第9章 天子奉戴編

第52話 離間の計

遷都長安

一年前に馬騰、韓遂軍を退けた李傕、郭汜、張済は権力を独占し、朝廷内で勝手気ままな振る舞いを続けていた。


特に李傕と郭汜の増長、はなはだしく、それぞれに将軍府を開いては、官職の任命、罷免をその時の気分で行う始末。


朝廷は混乱し、まつりごとが進まないこの状況に、賈詡はこの二人を排除しようと考え始めた。


賈詡は張済に、一度、長安を離れて力を蓄えておくように進言する。その間に、李傕と郭汜の粛清を図るつもりだったのだ。


張済は、先の長平観ちょうへいかんの戦いで見せた賈詡の神算鬼謀に心酔しており、進言通り、長安を出て司隷弘農郡に駐屯するのである。


長安に李傕と郭汜が残ると、賈詡はまずは、二人を仲たがいさせることから始めようとした。


ところが、この二人、どういう経緯で馬が合うのかわからないが、お互いの家に招き合い宴会を開くほど仲がいい。

二人の絆の綻びを、なかなか見つけられなかった。


それでは、視点を変えようと、二人の家族に着目する。

すると、郭汜の妻が非常に嫉妬深いという情報を得たのだった。

これを利用しない手はないため、賈詡は早速、一計を案じる。


ただ、一人で事を成すのは難しいと感じた賈詡は、同じく現状を憂いでいる太尉の楊彪ようひょうを仲間に引き込んだ。


「楊彪殿、ご協力に感謝します」

「それで、私は何をすればよろしいのか?」


役職では三公の楊彪の方が断然上であるが、現在の長安での力関係から、楊彪は賈詡に対してへりくだって質問する。


「楊彪殿の奥方は、郭汜将軍の奥方と面識はおありでしょうか?」

「親しいかどうか、わかりませんが、確か面識はあったと記憶しています」

「それでは・・・」


賈詡は楊彪に一計を耳打ちする。

聞いている楊彪は、首をかしげると、

「そのようなことで、よろしいのですか?」

「はい。人の想像力とは、得てして、思わぬことを引き起こすものなのです。」


楊彪は、家に帰ると早速、賈詡から授かった一計を妻に説明する。

楊彪の妻もその程度のことであれば、お安い御用ですと請け合うのだった。



楊彪の妻は、郭汜が李傕の屋敷を訪れている日を見計らって、郭汜の屋敷を訪問した。

「郭汜将軍は、本日も李傕将軍のお屋敷でしょうか?」

「そうでございます。何か楽しいことでもるのでしょうか」

「それは男同士ですから・・・まぁ、、あるのかもしれませんね」


楊彪の妻の言葉に、郭汜の妻は考え込んでいる様子。

『・・・あの人、まさか私以外の女性をはべらせて』


賈詡が楊彪に授けたのは、非常に簡単なことだった。

具体的なことを何一つ話すではなく、郭汜が李傕の屋敷で宴会を楽しんでいるということを、意味深に郭汜の妻に告げるだけ。


聞きようによっては、普通の会話なのだが、猜疑心の強い人間が聞けば、勝手に色んな想像をしてくれる。

人の心理を逆手にとる、賈詡の真骨頂だった。


その数日後、郭汜が李傕の開く宴会に行こうとすると、郭汜の妻は無理矢理、引き留める。


「あなた、天下は一つですが、今、長安には二人の雄が立っています。私は、いつかあなたが李傕に毒を盛られるのではないかと、気が気ではありません。どうか、あの男の屋敷に行くのはお控えください」


「何を言っている。私と李傕将軍は、董卓さまのもとで苦楽を共にしてきた同志だ。そんなことが起こるわけがないだろう」


郭汜の妻は、自分がこんなに頼んでいるのに、聞いてくれる素振りをまったくみせない郭汜に、やはり、李傕の家で他の女と会っていると思い込む。


このままでは、いつか、捨てられてしまうのではないかという被害妄想が広がっていくのだった。


そんなことになっては、この世の終わり。郭汜を引き留めることに一心不乱になる。

髪を振り乱してまで、引き留める妻に郭汜がついに折れた。

「分かったよ。今夜は行けないと使いを送る」


その夜、李傕から、参加しなかった郭汜に対して、せめて宴会で出した料理だけでも楽しんでくれと、ご馳走が屋敷に届けられた。


その時、郭汜の妻は、二度と別の女に会せないためには、これしかないと、その料理に毒を仕込む。


そして、何事もなく普通に食べようとする郭汜を止めて、毒入りの料理を飼っていた犬に食べさせるのだった。

当然、犬は毒に当たり、口から泡を吹くと苦しみながら死ぬのである。

「ほら、ごらんなさい。李傕を信用してはいけないのです」


郭汜は亡くなった犬を見つめながら、妻の言葉に頷くのだった。

それからというもの、郭汜は李傕を疑うようになり、宴会に誘われても出席することはなかった。



郭汜の態度の変化を、李傕は不審に思う。

何か怒らせるような落ち度があったかと、振り返って考えてみるが、思い当たることはなかった。


そこで、手の者を使って、郭汜の様子を探らせる。

すると、郭汜は自分に近い者に対して、李傕のことを信じられないと語り、侮蔑する言葉で李傕を罵っているという。


その報告を聞いた李傕は、烈火のごとく怒り出した。

「俺が、一体、何をしたというのだ。郭汜の奴め、許せん」


それからというもの、長安の街では、李傕派閥と郭汜派閥の者同士のいざこざが絶えなくなる。


その争いは、日増しに激しくなっていくと、ついには軍勢を率いた戦いにまで発展するのだった。


長安の街の中で血の雨が降らない日はない。

元凶である、二人の権力者に対する怨嗟えんさの声は次第に大きくなっていくのだった。


ここまでは、賈詡が描いた絵図通りの展開である。

ここから、両者を弱体化させて共倒れに持ち込まなければならない。


李傕は、羌族や胡人を味方に引き入れて戦力の増強を図っていたため、まず、彼らを郷里に戻すことを考えた。


賈詡は羌族、胡人の代表の元に使者を出すと、

「天子さまは、あなたたちの忠義に大変感謝しています。長い戦乱のため、郷里を離れてからの年月も長くなっていることでしょう。一度、郷里に戻られて英気を養うよう詔が出ています。おって、恩賞も郷里に届くと思います」

使者の言葉に羌族、胡人の代表は満足する。


李傕は蛮族に対しての恩賞を渋っていたため、元々、不満を抱いていた。

また、部下たちの中には望郷の念に駆られる声が出始めていたこともあり、渡りに船とばかりに長安から立ち去って行くのだった。


一方、郭汜の方は、戦力が手薄だったこともあり、李傕の仲間の切り崩し工作を実施していた。

賈詡は、密かにその手伝いを行い、張苞ちょうほう張龍ちょうりゅうの兄弟の引き抜きに成功する。


但し、ご丁寧にこの件を李傕配下の楊奉ようほうに伝えたため、郭汜に合流する直前に同士討ちを始めるのだった。


誰が味方で誰が敵か分からない状況に、郭汜兵も巻き込むことによって、両陣営に多大な損害を与えることに成功する。


その後も、李傕、郭汜間で部下たちの離反、和合が繰り返され、お互いの勢力はますます小さくなっていくのだった。

そろそろ頃合いと、見計らった賈詡は、弘農郡に駐屯している張済を長安に呼び戻す。


おろかな消耗戦で疲弊していった二人と違い、張済は弘農郡でじっくりと力を蓄えていた。


今となっては、李傕、郭汜が組んだとしても張済には勝てないほどの戦力に開きができていたのである。

その武力を背景に、張済は自分に有利な和睦を提案した。


戦っても勝ち目がないことから、二人は和睦に応じ、それぞれの娘を人質として張済に差出す。

賈詡の謀は、これで成る。


権力が分散され収拾がつかなかった状況を張済、一人に集中することができた。

一人であれば、御することなど賈詡にとって造作もないこと。

後は、頃合いを見計らって、李傕と郭汜を処断すればいいだけであった。


ところが、その賈詡にも誤算が生じる。

なんと天子が、李傕、郭汜の争いの隙をついて長安から逃げ出したのだ。


天子が宮中から、供の手勢すら連れずにいなくなるなど、誰も想像していなかった。

完全なる盲点を突かれてしまったのだ。


天子がいればこその都であり、漢の朝廷。

誰かよからぬものに天子を庇護されては、自分たちが逆賊となり討たれてしまう可能性もある。

「私の計画の邪魔をするとは・・・あの天子には教育が必要ですね」


賈詡が張済を通して、李傕、郭汜に指示を出す。

権力争いは、とりあえず置いておいて、皆で協力し、天子の行方を血眼になって探すのだった。

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