第43話 悪魔のささやき
ここの太守、張邈は、反董卓連合にも参加した諸侯の一人。
その張邈の前に、使者として面会している男がいた。
「私の聞き違いだろうか。兗州を奪えと聞こえたが?」
「私は、そのように申し上げました」
拝礼していた者が顔をあげる。その男は劉備の幕臣、簡雍だった。
「私と孟徳の関係を知らないとみえるな」
「知っております。曹操殿と張邈殿は幼き頃からの親友。・・・そして、同じく袁紹殿とも竹馬の友」
袁紹の名前を聞いて、張邈が反応した。
簡雍はわざと袁紹の名前も出す。
それは、張邈と袁紹の間にわだかまりが生じる事件が起きていたからだった。
その事件とは、反董卓連合の際に起きる。
盟主となった袁紹の態度が日増しに増長していったのを、友人として見かねた張邈が指摘したのだ。
すると、その場では、以後、気を付けると張邈の気づかいに感謝した袁紹だったが、陰では張邈の出過ぎたまねを恨み、亡き者にしようとまで動いていたのだ。
その件を事前に知った曹操が秘密裏に袁紹と話をつけて、難を逃れるということがあった。
後日、その事実を知った張邈は曹操に多大な感謝を示した。
「本初の件を知っているならば、ますます孟徳を裏切るわけがないと思わぬか?」
「ええ。しかし、人の心は移ろいやすいもの。その事実も知ったのではないかと思います」
仲の良かった袁紹の心が変わったように、曹操も心変わりすることがあるのではないかと簡雍は言う。
確かにそうだが、何分、唐突すぎる。
立場がお互いに変わり、以前のような関係とは言い難いが、それでも曹操を信頼していることに変わりはない。
「徐州に進攻している曹操殿のやりよう、本当に以前の曹操殿と同じと見えますでしょうか?」
「父親を殺されたのだ。・・・いたし方あるまい」
大量虐殺に疑問を抱かぬことはないが、曹操の事情も理解できる。
いや、・・・その時、張邈は自分の心の中に影が落ちていることに気づいた。
『あの非情な殺意が自分に向けられることは、本当にないのか?』
自分の中に、曹操を信じる気持ちと疑う気持ち、相反する感情、両方あることを自覚する。
僅かながら、張邈は動揺するのだった。
そこに、
「何やら、面白い話をしていますな」と、一人の男がやって来た。
その者の名は、
陳宮は、昔、曹操に仕えていたことがあったが、今はある男の参謀として仕えている。
その男とともに袁術、袁紹の元を転々とし、最終的に今は張邈の弟、
その縁があって、時折、張邈ともこうして面会しているようだ。
「簡雍殿、自身の主君を救うために、張邈殿に火中の栗を拾わすおつもりかな?」
「まさか。まったく利のない話でしたら、張邈殿は、ここまで話を聞いて下さらないでしょう。ましてや、あなたのような知者を呼び寄せることもないと思いますよ。陳宮殿」
お互い、腹の探り合い。二人の間に火花が散る。
「呼び寄せたとは、それは
「そうですか。先ほどから、話に参加する期を狙って、待っていたようでしたので・・・私の勘違いですね」
「ははは。本日、伺ったのはたまたまだったが、この話題に参加できるのは幸運としかいいようがありませんな」
・・・それは、幸運でしょう。この提案は、あなたの主君、呂布奉先に一番の利があるのだから。
そんな簡雍の心の中を読み取ったかのように、ニヤリと笑うと陳宮は、張邈の前に進み出る。
「先ほど、私が火中の栗と申し上げたのは、簡雍殿の申し出、あれでは不十分だったからでございます」
「不十分?その言いようだと、そなたも兗州攻略に前向きに聞こえるが?」
「はい。その理由は後ほどお話ししますが、まず、簡雍殿の申し出の補足をさせて下さい」
陳宮は、張超のもとで厄介になってから、この機会を待ち焦がれていた。
何度も面会し、様子を探っていたのだが、陳宮に対して警戒心が強いのか深く込み入った話にまで持っていくことができなかった。
この簡雍が作った機会を逃すわけにはいかない。
陳宮は満を持して、自身の頭の中にある絵図を張邈に披露するのだった。
「足りなかったのは、確実に勝てるその戦略でございます」
「確実にというが、戦に絶対はないだろう」
「いえ、戦とは戦う前に、確実に勝てる方法を算段してから行うものでございます」
これは陳宮の軍師としての持論だろうか?
それにしても大した自信だと簡雍は思うが、計算通りにこの陳宮を巻き込んだのだ。
最後まで、黙ってこの講釈を聞こうと思った。
「まず、兗州攻略の先鋒に我が主君、呂布さまを任命いたします」
「呂布殿をか・・・」
今、兗州に曹操本人はいないとはいえ、守備のため荀彧、程昱といった知者と夏侯惇という猛将を置いている。
呂布の強さは知っているが、それだけで確実と言えるのだろうか?
張邈には疑問が残る。
しかし、その疑問の溝を埋めるように陳宮は、次の戦略を話し出す。
「兗州には私の知り合いが多く、また、今回の曹操殿の徐州侵略のやり方に反感を持っている者も多くおります」
それらの者に呼びかければ、張邈に同調し、兗州の八割がたは掌握できるという。
にわかには信じがたいが、陳宮は、すでに調略済み、これから調略可能な人物を次々と挙げ、その人数は十余人となった。
それでも踏ん切りがつかない張邈に、陳宮は核心をついた言葉をつきつける。
「曹操殿は袁紹殿との交友を断っているわけではございません。いつ、袁紹殿との友誼を優先するかわかりませんぞ」
もっとも気にしている事実に、張邈は言葉を発することができずにいた。
先ほど、簡雍にも指摘されている曹操の心変わりがあった場合、張邈の命はないだろう。
そこで、陳宮は最後のだめ押しに、なぜ、兗州をとることを薦めるのか、その理由を話し始めた。
それは近くで聞いていた簡雍が、後述するに悪魔のごとく甘美なささやきだったという。
「張邈殿が以前の袁紹殿、曹操殿の関係に戻りたいとお思いですか?」
「・・・できることならばな」
「それでしたら、やはり兗州をおとりになるべきです」
怪訝な表情の張邈を諭すように、陳宮はその理由を優しい口調で話す。
「袁紹殿、曹操殿、お二人とも今や州の長官、州牧です。その立場がお二人を変えてしまったのでしょう。一太守の張邈殿を下に見ているのではないかと」
近くで聞いていた簡雍は、目を大きく見開いた。
曹操も昔の曹操とは違うのかもしれないが、袁紹と比べるとごく僅かな違いだろう。
それをまるで、同列のように話すことで、曹操がすでに張邈を見限っているかのようにも聞こえる。
しかし、当の張邈はそのことに気づかずにすっかり聞き入っている様子。
「ですから、同じ州牧という立場になられましたら、張邈殿を見直し、お二人の態度も元に戻ると思われます」
「そうか。・・・そうかもな」
「つまり、張邈殿に兗州は必要なのです。お二人との友誼を取り戻すために」
州を奪われた曹操が張邈との友人関係を継続するわけがない。
陳宮は、張邈の袁紹、曹操の二人に立場の差をつけられた劣等感を刺激し、本質から目を背けさせることに成功したようだ。
狡猾と言えば、それまでだが、今の簡雍にはない話術かもしれない。
「わかった。それでは呂布殿を先鋒に任命する。戦略面もすべて任せてよいのか?」
「この陳宮にお任せ下さい。あとは一声かけるだけですみますから」
張邈は陳宮の頼もしい言葉にすっかり心酔している様子。
いずれにせよ、徐州を攻めている曹操の後方に敵の敵、すなわち味方を確保するのに成功したのだった。
命を受けた陳宮は、早速、張邈の前を辞すが、その後を簡雍が追う。
「きれいな言葉だけで丸め込もうとしたようだが、まだまだ、青いな」
「どうも、私は人が良すぎるようですね」
そううそぶくが、陳宮の指摘はもっともなことだった。
もっとも陳宮の援護射撃は、最初から計算のうちだったが、簡雍に陳宮と同じことができたかというと否だった。
今回はどんな手段を用いても張邈を動かさなければならない。そうしないと徐州攻防では劉備に勝ち目がないのだ。
簡雍は一つ勉強になったと反省する。
「しかし、我が主君とお主の主君。・・・いや、義弟か。相性が悪いが、盟約を結んでよいのか?」
「今回は利害が一致しただけ、盟を約束したものではありませんよ」
老獪な軍師は、あわよくば劉備の援軍まで引き出そうとするが、簡雍がやんわり阻止する。
「はっはっは。私の指摘に動揺しているかと思ったが、そこは引っかからないか」
陳宮は、改めて簡雍を見直した。じっくり見つめてくるので、思わず目を逸らしたが、陳宮は勝手に納得しているようだった。
「お主、才能がありそうだ。どうだ、儂と一緒に呂布さまに仕えんか?」
「いえ、私の言うことなど、呂布将軍は聞いて下さらないでしょう」
陳宮の誘いを即座に断るが、その理由に何とだらしないことだと、たしなめられる。
「そこを進言通り、主君を導くのが我らの腕の見せどころだろうに」
青い青いと繰り返された。
もっとも簡雍が断った理由は、それだけではなく別にあることは言うまでもない。
変に反論するのも面倒だったので、精進しますと告げて陳宮と別れようとした。
「それでは、今回は呉越同舟だな」
「そうですね。連携はとりませんから、曹操軍の退却時に我らの追い討ちをあてにしないで下さい」
「ふっ、お主の思惑通り、曹操が退却するとは限らんぞ」
嫌らしい笑いをすると思ったが、呂布軍の侵攻が早すぎて兗州を諦めて徐州に専念するということは、確かに考えられる。
しかし、
「大丈夫だと思いますよ。呂布軍の侵攻は、もう曹操軍に伝わっているはずですから」
「はっはっは。お主はお主で、抜かりなしか。・・・次は兗州と徐州をかけて、お主と知恵比べをしたくなったわ」
「それでは、ご武運を」
これで考えられる策は打った。あとは、曹操がどちらに固執するかの賭けである。
兗州をとるか父の仇をとるか。
冷静なときの曹操であれば、間違いなく前者をとるはずだが、大量虐殺の真意が分からない以上、簡雍には読み切れなかった。
あとは運に任せるしかない。
「まぁ、大将のことだから、大丈夫でしょう」
根拠はないが、そう言い聞かせることで自分を落ち着かせる。
簡雍は慌てるでもなく、徐州へ戻る準備を整えるのだった。
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