第44話 三城堅守
郯県の城、総攻撃を受けた傷跡は痛々しく、守備兵には疲労の色が見える。
また、本日も厳しい防衛戦が始まると思うと、郯県の守備兵は憂鬱だった。
ところが、朝日が昇り、城の前の原野を照らすと、そこには人影がまったくなく天幕や武器などの資材が野ざらしのまま、残されているのだった。
昨日までは、曹操の軍勢が溢れかえるほどにひしめいていたというのに、今は人っ子一人、誰もいないもぬけの殻、その状況に慌てて陶謙のもとに報告に走る。
曹操軍が撤退したのだろうか?
それとも何かの作戦か?
報告を聞いた陶謙は喜ぶより、疑う気持ちの方が強かった。
そこに劉備がやってくる。
「とりあえず、曹操は撤退したようです。まだ、油断はできないけど、ひとまずは大丈夫じゃないですかね」
「一体、何が起こっているのか?説明してもらえるだろうか」
簡雍からの報告が届いていないので、まだ正確なことはわからないが、張邈が曹操に反旗を翻したためだと説明した。
「信じられん。・・・・そんなことが起こるのか」
張邈と曹操の蜜月の関係は、世間でも有名な話。
昨年の徐州侵攻の際では、曹操は自分の家族に、万が一のことがあれば張邈を頼れとまで言い残していたと聞く。
そんな二人の間に確執があったなど考えられなかった。
「呂布も絡んでいて、そこの軍師とうちの憲和が篭絡したんだと思います」
劉備が簡雍から事前に聞いていた話はここまで。
後の詳しい話は簡雍本人に聞くしかなかった。
いずれにせよ、曹操軍が撤退した事実さえあれば劉備としては十分だった。
とりあえずは、簡雍の大手柄である。
曹操が撤退することになる直前、それは宵の口、兗州からの急使より報告を受けていた。
そして、その急使が告げた内容に衝撃が走る。
『張邈、謀反』
その事実を赤の他人の陶謙が信じられないのだ。
当の曹操は、尚更、信じられなかった。
しかし、急使から受け取った書簡は、間違いなく留守を預けた荀彧の手によるもの。
間違いようのない事実を示す。
以前にその噂が軍の中に流れたが、それは劉備による虚報の計だろうと高をくくっていのだが、まさか本当のことだったとは・・・
「申し訳ございません。恐らく、陳宮が何かをしかけたと思います。あの男を軽く見すぎていました」
謝罪したのは荀攸だったが、別に荀攸の責任というわけではない。
張邈は呂布を先鋒にして、兗州制圧に乗り出しているとのことなので、陳宮が絡んでいることは間違いない。
張邈の弟、張超のもとに身を寄せていると聞いていたが、曹操自身も、呂布や陳宮の存在を軽く見ていたのだ。
落ち度と言えば、曹操の方にもある。
失態を取り戻すべく、曹操は夜のうちに陣払いを指示し、兗州への行軍を開始した。
「それにしても陳宮一人で、賢明なる張邈殿を落とせるでしょうか?」
「と、言うと?」
馬を走らせながら、曹操は郭嘉の疑問の真意を訪ねた。
「いえ、陳宮は策士として有名な人物。不用意な発言をすれば、張邈殿も警戒するはず・・・。誰か他に火を起こした人物がいるのではないかと」
その言葉に曹操の中である男の影がちらつく。
それは劉備の配下の簡雍だった。
今思えば、琅邪国を制圧して一気に郯県まで攻め上がったというのに、劉備には慌てた様子がなかった。
もともと掴みどころのない男ではあるが、やけに余裕があったような気がする。
『ふっ、少しは成長しているか。・・・まぁいい。今回は、このまま退いておいてやる』
曹操は歩兵には遅れてくるように指示し、まずは騎兵のみを率いて兗州に向かうのだった。
一方、兗州の状況は曹操軍にとって非常に深刻な状態だった。
呂布の武勇と陳宮の知略により、兗州の百城を瞬く間に制圧される。
曹操の勢力下にある城は、
その范県にも何やら不穏な動きがあるとの情報を掴んだ荀彧は、これ以上の造反を防ぐため、程昱を派遣する。
東郡は程昱の地元であり、知名度も人望もあった。これ以上の適任者はいない。
程昱は、范県の県令、
靳允は妻子を人質として、呂布に捕られており、忠と情の間で揺れ動いていたのだ。
「心情、お察し申し上げます。ただ、あなたの目には呂布はどのように映っておられる?」
答えることができない靳允に代わって、程昱が話を続けた。
「あの者は裏切りを二度も犯している。狡猾で目先の利益に飛びつく軽薄な男です。このような男が栄えたことはありません」
「それは、分かっているのですが・・・」
「家族が心配なのはわかりますが、あなたは県を預かる壮士です。あなたが范県を守り、私が東阿県を守ります。そして、文若殿が鄄城県を守り抜いた後、曹操さまがお戻りになられれば、たちまちあなたの妻子も取り戻せることでしょう」
尚も程昱は、呂布の欠点と曹操の優れている点を述べて、懇々と説いた。
「呂布につくというは、ただ、家族もろとも身を滅ぼすだけです」
程昱の説得にようやく靳允は応じると、断固たる決意をもって、
「決して二心を抱かず、この地を守り抜きます」と、そう誓うのだった。
靳允の説得に成功した程昱は、その足で東阿県に向かう。
東阿県の県令は、
ただ一つ、心配があると棗祗は程昱に相談する。それは、近々、陳宮の兵が東阿県を攻めてくる噂が城内に広がっているという。
それでは、民衆の動揺を抑えるためにも、陳宮兵が間違っても黄河を渡って来られないように
これにより東阿県の守りが万全となるのだった。
二県の防衛体制が整う頃、鄄城県に夏侯惇が合流した。
途中、部下の裏切りにあって、呂布軍に拘束されたのだが、
その際、鄄城県内にも裏切り者がいる情報を得たため、入城するなり、それらの者、十数名を処断する。
これにより鄄城県の防備も整った。
「三県が連携して対処すれば、曹操さまが戻られるまで守り抜くことは容易い。ここが正念場です」
荀彧は、そう諸将を叱咤激励する。
そんな荀彧が守る鄄城県に別の勢力が近づいて来た。
それは豫州刺史の
郭貢は数万の軍勢を率いて鄄城県付近に駐屯した。
但し、宣戦布告してくるでもなく、助力を申し出るでもなく、彼の意図が分からなかった。
そこで、荀彧は郭貢と会って確かめるという決断をする。
さすがに危険だと夏侯惇が止めるが、今、郭貢に敵に回られては折角築き上げた三県の防衛体制が危うくなってしまうと、荀彧も譲らなかった。
荀彧は単身で向かい郭貢と対面する。
「郭貢殿、袁術殿はご壮健か?」
冒頭、予測される郭貢の意図をにおわせた。
「さすが曹軍の張子房。確かに私は、袁術さまより様子を探るよう命じられて、こちらに来ました」
「でしたら、話は早い。漁夫の利を得ようとするならば、呂布軍に注目することです。我らに敗れ、隙ができるはずですから」
そう言い切るだけの自信があるのだろう。荀彧の表情からは強く揺るぎないものが感じられた。
この男がいる限り、残りの三城は、簡単に落ちないと郭貢は判断する。
鄄城県が落ちないのであれば、長居は無用。
郭貢は自分の領地へと引き上げていくのだった。
敵対勢力を新たに作らず、中立化させることに成功。
こうして連携を維持しながら、荀彧、程昱、夏侯惇は曹操が到着するまで三城を死守することができた。
曹操は、帰る場所を確保した荀彧、程昱、夏侯惇をはじめ、関わった者全てに感謝し、兗州奪還のあかつきには必ず恩賞を与える約束をする。
ここから、曹操の反撃が始まるのだった。
台風一過、曹操が去った徐州では、劉備の周りが騒がしくなる。
曹操軍を撃退し徐州の窮地を救った英雄を州の長官として戴く。
そんな待望論が湧き上がり、陶謙自身が劉備に打診するのだった。
しかし、劉備の回答は徐州の民の意に沿うものではなかった。
袁紹が冀州を乗っ取った例があり、徐州を手に入れるために救援に来たのではないかと、誤解を招くのを嫌ったのだった。
何より、人の窮地に便乗するような行為は、劉備の中で由としない。
簡雍からは、「いい恰好をしすぎです」と揶揄されるが、こればかりは性分なので仕方がなかった。
その代わりといっては何だが、これからも先陣を切って防衛にあたるとし、豫州の小沛に駐屯して兗州への睨みを利かせると約束をする。
陶謙は徐州の譲渡を断られたとき、劉備に見捨てられるのではないかと心配したが、その言葉に安心するのだった。
劉備が小沛につくと陶謙から、豫州刺史の印が届く。
豫洲には朝廷から任命された郭貢という刺史がいるので、これは陶謙が勝手に作ったものである。
「やれやれ、こんなに気を使わなくても勝手に去ったりしないのにな」
「裏切りが日常茶飯事の世の中、大将のためというより自分自身が安心したいがための行為でしょうね」
現に張邈の反旗で徐州が助かっただけに、気持ちが分からないでもないが・・・
劉備は、こんな飾りには興味がなかった。
それより、二度とあのような、無抵抗の民を虐殺するような行為を許してはいけない。
それしか頭にない。
さて、情報では曹操が圧倒的に不利と聞くが、きっと知略をもって盛り返すのだろう。
兗州を取り戻した、曹操がどういう行動を起こすのか。
徐州攻防戦は、ひとまず終わったが、まだ、決着がついたわけではないのだ。
曹操の一挙手一投足、絶対に見逃していけないと誓う劉備だった。
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