第11章 偽者競演編

第62話 袁術と呂布

揚州丹楊郡の攻防を孫策に任せた袁術は、かねてより狙っていた徐州攻略に向けて軍を動かした。

守るのは徐州牧の劉備。


袁術にとって劉備は、裏切り者という扱いだった。

以前は、公孫瓚とともに共闘していたというのに、いつの間にか目の敵ともいえる袁紹や憎き曹操側についていたからだ。


「劉備など、陶謙に譲られて州牧になった男。所詮、力のない成り上がりよ」

劉備を軽く見る袁術は、寿春にて兵を動員し、徐州下邳国かひこくに侵入するのだった。



一方、迎え撃つ劉備もすぐに軍を編纂する。

その中で、気になるのは小沛にいる呂布の存在だった。

曹操牽制のために受け入れたのだが、曹操と同盟を組んだ今、この腫物の扱いが難しくなった。


援軍として頼んでもいいが、いつ寝首をかかれるか分からない相手を、徐州に引き入れるのは躊躇われる。

やはり、小沛に残ってもらい、劉備単独で袁術と交戦した方がいいように思われた。


「呂布の目付を残して、袁術にあたるしかありませんね」

結局、この簡雍の案を劉備はとることにする。


そこで、呂布と袁術、どちらにも対応できるように下邳県に張飛を配置した。

劉備は関羽の方が適任ではないかと思っていたが、張飛、自ら名乗り上げたのである。

その心意気を買ったのだ。


劉備は関羽を伴って、下邳国淮陰県わいいんけん石亭せきていで袁術軍と対峙した。

袁術軍を率いる将は紀霊きれいという将軍で、五十斤の三尖刀さんせんとうを扱う豪傑だった。


紀霊は関羽を見つけると、早速、戦いを挑む。

呂布と互角に闘い、華雄を斬り伏せたという豪傑・関羽を倒せば、自分の勇名が跳ね上がると考えたのだ。


「関羽、貴様を討って、天下に紀霊ありと知らしめてやる」

「できるのならば、やってみるがいい」


紀霊は、自分から関羽に挑むだけあって、なかなかの強者。

三十合、打ち合うが勝負がつかない。

ところが、無尽蔵と思える関羽の体力の前に、紀霊は徐々に疲れをみせ始めた。


・・・これは、いかん。

形勢が完全に関羽に傾く前に、なんと休戦を申し込むのだった。


一騎打ちで疲れたから休戦など、聞いたことがないが、戦意を失った相手を討つのは関羽の本意ではない。

紀霊の提案を了承する。


暫くの休憩の後、関羽が一騎打ちの再戦を申し込むが、紀霊が出てくる気配はなく、代わりに荀正じゅんせいという将が現れた。

紀霊に何を吹き込まれたのか知らないが、荀正は登場するなり、関羽を罵倒する。


「お前のような無名の男が紀霊将軍の相手など、十年早い。この荀正の槍の錆にしてくれる」

別に関羽自身で有名ぶるつもりはないが、先ほどは紀霊から名を上げようと一騎打ちを申し出てきたのだ。

言っていることが無茶苦茶のように思う。


関羽は仕方なく、相手をすると一合目で、荀正は鮮血を放って落馬する。

暖簾に腕押し、単なる都合合わせの捨て駒だったようだ。

その後、紀霊は前線に出てくることはなく、両軍の戦いは膠着状態となるのだった。


徐州制圧が一向に進まない報告を受けると、袁術は計算違いに苛立ちをみせる。

劉備など、自分の威光であっさり倒せると思ってい込んでいたのだ。

袁術が何かよい方案はないか、配下に尋ねると、長史の楊弘ようこうが前に進み出る。


「小沛にいる呂布に使者を送りましょう」

「奴に劉備の背後をつかせるのか?」

「その通りにございます」


しかし、いくら呂布でも劉備に多少は、恩義を感じているはず。

そう簡単に裏切るとは思えなかった。


「兵糧、二十万石を贈るといえば、呂布も動くのではないでしょうか?」

「二十万石か」


確かにそうかもしれないが、いささか太っ腹のような気がする。

袁術が悩んでいるところに、楊弘が意味深な笑いをみせた。


なるほど・・・

袁術もニヤリとする。

言葉だけは、いくら言ってもだ。


後から値切ることもできれば、何なら反故にすることもできる。

ようは劉備を殺して、徐州を手に入れることさえできればいいのだ。

後のことは、どうとでもなる。


「よし、呂布に使者を送れ」

袁術は、そう楊弘に命じるのだった。



徐州下邳城。

張飛が留守番で城主となり、曹豹そうひょうが副将としてついていた。


この曹豹という男、陶謙の時代から徐州に仕えているが、その中でも仕官歴が群を抜いて長かった。


曹操が徐州侵攻してきた際も、先鋒として第一線で戦うなど、陶謙は付き合いの長い曹豹に重責を与えている。

但し、あっさりと敗れており、その責務と実力に大きな乖離かいりがあるのだった。


ただ、今回は以前に下邳の相を務めていたこともあって、張飛の副将に抜擢されている。

これは政治的に徐州、古参の臣に気を使った部分も多分にあった。


ところが、実はこの曹豹は劉備のことを快く思っていない。

陶謙を長く支えていた自負から、後継者は自分だと勝手に思い込んでいたところ、外からやって来た劉備が、あれよあれよという間に州牧につく。


自分の実力を顧みず、勝手に憤慨していたのだった。

今でも隙あらばと考えてみるものの、徐州には劉備に心酔している者が多く、同志を作ることができない。


単独で事を起こす勇気もなく、手が出せないでいた。

そんな曹豹の性格、性質が利用されることになる。


「曹豹殿にご相談がございます」

曹豹が下邳城の自室にいると、突然、男に話しかけられる。

いつの間にか、男が一人、部屋に入り込んでいたのだが、曹豹は全く気付かなかった。


驚きすぎて、逆に声が出なかった曹豹は、余裕を装って、

「相談という前に、お前は一体、何者だ?」と、問いかけた。

「私は陳宮さまの使いです」


陳宮というと、小沛に居候している呂布の参謀だったはず。

その男の使いは、一体、何の用か?


「今、劉備は袁術と対峙して動くことができません」

「戦況は、確かにそのように聞いている」

「そこで、劉備がいない今、呂布将軍を下邳城に手引きしてもらえないでしょうか?」


初対面の男に、主君を裏切れと言われて即答する男などいない。

曹豹にも、一応、その分別はあった。


「馬鹿なことを申すな。そんなことをすれば、亡き陶謙さまに会す顔がないわ」

「うまくいったあかつきには、曹豹殿を徐州牧に推すと陳宮さまはおっしゃられています」

「じょ、徐州牧・・か。」


曹豹は言葉に詰まった。迷った時点で、すでに二心があることを示す。

陳宮の使いに、曹豹はたたみ込まれた。


「これまでの曹豹殿の徐州に対して挺身するお姿を考えれば、本来、曹豹殿がつくべきだったように思います」

「そう言ってもらえるのは、大変、嬉しく思うが・・・」

「この期を逃すと、二度と徐州牧の目はなくなろうかと存じ上げます」


確かに人生の好機は、そうあるものではない。

しかし、呂布を手引きしたところで、劉備を転覆させることができるのだろうか?


「・・・しかし、この下邳城を守るのは、あの張飛。呂布将軍とて、簡単に倒せないのではないか?」

「手こずり、時間がかかった場合、劉備が戻ってくると言いたいのでしょうが、ご安心を」


そう言うと、陳宮の使いは懐から、小さな瓶を取り出す。

「こちらを食事、まぁ酒がいいでしょうが。紛れてもらえれば、張飛は動けません」

「ど、毒か?」

「いえ、ただのしびれ薬ですよ」


本当のところは疑わしいが、しびれ薬と思っていた方が、幾分、気は楽かもしれない。

曹豹は、それ以上の追及はしなかった。

そして、その小瓶を受け取る。


「承知ととって、よろしいですね?」

「う、うむ。呂布将軍に、よろしくお伝えください」

曹豹が、その小瓶を机に置いた。それだけの動作の内に、陳宮の使いとやらは曹豹の部屋からいなくなっている。


「ようやく、儂の努力が実るときが来たのだな」

曹豹、一人となると、机の上の小瓶を眺めながら薄ら笑いを浮かべるのだった。



放った間者が戻ってくると、陳宮は首尾よくいった旨、呂布に報告する。

「しかし、あんな空手形、よく信じたものだな」

「そうなるよう仕向けましたので」


陳宮の言葉に、呂布は勝利を確信した笑みを浮かべる。

空手形といえば、袁術の兵糧二十万石も空手形だろう。


呂布が動けば、騙されたと思って袁術はほくそ笑むのだろうか?

まぁ、あの猿は勝手に笑わせておけばいい。


「こんなに早く、劉備を裏切ることになるとはな」

「呂布さま、裏切るのではありません」

「ん?」


陳宮は呂布に袁術からの書簡を見せると、

「兵糧二十万石で小沛の民を救うのです。大義のために、我らは動くのですよ」

「おお、そうだったな」


小沛は別に飢饉で苦しんでいるわけではないが、世の中に体裁として、そう宣言すると話し合っていたのだ。


非道の董卓を討ったときと、受け入れてくれた恩を仇で返す今回とでは、状況が違いすぎる。

この後の徐州の統治や諸侯との外交を考えた場合、見え透いていても体裁だけは整えておいた方がいい。


「よし、それでは救国のために出るぞ」

「かしこまりました」

軽い小芝居を交えたやりとり。

その後、二人の高笑いが部屋の中に響くのだった。

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