第8章 智勇激突編

第45話 密書

曹操が兗州に戻ると、呂布は濮陽ぼくように駐屯していた。

荀彧が守る鄄城県を落とせなかったため、その西にある濮陽に布陣したのだった。

この配置を見たとき、曹操の中である仮説が生まれる。


『呂布と陳宮はうまくいっていないのではないか?』

というのは、曹操を迎え撃つことを考えたとき、濮陽で、ただ待つのではあまりにも芸がない。


「奉考、君が呂布の傍らにいたのならば、我らをどう迎える?」

「私であれば、三県の孤立を継続するため東平に軍をおし進め、泰山たいざんもしくは亢父こうほの天然の要害で進路を妨害します」

「私も同じ考えた。・・・それを陳宮が見落とすかな?」


郭嘉と曹操の意見は一致する。ならば、陳宮も気付くはずではないのか・・・

その作戦を取らない、もしくは取れないのは陳宮の策を呂布が採用しない、両者の間に問題が生じているのではないかと推測したのだ。


「その可能性もありますが、それすらも陳宮の罠かもしれません。ご油断なきように」

荀彧が憶測で話を進める危険性を訴え、自重を促した。

その意見に「確かに、そうですね」と郭嘉は頷く。


曹操も一定の理解を示し、

「それでは、まず陣をしき歩兵の到着を待とう。普通の兵法家なら、そのような猶予を我ら与えるようなまねはしないはず」


敵陣営の様子を探りながら、自軍の強化を図る案を打ち出した。

これには荀彧や郭嘉も賛同する。

はたして結果はというと、徐州から歩兵が戻り着くまで、呂布軍からの動きはまったくないのだった。



「呂布将軍、逸る気持ちを抑え、もう少しお待ちください」

「ああ、分かっている」


これまで陳宮の策通りに動いた結果、兗州の完全掌握まで、あと一歩というところまできている。

呂布の陳宮への信頼は絶大だった。


その陳宮は、曹操を確実に仕留めるための算段を綿密に練っている。

曹操陣営には知者が多く、曹操自身も相当な切れ者。

いくつもの布石を打たないと、曹操の命までには届かない。


そこで思いついたのが、陳宮らしくない行動をとることだった。

すると、頭のいい連中は、勝手に色々、考えてくれる。

曹操を出口のない袋小路に追い詰める。

今、陳宮の頭の中では着実に一手ずつ、曹操抹殺への筋道を立てるのであった。



「曹操軍の体制が整ったようです。一度、こちらから仕掛けてみようと思います」

「その言葉を待っていた。どう攻める?」


陳宮の作戦は、右軍に張遼、左軍に臧覇ぞうはを配置して、中央には呂布自身が布陣する。

まずは、両翼の将が攻めかけ、相手の中央を薄くした後、遅れて呂布が参戦。

最終的に三方向から攻めるというものだった。


満を持して、呂布軍が討って出てきたため、曹操軍も迎え撃つ。

張遼の隊には夏侯惇、臧覇の隊には楽進があたった。

早速、夏侯惇は張遼に挑みかかる。


「お前が関羽と互角に闘った将だな。お前を倒して、関羽より俺が上だと証明してやる」

「できないことは口にしない方がいい」

両者が激しく斬り結ぶ。


同じく、臧覇と楽進も一騎打ちを繰り広げるが、二組とも簡単に決着がつきそうもなかった。

そんな中、いよいよもって呂布が動き出す。


赤兎馬を駆って、先頭を走る武神に三万の軍勢が付き従い、曹操軍に激突した。

方天画戟の一振りで、曹操兵が簡単に吹き飛ばされる。


たまらず、曹操は夏侯淵と典韋を呂布にぶつけた。

曹操軍が誇る勇将、二人を相手にさすがの呂布も若干、勢いは落ちるが、それでも余裕の表情を見せる。


まるで、夏侯淵、典韋を子供扱いする場面もあった。

二人、それぞれに致命傷となりうる一撃を放ちながら、自身は危なげなく攻撃を受け返す。


「ほらほら、こいつをさばけるかな」

「くっ」


呂布との対決で、次第に夏侯淵の方に疲れが見え始めるのだった。

改めて呂布を化け物だと認識する。


こうなれば、夏侯惇を一旦、下がらせて、代わりに于禁と呂虔を張遼にあたらせる。そして、その夏侯惇と三人で呂布と闘わせることにした。

夏侯惇は、命令なので仕方ないが、決着がつかなかったことに悔しがりながら、退却する。


「くそ、今、一歩のところを・・・」

「危ない」


一瞬、気を逸らした夏侯惇に不幸が訪れた。

入れかわりで本隊に戻る途中、流れ矢が彼の左目を貫いたのである。


夏侯惇は、たまらず馬上から落ち、しばらく意識を失った。

「夏侯惇さま」


慌てた部下たちが、夏侯惇を安全な場所まで運び出す。

ほどなくして、目を覚ました夏侯惇は、やにわに刺さった矢を抜き取った。


すると、

「親からいただいた大切な体。その一部とはいえ捨てられるか」

そういって、矢に刺さった左目を食らうのだった。


その光景を見ていた呂布兵は、夏侯惇の気迫に押されて近づこうとはしなかった。

しかし、戦線に戻ることは叶わず、夏侯惇が抜けたこともあり、次第に曹操の軍勢は呂布の軍勢に押し出されるようになる。


ついに夏侯淵、典韋も呂布を抑えきれなくなり、突破をゆるしてしまった。

呂布が迫って来ることもあり、随行していた郭嘉が一度、立て直しを提案する。

「一旦、退きましょう」

その提案に頷くと、曹操は退却の指示を出すのだった。


退却する曹操軍を呂布は、容赦なく蹴散らしていく。

ここで、総崩れとなりそうなところを典韋が踏ん張った。


いち早く、本隊と合流すると曹操を逃がす。

追ってくる呂布兵の前に馬上から降りて、盾を構えると、その盾に身を隠すのだった。

そして、配下に敵が十歩まで近づいてきたら、声をかけろと指示する。


「十歩です」

その声に、典韋は盾の裏に仕込んでいる手戟を抜き取った。

「次は五歩になったら、叫べ」と、指示する。

続いて、部下が「五歩です」と叫ぶと、手戟を敵に向かって投げるのだった。


それを十数回繰り返し、全ての敵兵を手戟の一撃で倒す。

すると、この神業に恐れをなして、典韋に近づいてくる者は誰もいなくなった。


そうしているうちに、曹操の本隊は、はるか先まで逃げ延びる。

ほどなくして、呂布陣営から退却の銅鑼の音が鳴った。


この典韋の活躍などにより、曹操は無事に退却することができるのだった。

だが、緒戦は、曹操の敗北に終わる。



呂布が自陣に戻ると、いきなり怒鳴り出した。

「どうして、兵を退かせた。あと、一歩で曹操を討ち取れたというのに」

そこに陳宮が現れ、呂布をなだめるのだった。


「どうぞ、お怒りを鎮めて下さい。確実に曹操を殺すための布石でございます」

「それでは、そのわけを話せ」


分かりましたと、陳宮は頷くと、

「緒戦で敗れた曹操は、恐らく夜襲をかけてくるでしょう」

「今日の夜にか?」

「はい。・・・しかし、それも読んでおりますので、返り討ちにします」


攻めてくるのは、于禁、李典、呂虔と、その将まで断言するため、呂布は陳宮の言葉を信じた。

「この夜襲が失敗に終わると、いよいよもって、曹操に打つ手がなくなります」

「それで?」

「はい。こういう手を使います」

陳宮は呂布に耳打ちをした。その内容を聞いて、呂布は大満足する。


「それでは、夜襲に備えて我らはどうする?」

高順こうじゅん魏続ぎぞく侯成こうせいの三将を陣の外に出しておきましょう。曹操軍が夜襲をかけて来たら、背後から挟撃にします」


「よし、早速準備にとりかかれ」

呂布の指示のもと、曹操の夜襲に備えるのだった。



果たして陳宮の読み通り、曹操は夜襲をしかけるのか?

まさにそのことについて、軍議が行われていた。


「呂布の強さは相変わらずだったが、あそこで退却した意図が分からない」

「確かに、更に攻め込まれた場合、我が軍の被害は倍以上に膨れ上がったと予測されます」

荀攸の言葉に、集まった者たちが一様に頷く。


ここに集まっているのは曹操、荀彧、郭嘉、荀攸、程昱、武官からは夏侯淵、曹仁、曹洪、于禁だった。

夏侯惇は目の怪我あって、しばらく静養することになり、代わりに于禁が参加している。


「我らの軍備が整うまで、戦をしかけてこず、また、今回の早い段階での退却は、戦の素人による指揮としか思えません」

「やはり、陳宮に何かあったと見るべきなのか・・・」

荀攸と程昱が眉間にしわを寄せて考え込んだ。


さすがの荀彧と郭嘉も呂布軍の行動は読み切れず、先ほどから黙ったままである。

そこに、

「相手が力のみに頼るというのならば、我らは虚をついて、今夜、夜襲をかけてはどうでしょうか?」

初めての軍議参加に高揚しながら、于禁が発言した。


悪くはない。悪くはないのだが・・・何かが引っかかる。

「では、今一度、牽制の意味を込めて、夜襲を実施してみましょう」

「そうですね。けして深追いはしないように、読まれているようでしたら、すぐに退却するように」


荀彧と郭嘉の意見を取り入れて、曹操は夜襲をしかけてみることにした。

夏侯淵殿、典韋殿は休ませたいので、于禁殿、李典殿、呂虔殿が夜襲を実行することになった。


すると、この夜襲は読まれていたかの如く、失敗に終わるのだった。

やはり、陳宮は健在か?

これで、曹操陣営は、ますます混乱する。



そんな折、明け方のまだ陽が顔を出さぬころに、人目を忍んで曹操軍を訪れる男がいた。

誰か?と尋ねると、田氏でんしの使いだという。


田氏は濮陽に住む富豪の一人で、曹操が濮陽に君臨していたころは、昵懇じっこんの仲だった。

主から密書を預かって来たというので、それを受け取ると曹操の顔が明るくなる。


曹操から、その密書を回してもらった荀彧は、その内容を見て、思わず声を漏らしてしまった。

「これは・・」

混乱していた曹操陣営に、この密書が吉と出るのか凶と出るのか、この時点では誰にも分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る