第39話 報仇雪恨

曹操が徐州侵攻に踏み切る一月前。

兗州牧となった曹操の拠点・東郡濮陽とうぐんぼくようには多くの人材が集まってきた。


曹操は、兗州という基盤と青州兵という兵力を手に入れた今、人材登用に力を入れることにしたのだ。

広く門戸を開き賢人、勇者を招く。曹操の評判を聞きつけた者、地元に住んでいる者などが次々と濮陽にやって来る。


まず、最初に曹操の前に現れたのは、荀彧の年上の甥、荀攸じゅんゆうだった。

荀攸は長安で黄門侍郎こうもんじろうの職についていたが、李傕、郭汜に長安が落とされると難を逃れて叔父を頼って来たのである。


荀攸の才能は、荀彧が太鼓判を押しており、すぐに行軍教授こうぐんきょうじゅとして採用した。

そして、その荀攸はある人物を推挙する。

「その者は私の十倍の才能を持っています」という。


それは兗州東郡の住人で、名を程昱ていいくという知者だった。

程昱は、当初、劉岱に仕えていたのだが、青州黄巾党によって主が殺されると、身を守るため山中に潜んでいたという。


招きに応じて、参上した程昱と曹操が話をすると、その才能を認め、寿張県じゅちょうけんの県令を任せることにする。


程昱を採用した後、今度は荀彧が、郭嘉かくかという人物を推挙してきた。

荀彧は当初からこの人物の推薦を考えていたのだが、郭嘉が袁紹のもとを訪れたと聞き、一度、諦めた経緯がある。


しかし、あれほどの男が君主選びを間違えるわけがないと、その動向を探らせていると、思った通り袁紹は郭嘉のお眼鏡にかなわず仕官を断ったことが分かった。


それを知ったときは、これ以上の喜びはなかった。

早速、曹操に登用の進言をする。


「私以上の大賢人でございます」

「それほどの人物が、まだ野に?」


その時は、荀彧以上など大袈裟なことと、曹操は思っていたが、実際に会ってみると納得する。

正直、天賦の才とは、この者のためにある言葉だと思った。


郭嘉の方も、曹操こそが終生にわたって仕える主君と認め、引き合わせてくれた荀彧に感謝するのだった。


その後も、郭嘉が劉曄りゅうようという知者を推挙し、劉曄は満寵まんちょう呂虔りょけんを推挙。

その二人は毛玠もうかいを推挙するという人材登用の連鎖がつながる。


その他では、兗州泰山国えんしゅうたいざんこくに弓馬の術に長けている于禁うきんという者の名を聞き、典軍司馬てんぐんしばとして招き入れた。


そして、最後に夏侯惇が典韋てんいという男を連れて来る。

典韋は怪力無双。その力は誰も持ち上げることができなかった牙門旗がもんきを片手で持ち上げるほどだった。

曹操からはいにしえの怪力の将、『悪来あくらい』の二つ名をいただく。


土地、兵力、人材。

自身の勢力に盤石たる基礎を築いた曹操は、度重なる戦乱で徐州琅邪国じょしゅうろうやこくに避難していた父親、曹嵩そうすうを兗州に迎え入れようと考える。


思えば、黄巾党の乱から董卓討伐など、戦続きで親孝行の一つもしていなかった。

早速、曹操は、泰山太守たいざんたいしゅ応劭おうしょうに曹嵩を迎えに行くよう命じるのだった。



曹操からの書簡が届き、曹嵩は息子の出世を大層喜ぶ。

一緒に暮らしていた曹操の弟、曹徳そうとくとともに一家の者たちを引き連れ、応劭の到着を待たずに濮陽への移住を開始した。


曹嵩親子が東海郡郯県とうかいぐんたんけんを通りかかったとき、徐州刺史の陶謙の歓待を受けた。


徐州と兗州は州つなぎで隣接している。

新しく兗州の主となった曹操とよしみを結びたいと陶謙は考えていたのだ。


曹嵩を城内に招くと宴を二日間も続け、送り出すときには、手土産として馬車で百余両の財宝を持たせる。

そして、城外まで見送ると部下の張闓ちょうがいに護衛を命じた。


張闓は五百の兵を率いて濮陽を目指す。

曹嵩一行の旅は兗州に入るまでは順調だったが、泰山国の費県ひけんあたりで大雨にあい、足止めをくらった。


古寺を仮の宿として過ごしていると、曹嵩は張闓たちの労に報いるために酒をふるまう。

この好意が大きな過ちの引き金となるが、この時は知る由もない。

最初は遠慮していた張闓たちも酒が進むと、次第に態度が大きくなりついには愚痴をこぼし始めるのだった。


「俺たちは、元々は黄巾党。志高く生きていたと言うのに、今となっては・・・」

「張闓殿。今日はこのくらいにしましょう」

曹嵩は雰囲気が悪くなってきたので、場をお開きにしようと奨める。


しかし、「うるせい。あんたはいいよな。息子が立派になってよ」

絡み酒となったので、曹嵩は曹徳と一緒に、会場となっている本堂を離れようとした。

「どこに行くんだ、爺ぃ」

「我らは先に休ませてもらいます。ごゆっくり」


深く係わらないでおこうと決め、奥の部屋に引きこもった。

張闓は部下たちと、しばらく飲み続けるが、次第にその目に妖しい光が帯びてくる。

先ほど、厠に向かったとき、陶謙から渡された手土産が目に入ったのだ。


『あれが俺の物になれば、今よりいい生活ができる』

部下たちを手招きすると、小声で相談する。


『あの財宝をすべて奪って、また黄巾党だったころのように自由に生きようぜ』

その言葉に部下、全員が賛同するのだった。


この密談内容に本堂の様子を覗っていた曹徳が慌てる。

曹徳は張闓の様子が気になり、寝付けずにいた。

それほど気になるのであれば、いっそのこと見張っていようと思ったのだが、それが奏する。


急いで、曹嵩を起こすと逃げる準備を始めた。

張闓に気付かれないように、慎重に小寺を後にしようとする。


しかし、運悪く、引き連れていた侍女が張闓の部下に見つかってしまったのだ。

曹徳は父を守るために奮迅するが、奮闘虚しく、一家もろとも張闓の凶刃に倒れる。


張闓は曹嵩一家を皆殺しにすると、財宝を奪って小寺に火をつけた。

そして、部下たちと揚州淮南ようしゅうわいなんへと逃亡するのだった。


この惨劇を発見したのは曹嵩の迎え入れを任された応劭である。

曹嵩を琅邪国まで迎えに行ったはいいが、行き違いになっていることを知り、慌てて方々を探していた。


やっと、見つけたはいいが、このありさまに青ざめる。

曹操の怒りに触れるのを恐れて、応劭は袁紹の元に身を寄せることにした。


そこで困ったのは応劭の部下たちである。

このことを報告しないわけにはいかず、事のあらましを告げに重い足取りで濮陽に向かうのだった。



曹嵩の死を知った曹操の事実を冷静に受け止めていた。

泣くでもなく、叫ぶでもなく、ただ、淡々と応劭の部下の報告を聞く。

曹操のことをよく知る夏侯惇は、一番怒っているときの仕草だと気づいた。


すべての報告を聞き終えると、曹操は立ち上がる。

「これより、徐州を攻める。部下の管理ができない輩に州を治める資格はない」

声色は静かだが、曹操の強い意志を感じた。


私怨による戦だと止められる雰囲気がないため、荀彧が落ち着いた言葉で提言する。

「陶謙を討つことに反対はいたしませんが、何分、準備不足は否めません。短期決戦で望まれるようお願い申し上げます」


「文若殿。軍師祭酒ぐんしさいしゅたる私が随行いたします。お任せください」

郭嘉が曹操について行くと宣言すると、曹操は了承する。

荀彧、程昱は兗州を守り、荀攸を帯同させる。


武官では夏侯惇を大将に、于禁、典韋を副将、別動隊を曹仁と夏侯淵に任せた。

総勢三万の軍勢で徐州へ向かう。


その軍にはいつもの軍旗の他に『報仇雪恨ほうきゅうせっこん』と書かれた旗も掲げていた。

かたきを報じ恨みをすすぐ。

それは曹操の強い怒りを表した言葉だった。



曹操の侵攻に慌てた陶謙は、すぐに和解の使者を送るが帰って来たのは、その使者の首だけだった。

曹嵩の護衛に張闓を任命したのは、確かに陶謙だが・・・


その張闓を差出そうにも、とっくに逃げた後で行方が分からない。

曹操の怒りはもっともだが、陶謙にも言い分はあった。

座して滅びを待つわけにいかないため、陶謙も軍を発する。


曹操は、徐州彭城国じょしゅうほうじょうこくにつくと、あっという間に広戚県こうせきけん留県りゅうけんの二城を落とす。

次に曹操本隊は彭城県、別動隊の曹仁に傅陽県ふようけんを攻めさせた。


それに応じるように陶謙が彭城県に入り、部下の呂由りょゆうに傅陽県を守らせることにした。

ところが、その傅陽県は瞬く間に落とされ、彭城県は曹操軍の本隊と別動隊の挟撃を受けることになったのである。


彭城城内では、重たい雰囲気の中、この緊急事態に対する軍議が開かれた。

「やはり、曹操軍は精強だ。何か打開策はないか?」

陶謙が臣下に問うが、曹操軍に対する打開策を述べる者はいなかった。


「こうなれば、儂の首を差出すか。そうすれば無駄な血も流れまい」

「お待ちください」


そこに手を挙げたのは麋竺だった。

「確かに私たちに曹操を倒す術はありません。ですので、ここは他国に援軍を頼みましょう」

「この負け戦に援軍を出してくれる者がいるだろうか?」

陶謙の懸念は一理ある。ましてや相手があの曹操では尻込みする者ばかりではないだろうか。


「北海の孔融殿であれば、力をお貸しいただけるのではないかと思います」

可能性があるとしたら、確かに孔融だけだろう。

陶謙は藁にもすがる思いで、麋竺を使者に出したのであった。



それから五日後、その麋竺は劉備という援軍を連れて彭城へ向かっている。

彭城県が落ちるか、劉備が先につくか運命の帰路はすぐそこまで来ていた。

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