第69話 曹操の策と賈詡の智謀

荊州宛城での敗戦後、許都に戻った曹操は、今回の戦で命を落とした者たち対して、追悼の意を送るため、盛大な葬儀を行った。


そんな中、正室であった丁夫人ていふじんは曹昂の死を深く悲しみ、曹操の失態を激しく非難すると、郷里の実家に戻ってしまった。

曹昂は丁夫人が産んだ子ではなく、早世した側室、劉夫人りゅうふじんの子だったが、仲良くしていた丁夫人が彼女の死後、面倒をみていたのである。


しばらく経って、ほとぼりも冷めたころだろうと曹操自身が迎えに行くが、丁夫人は一切会おうとはしなかった。

丁夫人の望みは、曹操との離縁だったため、仕方なく意向に沿う手続きをとり正室を廃する。


その後釜として、卞夫人べんふじんが正室に昇格した。

この卞夫人、以前、董卓のもとにいた歌妓の卞が、兗州東郡を訪れた際に当時太守をしていた曹操に見初められて、側室となっていたのである。


余談であるが、出自の身分が低い卞夫人を丁夫人は、当初、軽蔑していたが、気配りや自分を敬って仕えてくれる姿勢に、次第にわだかまりがなくなり二人の仲は劇的に改善される。


卞夫人が正室となっても、その関係性は続き、変わらず丁夫人を敬い続けた。

丁夫人の生活を保護し、亡くなった際の遺骨についても曹操に直談判して埋葬許可をもらった。


面倒見がよかったのは、丁夫人に対してばかりではなく、母親が亡くなった曹操の子供たちの面倒も、一手に引き受けて、自分の産んだ子と分け隔てなく育てたという。


後に王太后から皇太后まで上り詰めることになり、卞が誓った後世に名を残すという目的を達成することができたのである。



話は現代に戻る。

宛城における曹操の敗戦は、荊州南陽郡を含めた地域情勢に変化をもたらした。

朝廷の求心力が低下し、南陽郡及び章陵郡しょうりょうぐんの城主たちが、次々と張繡に味方するという現象が起きる。


張繡が劉表と協力し、その勢力を荊州北部全域に伸ばすと、それ以上の勢力拡大を防ぐため、曹操は曹洪を派遣した。

ところが、なかなか思うような成果が上がらないため、曹操、自ら軍を率いて、制圧に向かう決断を下す。


再び、宛城に向けて軍を発するが、曹操は淯水の畔で一度、休めると、先の戦いの戦死者を祀る。

戦前の涙は不吉と知りつつも、すすり泣きながら、この地に祠の建設を指示した。

その姿に将兵は感動し、ますます曹操への忠誠を誓うのだった。


淯水から再出発した曹操は、南陽郡の湖陽こようから攻めた。

この地を守るのは、劉表配下の鄧済とうせい

湖陽を攻め落とし、敵将、鄧済を生け捕ると、舞陰まで軍を返し、そこも陥落させた。


これにより、章陵郡の城主たちは風見鶏に変わる。章陵郡の情勢を、ひとまず落ち着かせることに成功した。

勢いがついた曹操軍は、そのまま張繡が待つ宛城へと軍を進めるのだった。



冀州鄴県に本拠を構える袁紹は、朝廷から詔勅が下される度に不機嫌になる。

曹操に利する詔ばかりで、大将軍たる自分をないがしろにしていると感じるのだ。

ここに来て、やはり天子を手元に置いておいた方がいいという考えに至る。


天子奉戴に関しては、一度、沮授の意見を退けはしたが、時期を見て強奪するという案を採用している。

袁紹は、その提唱者である田豊を呼んだ。


「献帝陛下だが、やはり鄴にお連れしたいと思う」

天子を利用する効果は曹操が立証済み。


田豊も袁紹の考えには賛同するが、許都で大きな失政をしているわけでもなく、袁紹領への遷都は難しいと判断する。


「いきなり、冀州領内への遷都は難しいでしょう。一度、鄴に近い鄄城県に遷っていただくというのは、どうでしょうか?」

袁紹は、早速、早馬を使ってその上奏を朝廷に送った。

主な遷都の理由としては、大将軍の袁紹と献帝陛下が密に連絡をとれる位置にいることこそが、天下泰平につながると主張したのだ。


しかし、帰ってきた答えは、袁紹が望むものではない。

「大将軍たる俺を侮っているのか!民を想う俺の提案、それをむげに断るとは許せん」

憤然とする袁紹に、田豊は強引な手段を提案する。


「ならば、許都に攻め入って、献帝陛下の身柄を我らがお預かりするといたしますか?」

「正しき世の姿にするためには、致し方ないか・・・」

田豊の提案を吞み込みながら、袁紹は考え込む。


今、曹操は宛城攻めを行っており、許都の守りが手薄ということを考えれば、成功する確率は高い。

・・・だが、袁紹は曹操に対して、妙な対抗意識を持っていた。


『孟徳に対しては、正面からあたって全てを上回りたい』

幼少の頃より、名門の御曹司として、曹操と接して育った自負が、そうさせるのだろう。


田豊の目には、それがくだらぬ自尊心に見え、逆にその意識を取り払わない限り、曹操を越えるのは難しいように思える。

いずれにせよ、煮え切らない主人に対して、

「軍を動かせる準備だけはしておきます」と、告げて立ち去るのだった。



曹操軍が迫ると張繡は宛城を捨てて南下し、穣県じょうけんの城に立て籠る。

おかけで曹操は、南陽郡の奥深くまで侵入せねばならず、張繡が連携をとっている劉表に背後を取られてしまった。

見事、賈詡の誘導にはまってしまったのだ。


そんな折、袁紹の軍事行動の情報が曹操のもとに届くのだった。

情報は不確かなようだが、もし本当に袁紹軍が許都を攻めてきた場合、本拠地を失う可能性がある。


帰る場所をなくした場合、行き場を失くした曹操軍は、下手をすれば壊滅することも考えられた。


今すぐ、許都に戻りたいのだが、曹操軍の背後を劉表軍が抑えているため、戻ることも難しい。

この苦境に曹操は、軍師として同行している荀攸に苦笑いを向ける。


「この状況は、君の助言を聞かなかった私の責任だな」

荀攸は、この戦を始める前に張繡と劉表の連携が強固であるため、攻略は難しいと伝えていた。


併せて、南征自体を取りやめて、まずは二人を反目させるのが先であると助言していたのである。

その後で、張繡を懐柔するもよし、各個撃破でもよしということだ。


「それは今言っても詮無きこと。ひとまず、安衆あんしゅうまで移動することができれば、何となるかと思われます」

「そうだな。だから、私はまだ、笑っていられる」


安衆は敵兵を迎撃するには適した地形をしており、曹操には、もう一工夫する策も持っていた。

今回の張繡征伐は、すでに諦めている。今となっては、袁紹に対する方が優先されるため、いかに早く許都に戻るかが肝要だった。


何とか安衆に辿り着くことができた曹操は、張繡軍を罠にかけるためジッとその期を窺うのだった。



曹操が安衆の地まで退却したことで、すでに逃げ姿勢になっている踏んだ張繡は、追撃の軍を起こす。

賈詡は、曹操が対策をもって待ち受けていることを見越していたため、追撃を諫めるが、前回の大勝に味をしめている張繡は聞く耳を持たなかった。


張繡は、大軍を率いて安衆に入ると、視界に映る曹操軍の少なさに、賈詡の助言を思い出す。

「どうしても行かれるというのであれば、安衆は兵を伏せるに適した地形。伏兵には十分注意して下さい」

なるほど、兵を伏しているのだなと張繡は警戒した。


しかし、一向に伏兵が現れる気配がなく、兵以外にも兵糧や武器を運ぶ輜重しちょうの数まで少ないことから、本格的に退却したと思い込んでしまう。


これは、実は曹操が地に坑道を深く掘り、その中に兵や輜重を隠していたためだったが、そのような策には気付きもしない。

警戒を解いた張繡軍に対して、満を持して現れた伏兵は、散々に打ちのめす。張繡は、大半の兵を失う羽目となった。


張繡が慌てて退却すると、曹操はその結果に満足して許都へ軍を返す。

追撃の心配がなければ、退却することの難易度がぐんと下がるのだ。


ところが、敗残兵をまとめて帰ってきた張繡に対して、賈詡は、もう一度、攻撃をしかけることを進言した。


「勝った曹操軍が追ってこないのは、何か都に事変があった可能性があります。やっと、戻れると、今は油断していることでしょう。攻撃をしかければ大打撃を与えることができます」


その理由を聞いた張繡は納得すると、再び安衆に攻め入った。

曹操本軍はすでに退却していたが、賈詡の言葉通り油断している後軍をほぼ壊滅するところまで追いつめることができた。


許都に戻る途中、後軍の損害を聞いた曹操は、賈詡の智謀に感嘆する。

曹操としては、策が当たり、してやったりだったのが、その隙をつかれてしまうとは・・・

「まさに陳平ちんぺいがごとき男がいたものだ」


賈詡を前漢の名参謀に例えると、今後も張繡征伐は、困難なものになると気を引き締める。

片手間で倒せる相手ではないため、宛城攻略は、ひとまず凍結だなと、賈詡の智謀は、曹操を唸らせるのだった。

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