軍をもって、公孫瓚の配下である
鄒丹は、五千の兵を率いて魚陽県を出陣すると、魚陽郡
しかし、異民族兵の士気が異常に高く、兵数も圧倒的に多かったため、あっけなく全滅してしまった。
鄒丹以下、付き従った兵、全てをさらし首にすると、鮮于輔らの勢いは更に加速していく。
烏桓族の
劉虞の一族は、公孫瓚によって殺されたが、劉和だけは生き残り、袁紹の元に身を寄せていたのである。
劉和は、かつての家臣、鮮于輔たちが復仇の兵を挙げたと聞くと、袁紹に自分も父の仇を取りたいと申し出ていた。
異民族の活躍により、勝機を見出した袁紹は、その心意気やよしと、兵をあずけることにしたのだった。
袁紹の戦への関与で、公孫瓚軍の中で、その扱いに苦慮する人物が発生する。
それは劉備配下の客将、趙雲子龍である。
劉備が徐州牧となった際に、袁紹と同盟を結んだと聞いたときには、
「玄徳の奴め。困ったことをする」と、公孫瓚は嘆いたが、劉備と直接対決することはありえないと、趙雲の存在は捨て置いていた。
現在、劉備は呂布によって、徐州を追われたようだが、袁紹との同盟が破棄されたとは聞いていない。
もちろん、趙雲に限って、袁紹側と内通して裏切ることは、絶対にないと公孫瓚は信じているが、公孫瓚の配下たちはそう思わなかった。
その配下たちの意見を無視することができず、仕方なく趙雲に待機を命じる。
その処置は甘く、後顧の憂いを断つために処断すべきという声も出るが、そこは公孫瓚も承認しない。
弟分である劉備の配下を手にかけるなど、できなかったのだ。
公孫瓚は薊県で軍を編纂し、劉和らが駐屯する潞県に向かう。
潞県付近の
「劉虞の遺児よ、お前の父親はかつて天子を僭称する企みに加担した。それを誅した俺を恨むのは筋違いというものだぞ」
「言いがかりはよせ。父を殺したお前の行いが間違っていたことは、この烏桓族、鮮卑族たちの義心が物語っている。現に幽州におけるお前の人望なさは言うに及ばずではないか」
公孫瓚と劉和の舌戦は、劉和に軍配が上がる。
そして、父と同じ兵数十万を率いることになった劉和だが、同じ轍を踏むことはなく、数の有利をいかんなく発揮して、容赦なく公孫瓚軍に大打撃を与えるのだった。
この戦で二万の兵を失うことになった公孫瓚は、
易京城は幽州と冀州の境に公孫瓚が建てた城で、袁紹を攻めるための拠点にしようとしていた、防衛力の高い城だった。
籠城の準備も万端だったため、劉和が攻め寄せても簡単には落とすことができない。
戦は長期戦となり、十万の大軍を維持する兵糧の確保が難しくなってきた頃、劉和軍を一突きしてくる一隊が現れた。
それは趙雲が率いる騎馬隊だった。
手勢は僅かに千騎だったが、その機動力を駆使して烏桓族、鮮卑族の将を趙雲は討ってまわる。
もともと公孫瓚を易京城に閉じ込めた時点で、北方一帯は、ほぼ袁紹のものとなったため、成果としては十分。
袁紹からも退却の指示が出てたので、劉和も無理をすることはなかった。
結果、趙雲が劉和率いる異民族兵を追い払うことになる。
その趙雲は、城の外から公孫瓚に呼びかけた。
「これまで、お世話になりました。私がいることで、公孫瓚殿が大いに悩まれるのでしたら、私はこちらを去るべきだと考えました」
趙雲が自分のもとを去る。
過去に命を救ってくれた恩人に対して、礼を欠いてはならないと公孫瓚が城外に出て来た。
「趙雲殿、あなたがいなければ俺は界橋の地で骸となっていた。今までの功労に報いることなく、このような形となって申し訳ない」
「いえ、私は命を奪われても仕方がない身。かばっていただき、私にとっても公孫瓚殿は命の恩人です」
そう言ってもらえると、ありがたいと、最後はお互いに手を握り合った。
「それでは、玄徳の奴に、よろしくな」
「はっ。時が経てば、また、我が主君とも手を取り合う日が必ず来ましょう。その時まで、どうかお健やかに」
その言葉を残して、趙雲は公孫瓚のもとを旅立つ。
目指す先は、心の中心にいつもある主君のもと。
劉備は、今、小沛にいると聞いている。
はやる気持ちを抑えながら、趙雲は馬を走らせるのだった。
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